第9話『そして、夜明け』(2)
鎧を纏った怪獣は再び咆哮を上げると、ナツキめがけて口から熱線を吐き出した。
ナツキが飛び退いてかわした熱線が地面を縫うように炎を上げ、廃墟を炎に包む。
「ナツキ、気をつけろ!」
ナツキは無言で頷き、プラーヤとリディアの下に駆け寄った。
「一体、どういうことなの……? どうして怪獣がここにいるの?」
「あの怪獣は、私が倒した旅団副官――クインダルが……人間が変じたものです」
「人間が……怪獣に? まさか、そんなことが……」
ナツキはプラーヤとリディア、それぞれの目を見た。
「あります。ご主人様は魔力爆弾を取り込んで魔法戦士となりました。リディアお嬢様は魔力結晶の溶液に満たされて魔力を得ました。魔力は人を変えるもの。人が膨大な魔力に触れた時、人に留まるか、人ならざるものに変じるかは、心の強さにかかっています」
プラーヤとリディアが言葉を失った。
「おそらく……瀕死のクインダルが理性を失いながら『葬儀』を行った結果、自ら生成した魔力結晶と膨大な魔力に飲まれて人の姿と心を失ったのでしょう。それがクインダルの狙いだったのか、偶然なのかは分かりませんし、考える必要もありませんが……」
ナツキは銃剣の槓桿を引いて薬室を開くと、ベルトの雑具入れから挿弾子にセットされた五発の銃弾を取り出して一気に装填した。
「いずれにせよ、私のすべきことはあの怪獣を倒すことです」
そして槓桿を押し戻して初弾を薬室に送り込むと、プラーヤとリディアに背を向けた。
「これだけの魔力を持った怪獣は、私も見たことがありません。ですが……放っておけばチェルフカを襲うでしょう。負けるわけには参りません!」
ナツキは振り返ることなく、怪獣に向けて突進していった。
「イヤアァァァァァァァッ!」
雄叫びと共に、ナツキが袈裟がけに銃剣を振るう。黄金の閃きを伴って放たれた裂空の刃が怪獣の胴体に命中した――が。
「斬撃が効かない……?」
プラーヤが驚きの声を上げると共に、怪獣が咆哮を上げてナツキを威嚇した。そして次の瞬間には、踵を返して長大な尾を振り回した。
凄まじい風圧を伴って放たれた尾の一撃を、ナツキは正確に見切ってかわす。
ナツキを仕留めそこなった尾が大地を削り、凄まじい土埃を上げた。
「リディア、僕達も戦おう。ナツキと一緒に」
リディアはプラーヤの顔を見て、しばし言葉を失った。
プラーヤの顔に笑みが浮かんでいた。自信に満ちた、頼もしい笑顔だった。
「……分かったわ、プラーヤ。必ず、あの怪獣を倒しましょう」
リディアは微笑んで頷くと、プラーヤの胸に左手を当てた。
「あなたの魔力を少し貸してもらうわ。どうすればいいの?」
「おそらく、僕達にあの怪獣を倒すことはできない。ナツキが有利な状況で攻撃できるように隙を作り出すんだ。僕なら、あの熱線にも少しは耐えられる。僕が奴を牽制して攻撃を引きつける。リディアはナツキの援護を頼む」
「分かったわ」
リディアが力強く頷くと、プラーヤは全身に黒い炎をみなぎらせて走り出した。
「こっちだ、化け物!」
怪獣の周囲を疾走しながら黒炎の弾丸を放ち続け、その全てを命中させる。
怪獣は身を焼かれる苦しみに悶えながら、プラーヤに鼻先を向けた。
「そうだ、僕がお前の相手をしてやる!」
プラーヤは立ち止まって両手を合わせ、巨大な炎の弾丸を怪獣の顔面に放った。
炎が顔面を直撃し、怒り狂った怪獣が身悶えして口から熱線を放つ。
プラーヤは炎の壁を作り出し、凄まじい高熱の奔流を必死で食い止めた。
――姉さん、僕はまだ姉さんの所には行かない。僕は生きて誰かの役に立ちたい。いつか姉さんの所に行くまで……戦い続ける。姉さんから教わったことを活かして、一人でも多くの人を助けてみせる。それが……僕の姉さんに対する恩返しだ。だから……姉さん。
心の中でマヤに呼びかける。脳裏に浮かんだマヤの顔が笑ったように見えた。
「姉さん……ありがとう」
高熱の奔流が勢いを増し、プラーヤの周囲を炎に包む。猛烈な圧力と高熱を小さな両手で受け止めるプラーヤの顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「ご主人様……なんてことを!」
足を踏み出そうとするナツキの肩に、リディアの手が触れた。
「リディアお嬢様……?」
「プラーヤは言ったのよ、ナツキ。あなたと一緒に戦うと。プラーヤが怪獣を引きつけて隙を作る。私はあなたを援護する。力を合わせて、あの怪獣を倒しましょう」
ナツキはしばし呆気に取られたような顔をしていたが、やがて微笑んで頷いた。
「はい、喜んで!」
そして銃剣を構え、怪獣の頭部に照準を定めた。
「リディアお嬢様、私は怪獣の頭部を狙います。熱線と視界を遮る為に、怪獣の足元に風を送り込んでください!」
「分かったわ!」
リディアの左腕が橙色に輝き、たちどころに突風が巻き起こる。激しい土埃が怪獣の顔の高さまで上がり、熱線の勢いを削いだ。
「照準よし……破っ!」
怪獣の頭部を照準器に捉えながら、ナツキが掛け声と共に銃爪を引き絞る。
周囲が昼間のように輝くほどの発射炎を伴い発射された銃弾が、怪獣の頭部に命中する。大きな火花と共に装甲が飛び散り、その口から吐き出されていた熱線が止んだ。
装甲が剥がれ落ちた部分から、赤褐色の皮膚が見えた。
「よし……効いてるぞ!」
プラーヤがすかさず火炎弾を怪獣の頭部に放った。狙い通り皮膚が露出した部分に命中し、怪獣の頭部に黒い炎が上がる。
怪獣が悲鳴を上げながら尾を振るい、大きく地面を削る。
プラーヤがかわした尾の一撃が残った廃墟を薙ぎ倒し、遺跡は完全な荒野へと変わった。
「どうやら、あの熱線は……」
プラーヤが両手に炎をみなぎらせて笑った。
「連続して吐くことはできないようですね」
ナツキが槓桿を引いて空薬莢を排出し、次弾を装填しながら笑った。
「プラーヤ、ナツキ! 気をつけて! 魔力がまた増大しているわ!」
リディアが叫ぶと同時に、怪獣の身体が渦を巻く青い光に包まれた。車輌の残骸や魔力砲、ソルカー銃や弾薬が巻き上げられ、怪獣がそれらを必死に貪り喰った。
「あの大砲は……!」
リディアの顔が怒りに歪んだ。防衛隊の死体と共に遺棄されていた、軽榴弾砲が宙を舞うのが見えた。
「プラーヤ、手を貸して!」
言うが早いか、リディアが左手でプラーヤの手を取り、右手を宙に向けた。
「何をするつもりだ、リディア?」
「決まってるわ。兵長さん達の為に、一矢報いてやるのよ!」
舞い上がった榴弾砲と砲弾に怪獣が喰らいつこうとした瞬間、空中で砲弾が装填され、砲口が怪獣の口の中を向いた。
「喰らいなさい!」
リディアが掌を閉じると同時に榴弾砲が黒い炎を吐いた――!
炎の魔力を帯びた砲弾が口の中で炸裂し、怪獣が身をよじって悶え苦しむ。同時に、周囲を取り巻く光の渦が消えた。
「助かりました。今です、ご主人様!」
ナツキの号令と同時に、怪獣の全身にナツキの銃弾とプラーヤの火炎弾が降り注いだ。ナツキの銃弾で装甲を砕かれた箇所に、プラーヤの火炎弾が次々と命中する。
全身を焼かれた怪獣が一際大きな悲鳴を上げ、地団駄を踏みながら熱線を吐いた。
直線状ではなく、拡散するように放たれた熱線の炎が地面を覆ってゆく。
「リディア、僕の後ろに隠れろ!」
リディアが素早くプラーヤの下へ駆け寄り、その小さな背中に身を隠す。
周囲が火の海となり、至る所で巨大な火柱が立つ中――ナツキは炎の中を走り抜き、怪獣の正面に仁王立ちした。
「プラーヤ! ナツキが!」
炎の熱に耐えながら、リディアが叫んだ。
「大丈夫だ。ナツキは絶対に負けない!」
プラーヤの口調はあくまで落ち着いていた。
挑発するようなナツキの態度に激昂したのか、怪獣が熱線を集束させてナツキに放った。
ナツキは全く動じることなく、銃剣の刃を垂直にして構えた。刃が押し寄せる熱線を切り裂き、ナツキの身体には火傷一つ負わせることができなかった。
ナツキは銃剣で熱線を防ぎながら、腰を落として呼吸を整えた。
「はぁぁぁぁっ……!」
そして、ナツキの全身が強く輝くと、ナツキめがけて降り注ぐ熱線が霧となって消えた。
最大の攻撃手段を失った怪獣が咆哮を上げながら、ナツキに向かって突進する。
ナツキは少しも慌てることなく、銃剣の切先を怪獣に向けた。
「忌まわしき魔の落とし子よ。我は汝を葬り、還るべきところに還すものなり。炎の棺に眠るがいい!」
全身に青い光を纏った怪獣が、鋭利な牙の並ぶ口を開けてナツキに迫ったが――。
「イィィィヤァァァァァァァァッ!」
黄金の光る槍と化したナツキの銃剣突撃が、怪獣を文字通り粉砕した。
宙に舞う怪獣の肉片や装甲の全てが燃え上がり、火球となって大地に降り注いだ。
火の海の中、ナツキは怪獣を倒した後も構えを解こうとしなかったが、やがて大きく深呼吸すると銃剣を肩にかけ、プラーヤとリディアに振り向いた。
右目を前髪で隠した、普段の明るく能天気な笑顔がそこにあった。
「ご主人様っ、リディアお嬢様っ。お腹が空きましたねぇ」
プラーヤは無言で地面に手を着き、周囲の炎を吸収しきると静かに立ち上がった。
「さあ、帰りましょう――って、ご主人様?」
プラーヤは無言でナツキに抱きついていた。
どうしてそんなことをしたのか分からなかった。ただ、ナツキの温もりに触れたかった。
「ご主人様っ、大丈夫ですよ。ナツキは……あなたのメイドはここにおります」
ナツキが目を閉じてプラーヤの身体を抱き締めると、温かく柔らかな感触が加わった。
「リディアお嬢様?」
「二人とも、ずるいわ。私も一緒なんだから」
リディアはいたずらっぽく笑うと、ナツキの胸に頬を当てた。
「はいっ。リディアお嬢様も一緒ですよ。三人一緒ですっ」
ナツキはプラーヤとリディアを包み込むように抱き締めた。
心地良い沈黙の中、三人は優しく抱き合い……温もりを分け合った。
プラーヤはこの温もりが永遠に続けばいいのにと思い、それが『幸せ』なのだと気付いた。冷酷な軍人であり上官だった姉――マヤとの触れ合いの中でも感じた、温もり。苦しみに満ちたこれまでの人生にも幸せがあったのだと考えると、涙が止まらなかった。
それを言葉で伝えられず、プラーヤはただナツキを抱き締めた。
「あーっ。ご主人様っ、リディアお嬢様っ。夜が明けましたよぉ。とっても綺麗です」
プラーヤとリディアは顔を上げて地平線の向こうに昇る太陽に目を向けた。
プラーヤは夜明けの太陽の美しさに、時を忘れて見入った。
何万もの命を奪ってきた。
何百もの街が滅ぶのを見てきた。
それでも、心が動くことはなかった。
与えられた使命より大切なものはなかった。
大切なものとは。
大切なものを失うとは。
大切なものの為に戦うとは。
次回『さようなら、ご主人様』
戦いに生きる少女は、遂に涙を知る。




