時盛切腹(三)
「このようなむさ苦しいところへようこそお越し下さいました」
そう言って河田豊前守を岩ヶ平城に出迎えたのは江馬常陸守輝盛であった。大国越後の寵臣とはいえ、相手は関東管領の一奉行に過ぎぬ河田豊前守長親。彼の如きに、こうまで辞を低うし丁重にもてなした所以こそ、越後と飛騨の間に厳然として存在する、到底越えられない隔絶した国力の差があるからに他ならない。そうでもなければ近年俄に上杉家に取り立てられたに過ぎない河田豊前守の如きを、輝虎寵臣だからというだけで、古の平相国入道に連なる血筋の江馬家が、丁重にもてなす理由がなかった。
一方河田豊前守の方はといえば、そのようなもてなしに全く興味を示さず、ただ主人の用向きを伝えるために来たのだと言わんばかりの無愛想な口調で言った。
「主命により左馬助時盛より誓詞血判を得たものであるが、我が主の懊悩はこのような紙切れ一枚で霧消するものでもござらん」
河田豊前守は、その紙切れ一枚なるものを輝盛に示した。
輝盛がまじまじ見れば、それは末尾に江馬左馬助時盛の署名と血判のある誓詞であった。
「先般誓詞を徴されたばかりと聞いていましたが……」
再度誓詞の提出を求められたのはなにゆえか。
輝盛は驚きの表情と共に、言外に問うた。
これは輝盛でなくとも疑問に思うところであった。もしかしたら上杉は、輝盛の頭越しに時盛三度目の謀叛を察知し、そのうえで誓詞血判の提出を求めたのではないか、と疑われたからであった。
「まさか、三度目の謀叛を……」
輝盛が疑問を腹蔵なく河田豊前守にぶつけたが、河田は言葉少なに
「さにあらず。先ほど申したとおりである」
というのみである。
先ほど申したとおり……ということは、誓詞一枚得たところで輝虎の懊悩は消えないというひと言であった。河田豊前守はそれだけ伝えると、もう用は済んだとばかりに岩ヶ平城を後にして越後へと帰っていった。
輝盛は重臣河上中務丞富信にその河田豊前守の言葉を伝えた。富信はしばし考え込んでから言った。
「おそらく輝虎公は、時盛を消せと暗にお命じなのでしょう」
「なんと……」
輝盛は絶句した。
しばし絶句したあと、改めて前後の情報を整理してみれば、確かに河田豊前守は時盛の暗殺を暗に命じていたとしか思われないことばかりであった。
如何に関東管領山内上杉輝虎といえど、その管轄外にあり、組下ではなく一応対等の同盟者たる立場の江馬家の仕置に口出しする大義はなく、その主体的な判断による時盛の処断を促す以外に、時盛を消す手段がないということであった。
河田豊前守が思わせぶりに時盛の誓詞血判を示し、
「これでも主の懊悩は消えない」
と言ったのは、そういった意味を込めての発言だったのである。大っぴらに内政干渉できないから、大国越後の立場を前面に押し出して、輝盛に対し時盛の処断を暗に求めてきたものであった。
「これは好機と考えるが、どうか」
輝盛は富信の解釈を聞いて、眼に昏い光を帯びながら問うた。
もとより河上富信も、父重富を江馬時経、時盛父子との抗争のなかで失った身である。今回三木父子から下された裁定に不満を抱いていた点では、輝盛と考えを同じくしていた。
その富信が輝盛から諮問された以上、
「やりましょう」
とこたえるのは当然の話であった。
「やるのは良いが、三木は如何に致そう」
上杉輝虎からの密命があったとは言い条、それなど非公式の命令なのであって、実際に時盛を害するとなれば、時盛赦免を決定した良頼、自綱父子の面目を潰してしまう所業に他ならなかった。輝盛はそのことを心配したのである。
「いまさら躊躇なさることはございますまい。我等今日まで幾度屈辱に耐え、永らえてきたか。すべては旧惣領家に惣領の権を取り戻すためではございませなんだか。
それに三木父子は一族の怨念を越えてなどと申しておりましたが、あれなど大きなお世話というものでごさる。むしろ我等江馬家累代の怨念を今後にわたって温存し、同族同士相争わせて我等を苦しめようとする術策とすら疑われます。いまさら三木風情に当家の仕置をあれこれ指図される謂われもございますまい」
「そうであったな富信。よかろう。もはや迷わぬ」
輝盛はそう言って、時盛の処断を決意したのであった。




