姉小路古川継承(二)
内侍から挙状を披露された帝は、御簾の奥より、またしても飛騨の三木か、と呆れ給うたように玉言を発しあそばされた。
しかも今回は叙位任官の奏請ではなく、少なくとも永仁年間(一二九三~一二九九)から飛騨を領している名族姉小路三家のうちの一つになりたい、などと申し入れてきたのだ。帝の溜息は、深淵から吐き出されたもののように、内侍には思われた。
帝は猿犬英雄を称するが如き三木良頼の申し入れに懊悩深くあらせられたが、何事も先例を重視する朝廷のこと、かかる厚顔無恥な申し入れに対して主上は、先例なきことは公家にはならざる旨即ち
「公家は先例のないことはしない」
との御意向を示されるより他に対抗する手段がなかった。
この懊悩深き帝と比較して、関白近衛前嗣と権大納言廣橋国光のやりとりは噴飯物、出来の悪い茶番劇そのものであった。
近衛は、昨年三木良頼を猶子として迎え、これを藤家のうちに数え入れて飛騨国司叙任を実現させる離れ業を演じてみせた経緯があった。これなど真に朝廷のためを思っての叙位任官などではなくして、ただ自らの声望を高めるための儀式に他ならなかったものであったが、いま、改めて三木良頼から三国司のうちの一つに入りたいとの奏請を得て、廣橋権大納言に対し
「先例となる旧記を博捜せよ」
と白々しくも下命した。
しかしそのような先例がないことなど昨年の良頼の国司叙任で既に判明していることであり、であるからこそ前嗣は、先例主義を打破するために三木良頼の如き田舎侍を猶子として迎えた経緯は先に記したとおりであるから、廣橋権大納言は良頼を国司に叙任したときと同じように
「飛騨の三木良頼は藤家(藤原家)に罷り成っており、またその正室は亡き古川済俊公の遺児にして姉小路向家養女。三木家が三国司家の一に入るのに何ら不都合はございません」
と、大仰にこたえるだけでよかった。
帝は関白と権大納言のかかる動きに深くご軫念あらせられ、古川英子を母に持つ三木光頼が三国司の一つに入りたいというのであればやむを得まいと渋々宣うた。これは、その望むまま、唯々諾々と姉小路の名跡を三木家に与えようと企てる近衛前嗣を牽制するためであった。
つまり三国司家の名跡継承を、三木家という「家」に対してではなく、光頼という「個人」に限定しようとのご叡慮に基づき斯く宣うたのである。
関白近衛前嗣は帝の御意向を無視することが出来ず、八月八日に申文を発出して、三木光頼の三国司入りを帝に申し入れている。
そのことは「御湯殿上日記」永禄二年(一五五九)八月八日条に
くはんぱく(関白。近衛前嗣のこと)より、ひだの光頼三国司のうちへの事申文いださるゝ
と明記されており、帝と前嗣との角逐を現代に伝えている。
畏くも主上におかせられては、武家の多くを猶子に迎えて関係を取り結んでいた関白近衛前嗣の思惑が、公家一統の御政道を実現し、真に朝家の栄華を極めんとするところなどにあるのではなくして、己が声望を高め、名実共に天皇家を超越せんとするところにあると薄々勘付いておいでだった。
なので、三木家の三国司入りを阻止した勢いもそのままに、帝は関白から上申があった「光頼の三国司入り」も潰してしまうお心づもりであった。
帝は、近衛前嗣より発出された先の申文を披露する勾当内侍に、朕は猿犬英雄を称するが如き先例を作るをよしとせずと宣い、光頼の三国司入りを回避する絶妙の方法を言外に諮問あそばされたのである。
「先延ばしにしかなりませぬが……」
勾当内侍はしばし考えた後、言葉少なに切りだしてこう続けた。
「此度は光頼を飛騨介に任ずる旨勅許お下しあそばされるに止められては如何でしょう」
勾当内侍によればこうである。
良頼が近衛前嗣の猶子として迎えられたうえ、関白から光頼の三国司入りについて上申があった以上は、光頼に姉小路古川の名跡を継がせないというわけにはいかないだろう。
しかし主上が飽くまで飛騨の三木如きを三国司家のうちに入れたくはないと思し召すのであれば、今はこれを勅許あそばされず、却って光頼を四等官(守、介、掾、目)のうちの次官、即ち飛騨介に叙任あそばし、将来の飛騨守任官に含みを持たせるところで止め置いてはどうか。
そうすることによって、三木は今後、よりいっそう礼銭の支払いに励むであろうし、また狡知に長けた関白近衛前嗣であれば、主上が光頼の三国司入りすらも内心お望みでないことを敏くも嗅ぎ取り、手を変えてくる目に賭けることも出来ましょう、と進言したのである。
光頼の三国司入りを回避する決定打とは言いがたかったが、帝がお望みでない事態の実現を先延ばしにする有効な手段の一つではあった。
帝は勾当内侍の進言に勅許をお下しあそばされ、同年十月六日、三木光頼の飛騨介任官の勅許を遣わされた。
「御湯殿上日記」永禄二年(一五五九)十月六日条には
飛騨介の勅許関白へいださるゝ
と記録されている。
三木家はもちろんのこと、光頼個人の三国司入りにすら言及されていない点に注意が必要である。




