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第1話『はじめまして、ご主人様』(2)

 瓦礫の山と化した住宅街を抜け、郊外へと続く側道に辿り着いたマヤとプラーヤの聴覚が、猛禽が低く唸るようなエンジン音と耳障りな金属音を捉えた。

 マヤは立ち止まって掌を広げて見せ、プラーヤと共に瓦礫の陰に身を隠した。


 注意深く顔を上げると、鮮血のような赤に塗られた戦車が三輌、道路の上で停止していた。鋭角的な車体と砲塔を幅の広い履帯で支え、短砲身の魔力砲を搭載したスラトス2型戦車――征討軍の主力戦車。

 赤い色は征討軍の車輌全てに施された塗装で、見る者に恐怖を与える効果を狙ったものといわれる。事実、プラーヤにはそれらが返り血を浴びたように見えて恐ろしかった。


 戦車の周囲には数台の偵察車輌が集まり、歩兵が慌ただしく乗り降りしていた。

 どの車輌にも、傾けた黒い正方形の中に緑・青・赤・白の菱形を十字に並べた紋章が描かれている。地水火風の魔力を表す征討軍の紋章だった。


 魔力結晶を燃料とするルセノーエンジン特有の青黒い煙が辺り一面に立ち込め、マスタードに似た独特の刺激臭が鼻をつく。

 かつて地上を征服した、戦車と機械化歩兵を中心とする機甲部隊。征討軍は膨大な魔力資源と圧倒的な魔法開発力によってそれを再現しようとしていた。


「姉さん、戦車がいる。戻って別の道を行こう」

「却下よ。今頃、街は敵兵で埋め尽くされているわ。別の道も封鎖されているはず。ここを突破するしかないわ」


 マヤが三節棍の先端を回すと、刃渡り十五センチほどの穂先が飛び出した。竹槍の穂先にも似た断面が湾曲した刃は、肉を抉り大きな出血を強いるように作られている。


「火炎瓶を用意しなさい。敵を混乱させて車を奪うわよ。偵察車なら私にも動かせるわ」

「分かったよ、姉さん」


 プラーヤがリュックサックから自然発火式の火炎瓶を取り出す。三本目を取り出したところで、マヤの手が震えていることに気づいた。


「姉さん……怖いの?」

「怖いに決まってるじゃない。私はまだ、死にたくないもの」


 そう言ってマヤは深呼吸すると、プラーヤの顔を引き寄せ、唇にキスした。

 プラーヤは突然のことに慌てたが、目を閉じて呼吸を止め、マヤの柔らかな唇を受け入れた。

 やがてマヤはプラーヤから離れると、何事も無かったかのように双眼鏡を取り出し、敵の様子を観察し始めた。そして――。


「死ぬ前に、一度だけでも……あなたとキスしたかったから」


 背を向けたまま、独り言のように呟いた。


「もし生き残れたら……次はあなたからキスして。プラーヤ」

「……分かった」


 プラーヤは高鳴る胸を手で押さえながら、真剣な表情で答えた。


「プラーヤ、あの補給車を見て」


 マヤは戦車の近くに停車している箱型の大型車輌を指差した。

 車輌の後部から七色の光が漏れている。開かれた後部ハッチから、黒い軍服を着た機甲兵達が光るコンテナケースを次から次へと運び出す姿が見えた。

 枠組み構造のコンテナから漏れ出す七色の光――魔力結晶の放つ光だった。


「魔力結晶……! 補給中だね」

「そう。今ならあの戦車を相手にしないで済むわ」


 続いてマヤは補給車から離れた位置にあるオープントップ型の偵察車――パルナF21を指差した。後部座席から歩兵が降車しているのが見えた。


「プラーヤ。あの偵察車から兵士が全員降りたら、すぐ補給車に火炎瓶を投げなさい。爆発が起きている隙に、私は偵察車の運転手を殺して車輌を奪う」

「分かったよ、姉さん」


 マヤは一瞬だけ振り返って、プラーヤに微笑んでみせた。口角を微かに上げるだけの、ぎこちない笑みだった――。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「手こずらせてくれたじゃないか。向こうで俺の部下をったのもお前らだな」


 白い羽飾りのついた深緑色のベレー帽をかぶった巨漢の将校が、額の血を手の甲で拭って言った。

 マヤとプラーヤが仕掛けた奇襲は失敗した。二人は屈強な兵士達の手で地面に押さえつけられ、無数の銃口を向けられていた。


 プラーヤが投げた火炎瓶は見えない手に掴まれたかのように空中で静止した。

 マヤは攻撃に気づいて銃撃する敵兵の中に飛び込み五人を突き殺したが、突如金縛りに遭ったように空中で身動きを封じられ、兵士達に捕えられた。


 マヤの窮地を救うべくプラーヤが手当たり次第に投げたナイフは殆どが空中で静止し、たった一本だけが敵の将校の顔を傷つけた。

 次の瞬間、プラーヤは強力な磁石に引き寄せられるようにして将校の手に捕えられ、殴り飛ばされた。その拳は鋼のように堅く鉛のように重く、両手で受け止めようとしたプラーヤの身体は石材の壁にめり込んでいた。

 プラーヤは迫り来る兵士達にナイフを投げつけたが見えない壁に阻まれ、身体の自由を奪われ小銃の銃床ストックで散々に打ち据えられた。軽量石材製の銃床による打撃で肋骨にひびが入ったらしく、呼吸をするだけで胸に激痛が走った。


 敵が征討軍でなければ、突破に成功し街を脱出できただろう。だが、敵は征討軍であり遭遇した小隊の指揮官は魔法戦士だった。

 隠密部隊で特別な訓練を受け、常人を遥かに上回る戦闘能力を持つマヤとプラーヤも、一人で百人の兵に匹敵するといわれる魔法戦士の前では無力だった。

 そして、征討軍における小隊長以上の指揮官は全てが魔法器具メイジスに頼らず魔力を駆使できる強力な戦士――魔法戦士だった。


 マヤとプラーヤのいたタロス都市同盟軍でも魔法の軍事利用は始まっており、魔法戦士による部隊編制と魔法兵器の全軍への配備が進んでいたが、二人は魔力適合試験を通過できず、最も簡易な魔法兵器であるソルカー銃さえ使えなかった。

 二人の卓越した戦闘技術は魔法及び魔法器具を使えないハンディの裏返しでもあった。


「身分が分かる物は入っていません。小娘は十六か十七、小僧は十三か十四といったところですね。持ち物は大道芸の道具に見せかけた武器ばかり。北方軍閥の密偵でしょうか」


 マヤとプラーヤの持っていたトランクと鞄の中身を確認しながら、左目に眼帯を着けた下士官が言った。


「違うな、曹長。おそらく脱走兵だろう。それにしても、小僧は『姉さん』と呼んでいたが、髪の色が違うな。本当の姉弟には見えないが」


 マヤとプラーヤは頭上で交わされる会話に耳を傾けながら、自分達が殺されなかったことを訝しんでいた。


「まあいい。顔をよく見せてみろ」


 将校に促され、兵士達がマヤとプラーヤの身体を乱暴に起こした。


「ふむ……殺すには惜しいな。実に美しい娘じゃないか。小僧も綺麗な顔をしている」


 サーベルを手に舐め回すような視線を向ける将校は二十代半ばと思しき偉丈夫だった。

 金の縁取りをした黒い肩章に白い線が一本――階級は少尉。胸に散りばめられた勲章に加えて、日焼けした顔に残る無数の傷痕から、歴戦の軍人であることが一目で分かった。


「黒い髪に白い肌とは珍しい。思わぬ拾い物をしたな、いい値がつくぞ」

「少尉殿……まさかとは思いますが。こいつら、例の『魔法殺し』と関係があるのでは」

「魔法殺し……だと?」


 少尉は一瞬だけ曹長に振り返ると、マヤとプラーヤの顔を交互に眺めた。少尉の顔に恐怖の色が浮かんでいた。


 魔法殺し――。マヤとプラーヤがこの言葉を聞くのは初めてではなかった。

 マヤとプラーヤは一年前まで大陸北東部の軍閥・タロス都市同盟軍の隠密部隊で数々の特殊任務を遂行していた。二人が敵の勢力圏へ潜入した際に幾度となく耳にしたのが、無敵を誇る征討軍にとって最大の脅威――『魔法殺し』の噂だった。


 何の前触れもなく征討軍の支配する街に現れては、街ごと征討軍の部隊を殲滅して去ってゆくという『何か』。襲われた街は完全に破壊され、生存者も殆どいない為、その正体が何か……人か怪獣か、それさえも分からないという。


 ただ一つ確かなことは、どんな魔法兵器も魔法戦士も、それを倒すことができないということ。あらゆる魔法が通用しないことから征討軍の将兵はそれを『魔法殺し』と呼んで恐れ、忌み嫌った。

 そして、その凄まじい破壊と殺戮の規模から魔法殺しは科学文明を滅ぼした伝説の戦士――『銃剣士テルミナートル』の再来として全ての人から恐れられる存在となっていた。


 突けば天をも貫き、叩けば海をも裂き、唸りを上げれば山をも砕く悪魔の武器――銃剣。

 その銃剣を手に何億もの命を奪い、世界を業火に包んだ最強にして最凶の戦士――銃剣士。それと同一視される魔法殺しは、まさしく悪夢の象徴だった。


「……莫迦ばかを言うな。こいつらはただのガキ共だ」

「その『ただのガキ共』を相手に、我が隊は七人もの死者を出したことをお忘れですか? 魔法戦士である少尉殿に傷を負わせたのは、この小僧なのですよ」


 少尉は舌打ちをして曹長を睨み付けた。


「立場を弁えろ、曹長!」

「はっ……申し訳ありません」


 曹長が畏まって頭を垂れると、少尉はマヤの目を見て唾を飲み込んだ。平静を装ってはいるものの、動揺しているのは明らかだった。


「そうだ。そんなはずはない……!」


 少尉は自らの恐怖を拭い払うかのように額の血を再び手で拭うと、毅然とした表情を崩さないマヤにサーベルの切先を突きつけた。

 マヤは無言で少尉の目を見つめていたが、やがて大きく息を吸い込んで言葉を発した。


「私はどうなってもかまわない。だから、お願いするわ。弟だけは見逃して」


 マヤの発した言葉に、取り囲む兵士達が黙り込んだ。


「姉さん……!」


 マヤの視線を受け止めながら、少尉が安堵の笑みを浮かべた。


「曹長、やはり君の思い過ごしだな。銃剣士の再来とまで言われる魔法殺しが、こんな言葉を口にするとは思えん」


 少尉はサーベルを鞘に納めると、身を屈めてマヤの顎に手で触れた。


「姉さんに触るな!」


 プラーヤが声を荒らげた瞬間、兵士達が一斉に銃口を向けた。


「喚くな、小僧。お前を奴隷商人に売り飛ばしてやってもいいんだぞ」


 少尉が低い声で威嚇しながら、プラーヤを睨みつけた。


「駄目よ、プラーヤ」


 プラーヤはマヤに視線を向け、ハッと息を呑んだ。これまでに一度も見たことのない、マヤの涙がそこにあった。


「最初から二人ともそうするつもりでしょう、少尉殿。これ以上の軍規違反は……」

「ふん、お見通しか」


 曹長の諌言を笑い飛ばすと、少尉はマヤに向き直り、右の掌をかざした。


「まあいい。まずはお前から人形にしてやるか」

「やめろっ――」

「タウヌス・ケルフ(気をつけ)!」


 少尉の手が青く輝き、プラーヤが声を発するのと同時に高らかな号令が響き渡った。

 一瞬だけ将兵の間にざわめきが起こったが、すぐにマヤとプラーヤを捕らえた四名の兵士を除く全ての将兵が直立不動の姿勢をとった。


 マヤとプラーヤの目が、副官と数人の従兵を伴った長身の将校の姿を捉えた。

 汚れ一つない赤いマントと深緑色の軍服を身に纏い、頭には高級将校用の制帽をかぶった、切れ長の目をした美男子だった。

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