第8話『焦土に立つ』(2)
多数の将兵と車輌が爆発と火災に巻き込まれ、僅か数分で大きな損害が発生した。しかし、予期せぬ夜襲に虚を突かれたものの、部隊の多くは混乱から立ち直り始めていた。
「プラーヤ、設置した爆弾がもうなくなるわ。突入しましょう」
建物の影で地面に左手を着きながら、リディアが言った。
「分かった、僕が先頭を進む。リディアは僕の後について来い。ナツキは後方を警戒しろ」
「誰だ! そこで何を――」
プラーヤは目の前に現れた兵士の喉元にナイフを投げて倒すと、ナツキとリディアに目配せして建物の陰を走った。
倒された兵士が黒い煙に変わってゆく様にリディアは思わず唾を飲み込んだが、小さくかぶりを振ってプラーヤに続いた。
ナツキは小銃を肩にかけたまま、後に続いた。銃剣ではあまりに威力が大きすぎ、奇襲の妨げになると判断した為だった。
右目は前髪で隠したまま、黒水晶のような左の瞳で後方を注意深く見渡しながら、それでも軽やかな足運びで隊伍を崩さず進んだ。
建物の陰から陰へ飛び移るように、廃墟の街を駆ける。至る所で起こった爆発と火災により、街は昼間のような明るさだった。
「考えたわね、プラーヤ。これだけの爆発が起きてる中では、魔力計も正常に働かないわ」
「さすがはご主人様です」
「僕じゃない、姉さんが得意だった戦術だ。街を取り囲んで爆発を起こし、敵が混乱している隙に目標を襲撃する。被害が大き過ぎて軍の上層部に危険視される原因にもなった」
「……何はともあれ、お姉さんに感謝しなきゃね。この状況なら機甲部隊もすぐには動けないでしょう……あっ、ちょっと待って!」
リディアが突然、立ち止まった。
「どうした、リディア?」
「覚えのある気配がするの。これは……」
リディアに続いて路地裏を進むと、教会の址に辿り着いた。
プラーヤが胸騒ぎを覚えて立ち止まると、リディアも歩みを止めた。
「……この、大砲は……!」
リディアは足下に横たわる軽榴弾砲の砲身に恐る恐る手を触れた。周囲には、チェルフカ防衛隊の装備する火砲や小火器が無数に遺棄されていた。
「リディア、待て!」
プラーヤが教会の中へ駆け込むリディアを止めた時には、もう遅かった。
リディアの目に映ったものは――チェルフカ防衛隊将兵の死体の山だった。
「うそ……そんな……うそでしょ……!」
リディアがたまらず膝を着いた。
「ご主人様、これは……」
「言うな、ナツキ。リディア……辛いだろうけれど、この人達を弔うのは後だ。行こう、オリアン達を倒す方が先だ」
「ごめん……プラーヤ」
リディアが立ち上がって踵を返した時だった。
「その声……リディア……お嬢さん……?」
リディアがハッとして振り返る。暗闇から聞こえた声には、プラーヤとナツキも聞き覚えがあった。
「受付の……兵長さん?」
「元、受付ですよ……奇遇、ですね……お嬢さんも、ここに来てたなんて。ウッ……!」
軽口を叩いた後、兵長は激しく咳込み血を吐いた。
「兵長さん!」
「おい、リディア!」
プラーヤの制止を振り切って、リディアは声のする方へ向かった。
「しっかりして、兵長さん!」
リディアは闇の中で横たわる兵長の身体を優しく抱き起こした。
「お嬢さん、駄目ですよ……せっかくの、白いドレスが血で汚れちゃいます……」
「大丈夫よ、今日は黒い服を着ているの。これなら血も目立たないわ」
そう言ってリディアは兵長の手を握った。
「兵長さん達を迎えに来たの。今すぐ手当してあげるから、もう大丈夫よ。一緒に帰りましょう」
「お嬢さん……!」
兵長が口ごもった。
苦しみからではなく、涙をこらえているからだとプラーヤにも分かった。リディアと魔力を融通し一部の感覚を共有しているからか、兵長の言葉一つ一つが胸に突き刺さった。
「そう言ってもらえただけで……十分です。俺達がお嬢さんや街のみんなを守らなきゃいけないのに。俺のことは……置いて行ってください。足手まといに、なりたくない……!」
「そんなこと言わないで! 諦めちゃ駄目よ!」
リディアは服の内ポケットから止血帯を取り出し、兵長の胸の傷に当てた。
「そっちに、いるのは……もしかして、手品師とアシスタントの……?」
「プラーヤにナツキよ。今はうちの執事とメイドをしてるの。二人とも、すごく強いのよ。だからもう、心配しないで」
「そう……ですか。プラーヤさんに、ナツキさん……お嬢さんのこと、守ってあげてください……お願いします」
「やめて、兵長さん! そんなお別れみたいなこと、言わないで!」
リディアの目からは涙がこぼれていた。
「兵長さん、心配はいりません。リディアお嬢様は僕達が必ず守ります」
「ちょっと、プラーヤ!」
「私もお嬢様をお守りします。どうかご安心ください」
「あ……ありがとう……」
兵長はにっこりと微笑んだ。
「ナツキまで、何よ! 兵長さん、大丈夫よ! 手当をすれば助かるから!」
「はは、は……ウッ……!」
兵長は再び大きく咳込み、大量に血を吐いた。
「兵長さん! しっかりして!」
「あぁ……お嬢さんが、俺の為に泣いてくれるなんて。お嬢さんの泣き顔、久しぶりに見たなぁ。お嬢さん……やっぱり、かわいいよ。俺――」
兵長の身体から、すっと力が抜けた。その口がそれ以上、動くことはなかった。
「うそ……! やだ……兵長さん! 兵長さん! お願い、目を覚まして! 何て言おうとしたのよ! 兵長さぁぁぁぁん!」
リディアの叫びが室内に反響するのと同時に、その左腕と右脚が眩く輝いた。
プラーヤが「まずい」と思った瞬間、叫びを聞きつけた兵士達が教会に殺到した。
「誰だ! そこにいるのは!」
振り向くリディアの手足が輝きを増し、涙の迸る目から橙色の光が溢れ出した。
「よくも……兵長さんを! 防衛隊の人達を……!」
「あの光……! まずい、魔法戦士だ! 中隊長に――」
兵士達が逃げる間もなく、リディアの左腕から迸る光が巨大な刃となって天井を貫き、教会そのものを破壊した――。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
数秒後、リディアは肩で大きく息をしながら、再び膝を着いた。
瓦礫の山の周りには、征討軍将兵の死体が折り重なっていた。
「リディア……大丈夫か。しっかりしろ」
プラーヤに肩を抱かれ、リディアは身体を震わせた。
その間にも、周囲に殺到する兵士達の怒号やルセノーエンジンの排気音がひっきりなしに聞こえてくる。
「ごめんなさい……プラーヤ。作戦を台無しに……!」
「気にするな。戦闘なんて、状況次第でどう転ぶか分からないものなんだ」
プラーヤが言い終わる前に、激しく空気を削るような音と轟音が連続して聞こえた。
魔力砲の発射音――!
「くそっ!」
プラーヤが毒づくのと同時に、ナツキが短剣を鞘から抜き放った。
肉眼では目視できないその動き――超人的な動体視力を有するプラーヤの目にも、ナツキの腕が光ったようにしか見えなかった。
一瞬遅れて凄まじい風圧が起こり……数秒後には跳ね返された砲弾が周囲で炸裂し、包囲する将兵を爆炎に巻き込んだ。
「ご安心ください、ご主人様……リディアお嬢様。私がおりますよ」
「ナツキ……! 助かった」
プラーヤはナツキと目を合わせて頷くと、素早く立ち上がった。
「なんだ、あいつは! あいつも魔法戦士か?」
「とにかく撃て!」
全周囲からの銃声――そして、銃弾が空を切る音。
プラーヤの目には、迫り来る銃弾の雨がはっきりと見えていた。
「何だ、あれは……!」
兵士達が驚愕の声を上げた。突然、現れた黒い炎の壁が銃弾を飲み込み、そのまま自分達に迫って来る。
「うぁぁっ――!」
炎の壁が、周囲を取り巻いていた兵士達を悲鳴ごと飲み込んだ。
「後退しろ! 戦車を呼べ!」
ベレー帽を飛ばされ頭に負傷した将校が叫ぶと、兵士達が一斉に逃走を始めた。そんな中、一人プラーヤ達に歩み寄る者があった。
「お前達も魔法戦士か……面白い」
深緑色の軍服を着た、筋骨たくましい将校は不敵に笑うとベレー帽を脱ぎ、宙に放り投げた。額に火傷の痕が残る、岩石を思わせる武骨な顔立ちの男だった。
両手から青白い電火を迸らせ、その両目からも音を立ててスパークが起こっていた。
「お前は……?」
プラーヤに問われ、将校は両手を広げて見せた。手からの放電がいっそう勢いを増し、周囲を眩く照らした。
「我こそは第二百十九機動歩兵中隊指揮官、ダグラン=マビウス歩兵中尉! これほどの魔法戦士がいたとは……相手にとって不足はない! いざ――」
マビウスは最後まで口上を述べることなく、身体から血を噴き出して倒れた。
一瞬遅れて、プラーヤはナツキの右手が動いていたことに気づいた。
「身の程知らずめ。お前の遊びに付き合っている暇はない」
切先の向こうで倒れるマビウスを見下しながら、ナツキが冷たく言い放った。
裂空の刃で肩から腹部までを大きく斬り裂かれたマビウスは、既にこと切れていた。
「プラーヤ。これから……どうするの?」
周囲で爆発音やエンジン音がひっきりなしに聞こえる中、ようやく立ち上がったリディアが困惑の表情で問いかけた。
直接の攻撃こそ仕掛けてこないものの、包囲されたことは明らかだった。
「こうなったら……旅団全兵力を相手にして戦うしかない。僕達にはそれだけの力がある」
「……分かったわ」
「私は反対です、ご主人様」
ナツキがこれまでにないはっきりした口調で異を唱えた。
「ナツキ……?」
「ご主人様。お姉様の仇討ちと旅団の殲滅を混同すべきではありません。ご自身に課した目的と最後まで向き合い、これを達するべきです。そうしなければ、たとえ旅団を殲滅する過程でオリアンを倒したとしても、後悔が残るでしょう」
プラーヤは顔を上げ、ナツキの目を見た。一切の異論を許さないような、頑なで美しい――一分の隙もない表情がそこにあった。
「分かった。では、どうすればいいんだ」
「簡単なこと。名乗りを上げて、オリアンに決闘を申し込めばいいのです。旅団司令官ともなれば、時に利よりも名誉を重んずるもの。必ずや決闘に応じるはず」
「決闘……だって?」
「左様です。オリアンと一対一で決闘を行うのです」
プラーヤはしばし沈黙した。「まさか!」という言葉が口を衝いて出そうになった。
それでも――ナツキの表情を見ているうちに疑問は薄れ、やがて確信に変わった。
プラーヤは数秒の間を置いて、大きく息を吸い込んだ。そして――。
「征討軍第十五遊撃旅団司令官・タルネルバ=オリアン大佐に告ぐ! 我が名はプラーヤ=プラシャースタ! 我が姉、マヤを殺したことを覚えているか! お前に殺された姉の名誉と冥福の為、今ここに決闘を申し込む! いま一度言う! タルネルバ=オリアン大佐に告ぐ! お前に決闘を申し込む!」
高らかに、廃墟となった街の全てに響き渡るように言い放った。
「これで……いいんだろうか。僕にはこの程度が精いっぱいだ」
「素晴らしい口上でした、ご主人様。これで決闘に応じないならば、武人ではありません」
「本当に……乗ってくるの?」
「ご心配には及びません。オリアンは必ずここへ現れます」
ナツキはプラーヤとリディアに微笑んでみせた。
不意に、大きな歓声が上がった。
ざわめきのする方へプラーヤ達が振り向くと、兵士達の群れを割って赤い光を纏った長身の将校が近づいて来るのが見えた。
美しい深緑色の軍服に赤いマントを羽織り、腰に二本のサーベルを提げた美丈夫――。
「オリアン……!」
プラーヤは、思わずその名を呼んだ。