第7話『家族の資格』(3)
やがて、ひとしきり泣いた後でプラーヤは涙を拭い、顔を上げた。
「ごめん、取り乱したりして。僕が旅をしているのは、姉さんを殺した第十五旅団の司令官・タルネルバ=オリアンを殺して仇を討つ為なんだ。ナツキは、それを知って同行してる」
「そう……分かったわ。プラーヤ、お願いがあるの」
リディアは抱擁を解き、プラーヤの肩に手を置いた。
「あなたのお姉さん……マヤさんの仇討ちに協力させて」
「本気か、リディア?」
「勿論よ。マヤさんは私の恩人。オリアンは私にとっても仇になる。もう一人の恩人であるあなたがその仇討ちをするというのなら、協力しない理由はないわ。それに……」
これまでに聞いたことのない、強い口調だった。
「私はこの街を、この街の人達を守りたい。私の家族になってくれたママを守りたい。行方の分からない防衛隊の人達を助けたい。私には、戦いを選ぶこれだけの理由があるわ」
「気持ちは分かった。でも、連れて行くわけにはいかない。敵は征討軍の精鋭機甲旅団……約五千の兵力だぞ」
「魔力と知識の人体への蓄積実験……私はそれの被験体だったのよ。私の身体には、膨大な魔力……そして魔法の知識がある。絶対に足手まといにはならないわ」
「その言葉を、そのまま受け取るわけにはいかない」
「そう」
リディアはプラーヤの正面に跪くと、透き通った左腕でプラーヤの胸に触れた。
「な、何を……!」
「じっとしていて」
リディアの左腕と右脚が光り輝き、プラーヤの魔力結晶が同様に強く輝いた。
「これは……!」
プラーヤはかつてない感覚に包まれていた。全身に力がみなぎる。心身の疲労が吹き飛び、五感と精神が研ぎ澄まされてゆく。
ややあって、リディアはプラーヤの胸から手を離した。
「プラーヤ。あなたの魔力を整理して、私との間にルートを作ったわ」
「ルート、だって?」
「そう。離れていても、あなたに魔力を供給することができる。あなたの魔法と同じ力を私が使うこともできる。必要があれば、視覚や聴覚を共有することもできるわ」
プラーヤが顔を上げると、目の前にリディアの顔があった。不動の決意を秘めた、強く美しい表情だった。初めて会った時の幼稚な姿とは、まるで別人だった。
「あ、そうだわ。プラーヤ、湯船を見てて」
リディアは不意に顔を綻ばせ、何か楽しいことを思いついたように言った。
「湯船? それが何か――」
言い終わる前に、湯船に張られた湯が青く光を発し、噴水のように噴き上がった。
「わっ! な、なんだ!」
「ふふっ、ジェットバスよ。お風呂の給湯器を通じて魔力を送ったの。私は一度、手に触れた魔力結晶や魔法器具を操ることができるのよ。勿論、魔法兵器だって同じよ」
リディアは指一本、動かしていなかった。ただ、その左腕が仄かに光り輝いていた。
「私はあなたの役に立つわ。この手を汚す覚悟もある。もしも足手まといになると思ったら、その時は自分で始末をつけるつもりよ」
プラーヤが無言で頷くとリディアは満足げに微笑み、立ち上がった。
「ところで……ちょっと冷えてきちゃったわ。お湯に入って温まりましょうか」
「分かった。あまり長風呂はしないでくれよ」
プラーヤは湯船に身体を沈めるリディアから目を背け、浴室を出て行こうとしたが――。
「あなたも一緒に入りましょう、プラーヤ。気持ちいいわよ」
かけられた言葉は、思いもよらないものだった。
「は?」
「戦いに赴く前に風邪をひくわけにはいかないでしょう。あなたも温まるといいわ」
「魔法戦士が風邪をひくなんて聞いたことないぞ! それに、年頃の男女が一緒に入浴するなんて不潔だって言ったのはリディアだろ?」
「いいじゃない、細かいことは。ほら、早く。せっかく大きな湯船なんだから」
数秒の逡巡の後、プラーヤは青く光る湯船へと歩み寄った。
「ちゃんと下も脱ぎなさい。横着は駄目よ。私は向こうを向いているから」
考えを見透かされたプラーヤは、意を決してハーフパンツと下着を脱ぎ捨てた。
――どうしてこんなことになってるんだろう。リディアと一緒にお風呂なんて……。
顔を真っ赤にして、リディアの裸を見ないように湯船へ足を入れ、身体を沈める。恥ずかしさと嬉しさが激しくせめぎ合い、湯の温かさも分からないほどに思考が混乱していた。
「ねぇ、プラーヤ。市議会ではまだ議論が続いているようだわ。さっきまで降伏論に傾きかけていたけど、今はまた主戦論が盛り返してきたみたい」
「えっ?」
「議会に隠しておいた中継器で中の様子が分かるの。焦る必要はないわ」
「お前の能力……便利過ぎやしないか。それはともかく……降伏しても安全が保証されるとは考えない方がいい。オリアンと第十五旅団は行く先々で住民を皆殺しにしてる。征討軍の中でも、とりわけ恐ろしい部隊だ」
「議会にも各地の惨状と旅団の行状は伝わっているわ。今は市内の兵力でどれだけ持ちこたえられるかを議論してる。とにかく今は……」
「今は?」
「今はお風呂を楽しみましょう、プラーヤ」
リディアはほんのり赤く染まった顔でいたずらっぽく笑った。
「私ね。家族と一緒にお風呂に入るのが夢だったの。おかげで夢が一つ叶ったわ」
「家族……?」
「プラーヤ、昼間に私は雇い主で自分は使用人に過ぎないって言ったわよね。とってもショックだったのよ。あの言葉は本心じゃなかったと思うし、お金で雇っているのは事実だけれど……私は、あなたとナツキを家族だと思ってるの」
「僕は、リディアと家族になる資格なんか……」
「プラーヤ。あなたの旅の目的は、お姉さんの仇を討つことなのよね。それが終わったらどうするの?」
プラーヤは答えなかった。マヤの後を追うつもりでいたなどと言えるはずがない。
「もし、考えていないなら……私と一緒にチェルフカで暮らしましょう。勿論、ナツキも一緒にね。きっと楽しいわ」
プラーヤはハッとしてリディアの顔を見た。その温かい笑顔は、気休めを言っているようには見えなかった。
「何を言ってるんだよ。僕がどんな人間か話したろ? それだけじゃない。僕は奴隷だったんだぞ。姉さんだって本当の家族じゃない。売られてる僕を買ってくれたんだ」
「奴隷……? だったら何だって言うの」
「分からないのか? 僕は――」
「プラーヤ。あなたは自分を物だとでも思っているの? 人はお金で買われた瞬間から物になるとでも言うの? 心を失くすとでも言うの? そんなわけない。あなたには心があるでしょう! あなたは人間なのよ!」
顔を逸らすプラーヤの肩をリディアの両手が掴んだ。
「こっちを見なさいよ! あなたは自分と同じ、お金で買われた人や自由を奪われた人をそんな風に考えているの? だったら私は何? 記憶を奪われて貯蔵庫代わりにされて、動くことも喋ることも許されなかった私は何? あなたは私のことも物扱いするの?」
「そんなわけないだろ!」
「だったら、自分を蔑むのはやめて!」
言い終わる前に、リディアはプラーヤを抱き締めていた。
「は……離せよ!」
プラーヤは辛うじて、それだけ口にした。濡れた肌と肌が触れ合う感触の心地良さに心拍数が急上昇し、全身の血液が沸騰してしまいそうだった。
「離せって言ってるだろ! 僕に……同情してるのか?」
「かわいそうな人をかわいそうだと思って何が悪いの? 私は私をかわいそうだと思った人がいたから救われたのよ! あなたのお姉さんが! ママが! 私をかわいそうだと思ってくれなければ……私はここにいないのよ!」
プラーヤは口ごもった。マヤが自分を買った理由――。同情以外には考えられない。
「プラーヤ。あなたがこれまで辛い目に遭ってきたことを、ナツキは知っているんでしょう。ナツキはそれを知って態度を変えた? あなたを蔑むようになった? そんなわけないでしょう? 大事なのはこれまでじゃないわ、プラーヤ。これから何をするかよ」
「これから何をするか……? 僕はそんなの、考えたことない……!」
リディアは腕の力を緩め、抱擁を解いた。
「考えたことがないなら、私達と一緒に考えましょう……ねっ、ナツキ」
「はいっ、リディアお嬢様っ」
「えっ……!」
浴室にはいないはずのナツキの声に、思わず顔を上げると――。
「あっ……」
視線の先に――一糸纏わぬ姿のナツキがいた。
「ナ、ナツキ……どうして……」
「ご主人様がお戻りにならないので、様子を見に来ました。そうしましたら、お二人とも入浴中のようでしたので。せっかくですから、お背中を流そうと思いましてっ」
小首を傾げて微笑むナツキの裸から目が離せなかった。
それは、あまりに鮮烈過ぎた。見続けることに危うさを覚えるほどの美しさだった。
首元から爪先まで、透き通るような白く滑らかな肌。すらりとした長い手足は女性らしい柔らかさを備え、豊かで張りのある胸が目を惹きつけて離さない。腹部と腰回りは細くくびれ、照明に照らされて肌の下にある筋肉の美しさが際立っていた。
その美しい肌と髪、起伏に富んだ身体の曲線美、均整のとれたプロポーション。女性の理想像を目の当たりにしたように思えた。
「プラーヤ、ちょっと見過ぎじゃない? エッチなんだから」
「……っ! ご、ごめん!」
プラーヤは慌てて目を背けた。
「うふふっ。ナツキは見られて何も困りはしませんよ?」
ナツキは全く動じる様子もなく身体に湯をかけると、自らも湯船に身を沈めた。
「はぁ……気持ちいいわね。みんなで入れる広いお風呂でよかった」
「本当ですねぇ~」
笑い合うナツキとリディアをよそに、ひとりプラーヤは湯船の隅で膝を抱えていた。
本当はリディアの言葉が嬉しくてたまらなかった。それだけに受け入れてよいのか分からなかった。自身の幸せな姿を想像すると、マヤの冷たい目を思い出してしまう。
「本当は少し恥ずかしかったんだけど……こうして三人でお風呂に入れてよかったわ。ところで……ねぇ、プラーヤ!」
「なっ……なんだよ」
「大事なことを忘れていたわ。私、あなたの手品の続きを見せてもらってないのよね」
「手品……」
ナツキが手を叩いて賛同を示した。
「オリアンと征討軍をやっつけて、この街に帰って来たら……手品の続きを見せてね」
プラーヤが振り向くと、ナツキとリディアの笑顔があった。
「プラーヤ。あなたの手品と、あなたの笑顔が……私はもう一度見たいの。だから、敵を倒して必ず帰って来ましょう」
リディアはそう言って手を差し出した。
「笑顔……」
プラーヤが涙を拭ってリディアの手に自身の手を重ねると、ナツキもそれに続いた。
「ナツキ、リディア。オリアンと第十五遊撃旅団を倒す為に、力を貸して欲しい」
ナツキとリディアが力強く頷くのを見届けると、プラーヤも大きく頷いた。
今はまだ、オリアンを倒した後のことは考えられない。
それでも――目の前にいる二人の為に、生きて帰ることを決心した。
敵は機甲一個旅団。
擁するは5000名の機械化歩兵、50輌の戦車、200名の魔法戦士。
復讐の為に、大切なものを守る為に。
少年と少女は戦いに向かう。
炎と光が舞い、命が散る殺戮の舞台。
最後に立つ者が見るものは何か。
次回『焦土に立つ』
魔法殺しの少女は、まだ涙を知らない。