第10話『さようなら、ご主人様』(3)
「リディア、どこへ行っていたの? もう会食が始まる時間よ」
弔辞を終えたアルヴリーサは、控室に飛び込んで来たリディアを困り顔で迎えた。
「プラーヤ君にナツキさんはどうしたの? あっ……リディア?」
リディアは無言でアルヴリーサに抱き付いていた。
「もう……どうしたの、急に」
アルヴリーサは苦笑しながらも、そっとリディアを抱き締めた。
「ママ……プラーヤとナツキはもう、戻って来ないわ」
「えっ……」
リディアは顔を上げ、アルヴリーサを見上げた。
「ママ。私のママになってくれてありがとう。私を大学に行かせてくれてありがとう。私を叱ってくれてありがとう。愛してるわ」
アルヴリーサは微笑んでリディアの頬にキスした。
「私もよ、リディア。誰よりもあなたを愛しているわ。これまで寂しい思いをさせてごめんなさい。これからは、忙しくてもあなたとの時間を取れるようにするわ」
「ママ……ありがとう」
リディアが目を潤ませながら微笑むと、アルヴリーサも目を潤ませて優しく微笑んだ。
「それでね……ママ。お願いがあるの」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ご主人様ぁ……お腹と背中がくっつきそうですよぉ」
ナツキがお腹をさすりながら言った。
プラーヤとナツキはチェルフカへと通じる未舗装の道路を重い足取りで歩いていた。
「後先考えずに行動するからだ。まったく、とんだ無駄足だった。今から戻ったところで、もうデザートしか残ってないかも知れないぞ」
「えぇぇぇっ! そ……そんなぁ~!」
ナツキがこの世の終わりのような表情を見せると、プラーヤは大きくため息をついた。
「そこまで残念がるなら、街を出なきゃよかっただろ」
「だってぇ……決心が鈍るといけませんし。古いことわざに『思い立ったが吉日』とありますし。ナツキなりに考えた結果なんですよぅ」
プラーヤがもう一度ため息をつくと、チェルフカの方角から近づいて来る一台の自動車があった。チェルフカで生産されている砂漠仕様のオフロードカーだった。
「あれは……リディア?」
運転しているのがリディアだと分かると、ナツキは笑顔で手を振った。
「わ~い! リディアお嬢様ぁ~!」
やがて、リディアは二人の前で車を停めると、頬をふくらませてドアを開けた。
「ナツキ! 何を考えてるの! 何も言わずに出て行くなんて! 私とプラーヤがどれだけ心配したと思ってるのよ! メイドなら、もう少し責任を持って行動なさい!」
「はぅぅ……ごめんなさい。リディアお嬢様ぁ」
ナツキが両手を揃えて頭を下げると、リディアは小さく咳払いをした。
「もういいわ、反省してるみたいだし。乗りなさいよ、二人とも」
「助かった。歩いてチェルフカまで戻るのも大変だからな」
「え? 戻る?」
リディアがきょとんとした顔でプラーヤを見つめた。
「え? 迎えに来てくれたんじゃないのか?」
「え? 街に戻るつもりだったの? ママには、二人はもう帰って来ないって言ったわよ」
「えぇぇぇぇっ? それじゃ、会食はっ? ナツキのお料理はぁぁぁぁっ?」
「え? そこ?」
リディアは小さくため息をついた後で、後部トランクを開けた。
「お料理は包んで持って来たわ。他に一週間分の食料と調理器具もね。モンサークかパルハンまでなら、これだけあれば十分でしょう。プラーヤの荷物も持って来てあげたわよ」
「わーい! ありがとうございます、リディアお嬢様! これで旅の間も、ご主人様のお料理が食べられますねっ!」
「リディア……もしかして」
リディアがにっこり微笑んだ。
「私も旅に同行するわ。チェルフカを出て世界を見てみたいの。ママも許してくれたわ」
「僕達は征討軍の大元帥を倒し、怪獣を滅ぼす為に旅立つんだぞ。それでもいいのか」
リディアは真剣な表情で頷いた。
「勿論よ。征討軍がある限り……いいえ。戦乱が続く限りチェルフカも安全ではいられない。怪獣にしても同じよ。私は戦いながら、魔力結晶に代わる資源を探すことに決めたの」
「魔力結晶に替わる資源……だって?」
「戦いの後、よく考えたの。魔力結晶と魔法は、おそらく人を破滅に追いやるものだと。旧時代の化石燃料や火薬、電気。その全てを代用する魔力結晶と魔法は確かに便利だわ。でも、それを巡って人々は二百年も争い続けている。それに、あなたも見たでしょう」
「……『葬儀』のことか」
「そうよ。征討軍に対抗する為に、各地の軍閥は魔法の軍事利用と魔力結晶の確保に躍起になっているわ。この状況でもし、人の死から魔力結晶を生産できることが広まれば……どうなると思う?」
プラーヤは答えなかった。
「それだけじゃない。魔力によって人が怪獣になることも分かった。人がこれ以上、魔法に頼るのは危険だわ」
「ナツキ、どう思う?」
「リディアお嬢様のご意見に賛成です。魔法は命を削る術です。遅かれ早かれ、人はその代償と向き合う時が来るのかも知れません」
「僕も賛成だ。難しいことは分からないけれど……少なくとも僕は、魔法のせいでひどい目にあったからな」
そう言ってプラーヤは苦笑した。
「プラーヤ、ようやく笑うようになったわね」
「うん。二人のおかげだ……って、なんだよ。二人とも」
ナツキとリディアが揃って目を丸くして、プラーヤを見つめていた。
「驚きました。ご主人様が……こんなに素直に」
「おかしい……プラーヤがこんなに素直なはずないわ」
プラーヤはひとり、顔をひきつらせた。
「ところで……ご主人様、リディアお嬢様」
言い終わる前に、ナツキの腹の虫が鳴いた。
「とりあえず、お昼にしましょうか。お日様の下で食べるのも悪くはないわ」
そう言ってリディアはトランクから大きなバスケットとレジャーシートを取り出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おいしーいっ! お腹が空いていただけに、特別おいしいです!」
ナツキがミートローフを食べながら、顔を綻ばせる。
「よーく味わってね。しばらくチェルフカの味とはお別れなんだから」
「そうだな」
プラーヤは寂しそうに笑って野菜とベーコンのキッシュを口に運んだ。
「ところで、プラーヤ。忘れてることはないかしら」
「ほぇ?」
考え込むプラーヤを前に、リディアがため息をついた。
「チェルフカに戻ったら手品を見せてくれる約束だったわよね?」
「あっ……そういえば」
リディアがにんまりと笑った。
「次の街に着いたら、早速見せてね。お金稼ぎにもなるし。むふふふ」
「おい、リディア……すごくイヤな顔してるぞ」
「あら、そう? だって先立つものがなければ、旅はできないものねぇ」
「ご主人様っ。アシスタントでしたら、またナツキにお任せくださいね!」
ナツキが大きく胸を張る。たわわな胸が盛大に揺れた。
「今度は時計台のない場所でやらないとな」
「ご主人様ぁ。そのことはもう、忘れてくださいよぉ」
「ふふっ、でも……ナツキが時計台の壁に穴を空けたから、私達は出会えたのよ」
プラーヤは肩をすくめるナツキをじっと見つめた。
「それじゃ……ますます忘れるわけにはいかないな」
「もうっ。ご主人様ったらぁ」
ナツキはひとしきり笑うと居住まいを正し、両手を着いて恭しく礼をした。
「ご主人様っ、リディアお嬢様っ。今後とも、ナツキをよろしくお願い申し上げます」
プラーヤはリディアと顔を見合わせると、揃って食器を置き、ナツキに微笑んだ。
「こちらこそよろしく、ナツキ!」
示し合わせたかのように、二人の声が見事に重なった。
顔を上げたナツキが笑うと、プラーヤとリディアも声を上げて笑った。
雲一つない空の下、三人は賑やかに食事をし、時を忘れて歓談を楽しんだ。
プラーヤは誰かと一緒の食事を、これほど楽しいと思ったことはなかった。こうして、心から笑える日が来るとは思っていなかった。
――第1部『ポンコツメイドで最強の魔法殺しは、まだ涙を知らない。』完――