第12話 『天上の花園 -メメント- 』
――事件当日。
いつもなら遅くても夕食前には帰宅していたサナが、その日は珍しく夕食の時間になっても帰ってこなかった。
「たまにはこんな日もあるだろう」と特段不思議に思わなかったサナの母親は、彼女が帰宅してすぐ食事できるよう準備していた。
十分、二十分――三十分。
刻々と時間が過ぎていく。
きっと学校に用事があって居残りしているのだろう。
そう思いながら、母親は炊事を続ける。
途中、仕事から帰ってきた父親も一緒にサナの帰りを待った。
一時間、二時間――そして、三時間
折角の夕食もすっかり冷めてしまった。
二人の口数も少なくなり、いよいよ本格的に焦りが出ていた。
彼女の真面目で大人しい性格を考えると、どこか寄り道をしているとは考えづらい。
友達と遊ぶにしても、一度家に連絡するよう言い聞かせている。
連絡もせず友達と遊んでいたことは過去に一度もない。
――何か事件に巻き込まれたのではないか。
微かに脳裏を過ぎっていた。だが、考えないようにした。
自分の娘に限って、あの事件には巻き込まれない。とさえ思うようにしていた。
だが、嫌でもチラついてくる。ここ最近世間を賑わせている事件のことが――。
少女誘拐事件。
少女だけを狙ったこの事件は、過去何人も被害にあっているにもかかわらず、犯人への手がかりが一切残っていないことで知られている。
そして、被害者全員が突如として姿を消すことから、世間では『神隠し』と呼ばれていた。
不安と焦り、心配が入り混じり、そしてそれが恐怖に変わったとき、二人は居ても立っても居られず王国近衛騎士団”ZORG”に捜索願を出したのだった。
この事件に関して、ライルが知っていることは二つ。
一つが、サナの両親がZORGに捜索願を出しており、彼女の捜索が未だ続いていること。
もう一つ。サナの消息が途絶えたのが、彼女の住む家の最寄り駅を降車してからだということ。
サナが最後に目撃されたのはリンハル地方、その中の街『チーマ』の駅だったそうだ。
一人構内を歩く姿を、駅員が偶然目にしたらしい。
駅員曰く、「特段変わった様子はなく、普通の女子学生が帰宅している姿を見ただけ」とのことだった。
当日のクラス会での出来事、そして目撃者の供述から、サナが自らの意思で消息を絶ったとは考えにくい。
ライルも、サナが何かしらの事件に巻き込まれていると推測していた。
だが、推測はできても行動に移すことが中々できない。
ライル自身が動くにしても、情報があまりに少なすぎる。
リンハルに向かえば何かしら得られるかもしれないが、駅周辺にはZORGの包囲網が敷かれているだろう。
ライルが現場に行ったところで捜査の邪魔になるだけ。
そう思った時、ただ状況が変化することを待っているだけの無力な自分に、ライルは酷く嫌気がさしていた。
そんな彼を励まそうと、エリシアは色々と気にかけてくれている。
「こんなところで諦めるようなライルじゃないでしょ?」とでも言うように。
そう悟ったライルは今一度自身を見つめ直す。
――俺は何がしたいのか、どうしたいのか?
――俺に一体、何ができる?何をしてあげられる?
このままずっと傍観するのだけなのは――嫌だ!
そして自身の心の中で決意を固めた時、
ゴッゴッゴッ・・・
喉を鳴らしながら瓶コーラを一気に飲み干し始めた。
「ちょ、ちょ・・・ちょっと!一気飲み!?」
エリシアが驚いた様子を見せた時、ライルは勢いよくコーラ瓶を机に置いた。
置いた衝撃で瓶が割れるのではないかと一瞬肝を冷やしたエリシアだったが、
「ありがとう、エリィ。おかげで自分がやるべきこと、見つかった気がする」
そう言い、ライルは勢いよく立ち上がる。
先程までの苦悶の表情とは打って変わり、モヤモヤの晴れたスッキリとした顔をエリシアに見せていた。
「そう。それは良かった」
エリシアもまた、ライルの顔を見て安堵した。
ライルは縮こまった体をグッと伸ばす。
ジワジワと徐々に筋肉が伸びていくのがわかる。
そして一息ついてから、
「俺、そろそろ帰ろうと思うけど、エリシアはどうする?」
「んー、私はまだやることがあるから。先に帰ってて」
「オッケーオッケー、りょーかい」
ライルはバッグを手に取り、
「それじゃ、お先ー」
そして、ライルの足元からひょっこり顔を覗かせたクロも、
「ばいば〜いエリィ」
太いモフモフとした尻尾を左右に振って挨拶する。
先程までのにぎやかな空間は、一瞬にして静寂へと変わる。
一人と一匹を見送ったエリシアは、ライルの飲み干したコーラ瓶を見て感嘆の声を漏らす。
「・・・・・・瓶って意外と頑丈なのねぇ」
「ん、何だろう」
学園の門を出てすぐに、小さなブースが設置されている。
そこには女性が一人と男性が二人。厚めの書籍を抱えて大きな声で道行く人々に声をかけていた。
「なんだろうね、何かの勧誘かな?」
「・・・・・なんとなくだけど、うん。関わらないほうがいい気がする」
嫌な予感でもしたのか、ライルは正面の一点だけを見つめ、足早にその場から離れようとする。
「ねぇねぇ、君きみ。ちょっとそこの男の子」
明らかに避けている雰囲気を醸し出していたのがまずかったのか、一人の男に前を遮られてしまった。
なぜだ。なぜ敢えて俺に声をかけてくるのだ。
しかも平然と行く手を阻むなんて、常識はずれにも程があるだろう。
怪訝な顔を見せたライルに、
「そう嫌そうな顔しないでおくれよ。少しだけ、すこーしだけ私の話を聞いてほしいんだ」
関わりたくなかったが、ここで振り切ると更に面倒くさそうだ。
何より、他の二人に囲まれてしまっては収集がつかなくなってしまうだろう。
「・・・・・何のようですか。俺、急いでいるんですけど」
面倒くさそうに応答する。その目は男を見ていない。
にっこり微笑んだ男は、ありがとうと言い、
「君、コルトニア学園の生徒だよね?」
「・・・・・・」
「さっきその門から出ていくの見ていたからね。間違いない。君は学園の子だ」
「・・・・だったら何ですか」
「可哀想にねぇ〜。君のところの女子生徒、あの神隠しに遭ったんだってね」
男はそう言うと、ライルの肩にポンと手をやる。
唐突に体に触れられたことに寒気立ったライルは、男の手を払う。
「急になんですか!」
男を睨みつける。が、そのライルの表情は思わず口をぽかんと開けてしまうほど呆気にとられた顔に変わる。
男は涙目になっていた。
その目は叩かれたことへの申し訳無さから出たものではない。きっとそれは、事件に対する感情なのだろうか。
「なんとも忌々しい出来事だよ。もし自分の娘が被害にあったと思うと、もう心が痛くて、いたくって・・・」
大の大人が泣きじゃくりそうになるのを押さえながら話す姿は、あまりにも異様な光景だった。
他の仲間は彼の行動に驚いた様子はない。むしろ気に留める様子もなく淡々と勧誘を続けている。
まるで自分に課せられたノルマを淡々とこなすサラリーマンのように。
ただならない空気の中、一人この場から取り残されているような感覚を覚えていたライルだったが、
「まぁ、私に娘なんていないんだけどね」
笑い声が彼の目の前から発せられる。
先程まで目に涙を浮かべ泣くのを我慢する素振りを見せていた筈なのに。
なのに、今度は急に笑い出した。周囲など気にせず、不快感を抱いてしまうほど大胆に。
先程まで泣きじゃくっていた男が、今度はおちゃらけた様子で笑い出す。
なんなんだ一体。急に泣き出したと思えば、今度は急に笑い出したり。
「なぜ、少女が神隠しに遭ったのか。君は知ってる?」
ライルは何も答えられない。
今の状況、雰囲気に飲まれて言葉が出ないのもそうだが、何よりライル自身がその理由を知りたがっている。
それを男は、いかにも知っているかのような口ぶりをしてみせた。
何か手がかりが得られるかもしれない。そう淡い期待を持ちながら、
「いえ、俺は何も・・・」
すると男は薄気味悪い笑みを浮かべ、ライルに顔を近づけ、怯える彼の目の前でゆっくりと、丁寧に。
「――神への信仰」
「は?」
想像を遥かに上回るぶっ飛んだ回答に、ライルは思わず腑抜けた声を出してしまった。
やばい、本当に頭おかしいやつに捕まってしまった。
「そう、彼女は知らなかったんだ。唯一神”ラグスウェル”への信仰を怠ったこと。神を敬わぬ罪深き人間には、必ず災いが降り注がれるということを」
唯一神ラグスウェル。
聞き慣れない単語に引っかかったライルだったが、もはや男はライルのことを見ていなかった。
「下界の生物は、神がいなくては無力だ。手足があっても、それの使い方を知らなければどうすることもできない。だが、歩くということを神が教えて下さったからこそ、我々は歩くことができる。子孫の繁栄だってそうだ。神が性という概念を与えてくださったからこそ、我々は子を産み、育み、後世へと己が血を継ぐことができる。こうやって君としている会話も、神がいたからこそ成り立っているものだ。――我々は生かされている。神がいるからこそ、生きるという自由を与えられたのだ。生きることを許されたからこそ、自由があるのだ。少女は何か神の逆鱗に触れることをしでかしたのだろう。神に背きし反逆者には相応の天罰が下される。少女はその罪を背負い、神によってその姿を消された。・・・それだけのことだよ」
周りに目もくれず、自分の世界に入り込んでいたのだろう。早い口調で語った後、我に返ったかのように再びライルの方を向く。
「だけど、どうか安心してほしい。君は今、救いの手を差し伸べられた。人類の安寧と共生を願う我々”天上の花園”によって、ね」
ライルに手を差し出す男。だが、ライルはその手を見ることができない。
じっと、男の顔を直視することしかできずにいた。
――ついて、行けない。
男の話が自分が生きている世界の話ではないように聞こえる。
何を言っているのか、何が起きているのか。まともに整理する猶予を与えられないまま進められている状況に、ライルは一人、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
「さぁ、この手を取るんだ。今差し出したこの手は教祖”エリス”様が差し出した救いの手と同義。つまり、絶対の安心を手に入れることのできるチャンスなんだ」
――エリス?教祖?何だ、一体何をいっているんだ・・・
混乱するライルだったが、
「痛っ・・・!」
突如、足元に激痛が襲ってくる。
クロが、鋭い牙を光らせてライルのふくらはぎに噛み付いていた。
「ライル、すぐにこの場を離れよう。今の君は正常な判断ができていない。男の言葉に惑わされるんじゃない!」
今まで黙っていたクロも、いよいよ我慢ならず強い口調でライルに促す。
「痛い?どうした、何かあったのかい?」
クロの姿も声も、ライル以外には認識することができない。
一連の流れも、傍から見れば一人で痛がり、足元を気にしているだけにしか見えないのだった。
「そ、そうだな。一旦この場を離れよう」
足早にその場を離れようとするライルに向かって、
「ちょっとちょっと!無視するなよ」
男は追いかけようとするが、歩をすぐに止める。ライルの渾身の威嚇によって、その気力もうせてしまったようだ。
「仕方ない・・・おーい少年。特別大サービスだ」
男はライルに向かって大きな声で、
「これはエリス様が数日前、我ら教団員に告げた、有り難いお言葉だ」
――エイリルには近づくな。次の神隠しもあの街で起きる。
「エイリル・・・」
エイリルはリンハル、サマナッツ、オーアン、フーウィンの4つの地方、その中でもリンハル地方にある街の一つである。
サナが行方不明になったチーマもリンハルの街だが、その近くでまた何か起きるというのだろうか。
「これをプレゼントしよう」
駆け寄ってきた男が、ライルに一冊の濃緑の本を差し出す。
「この教典さえあれば、君はいつ何時でもエリス様の偉大なる加護によって悪呪が払われ、守られる」
躊躇するライルに苛立ったのか、勢いよく、
「さぁ!受け取りなさい!」
ライルの腕を取り、本をライルに押し付ける。
「――ッ!こんなもの、いらない!」
本を勢いよく地面に叩きつける。分厚い表紙なのだろう、重みのある鈍い音が周囲に響く。
「あぁぁぁ!なんという・・・なんということを・・・」
男の体が小刻みに震え始める。顔を真赤にし、鬼の形相でライルを睨みつける男は、
「貴様ぁぁ!何をしでかすか!」
急いで本を拾い、砂埃をはたき落とす。そして大事そうに胸に抱えながら、怒りをにじませた声で、
「ラグスウェル様とエリス様は寛大なお方だからこそ、貴様の今までの侮蔑な行為を水に流していたというのに、それを・・・それを無下にするとは!万死に値するぞ!」
「やべ。逃げるぞ、クロ!」
危険を察知したライルは急いでこの場を離れるべく、全力疾走で駆け出した。
途中まで追っていた男もいよいよ観念したのか、走ることを止め、
「ああぁぁ!神ラグスウェルよ!我らが教祖エリスよ!不埒で無礼極まりない、下劣で卑しく醜悪な少年に制裁を!鉄槌を!審判をぉぉぉぉ!!」
自身の目の前を去っていく少年を呪い殺そうとするかのような怒気を込めた声が響き渡る。
「何が『無礼極まりない』だよ。勝手に話しだしたのはオッサンじゃんかよ」
そう呟きながら、ライルは人の気配がない場所まで走り続けていた。
走り始めてどれだけ時間が過ぎたのかは分からない。なにせ、その場から離れることに必死だったから。
「もう・・・いいだろ・・・」
走りを止めたライルは、息を切らしながら、活発になった心臓の動きを落ち着かせる。
「だ、誰も・・・追いかけてない、よな」
「うん、大丈夫。誰も来てないよ」
全く息を切らしていないクロは、周囲の安全を確かめる。
「ったく・・・。一体何だってんだ。勧誘にしても手荒いやつらだったぜ」
「天上の花園だっけ、今までいい噂を聞かなかったけど、名前は初めて聞いたね」
「なぁーにがメメントだよ。ラグスウェル?エリス?知らねーよそんな名前。あーあ、もう金輪際、関わりたくねーよ」
嫌なことを忘れようと喚き出すライルだが、
「・・・気になる?エイリル」
何かを察知したのか、クロはライルにそう問いかける。
「あ、あぁ。予想外だったけど、意外なところから情報を得ることができたからな」
だが、ライル自身、引っかかるところがあった。
「なぜ奴らが、次に神隠しが起きる場所を知っているんだろう。もしかしたら、俺たちを貶めようと何か罠を・・・」
「うーん、それはないんじゃないかな。勧誘しようとしていた一般人に悪いことしようとすれば、それこそ悪評が世に出回るから、彼らにとってはデメリットでしかないと思うけどな」
「・・・まぁ、さっきので俺の中では悪印象でしかないけど」
苦笑いを見せるライル。あんなやり口で勧誘を続けようものなら、誰も寄り付かない気がするものだが。
「さてと、エイリルの情報は、罠じゃないにしても嘘の可能性はもちろんある。確かな情報じゃないかもしれないね。だけど、ボクは手がかりとしては有益なものだと思うんだ。実はさっきから、リンハルの方でなんだか嫌な雰囲気を感じるし」
真剣な表情でライルに語るクロ。その顔つきから、情報通りリンハルで何かしら動きがあることを察知している様子だった。
「クロ、ついてきてくれ」
多少の迷いがあったが、どこか吹っ切れた様子のライルは、リンハル地方の方角を向いて決意を口にする。
「――行こう。手がかりを得るため、エイリルに」