江馬再乱(三)
親子ほども年の離れた旅装の男二人。警固の者どもを含めても十指に及ばぬ少人数が、峠の嶮岨を西へ西へと進んでいく。ここ安房峠は、信濃国木曾から飛騨に抜ける主要ルートのひとつである。
一つは飛騨国南端の益田郡へと抜ける長峰峠。今一つが大野郡へと抜ける野麦峠。そして旅装の一団が歩くのが、飛騨北端荒城郡へと抜ける安房峠であった。
信飛国境を阻むのは三千メートル級の山々を擁する飛騨山脈であった。
その高さゆえに近代以降は日本の屋根とも呼ばれ、見渡す限りうち続く嶮岨は天然の要害と呼ぶに相応しいものであったが、この時代はあまりに高地のために人を常駐させるということが出来ない場所であった。つまり越えようという強い決意と装備さえあれば、自然の地物以外にその侵攻を妨げる要素がなかったわけである。
旅装の一団が往く安房峠はその最も嶮岨を誇る峠道であった。
「三郎九郎、疲れたか」
一団の長と思しき初老の男が、弱冠にも満たないであろう三郎九郎と呼ばれた若者を気遣う。
若者はこたえた。
「なんの、お戯れを。これくらいでへばるほど生なかの鍛え方をそれがしになされた父上でもございますまいに」
これには父上と呼ばれた男、山村三郎左衛門尉良利も
「確かにそのとおりだ」
と苦笑いするより他なかった。
一団は、主君木曾義昌経由で武田信玄から飛騨探索の密命を受けた木曾家重臣山村家一行であった。
隣国の情報収集は、他国と国境を接する信濃国衆に割り当てられた任務であった。信濃国木曾谷を拠点とする木曾義昌は、国境を接する飛騨や美濃方面の情報収集を折に触れて武田に求められていたのである。
先述したように信飛国境は日本有数の霊峰に遮られ、これを往来する人影はまばらであった。実際山村の一行は、ここに至るまで、未だにどこの誰ともすれ違ってはいなかった。この調子で進んでいけば、誰にも怪しまれることなく荒城郡に入ることが出来るというものであった。
一行は大きな櫃を二つほども抱えていた。それは具足を収容するための櫃で、一行は江馬家惣領左馬助時盛に求められて、その領内に具足二領を搬入する行商を装ってまんまと荒城郡に侵入に成功したのであった。
「遠路はるばる、よくぞお越し頂いた」
江馬左馬助時盛は、内心武田家からの来訪者を快く思わなかったが、そのような心持ちを全く面に出すことなく、険しい峠道を越えてきたばかりで疲労困憊しているであろう一団を気遣うふうを示したが、しかし一行の長にして飛騨の国情探索を命じられている山村三郎左衛門尉良利には、左馬助時盛の世間話や歓待に付き合っているひまはない。
三郎左衛門尉は単刀直入に言った。
「我等武田は近々飛騨侵入を企てております。先年、当家の飯冨源四郎が飛騨に討ち入って以降、江馬殿が飛騨国内に地歩を失われてしまったがために我等再度討ち入りを決したものでござる。これは江馬殿が当家に面目を施す好機ですぞ」
山村はほとんど直截的に江馬時盛のここ数年の失策を詰った。時盛にとっては面罵されたも同じであった。
(逆徒輝盛に一撃も加えず撤兵してしまったのは、どこの誰だったか!)
そう言いたい気持ちはやまやまだったが、武田の威勢を背景にして責任の全てを時盛に押し付けようという山村に対し、時盛は反論の言葉を持たない。
それどころか
「申し開きようもございません」
とわびを入れさせられる始末だ。
時盛は良利に求められるまま飛騨の現状を報告した。
「現下、三木家は御公儀(将軍家)及び朝家に献金を繰り返し、三国司の名跡と位階を賜り、国司然と振る舞って悦に入っております。これに我が一族庶流の常陸守輝盛が合力して、我等江馬惣領家を蔑ろにしているのが飛騨の現状。国司名跡など全く以て馬鹿らしいカビの生えた権威に過ぎませぬが、飛騨の人々のうちにはやはり、この古くさい権威を殊更重んじる気風が依然残っており、三木家が国内にいよいよ威勢を振るっている状況でございます」
時盛はそのように説明した。
いまや三木家の威勢は揺るぎないものになっており、今度こそこれを打倒するため、武田家の本格的軍事介入を時盛は引き出そうと考えたのである。時盛は確かに武田を憎んだが、そうしてでも三木家を出し抜かなければ、今後にわたり自分が三木家を打倒することは不可能になると時盛は考えたのである。
江馬時盛は武田の来寇を自然災害と同様に考えていたが、それが本質的に自然災害と異なるのは、災害が全く予兆もなく突然発生するのとは違い、兵禍は事前に通告があったり、ある程度の予想が利く、という点であった。
近く行われるであろう武田の飛騨侵攻に際し、時盛は自然災害に乗じて家勢を拡大させるつもりであった。次こそ武田の本格的な介入を信じ、岩ヶ平城の輝盛富信主従を討ち果たし、武田の武力を背景に三木の連中を膝下に屈服させる以外のことを、時盛はもう考えなかった。父時経以来、三木家に利用されるだけ利用されてきた運命を切り拓くのは、今をおいて他にないと信じる時盛なのであった。




