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第7話『家族の資格』(1)

「ねぇ、プラーヤ」


 机に向かって書き物をしていたリディアが、振り返って話しかけた。服装こそ派手だが眼鏡をかけた顔は知性に溢れ、普段とはまったく異なる印象を受けた。


「何でしょうか、リディアお嬢様。お茶はここに置いておきます」


 プラーヤは紅茶を注いだカップ&ソーサーを机に置くと、すぐに背を向けた。

「ありがとう。今日のお昼は何かしら?」

「お嬢様の好きな海老炒飯と焼売です」


 プラーヤは背を向けたまま答えた。


「わーい! 嬉しいわ。これで仕事にも身が入るってものね」

「それでは失礼します」

「ちょっと待って、プラーヤ」


 書斎から出て行こうとするプラーヤをリディアが呼び止めた。


「なんでしょうか、リディアお嬢様」

「ねぇ、プラーヤ。最近、なんだかよそよそしくない?」

「気のせいですよ、リディアお嬢様。それでは、買い物に行って来ますので」

「それよ。普段なら二言目にはぞんざいな口調になるのに、どうしたの?」


 プラーヤは小さくため息をついた。


「これまでの態度が執事として不適切だっただけです。僕はそれを反省して――」

「嘘おっしゃい。何か気に入らないことがあるんでしょう」


 プラーヤは振り返ってリディアの目を見た。憂いの色が浮かぶ澄んだ瞳に、言い知れぬ苛立ちを覚えた。


「お嬢様には関係ありません」

「何よ、関係ないって!」

「バスが運転を再開したら、どうせ僕はこの屋敷を出て行くんです。お嬢様は雇い主で僕は使用人。僕達の関係は、ただそれだけです」


 リディアが弾かれたように身体を震わせ、泣きそうな表情になった。


「プラーヤ。どうして……そんなこと言うの?」


 プラーヤは胸に強い痛みを覚えたが、平静を装って言葉を続けた。


「言いたくないことは聞かないと言ったのはお嬢様でしょう。それなら、そんなことを聞くのはやめてください。人の考えを見透かしたようなことを言うのはやめてください」


 リディアが顔を伏せ、何事か呟いた。


「…………っ」

「何ですか? 用がないなら僕はこれで」

「バカ……! プラーヤのバカ! あなたなんか、大っ嫌い!」


 そう叫ぶと、リディアは両手で顔を覆った。

 プラーヤは無言で書斎から出ると、右手で胸を押さえた。胸の魔力結晶が焼けつくような熱を放っていた。扉の内側から聞こえるリディアの嗚咽が耳に痛かった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「執事さんにナツキちゃん、いつもありがとう。お嬢さんによろしくね」

「はぁい。ありがとうございまーす!」


 顔馴染みとなった女将に手を振りながら、ナツキは青果店を後にした。

 同行するプラーヤが会釈をして歩き出すと、向かいの精肉店の店主が顔を出した。


「よっ、執事君にナツキちゃん! お肉、買ってかないか! いい鴨肉が入ってるよ!」

「ありがとうございます。今日と明日の分は足りていますから、また次の機会に」

「おぅ! 待ってるよ!」


 会釈して辞去するプラーヤとナツキを店主が笑顔で見送る。チェルフカでの滞在が長引き、屋敷での勤務を続けるうちに、商店街の人々は親しく声をかけるようになった。

 いつも微笑みを絶やさぬナツキと無愛想なプラーヤは気さくなメイドと厳格な執事として模範的に見えたらしく、また二人の容姿もあってか、どの店に行っても歓迎された。


「ご主人様、お聞きしてもよろしいでしょうか」


 食材を詰めた買い物かごを手にしたナツキが、前を歩くプラーヤに話しかけた。


「なんだ」


 同じく食材を詰めた買い物かごを手にしたプラーヤが素っ気なく返事をした。


「ご主人様は、今の生活にご不満がおありですか?」


 プラーヤは大きくため息をついた。


「大有りだ。早く屋敷を出たい」

「左様ですか。リディアお嬢様は、ご主人様に長く屋敷にいて欲しいと仰ってましたよ」

「いつまでも屋敷にいたら目的を果たせない。分かりきったことを言うな」


 吐き捨てるように言うと、プラーヤは足を速めた。


「ですが――」

「うるさい!」


 プラーヤが立ち止まり、荷物を地面に落した。


「リディアが僕をどう思っていようが、関係ない。僕とは住む世界が違うんだ。リディアはチェルフカ市長の娘で気鋭の魔法学者、でも僕は……! リディアだって、僕がどんな人間か知れば……きっと。僕は……本当はリディアと一緒にいちゃいけない人間なんだ」


 拳を握り締めるプラーヤにナツキが歩み寄った。


「ご主人様。ナツキがご主人様に同じことを言った時、ご主人様はナツキを引き止めてくださいました。『お前は僕のメイドだ』と。ナツキは本当に嬉しかったのですよ。それなのに、そのようなことを仰るのですか?」


 プラーヤは目を伏せ、奥歯を噛み締めた。胸が焼けるように熱く、痛かった。


「僕にどうしろって言うんだ。僕の目的を知ってついて来たくせに。そこまでリディアが大事だって言うなら……僕はお前を解雇する。僕じゃなく、リディアのメイドになって……ずっとチェルフカで暮らせばいい」

「えっ……」


 ナツキが黙り込むと、プラーヤは落とした荷物を拾い上げ、再び歩き出した。


「ご主人様!」


 背中に投げかけられた――これまでになく切ない声に、プラーヤは思わず振り向いた。

 視線の先に、これまで見たことのない苦痛に満ちた表情で佇むナツキがいた。


「ご主人様。ナツキは、ご主人様と――」


 ナツキの言葉を遮るように、街がにわかに騒がしくなった。

 プラーヤは一瞬だけバツの悪そうな顔を見せると、騒ぎのする方へと駆け出した。


「あっ……待ってください、ご主人様!」


 ナツキはやや遅れてプラーヤの後を追った。

 商店街から市庁舎へと通じる目抜き通りは騒然としていた。


「一体どうなってるんだ? なんで街の中に……!」

「防衛隊は何をやってたの!」


 沿道の人々が発する困惑の声に、プラーヤはおおよその事態を察した。人混みをかき分けて目に入ったものは――想像通りの光景だった。

 風に翻る真っ赤な軍旗に染め抜かれた、黒い正方形と四色の菱形。


「征討軍……!」


  小隊規模――四十人ほどの、深緑色の軍服を纏った将兵が高らかに軍靴を鳴らし、占領軍のような尊大さで市庁舎に向かって目抜き通りを闊歩していた。

 誰一人として武器を持っていないことが、かえって人々の恐怖と不安を煽り立てた。


「止まれ! これ以上進めば撃つ!」


 集まった防衛隊が横隊で立ち塞がり、小銃を向けた――が、先頭を歩く黒い軍服の将校のかざした右手が青く輝くと魂を抜かれたような表情になり、道を開けて次々と倒れた。

 群衆から悲鳴が上がる中、プラーヤは先頭の将校の姿を確認すると素早く身を隠した。


「全隊、止まれ!」


 赤い羽根飾りのついた黒いベレー帽をかぶった壮年の将校――。


「征討軍第十五遊撃旅団副官・メスター=クインダル機甲兵少佐である! チェルフカ市長・アルヴリーサ=ハセルハール女史との会談を希望する!」


 黒い軍服の将校――クインダルは市庁舎の前で部隊を整列させ、飛ぶ鳥を落とすような鋭い声で言い放った。その顔には、勝利を信じて疑わない傲慢な笑みが浮かんでいた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「私が市長のアルヴリーサ=ハセルハールです」


 アルヴリーサはクインダルら征討軍の将校三人を、硬い表情で会議室に迎え入れた。

 既に着座していた市議会議員達と、部屋の四隅に立つ防衛隊員達は無言でクインダル達の一挙手一投足を見張っていた。


「美しく高名なハセルハール女史にお会いできて光栄の極みです。握手はご無用。あなたとて、本心から私と握手するつもりはありますまい」


 クインダルは尊大な態度で握手を拒否すると、近くの椅子へと腰を下ろした。


「私の座る椅子は、ここでよろしいのでしょう? 我々は忙しいのです。早速ですが、会談を始めようではありませんか」


 クインダルと共に入って来た二人の将校はクインダルの脇を固めるようにして左右に立ち、居並ぶ議員達に対して文字通り睨みを利かせた。

 議員達が怒りに顔を歪める中、アルヴリーサは落ち着き払って市長席に腰を下ろした。


「いいでしょう。忙しいのは私も同じです」


 アルヴリーサは長机の反対側に座るクインダルと正面から向かい合い、その暴力的で威圧的な視線を一身に受け止めた。


「クインダル少佐。まず、伺いたいことが――」

「早速ですが、征討軍第十五遊撃旅団司令官・タルネルバ=オリアン歩兵大佐からの言葉をお伝えしましょう。我が旅団は、チェルフカ市の全てを接収することにしました」


 発言を遮られたアルヴリーサをはじめ、チェルフカ市議会の人間達の表情が一変した。


「市内の行政施設に工業設備、農地に魔力結晶の採掘場、商業施設や民家の全てを明け渡していただきます。つきましては、速やかな部隊駐留の為に協力をお願いしたい次第――」

「ふざけるな!」


 議員の一人が立ち上がり、クインダルを睨みつけた。


「そんな要求が受け入れられるか! この会議室に……いや、チェルフカにお前達の居場所はない! 一刻も早く出て行け!」

「そうだ! 我々は征討軍には屈しない!」


 議員達が次々に立ち上がり、クインダル達を非難した。

 クインダルは全く動じず、テーブルの向こうにいるアルヴリーサだけを見ていた。


「クインダル少佐。私の意見は彼らと同じです。お引き取りいただきましょう」


 アルヴリーサはクインダルの傲慢な笑みを跳ね返すように、きっぱりと言い切った。

 市議達から一斉に歓声が上がる。


「なるほど。お美しいだけではない。『沿海州最強の女』という異名は、噂ばかりではないということですか」

「先ほど、あなたが遮った質問にお答えいただきたい。街の外縁で防衛隊が守備に就いていたはず。彼らがあなた方に対して道を開けるとは思えません。彼らをどうしたのです」


 クインダルは何を言うのかとばかりに鼻で笑った。


「ほう? ハセルハール女史、彼らは快く我々を通してくれましたよ? おかげで一発の銃弾も使うことなく、こうして無血入城を果たした次第です」


 アルヴリーサが息を呑んだ。その顔には、はっきりと動揺の色が浮かんでいた。


「嘘だ! チェルフカ防衛隊が戦わずして屈するものか!」


 激昂した議員の一人が立ち上がって叫んだが、クインダルの右に立つ将校がひとたび視線を動かしただけで恐怖に凍りついた。


「市内を守る防衛隊が快く我々を通してくれたことはご存じのはずです。あなた方と違って、防衛隊の方々は友好的だ」


 防衛隊員達が拳を握り締めて怒りの視線を向けると、クインダルはため息をついた。


「チェルフカ防衛隊と我々との戦力差は圧倒的です。抵抗する意味があるとは思えません。それでも我々の要求を拒否するのですか?」

「当然です。チェルフカは断じて、征討軍の軍門には降りません」


 アルヴリーサがそう言い放つと、クインダルは壁の時計に目を移した。


「おや、もうすぐ午前十一時ですね」

「もうそんな時間ですか」


 アルヴリーサが笑った。この場において初めて見せた笑顔だった。


「お腹が空いたでしょう、クインダル少佐? 白湯と乾パンを持って来させましょうか。あなただけでなく、同行した将兵の方々にも。遠慮はいりませんよ」


 アルヴリーサが口にした言葉は、美食の街チェルフカでは無礼な客に対する最大の皮肉だった。

 アルヴリーサの気丈な態度に勇気づけられた議員達が声を上げて笑うと、それに釣られたようにクインダルも声を上げて笑い始めた。


「フッ……フフッ……ハハハハ……ハハハハハッ!」


 笑い声を上げていた議員達は次第にクインダルの表情と笑い声に恐怖を感じ始めた。いつしか議員達の顔から笑みは失せ、広い会議室にクインダル一人の笑い声が響き渡った。

 やがて時計の長針が『十二』の位置を指し午前十一時の時報が鳴るのと同時に、突き上げるような地響きが襲った――!


「地震か? こんな時に……!」


 突然の地震に議員達が狼狽する中、クインダルは声を上げて笑い続けた。

 激しい縦揺れに石造りの壁が不快な音を立てて軋む。窓の外から悲鳴が聞こえてくる。

 建物の外壁が剥がれ落ちる音、家屋が倒壊する音があちこちから聞こえた後、一際大きな音が響き渡った。


「時計台が……!」


 テーブルにしがみつきながら、アルヴリーサが口走った。

 旧時代からの遺産である時計台が大きく傾き、倒壊するのが見えた。

 数十秒続いた揺れが収まると、アルヴリーサと議員達の視線がクインダルに集中した。


「まさか、今の地震は……」

「いかにも。旅団司令官のオリアン大佐は強大な力を持つ魔法戦士。『地』の魔法を得意とし、地殻変動さえ操るほどの魔力を持っています。我々の要求を拒絶するのであれば、これを上回る地震がチェルフカを襲うでしょう」


 そうしている間にも、窓の外からは悲鳴がひっきりなしに聞こえてくる。


「私と違って、オリアン大佐は穏便な解決を望んでいます。猶予は七十二時間……それまでに好意的な回答が得られねば、地震でこの街を壊滅させるとのことです。あなた方とて、美しい白亜の街並みが瓦礫の山に変わるのを見たくはありますまい。旅団はここから西に三〇キロ、旧時代の遺跡に駐屯しております。正式な文書はそこで取り交わしましょう」


 そう言ってクインダルは席を立った。


「それでは、私は部下を連れて帰投するといたしましょう。見送りはご無用。言うべきことは全て申し上げました。チェルフカ及びチェルフカ市民を救うことができるのは、あなた方だけだということをお忘れなく。フハハハハッ!」


 アルヴリーサと議員達は、高笑いを上げるクインダル達の背中を無言で見送った。

 招かれざる客の去った会議室では誰一人として、言葉を発しようとしなかった。


 天井裏からその一部始終を見ていたプラーヤは額の汗を拭うと、大きく深呼吸した。


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