第9話『そして、夜明け』(1)
「プラーヤ……! プラーヤ!」
瓦礫の中から身体を起こし、リディアがその名を呼んだ。
魔力のルートを通じ感覚の一部を共有しているはずの、プラーヤの鼓動や意識が感じ取れなくなっていた。
プラーヤの姿を求めて周囲を見渡すうちに、瓦礫の中から立ち上がる者があった。それが誰かを知ったリディアの表情が凍りつく。
「オリアン……!」
満身創痍となったオリアンだった。白い肌は血と煤で赤黒く汚れ、右腕は黒く焼け焦げて力無く垂れ下がっていた。
「見たか。この戦い、私の勝ちだ。プラーヤ=プラシャースタ……恐るべき戦士だった」
「そ、そんな……プラーヤ! どこにいるの? 返事をしてよぉ! プラーヤ!」
オリアンは泣き叫ぶリディアに背を向け、左脚を引きずって歩き出した。
「待ちなさい!」
リディアが泣きながらオリアンの背中に左手をかざした。
「プラーヤとそのお姉さんは、私の命の恩人よ。お前は、私にとっても仇! それだけじゃない。防衛隊の人達も……タルネルバ=オリアン! お前達に殺された人達全ての仇を討ってやる! 覚悟なさい!」
オリアンは立ち止まると、よろめきながら振り返った。
「娘よ。お前とて、あの炎から身を守る為にかなりの魔力を消耗したことだろう。お前が望むならば挑戦を受けてもよい。だが、戦わば相討ちとなるは必定。戦いを見届けたお前がここで死ぬことは、我が本意ではない」
「この期に及んで、まだそんな紳士ぶった物言いを……!」
「笑いたくば笑え。私は偉大なる大元帥閣下の部下。いかなる非道に手を染めようとも、最低限の礼は弁えている。そして、お前も……手負いの私を撃てはしまい」
クインダルはそう言って再びリディアに背を向けた。
「どこへ行くの! 待ちなさいよ!」
「チェルフカ攻撃に失敗し、兵を失ったことを……大元帥閣下にお詫びせねばならぬ。死ぬのは……その後だ」
オリアンが足を踏み出すのと同時に、突如として黒い火柱が上がり行く手を遮った。
「プラーヤ……生きていたのか……!」
火柱から現れたプラーヤは衣服こそ焼け焦げていたが、外傷を殆ど負っていなかった。
胸の魔力結晶から黒い炎が迸るのを見たオリアンの表情が、驚愕から苦笑へと変わる。
「プラーヤ!」
リディアの呼びかけに、プラーヤはオリアンを睨みつけたまま頷いた。
「オリアン……お前が死ぬべき場所はここだ。お前が死ぬべき時は今だ!」
プラーヤは右手に黒い炎をみなぎらせて叫ぶと、オリアンに向かって突進した。
傷つき、魔力の殆どを失ったオリアンにそれを防ぐ術はなかった。
「見事……だ。プラーヤ……!」
炎を纏った手刀に胸を貫かれたオリアンは黒い血を吐きながら賞賛の言葉を口にすると、ぐったりと力を失った。
プラーヤが手刀を抜くと、オリアンは仰向けに倒れた。
「強き者の手で倒れる……武人の本懐だ。礼を……言う」
「礼なんかいらない。一言でいい。僕の姉さんに、お前達が殺してきた人達に詫びろ」
オリアンを見下ろしながら、プラーヤは吐き捨てるように言った。
「それはできぬ。軍務は我が誇りであり、全て。恥じることも悔やむことも一切ない。ましてや将校たる私が、大元帥閣下の指先たる私が。謝罪を口にすることは許されぬ」
「大元帥……大元帥、だと?」
プラーヤは自然と、その言葉を繰り返した。タロス都市同盟軍にいた頃から、征討軍の指導者は謎とされていた。
「大元帥……それが、征討軍の指導者か」
オリアンが力無く頷いた。
「私を倒したのみならず、我が旅団をも殲滅したお前達は征討軍全ての敵となった。だが、大元帥閣下は寛大なお方。お前達が軍門に下り、その力を供するならば――」
「断る!」
プラーヤはオリアンの言葉を最後まで聞くことなく、拒否した。
「そう、か……」
オリアンが落胆とも安堵とも取れる苦笑を浮かべたその時、彼方でこれまでとは比べ物にならないほどの爆炎が上がり、一瞬遅れて轟音と衝撃波が辺り一帯を襲った。
「クインダルが……敗れたか」
オリアンがぽつりと呟いた。
「プラーヤ……死ぬ前に一つだけ教えてくれぬか。お前の従者――ナツキは、まさか……」
「銃剣士。ナツキはお前達、征討軍が最も恐れる魔法殺しにして最強の戦士――銃剣士だ」
オリアンはプラーヤの黒い瞳をしばし見つめていたが、やがて弱々しくため息をついた。
「銃剣士……やはりそうか。だが、お前達は……征討軍の本当の恐ろしさを知らぬ」
オリアンが言い終わらぬうちに、青い光が周囲を強く照らし出した。
「何……あの光は……?」
リディアが不安げに、誰に問うでもなく言った。
プラーヤもリディアの視線の先――爆炎が起こった方向に目を向けた。青い光が竜巻のように激しく渦を巻いているのが見えた。
注意深く様子を見ていると、光の竜巻に巻き込まれる無数の何かが見えた。それが何か分かった時、プラーヤは息を呑んだ。
「あれは……死体?」
プラーヤの言葉にリディアがハッとして振り返った。
「プラーヤ……感じるわ。とてつもない魔力が一箇所に集まるのを。いいえ……魔力が集まるだけじゃない。何倍にも膨れ上がっている……あれは一体……?」
「『葬儀』だ。クインダル……死の寸前まで戦うつもりか」
沈黙していたオリアンが、リディアの問いに答えた。
「葬儀……だと?」
プラーヤがこの言葉を聞くのは、これが三度目だった。
「言え、オリアン。お前達、征討軍が言う『葬儀』とは何だ」
オリアンは問いに答えず、にやりと笑った。
「直に……分かる」
口元を歪めたまま、オリアンは呼吸を止め……そのまま動かなくなった。
「オリアン……死んだのか」
プラーヤはオリアンの死体に問いかけた。
復讐を果たしたという達成感はあった。しかし、嬉しさや喜びといった感情はなかった。
――姉さん。仇は討ったよ。
心の中で姉――マヤに呼びかける。しかし、脳裏に浮かぶマヤの顔に笑みはなかった。
「……プラーヤ。大丈夫?」
リディアの手が肩に触れ、現実に引き戻される。
「すまない、リディア。すぐにナツキと合流しよう」
「ええ。向こうで何が起きているのか確かめましょう」
二人で頷き合い、オリアンの死体に背を向ける。
光の竜巻に向かって走るプラーヤとリディアの頭上を、征討軍とチェルフカ防衛隊将兵の死体や兵器の残骸が次々と飛び越えていった。
プラーヤはオリアンの死体が飛んでゆくのを見た後、数秒だけ目を閉じた。その変わり果てた姿に、かすかな胸の痛みを覚えた。
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ナツキは銃剣を構えたまま、静かに光の竜巻を見張っていた。
そして、死体や兵器の残骸を巻き込んで巨大化する竜巻に銃口を向けようとした時――。
「ナツキ!」
自身を呼ぶ声に振り返ると、プラーヤとリディアが駆け寄って来るのが見えた。
プラーヤはボロボロの衣服を身に纏っていたが、殆ど外傷はなかった。
「ご主人様……ご無事で何よりです。お姉様の仇討ちを遂げられたのですね」
「ああ、オリアンを倒した。ナツキとリディアのおかげだ」
プラーヤはナツキとリディア、それぞれの目を見て大きく頷いた。
「ナツキも……無事でよかった」
ナツキがにっこりと微笑んだ。
「私の心配をしてくださってありがとうございます、ご主人様」
プラーヤは頬を赤らめ顔を逸らし、小さく頷いた。
「まあ、その……心配する必要もなかったみたいだけれど」
「向こうの敵はプラーヤが殲滅したわ。これでチェルフカを攻撃する敵はいなくなった……二人のおかげよ。本当にありがとう」
ナツキが首を小さく横に振った。
「まだ戦いは終わっていません、リディアお嬢様」
そう言ってナツキが光の竜巻を見上げると、プラーヤとリディアもそれに続いた。
「あれは……何なんだ?」
「分かりません。ですが……膨大な魔力が集まってゆくのを感じます」
「私も同じものを感じるわ。この場所にあるべき魔力の総量を遥かに超えるほどの……!」
リディアが竜巻に左手をかざした。橙色に透き通った左腕が様々な色に変化してゆく。
「これは……! 魔力結晶が変異……或いは、生成される時と同じ反応を示しているわ」
「そうか……分かったぞ」
プラーヤはそう言って額の汗を手で拭った。
「征討軍における『葬儀』とは何なのか……やっと分かった。死体……いや、人間の死を魔力結晶という資源に変えること。それが、奴らの言う『葬儀』なんだ」
「なんですって?」
「第十五遊撃旅団がどうしてあれだけの殺戮を続けていたのか、補給もせずに行動を続けられたのか、これで説明がつく。街を襲い、人々を殺して『葬儀』を行い、魔力結晶に……魔力に変える。第十五遊撃旅団の目的は虐殺そのものであり……資源の獲得だったんだ」
プラーヤは、はっきりと言い切った。
リディアはしばし呆気に取られたような表情をしていたが、やがて怒りに顔を歪めた。
「ひどい……そんなものを葬儀だなんて。死者を冒涜するにも程があるわ!」
リディアが叫んだ瞬間、竜巻の中から青白い閃きが見えた。
「リディア、危ない!」
プラーヤがリディアを抱き寄せて跳んだ。
間髪入れずリディアがいた場所に熱線が降り注ぎ、地面が激しく燃え上がった。
「ご主人様、リディアお嬢様……来ます!」
光の竜巻の中に、直立する巨人のような影が見え――天地を震わすような咆哮が木霊した。金属的で甲高い咆哮は、聞く者の神経を揺さぶり恐怖を与えるものだった。
「怪獣……!」
プラーヤがそう口にすると同時に、光の渦を破って巨大な怪獣が姿を現した。
「あれが……怪獣……?」
その異様な姿を前に、リディアが目を見張る。
伝説上の龍が直立したような『それ』は頭頂部までの高さが五十メートルを超え、頭から尾の先までの長さは百メートルを超えていた。
その体型は爬虫類と肉食獣を合わせたようだが、全身を隈なく覆う鈍色の装甲が一目にしてそれを既存の動物とは異なるものだと理解させた。




