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第3話『僕には関係ない』(1)

 アルセントに辿り着いたのは、陽も傾く頃だった。

 炎天下の移動で疲労困憊となったプラーヤの目の前に、廃墟と化した街並みがあった。


「この街も征討軍に襲われたようですね」


 倒壊し、焼け焦げた建物の壁に手を触れながら、ナツキが言った。


「どうして、そう言い切れる? 怪獣の仕業かも知れないぞ」

「いいえ、ご主人様。ほんの僅かですがマスタードのような匂いが残っています。ルセノーエンジンを積んだ車輌が来ていたのでしょう。建物を見ると砲弾の痕があります」

「砲弾の痕? あっ、確かに……」


 プラーヤは破壊された建物に目を向け、唾を飲み込んだ。


「ご主人様は、怪獣を見たことがおありですか?」

「いや。ただ、怪獣に襲われた街なら何度も見た。もしも、怪獣を近くで見るようなことがあれば……僕はここに立ってないだろうな」


 プラーヤはそう言って額の汗を拭うと、街の中に入った。


「それにしても変だ。この暑さなのに、死臭がまったくしない……いや、死体そのものが見当たらない。占領部隊の姿も見えない」


 街の中心部にある広場に立って、周囲を見渡す。崩れた建物や散乱した家具に乗り物こそあれ、死体はどこにもなく兵士の姿もなかった。


「いや……」


 プラーヤは思い直した。自分がクナーシュで意識を取り戻した時も周囲に死体はなく、征討軍の占領部隊もいなかった。

 それでも、征討軍の兵士に街の住人が殺されるのをこの目で見た。

 姉――マヤも征討軍司令官・オリアン大佐によって目の前で殺されたが、亡骸どころか遺品を見つけることさえできなかった。


「ここも、クナーシュと同じ……」


 肩を落とすプラーヤにナツキが微笑みかけた。


「……何がおかしいんだよ」

「いいえ。おかしいことなんか、何もありません。ただ、ご主人様は本当に優しい方だと思っただけです」

「なっ……!」


 プラーヤは咄嗟に吐き出しかけた言葉を噛み殺すように口を閉じた。


「どうかなさいましたか? ご主人様」

「……何でもない。そんなことより、僕は今晩の寝床を探す。そっちは食料と燃料を探せ」


 プラーヤはため息交じりに答えると、ナツキに背を向けた。


「はい、ご主人様っ。ナツキにお任せくださいませ」


 ナツキの声から遠ざかるように、プラーヤは足早に歩み去った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 陽は沈み、地平線の上に赤い月が浮かんでいた。

 プラーヤは息を切らしながら、荒野を走っていた。アルセントから、やって来た道を折り返すこと十キロを超えたところでようやく立ち止まる。


「追って……来ないよな」


 後ろを振り返って呟くと、プラーヤはリュックを降ろし地面に寝転がった。


「はぁっ……はぁっ……!」


 汗に濡れた肌にシャツの薄い生地がまとわりついて気持ちが悪い。お仕着せの衣服は生地も仕立ても上質でサイズもぴったりだが、どうにも着心地が悪かった。

 ゆっくりと身体を起こして服に付いた土埃を払い、上着を脱ぐ。シャツも脱いで汗まみれの身体をタオルで拭うと、水筒をあおって水を口に含んだ。


 ――これでいいんだ。あんな役立たずで得体の知れない奴と一緒にいたって……。


 脳裏に蘇るナツキの笑顔を振り払うようにかぶりを振ると、プラーヤは夜空を見上げた。

 赤い月を囲むようにして、星々が瞬いていた。

 人は死ぬと星になると聞いたことがある。それが本当だとしたら、あの中に姉――マヤもいるのだろうか。

 黒い髪に鳶色の瞳のマヤは、どんな色の星になるのだろうか――あり得ないことを考えているうちに、涙がこぼれてきた。


「姉さん……」


 何気なく口にした瞬間、とめどなく涙が溢れてきた。


「……姉さん……姉さぁぁん!」


 周りに誰もいないのを幸いに、プラーヤは声を上げて泣いた。


「寂しいよぉ……! 早く……早く会いたいよぉ、姉さぁん……!」


 プラーヤは地面に這いつくばって、幼子のように泣きじゃくった。



 月は傾き、東の空に夏の大三角形が浮かんでいた。

 プラーヤは星を見ながら乾パンを食べていた。

 涙が涸れるほど泣いた為か、異様に喉が渇く。気がつけば水筒の水を飲み尽くしていた。

 予備の水筒を取り出して、小さく身体を震わせる。プラーヤは自身が裸同然であったことを思い出し、リュックから衣服を取り出した。

 麻のハーフパンツに脚を通し、コットンのシャツを羽織る。着古した服にマヤの温もりが残っているような錯覚を覚え、袖に頬を当てて目を閉じた。


 ――そういえば、あいつは大丈夫かな……。


 会ったばかりの自分を『ご主人様』と呼び慕う自称メイド――ナツキ。今頃、自分の姿を探し求めているだろうかと心配になった。


 ――いや。あいつだって、見捨てられたと気づいて諦めるはずだ。あれだけ前向きで図太い神経をしてるんだ、きっと一人でもどうにかなる。それに――。


「今更……僕が誰かを心配するなんて」


 自分に言い聞かせるように呟くと、プラーヤは立ち上がってリュックを背負った。

 次の目的地・チェルフカまで五〇キロ以上ある。陽射しの強い昼よりも、涼しい夜のうちに進むことにした。

 これまでの道を外れることになるが、アルセントを避けて進むルートはある。

 気を取り直して数歩進んだところで、プラーヤの耳がある音を捉えた。

 音の正体を理解したプラーヤは即座に伏せ、迷彩布をかぶった。猛禽が低く唸るような、ルセノーエンジンの駆動音。クナーシュの方向から近づいてくるものがあった。


 道の脇に伏せたままじっとしていると、星明りの下でヘッドライトの青い光が徐々に大きくなった。クナーシュでも見た偵察車――角張った車体が特徴的な、オープントップのパルナF21が二台。征討軍の機動歩兵部隊の主要装備の一つ。

 枯れ草の中に隠れながら、近づいてくる偵察車の様子に目を見張る。それぞれ運転席に二名、一段高い後部座席に五名、武装した兵士が乗っている。一個分隊の歩兵だった。

 プラーヤは思わず息を呑んだ。


 ――あいつは……!


 左目に眼帯を着けた壮年の男が見えた。クナーシュで遭遇した下士官――曹長と、その部下達。偵察車に乗っているのは、自分とマヤを捕えた小隊の兵員だった。

 顔を見られれば、まず無事では済まされない。それ以前に、征討軍が出会った人間を生かしておくとも思えない。

 早く通り過ぎるように願うプラーヤの前で、偵察車がブレーキをかけた。


「小休止は五分だ。気を抜き過ぎるなよ」

「はっ!」


 曹長の言葉と共に、小銃を手にした兵士達が偵察車を降りた。

 プラーヤは息を殺して敵の動きを目で追いつつ、懐のナイフに手を伸ばしてそのやり取りに耳を澄ました。

 兵士達は付近に腰を下ろし、運転兵はハンドルから手を離して大きく伸びをした。


「エンジンはかけたままにしておけよ。車載魔力計のスイッチが切れないようにな」

「そうは言いますが曹長殿、あれだけの魔力爆弾なら既に魔力計が反応しているはずです。魔力結晶ねんりょうの無駄ではないですか?」

「確かに、あれだけの爆弾なら五〇キロ離れていても反応を示すだろう。この先のアルセントに小僧が潜伏しているとしても、魔力計が反応するはずだ」


 プラーヤは唾を飲み込もうとして、寸前でこらえた。


「どうも分かりませんね。それでも魔力計が反応しないというのは……」

「その理由を俺達が考える必要はない。重要なのは、あの小僧が生きているということだ。爆弾が爆発しなかった上に、死体もなかったんだからな」


 ――死体が、なかった……?


 プラーヤは曹長の言葉を反芻した。

 クナーシュにも、アルセントにも、住人の死体はなかった。

 冷静に考えれば、数千もの死体を旅団規模――多く見積もっても五千人程度の兵員が処理できるはずはない。しかも季節は夏。死体は一日と経たずに腐敗する。

 街の近辺にも死体を埋葬した形跡はなく、征討軍が数千もの死体をどうやって処理したのかが全く想像できなかった。


「あの小僧が野垂れ死んで爆弾も不発、ということは考えられませんか?」

「死んでいたとしたら、死体を回収して『葬儀』を行うまでだ。大事な資源だからな」


 ――葬儀? 資源……?


 プラーヤの脳裏に、オリアンが何気なく発した言葉が蘇った。


 ――葬儀は次の宿営地で行う。速やかに遺体の移送準備をせよ――。


「その時は不発弾処理も行う必要があるが、どちらも俺達のやることじゃない。とにかくきちんと仕事をしろよ。俺達をお許しくださった大佐殿へのご恩返しだ」

「はっ!」


 兵士達の声が一つになった。『大佐殿』という言葉が出た途端、場の空気が一気に引き締まったようだった。


「曹長殿!」


 突然、兵士の一人が立ち上がった。


「どうした?」

「あれを見てください。アルセントから煙が上がっています」


 曹長と共に全ての兵士達が立ち上がり、アルセントの方角に目を向けた。小さな煙の柱が夜空に伸びていた。


「大きな火じゃないな……焚き火でもしているんだろう。よく見つけた」


 ――あいつ……!


 プラーヤの脳裏に思い浮かんだのは、ナツキの能天気な笑顔だった。


「全員、乗車! このままアルセントに向かうぞ!」

「はっ!」


 命令一下、分隊の兵員が偵察車に向かう。

 プラーヤの全身が震えた。鼓動が高鳴り、肌が焼けつくような焦燥感に襲われる。

 このままやり過ごせばいいはずなのに。あの役立たずのことは見捨てたはずなのに。

 この数を相手にして勝てるはずがない。魔法の使い方も分からない。だから――。


 ――このまま隠れていればいいんだ……! あいつがどうなろうと、僕には……!


 ナツキが兵士に捕まる光景が脳裏に浮かび、胸に痛みが走った。


 ――知ったことか! あいつがどうなろうと、僕には関係ない!


 兵士の一人が座席のドアに手をかけるのと同時に、プラーヤの中の何かが弾けた――。

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