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第6話『賑やかな日々』(2)

「ねぇねぇ、プラーヤ! このブラウスとリボンタイの組み合わせ、どうかしら?」


 パジャマ姿で髪を下ろしたリディアは白いブラウスと赤のリボンタイを手に、溌剌とした表情で尋ねた。スキンケアの為か、両手には白い手袋がはめられていた。


「いいんじゃないですか、『リディアお嬢様』」


 黒いスリーピースのスーツの上に白いエプロンを着たプラーヤが投げやりに答えると、リディアはつまらなそうに口を尖らせる。


「もーっ。プラーヤったら、そればっかり。ちゃんと見て考えてよ! 執事でしょう?」

「僕は見ての通り、朝食の用意で忙しいんだぞ。執事の仕事には、お嬢様のファッションコーディネートも含まれるのか?」

「ふふん。お嬢様が執事の仕事だと思うもの全てが執事の仕事よ!」


 リディアは控えめな胸を強調するように大きく胸を張った。


「まったく、仕方のないお嬢様だな。ところで、年頃のレディが寝間着姿でうろつくのはどうかと思うけど」


 得意げに振舞っていたリディアの顔が、その髪のように赤く染まってゆく。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁ! プラーヤのえっちぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

「……僕が何をしたって言うんだ」


 キッチンから逃亡するリディアの背中を見送ると、入れ替わるようにナツキが現れた。


「ご主人様ぁ! 二階のお部屋のお掃除が終わりましたよぉ~!」

「分かった。今、確認しに行く」


 プラーヤとナツキがリディアの屋敷で執事とメイドとして働き始めて五日が経った。

 給与は沿海州交易圏通貨での日払い、契約期間は路銀を確保しバスが運転再開するまで。

 家事技能に秀でたプラーヤが執事として家事全般と屋敷の経理を担当し、ナツキはメイドとしてそれを補佐する。ナツキの壊滅的な家事をプラーヤが指導する目的もあった。

 屋敷の中にあってもプラーヤとナツキの主従関係は変わらないので、メイドが執事を『ご主人様』と呼び、メイドとその主人が共に屋敷の令嬢を『お嬢様』と呼ぶ、奇妙な光景が繰り広げられることになった。


「いかがですか、ご主人様っ。綺麗になったでしょう!」

「確かに、ナツキにしては上出来だ」

「うふふっ。お誉めに与り光栄ですっ!」


 屋敷での勤務が始まったのと時を同じくして、第十五遊撃旅団の消息が途絶えた。その為、プラーヤは情報を収集しつつ長く滞在し、少しでも多くの路銀を稼ぐことを考えていた。

 買い物などで街に出るたびにカフェ・ハンカに立ち寄り、必要があれば防衛隊本部に忍び込むなどして情報を収集していたが、今のところ有力な情報は得られていない。半ば諦めつつナツキから金を騙し取った男の情報も依頼していたが、こちらも同じだった。


「……ところでナツキ。『四角い部屋を丸く掃く』って言葉を知ってるか?」

「存じません!」

「床の隅を見てみろ。壁際に埃が残ってるだろ? 掃き掃除は隅々までやらなきゃ駄目だ。埃の残ってるところを掃き終えたら下りて来いよ。もうすぐ朝食ができるから」

「はーい! ナツキは頑張ります!」


 当然、自身の目的も素性も、ナツキの正体もリディアには教えていない。いつかは来る別れの時を思うと、胸にかすかな痛みを覚えた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ブリヌィだなんて気が利くわね、プラーヤ! 私、これが大好物なの!」

「お役に立てれば幸いです、リディアお嬢様」

「すごい棒読み。相変わらず、敬意の欠片もない態度ねぇ」


 そう言いながらもリディアは嬉しそうにブリヌィをナイフで切ると、ラズベリージャムをたっぷり塗ってフォークで口に運んだ。手づかみで食べることも多いブリヌィだが、リディアは食事中も手袋を外そうとせず、ナイフとフォークで食べていた。

 プラーヤは勤務初日にそのことを窘めたが、


「お食事の前には必ず手を洗うし、新しい手袋を着けるから問題ないわ!」


 という答えが返ってきた為、それ以上言わないことにした。

 毎日、洗濯物として大量に出される白い長手袋がリディアの言葉を証明していた。


「う~ん、おいしい! あなた達を雇って本当によかったわ」


 リディアがブリヌィを頬張りながら顔を綻ばせると、ナツキもブリヌィを口に運んだ。


「口に入れるとほのかな甘みとそば粉の風味が口いっぱいに広がって、おいしいですねぇ~。さすがはご主人様です!」


 三人で共に朝食を摂るのもこれが五回目。本来であれば屋敷の主人と使用人は別々に食事をするものだが、リディアの希望により一緒に食事をしていた。


「ねぇ、プラーヤ。前から気になってたんだけど」

「何だ、お嬢様?」

「あなたほど読み書きや計算ができて使用人まで連れてるような人が、大道芸で路銀を稼いでるなんて珍しいと思うわ。どうしてそんなことをしてるの?」


 そのうち来るだろうと思っていた質問が、ようやくやって来た。


「僕の家は北方のちょっとした商家だったんだけれど、両親が死んで家も会社も人手に渡ったんだ。それで僕が屋敷を出て行く時、ナツキだけがついて来た。僕の趣味は手品と曲芸だったから、それを活かして――」

「嘘おっしゃい」


 プラーヤが用意していた答えをばっさり斬り捨て、リディアはプラーヤの目を見据えた。


「あなた、街に出るたびに大きな建物の高さや位置を測量してるでしょう。器具を使わず目視で。それにいつも歩幅が一定してるわよね。歩測で距離を測ってるんでしょう」


 プラーヤは思わず黙り込んだ。

 軍にいた頃、街へ潜入する度に主要な建物や施設のデータを入手することが習慣だった。建物の大きさはその基本であり、目視で数値を割り出すことが身に着いていた。歩測も同じであり、プラーヤは一定した歩幅により正確な距離を測ることを得意としていた。


「商家で測量や歩測が必要になる機会は多くないと思うんだけど……ま、いいわ」

「すごーい! リディアお嬢様は聡明でらっしゃいますね!」


 リディアが扇子を広げ、胸を張った。


「ふふん、当然よ。私は大学の博士課程を半年で修了しているんですからね……って、プラーヤ。『マジかよ、こいつただのバカだと思ってたのに』って顔に書いてあるわよ」


 図星を突かれたプラーヤが咳払いをしてカップに口をつける。


「悪気はないのよ、プラーヤ。ちょっと気になったから聞いてみただけ。言いたくないみたいだから、私もこれ以上聞かないわ。それはいいとして、お茶のおかわりをちょうだい」

「……承知しました、お嬢様」


 プラーヤは目を伏せたまま、リディアのカップに紅茶を注いだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 陽は高く昇り、石畳の地面に反射した陽光が街を熱気に包んでいる。目抜き通りは人で賑わっているものの、その数はここ数日で目に見えて減っていた。


「ご主人様っ。リディアお嬢様は凄い方だったんですねぇ~」


 大きな買い物かごを手にしたナツキが傍らを歩くプラーヤに微笑みかけた。


「そうだな。ただのバカだと思ってたのに」

「もう、ご主人様ったら。そんな言い方はいけませんよぉ」

「貶してるんじゃない。ナツキの言う通り、人を見た目で判断するべきじゃなかったと反省してるだけだ。さっき、あいつの書斎に入ったけど、魔法研究の本と論文で溢れかえってた。今は『魔力結晶の精錬方法の違いによるエネルギー量の変化』だか何かを研究してるらしい」


 ナツキが嬉しそうに微笑むと、プラーヤは顔を逸らして周囲を見渡した。


「だいぶ人が減ってるな。この街の人達にもようやく危機感が生まれてきたらしい」


 将兵や資材を乗せた輸送用トラックの車列が二人の横を通り過ぎてゆく。砲身長五メートルを超える重榴弾砲の牽引車がそれに続き、地面が大きく揺れた。


「マスターの情報通りだな。かなりの兵力が郊外の防衛任務に就くようだ」

「防衛隊全兵力の三割近くですね、ご主人様」


 プラーヤが小さく頷いた。


「リディアのお母さん……ハセルハール女史だって、ソルカー銃と大砲で怪獣を倒せるとは思っていないだろうけれど」

「敵が誰であろうと、抗戦の準備があると示すことは重要です」

「そうだな。中立を宣言した独立都市は特に。この動員は何があっても街を守るという市民に対しての、そして周辺の軍閥や武装勢力に対しての意思表示なんだろう」


 車列に向けて声援を送る市民と、市民に手を振る将兵の姿から目を背けるように、プラーヤは踵を返した。


「とりあえず買い物を済ませよう。お昼が遅れるとお嬢様がうるさいからな」

「はーい! ……あっ」


 何かに気づいたナツキが足を止めた。


「どうした、ナツキ?」

「ご主人様っ、あれを。向こうにリディアお嬢様がいらっしゃいますよぉ」


 ナツキが手で示す先に、純白の衣服を身に纏った少女が見えた。遠過ぎて顔は見えないが、その服装で辛うじてリディアだと分かった。

「この距離でよく分かったな……三〇〇メートルは離れてるぞ」


 魔法戦士となったことで鋭敏な五感を持つプラーヤの目を以てしても、言われなければ決して気づかない距離だった。

 よく目を凝らして見ると、リディアが車列に向けて手を振っているのが分かった。

 不意に胸の魔力結晶が熱を放つ。同時に、遠くにいるリディアの姿が鮮明に映し出される。それに加えて、喧噪の中にいながらリディアの言葉がはっきりと聞き取れた。


「兵長さーん! 今まで迷惑ばかりかけてごめんなさい! 気をつけてね!」

「ありがとうございます、お嬢さん! 俺の後任を困らせちゃ駄目ですよ!」


 軽榴弾砲を牽引するトラックの荷台から完全軍装の兵士――防衛隊本部の相談窓口にいた兵長が笑って応えると、他の兵士達が笑った。釣られて沿道からも笑い声が上がる。


「もうっ! とにかく、無事で戻って来てね!」

「勿論ですとも! 怪獣が出てきても、この榴弾砲でやっつけてやりますよ!」


 兵長とその戦友達が笑って手を振ると、リディアは大きく手を振って見送った。


「リディアお嬢様、あの兵長さんにお詫びを言えてよかったですね」

「えっ。ナツキにも……聞こえてたのか?」

「はいっ、ご主人様っ」


 プラーヤはナツキの笑顔を前に、数秒前の驚きが無駄なものだと考え直した。目の前に立つ少女が魔法戦士である自身よりも強大な力を持つ銃剣士であることを思い出した。

 やがて、兵士達を見送ったリディアが踵を返し、何処かへと向かうのが見えた。


「あっ……リディアお嬢様ぁ~!」


 ナツキが手を振って声をかけるが、当然リディアは振り向かない。


「待て、ナツキ。外出の時は決まって僕達を引っ張り出すリディアが一人で出歩くなんて何か怪しい。後をつけるぞ」

「女の子の後をつけるなんて悪趣味ですよぉ、ご主人様ぁ」

「悪趣味だと思うなら来なくていい。一人で買い物して屋敷に帰れ」


 プラーヤはそう言ってナツキに背を向けた。


「えぇーっ、そんなぁ~。ナツキがお財布を持ってないのをご存知なのにぃ」

「ついて来るなら静かにしろ。人にぶつからないよう気をつけろよ」



 プラーヤはリディアを見失わないよう、気づかれないよう距離を保って尾行を続けた。

 ナツキは無言でプラーヤに続いた。その動きは静かで一切の無駄がなく、熟練の密偵にも劣らぬものだった。

 リディアの動きは機敏そのものだった。動きにくそうな衣服と靴を身に着けているにもかかわらず、その動きは軽やかで、しかも全く予測がつかなかった。

 まっすぐ進んだかと思えば急に引き返し、曲がった先へ進むと待ち構えるように立ち止まる。プラーヤがおかしいと感じ始めたのと同時に、リディアは駆け足で路地裏へと入って行った。


「ご主人様、これは」

「うん、分かってる。ナツキはここで待っててくれ」


 プラーヤは小さく舌打ちすると、わざと足音を立てて路地裏へ足を踏み入れた。


「…………っ!」


 プラーヤは息を呑んだ。行き止まりになっている路地裏にリディアの姿はなかった。


「いつから気づいてたかって? 最初からよ」


 耳元で聞こえるリディアの声は冷たく重く、これまでの声とは別人のようだった。


「背後を取られるのは、これが二回目か」


 プラーヤはため息をついて両手を頭の後ろで組むと、ゆっくり振り返った。


「やめなさいよ。私達は敵同士じゃないんだから」


 リディアの顔には困惑と怒りが混在していた。


「プラーヤ。私はあなたの知られたくないことを無理に聞こうとはしなかったわ。でも、あなたはそうじゃないのね」


 プラーヤは両手を下ろし、目を伏せた。


「私はあなたとナツキが来てくれてから、毎日が楽しいの。こんなつまらないことで台無しにしたくないわ」

「……僕が悪かった。ナツキが止めたのに、僕は……」


 リディアが苦笑した。


「プラーヤ、あなたは軍人なのね。それも、かなり高度な教育を身に着けた。その歳でまさかと思ったけど……あなたの行動や能力の多くはそれで説明がつくわ」

「元軍人だよ。隠密部隊で少年兵は珍しくない。一年前にタロス都市同盟軍を脱走した。ナツキとは出会ったばかりで、この街にやって来たのは休息の為だった」

「そう、分かったわ」


 リディアは普段の明るい声音で告げると、くるりと踵を返した。


「それ以上、聞かないのか」

「バカね。言いたくないことは言わなくていいって言ったでしょ」


 リディアは振り返って、にっこり笑った。これまで見た中で一番可愛らしい笑顔だった。


「リディア……」

「そんなことより、せっかく合流したんだからついて来て。勿論、ナツキも一緒にね。用事が済んだらどこかでお昼を食べましょう」

「どこへ行くんだ?」

「市庁舎よ。どうしてもママに聞きたいことがあるの」

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