第6話『賑やかな日々』(3)
旧時代の建築様式を模して造られた地上五階建のチェルフカ市庁舎は簡素な外観ながら大きな存在感を放ち、その内装も洗練されていた。
正面玄関から一歩入ると吹き抜けの中央ホールには天井からの採光が降り注ぎ、室内とは思えない開放感があった。
プラーヤはこれまでに何度か市庁舎を訪れていたが、内部へ足を踏み入れる度にその内装の美しさに圧倒されていた。
「今日は何の御用ですか、お嬢さん? 分かってるとは思いますが、ハセルハール女史は今日も政務でお忙しいですよ」
ロビーの奥にある受付係の女性職員は見るからに迷惑そうな顔でリディアを迎えた。
「いつも迷惑をかけてごめんなさい。今日だけはどうしてもママに取り次いで欲しいの。五分……それが無理なら三分でもいいから。お願いします」
必死に頭を下げるリディアを前にした職員は困惑の表情を浮かべながら、卓上の通話機を手に取った。
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「リディア、用件を言ったらすぐに出て行きなさい」
チェルフカ市長――アルヴリーサ=ハセルハールは机に向かい書類に目を落としたまま、執務室にやって来たリディアに言い放った。
噂に聞く『沿海州最強の女』が思ったよりずっと若く、美しいことにプラーヤは驚いた。
肩までの長さに切り揃えたまっすぐな金髪に白い肌が印象的で、大人の女性らしく豊満な身体に白いブラウスとベージュのジャケットを身に着けている。眼鏡をかけたその顔は端正で知的だったが、冷たい印象をも受けた。
その外見にリディアと似たところがまったくないことにプラーヤは違和感を覚えた。
「ママ、忙しいところをごめんなさい。どうしても聞きたいことがあって」
「手早く済ませなさい。ご一緒のお二人は、お友達かしら。リディアの母のアルヴリーサです。申し訳ないけれど、このままで失礼します。娘が迷惑をかけていないかしら」
アルヴリーサは一瞬だけ顔を上げて会釈すると、再び書類に目を落とした。
「はじめまして、僕はプラーヤ。リディアお嬢様の屋敷で執事をしています。こちらはナツキ。僕のメイドですが、一緒に屋敷で働いています」
「はじめまして、市長様。ナツキと申します」
アルヴリーサは再び顔を上げると、プラーヤとナツキの顔を交互に見た。
「執事にメイド……あなた達が? リディア、説明しなさい」
鋭い視線を向けられたリディアが一歩前に歩み出た。
「ママも聞いているかも知れないけれど、私のわがままのせいで屋敷の使用人が全員、出て行ったの。プラーヤとナツキは、困っている私を助ける為に屋敷に来てくれたのよ。だから、二人をそんな目で見ないで」
「そう……プラーヤ君にナツキさん。気持ちはありがたいけれど、あまり娘を甘やかさないでちょうだい。私も娘には手を焼いているの」
「奥様、一言よろしいでしょうか」
反論しようとしたプラーヤをアルヴリーサが手で制止した。
「あなたを雇ったのは娘であって、私ではないわ。だからあなたに『奥様』と呼ばれる筋合いはない。家庭のことで意見される筋合いもない。とにかく時間がないの。リディア、早く話しなさい。説教は時間がある時にまとめてするから」
眉をひそめるプラーヤと、きょとんするナツキに申し訳なさそうな顔を向けた後、リディアは口を開いた。
「ママ、防衛隊の動員が始まったのは知っているわ。怪獣から街を守る為と聞いているけれど、本当の理由を教えて。征討軍から街を守る為なんでしょう? クナーシュとアルセントだけじゃなくて、他にも街が滅ぼされたことは知っているわ」
思わぬ言葉が飛び出したことにプラーヤとナツキが顔を見合わせた。
「あなたに教える必要はないわ。必要があれば、市の広報であなたも知ることになる。話はこれで終わりよ。出て行きなさい」
「ママ、私は――」
「分を弁えなさい。あなたは選挙権も被選挙権もない未成年に過ぎないと自覚しなさい。娘だからと市長の私に直接意見するとは思い上がりも甚だしい。この執務室で私を『ママ』と呼ぶこと自体が間違っているの。早く出て行きなさい。もうすぐ議会が始まる時間なの」
リディアが目を潤ませ、無言で執務室を飛び出した。
「あっ……おい!」
プラーヤが慌ててその後を追うと、ナツキは書類に目を落としたままのアルヴリーサに向かって、恭しく一礼した。
「市長様。お忙しいところ、お邪魔いたしました。それでは失礼いたします」
「……ナツキさん」
アルヴリーサが声を発したのは、ナツキが執務室のドアを開けるのと同時だった。
「あなたとプラーヤ君に不愉快な思いをさせたことを、お詫びするわ。リディアと一緒にいてくれてありがとう。わがままな娘で大変だと思うけれど……あなた達さえよければ、これからもリディアのことをお願いね」
「はいっ。喜んで!」
ナツキが振り返ってアルヴリーサに微笑むと、アルヴリーサも顔を上げて微笑んだ。
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「はぁ……やっと追いついた」
執務室を飛び出し、市庁舎から走り出して行ったリディアを追いかけること五分。気がつけば市街地を飛び出して郊外の工場地帯まで来ていた。
リディアはひとり道端に座り込み、膝を抱えていた。
プラーヤは何と声をかければよいか悩んだが、意を決してリディアの肩に触れた。
「おい――」
口を開くのと同時に、リディアの身体がロケットのようにぶつかってきた。
「ぐはぁぁ!」
抱き突かれたまま身体が宙を舞い、五メートル先の地面に落下した。
「いてて……」
「びぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん! ママのバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
リディアは仰向けに倒れたプラーヤに馬乗りになって大声で泣いた。
「そうやって、大声で泣くのも久しぶりだな」
「ぐすっ……ひっく……ママのバカ……!」
プラーヤがゆっくり身体を起こすと、リディアはその胸に身体を預けた。
「お、おい……」
プラーヤはすぐに突き放そうとしたものの、肩を震わせて泣くリディアを見ているうちにその気を失くし、しばらくそのままでいた。
「ごめん……プラーヤ」
「あんまり気にするなよ、お嬢様。これも執事の仕事のうちなんだろ」
「ありがと……なんだかんだ言って、プラーヤは優しいね」
プラーヤが顔を赤らめそっぽを向くと、リディアはクスリと笑って立ち上がった。
「それにしても、お前のお母さん――」
「本当は優しい人なの。だからママを嫌いにならないで」
プラーヤの言葉にかぶせて言い切ると、リディアはにっこり微笑んだ。
見ているだけで何も言えなくなる、この愛らしい笑顔がプラーヤは苦手だった。
「ご主人様ぁ~! リディアお嬢様ぁ~! ここにいらしたんですね~!」
ナツキが手を振りながら駆け寄って来るのを見て、リディアが手を振り返した。
やがてナツキは二人の前で立ち止まると、それぞれの顔を見て微笑んだ。
「ご主人様っ。市長様からお詫びとお礼を預かっておりますよ」
「お詫びと……お礼?」
「左様です。不愉快な思いをさせたことをお詫びする、と。そして、ご主人様とナツキがリディアお嬢様のおそばにいることに対して、一緒にいてくれてありがとう、と」
「えっ……」
「ほら、ね?」
リディアは戸惑うプラーヤに微笑みかけると、ブーツを高らかに鳴らして歩き始めた。
「お腹が空いたわね。お昼にしましょう!」
「はーい! ナツキもお腹が空きました!」
「さぁ、行きましょう! ほら、プラーヤ。何してるのよ?」
「あぁ、うん……」
リディアに促され、プラーヤもようやく歩き出す。
ナツキと話すリディアの笑顔を見ながら、プラーヤは胸に痛みを覚えた。
――どうして、こんなに楽しそうに笑えるんだろう――?
不意に、殆ど笑うことのなかった姉――マヤの、射るような冷たい目を思い出した。
――そうだ。僕は姉さんの仇を討つんだ。いつまでも、こうしているわけには――。
その後、リディアは市長執務室で口にしたことに触れようとしなかった。
プラーヤはリディアを問い質すことなく、仕事を続けた。いずれは別れの時が来ると自身に言い聞かせ、なるべくリディアの目を見ないようにして過ごした。
そして、日が経つごとにリディアの笑顔を見るのが辛くなり、早く屋敷を出たいと思うようになった。
それはあくまで、仮初めの暮らし。
主と使用人、それだけの関係――そのつもりだった。
翻る真紅の旗、青ざめる人々。
黒衣の将校は、白亜の街を嘲笑し踏みにじる。
少年が再び戦士となる時。
その瞳に、輝く肌が映し出される。
次回『家族の資格』
少年と共に発つ少女は、まだ涙を知らない。