第3話『僕には関係ない』(3)
「怯むな! 手榴弾だ!」
曹長が戦死者の銃を手にしながら叫んだ。
兵士達が腰のベルトから手榴弾を外して次々に投げつける。しかし、そのどれもが炎の壁に阻まれて燃え尽きた。
すぐに手榴弾を使い果たし、銃を乱射する。しかし銃弾は全て炎の壁に飲み込まれてゆく。弾倉が数秒で空となり、兵士達は慌ただしく弾倉を交換する。
小銃側面のハンドルを掴んでドラムを回し、機関部に弾丸を巻き上げる。単純な構造ながら引鉄を引くだけで連射できるのがソルカー銃の利点だが、弾倉内の弾丸を撃ち尽くしてから次弾発射までに時間がかかるという欠点も備えていた。
「……分かったぞ」
プラーヤが一言呟いて右手を前に突き出す。その手から黒い炎が迸り、弾丸の装填に手間取っていた最前列の兵士三人を飲み込んだ。
「あっ――」
悲鳴すら満足に発せられないまま、三人の身体が蒸発した。
「なっ……!」
呆気に取られる曹長の前に、残った兵士達が歩み出て射撃を再開した。
銃弾はまたも炎の壁に遮られ、それでも兵士達は引鉄を引き続けた。
「曹長殿……!」
兵士の一人が目配せすると曹長はハッとして振り返り、背を向けて走り出した。
プラーヤは無言で左手を宙に掲げ、人差し指で天を突き刺した。胸の魔力結晶から溢れ出した炎が指の周りで大きく渦を巻き、やがて巨大な戦輪となった。
対峙する兵士達の表情が一瞬にして絶望の色に染まる。
「……行け」
プラーヤは静かに言い放つと、手を振り下ろして戦輪を投げ放った。
直径三メートルはあろうかという炎の戦輪が、立ち塞がる兵士全員を両断した。
「ぎぁぁっ……!」
兵士達は押し殺したような悲鳴を上げた次の瞬間には、煙へと変わっていた。
目の前の敵を殲滅したプラーヤは彼方に目を向けた。遠ざかる曹長の背中が宵闇の中に消えつつあった。
「くそっ……!」
曹長は歯ぎしりをしながら走った。部下が全員、殺されたことは分かっていた。
「逃げるのか?」
ハッと息を呑み、足を止める。目の前に部下を殺した少年――プラーヤが立っていた。
「貴様、どうやって――」
曹長は言いかけて、やめた。危うく忘れるところだった。目の前に立つ少年が強大な魔法戦士だということを。
「お前だけ逃げるのか。部下が全員死んだのに、お前だけ逃げるのか!」
プラーヤが両手に炎をみなぎらせて叫んだ。
曹長の顔が怒りに歪んだ。
「当然だ。あいつらは俺を生かす為に死んだ。俺が死ねば、あいつらの死が無駄になる!」
曹長がソルカー銃を捨てて両腕を振るうと、軍服の両袖からサーベルが飛び出した。
「だが……もはや逃げられんようだ。ならば! せめて一太刀浴びせねば、お前に殺された部下達に顔向けができん!」
曹長の両脚が地を蹴った。
「おぉぉぉぉぉ!」
空高く飛び上がり、赤熱化した二本の刃を頭上から振り下ろす。
しかし、プラーヤの黒い瞳は曹長の動きを完全に捉えていた。
「あっ……がぁぁぁっ……!」
曹長の手からサーベルが落ちた。手刀に胸を貫かれ、背中から黒い炎が溢れ出していた。
「ごはっ……!」
そして口から大量の血を吐き出しながら、にやりと笑った。
「俺は……征討軍歩兵曹長・ラシュカ=ザムバハート。お前の名は?」
「……プラーヤ。僕の名はプラーヤ=プラシャースタ」
一呼吸置いてプラーヤは名乗った。
「……プラーヤ。さすがは魔法戦士……俺の負けだ。だが……」
曹長――ラシュカの表情が神妙なものに変わった。まるでプラーヤを憐れむような――。
「お前が取り込んだ魔力爆弾の力は莫大に過ぎる。とても使いこなせるとは思えん。お前も遠からず……俺達の行く所に来るだろう」
プラーヤはラシュカの身体を地面に降ろし、静かに手刀を抜いた。
ラシュカは激しく血を吐きながら地面に倒れ、もう一度笑みを浮かべた。
「待っているぞ……プラーヤ」
言い終わると同時に炎が全身に広がり、ラシュカの身体が煙へと変わってゆく。
プラーヤはしばし無言でそれを見ていたが、やがて背を向けて歩き出した。
隠しておいた荷物に歩み寄り、ぼろきれのようになった服を脱ごうとした、その時。
「うっ……!」
喉の奥がひび割れるような渇きに思わず咳込む。水筒を手に取り、飲み口を空けると沸騰した湯が噴き出し一瞬で蒸発した。
「うわっ!」
驚いて水筒を手放すと不意に力が抜け、たまらず地面に倒れ込んだ。
「なん……だ……?」
起き上がることもできずにもがくと、手に触れた花が一瞬で燃え上がった。
「燃えた……? まさか――」
言いかけて、心臓が大きく脈を打った。
「うっ……うぁぁぁ……っ!」
胸に激痛が走り、魔力結晶から黒い炎が溢れ出した。周囲の草がたちまち燃え上がり、辺り一面が火の海になった。
激痛にのたうち回りながら、自身が魔力を制御しきれずにいることを理解した。曹長――ラシュカの遺した言葉が、早くも現実となったのだ。
「くそっ……くそっ……!」
全身を襲う熱と激痛に意識が遠のく中、炎の中を走って来る人影が見えた。
――敵の増援か……。
プラーヤは動きを止めた。
――胸の爆弾が爆発すれば敵を道連れにできる。あいつも街から逃げられるはずだ。
凄まじい苦痛に苛まれながらも、心は落ち着いていた。
プラーヤは静かに目を閉じ、死を受け入れようとしたが――。
「ご主人様ぁ~!」
その耳が捉えたのは、あの緊張感の無い声だった。
「えっ……?」
閉じようとした目を開き、声のした方を見る。向かって来るのはエプロンドレスに身を包んだ少女――ナツキだった。
「ナツキ……?」
「はい、ご主人様っ」
ナツキはにっこりと微笑み、炎にかまわずプラーヤの下に駆け寄った。
「バカ……なんで戻って来たんだ!」
「ご主人様の声が聞こえたので走って参りました。遅くなりまして申し訳ございません」
「声が聞こえた……? 街から何キロあると――」
プラーヤは差し出されたナツキの手から逃れるように顔を背けた。
「やめろ! 僕はもう死ぬ。魔力爆弾が爆発するんだぞ……! 早く逃げろ!」
「そのお言葉には従えません。主人を守るのはメイドの一番大切な務めですから」
ナツキは炎に包まれるプラーヤの身体を抱き締めた。裸の背中に触れた手はしなやかで柔らかく、心地良かった。
「何を言って……いつまで僕のメイドでいるつもりだ。僕はお前を見捨てたんだぞ!」
ナツキは笑顔で首を横に振った。
「見捨ててなんかいません。ナツキを守る為に戦ってくださったのでしょう?」
「ぼ、僕は……」
プラーヤが口ごもると、ナツキは腕に力を込めた。柔らかな胸から、ナツキの鼓動がはっきりと伝わってくる。
「その瞳の色……魔法をお使いになられたのですね。ご自身の命が危ういというのに。ご主人様は、本当に優しい方です」
「離せ! 離せよ! 僕がどんな人間か、知らないくせに……!」
プラーヤの目から涙が溢れた。
「僕はこれまでに大勢の人を殺してきた。たくさんの街を滅ぼす手助けをした。命令だから、姉さんに言われたから……そうやって開き直って、自分のやってることを疑いもしなかった。僕は人殺しの人でなしだ。優しくなんかない!」
ナツキはプラーヤの涙を優しく手で拭った。
「では、どうして泣いてらっしゃるのですか?」
「うるさい! いいから離せ! 僕なんかの為に死ぬな!」
プラーヤは泣きじゃくりながら、顔を背けた。
「僕はオリアンを殺して姉さんの所に行こうと思ってた。でも、駄目だ。僕一人で仇なんか討てるはずない。こうしてる間にも姉さんは地獄で苦しんでる。姉さんだけを苦しませるわけにはいかないんだ。だから僕を一人で死なせてくれ! メイドなら主人の命令を聞けよ!」
「その涙も……ナツキへの叱咤も、ご主人様の優しさの証です。ナツキは優しいご主人様をお守りします。ですから、ナツキも死ぬわけには参りません」
次の瞬間――プラーヤの頬に、そっとナツキの唇が触れた。
「あっ……」
プラーヤは目を閉じ、呼吸を止めた。
柔らかな唇の心地良さが全身を包み、痛みが徐々に和らいでゆく。鼓動が落ち着き、炎が沈静化するのが分かった。
「あ、あれ……?」
そして再び目を開いた時には、周囲の炎が消えていた。
「もう大丈夫です、ご主人様。今、お着替えをお出ししますね」
「また、炎が消えた……?」
プラーヤはナツキと出会った時のことを思い出した。
――初めて会った時と同じだ。ナツキに触れられると、魔力の暴走が止まった……。
「……これは、一体……」
身体を起こそうとするプラーヤを、ナツキはそっと横たえた。
「動いてはいけません、ご主人様。魔力を使った影響がまだ残っているはずです。しばらくの間お休みになりませんと、お命に関わります」
「ナツキ……お前は一体、何者なんだ?」
ナツキが、きょとんとした顔で振り返った。
「はてな。ナツキはただのメイドですよ?」
「ただの人間が、魔法についてここまで知っているとは思えない。いや、それよりも……あの炎の中で火傷ひとつしていないなんて」
プラーヤはナツキの全身を眺めた。火傷はおろか、衣類にも焦げ一つなかった。
「ナツキは、まさか……」
数秒の逡巡の後――。
「魔法戦士なのか?」
プラーヤはナツキの目をまっすぐ見据えて問うた。
ナツキはしばしプラーヤの視線を受け止めていたが、やがてトランクから替えの衣類を取り出し、プラーヤに歩み寄った。
「いいえ、ご主人様。ナツキは魔法戦士ではありません」
これまでにない、はっきりとした口調だった。
「そんなことよりも、ご主人様っ」
ナツキはプラーヤの腕にシャツの袖を通しながら微笑みかけた。
「やっと、呼んでくださいましたね。ナツキの名前を」
「なっ……! お前……!」
「ナツキはとても嬉しいです、ご主人様っ。うふふっ」
プラーヤが顔を背けると、ナツキはその分、顔を近づけた。
「ば、バカ……! そんなに顔を近づけ……」
言いかけて、プラーヤはナツキにキスされたことを思い出した。
「はわわ……!」
思わず両手で顔を隠そうとすると、ナツキの手がそれを阻止した。
「いけませんよぉ、動いては。今はお着替えの最中なんですから。それに、また魔力が暴走しては大変です」
「うぅぅっ……!」
プラーヤはうつむいて、ナツキに身を任せた。暗がりでは確かめようがないが、きっと自分の顔は真っ赤になっているだろう。
それでも……胸を熱くするものは恥ずかしさよりも大きな、嬉しさだと分かっていた。今は、はっきりと――。
凍てつく風を身に纏い、魔の眷属が迫り来る。
人ならざる魔法使い、怪獣。
それを狩る者は、伝説の銃剣士にして魔法殺し。
少年は刮目し、その力を知る。
次回『魔法殺しの銃剣士』
銃剣を手にした少女は、まだ涙を知らない。