第5話『ボーイ・ミーツ・ガール』(2)
「う~ん、このショートケーキ! 本当においしいですねぇ。スポンジがふっくらして口どけが良くて、クリームが滑らかで甘さもすっきりして。イチゴやブルーベリーも新鮮で、香りと食感が素晴らしいです! 他のケーキもおいしいです!」
ミックスベリーのショートケーキを食べながらナツキが顔を綻ばせる。
「チェルフカは美食の街だからな。いい加減な味の店は一ヶ月で潰れるよ」
向かい合って座るプラーヤはそう言って黒豆のコーヒーを一口飲んだ。
「このコーヒーにしても、そうだ。他の街では大豆や麦芽を適当に炒ったものをコーヒーと呼んでる。ひどい店になると焦がしたパンの炭にお湯を注いで売ってるけれど、この街でそんな真似をすれば大変なことになる。本物のコーヒーの味なんて想像するしかないけれど、きっとこんな味だったんだろうと思う」
コーヒー豆が手に入らないこの時代、大豆や麦芽などで作った代用コーヒーを飲むしかない。その中にあってカフェ・ハンカのコーヒーは焙煎から注ぎ方に至るまで並々ならぬこだわりに満ちており、文献に伝わるコーヒーの味に限りなく近いと評される逸品だった。
「うんうん、僕のケーキがお気に召したようで何より、何より。そんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるというものだよ」
カウンターから数冊のファイルを持って出てきたファイサルが嬉しそうに何度も頷いた。
「はい、素晴らしいお味です! このコーヒーも酸味と苦みのバランスが絶妙で、豊かなコクに仄かな甘みがあって。ケーキにもよく合っておいしいです!」
「うんうん、この味を分かってくれて嬉しいよ、嬉しいよ。このコーヒーは文献に残るトラジャコーヒーを再現したものでね、それはもう苦労したよ。まずは豆の熟成から――」
「マスター、それよりも」
プラーヤに言葉を遮られ、ファイサルが苦笑した。
「いけない、いけない。ついコーヒーの話になるとね。それじゃ、仕事の話に移ろうね。ところで、メイドのナツキ君は……」
「ナツキなら大丈夫だ。このまま話を聞かせてくれ」
「はい。ナツキはご主人様のおそばにおります」
ナツキの笑顔を前にして、ファイサルの動きが止まった。
「うんうん。分かったよ、分かったよ」
ファイサルは一瞬だけ鋭い目をした後で、プラーヤのすぐ隣に椅子を置いた。
プラーヤはすぐに椅子から立ち上がり、ナツキの隣に椅子を置いて腰かけた。
「それで、今日は何を知りたいのかな?」
「征討軍第十五遊撃旅団の行方を知りたい。司令官のタルネルバ=オリアンに用がある」
「……それは、君が魔法戦士になったことと関係するのかな?」
「そうだ。僕はオリアンを殺し、姉の仇を取る」
プラーヤが躊躇なく言い切るとファイサルの表情から笑みが消えた。
「そう……分かった。君のお姉さん……マヤ君に、心からお悔やみ申し上げる」
「……ありがとう。マスター」
ファイサルは大きく頷くと、ファイルのうち一冊を開いて目を落とした。
「早速、本題に入るけど、第十五遊撃旅団は西へ向かったようだよ」
「西……モンサークを攻略する気だろうか?」
「考えにくいね。他の地域に展開する部隊は連携する動きを見せていない。旅団規模であの大都市を攻略できるはずがないし、補給の為に支配地域へ戻った形跡もない」
ファイサルは地図を取り出しテーブルに広げると、鉛筆で印をつけ始めた。
「最初に殲滅されたクナーシュを起点として、第十五遊撃旅団はアルセントを経由して西に移動している。一昨日の時点で旅団が目撃されたのは、ここチェルフカから南西に約一〇〇キロの地点。それまでの足取りを辿ってみると、こうなる」
地図上の点が線で結ばれ、東から西へと向かうジグザグの進路が示された。
「途中に小さな街や村がいくつかあるな」
「襲われたのはクナーシュとアルセントだけじゃないよ。略奪の後で生き残った住民を全員、連れ去っているという噂があるね」
「……ご主人様」
チーズケーキを食べていたナツキとプラーヤが顔を見合わせ、互いに頷いた。
「僕はクナーシュで襲撃に居合わせた。その時、旅団の兵士達は手当たり次第に住民を殺していた。部隊単位での略奪や住民を連れ去る様子は一切なかった。それに、僕はオリアンが部下に命令するのを聞いたんだ。『速やかに次の街へ向かう』って」
「プラーヤ君の言う通りだね。それだけの非戦闘員を抱えて作戦行動はできないし、旅団の動向を追っている仲間や行商人からも、連れ去られた民間人を見たという話は聞いてないんだ。僕も住民が連れ去られているとは思ってないよ。ただ……」
「襲われた街には、死体がまったくなかった……そうだろ」
ファイサルが大きく頷いた。
「その通り。第十五遊撃旅団は何を目的に行動しているのか皆目、見当がつかないんだよ。この一ヶ月間、他の部隊と連携もなく街を殲滅して回っている。占領もせずにただ街を破壊し、住民を虐殺しているんだ。まともな作戦行動ではないよね」
「僕は軍にいた時、この部隊名もオリアンという名前も聞いたことがなかった。新設の部隊が単独でこれだけ活発に行動してるなんて、確かに常識では考えられない」
「或いは、第十五遊撃旅団は何らかの特別な命令を与えられた部隊なのかも知れないね」
「特別な命令……?」
アルセント近郊で対決した征討軍の曹長――ラシュカの言葉が脳裏をよぎる。
――大事な資源だからな――。
「資源……」
「資源? 何の話だい?」
「僕と戦った征討軍の下士官は、死体を資源だと言っていたんだ。クナーシュではオリアンが死体の移送準備を部下に命じるのを聞いた」
「死体が、資源だって……?」
ファイサルが黙り込むと、プラーヤはナツキに目を向けた。
「食べ終わったか、ナツキ」
「はい、ご主人様っ。堪能いたしました」
プラーヤは立ち上がって懐から七枚の銀貨を取り出し、ファイサルに差し出した。
「話はここまでだ。ここ一ヶ月間の、第十五遊撃旅団と周辺の征討軍部隊の行動記録をまとめた資料が欲しい。これで足りるかな」
「ほうほう、タロス都市同盟の銀貨だね。沿海州交易圏ではとんと見かけないよ。あんまり珍しいから、沿海州交易圏の通貨に両替する必要があるねぇ」
プラーヤが無言で銀貨を二枚追加すると、ファイサルは笑顔で受け取った。
「毎度ありがとう、プラーヤ君。また来てくれるよね」
「行こう、ナツキ」
プラーヤはファイサルの呼びかけを無視して背を向けた。
「ごちそうさまでした。大変、満足いたしました」
ナツキが恭しく頭を下げると、ファイサルは満足げに頷いた。
「ありがとう。ナツキ君も、また来てね。その時はサービスするからね」
「はい! ありがとうございます!」
顔を綻ばせるナツキにプラーヤが小さくため息をついた。
「悪いけれど、それはないからな。今晩は宿で休んで、明日の朝すぐバスに乗る」
「えぇーっ! ご主人様、それはあんまりです! ナツキはここのケーキを、まだ七種類しか食べてないんですよぉ!」
「それだけ食べれば十分だ! とにかく、今日一日で食費を使い過ぎた。今後の旅費も心配だし、今晩から節約するからな」
「そ、そんなぁ~!」
ナツキが見せたこの世の終わりのような表情に、プラーヤは困惑した。
悲しみを理解できないと言うナツキだが、こと食べ物に関して言えば明確な喜怒哀楽の感情を持っているように思えた。
「それは無理だよ、プラーヤ君」
食器を片づけていたマスターが会話に割り込んできた。
「マスターには関係のない話だ」
「いやいや、そうじゃなくてね。プラーヤ君、長距離バスに乗りたいんでしょ?」
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市庁舎広場の近くにあるバスの営業所前で、プラーヤは呆然と立ち尽くした。
「え~と……パルハン発チェルフカ経由モンサーク行きの長距離バスは運行を休止しております。現在、運行再開の目途は立っておりません。モンサーク発チェルフカ経由パルハン行きの長距離バスは運行を休止しております。現在、運行再開の目途は立っておりません……だそうです、ご主人様」
「わざわざ読み上げなくていい……何て書いてあるか、僕にだって読める」
プラーヤの肩からリュックがずり落ちた。
「ご主人様、ご主人様っ。せっかくですから運行再開まで、この街に滞在しましょうよぉ」
「嬉しそうだな。理由は分かるけどさ」
「はいっ! ナツキはおいしいものをもっと食べたいです!」
「どんな時も素直がいいとは限らないぞ、ナツキ」
プラーヤは呆れ顔でナツキを一瞥すると、背を向けて歩き出した。
「ご主人様、どちらへ行かれるのです?」
「他の移動手段がないか、もう一度マスターから話を聞いてくる」
「分かりました。ナツキも――」
「僕一人で行く。ケーキを食べに行くわけじゃないんだからな。すぐに戻るから、そこのベンチで待っててくれ」
プラーヤはナツキを手で制すと、その場を走り去った。
「はーい。お待ちしてまーす」
ナツキはプラーヤが置いていったリュックを手に、近くのベンチに腰かけた。
「ご主人様ったら、不用心なんだから。はぁ……これからどうすればいいんでしょう」
両手を頬に当てて考え込んでいると、一人の男が近づいて来るのが見えた。
立ち止まって会釈をする男にナツキは笑顔でお辞儀した。
「こんにちは、お嬢さん。バスに乗りたいのかい?」
穏やかな笑みを浮かべた、にこやかな中年の男だった。
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「あのヒゲ野郎……最初から教えてくれればいいのに。料金も追加で取りやがって」
プラーヤがぼやきながら市庁舎広場へ戻って来た時、ナツキの姿はなかった。
「ナツキの奴……待ってろって言ったのに」
プラーヤがベンチに腰かけると、能天気な声が聞こえてきた。
「ご主人様ぁ~!」
トランクとリュックを手に、ナツキが駆け寄ってきた。
「どこに行ってたんだ。待ってるように言っただろ」
「聞いてください、ご主人様っ! バスを出してくれる人を見つけたんですよぉ!」
「なんだって?」
「親切な方がいらっしゃるものですねぇ。明日の朝、ここにいらっしゃるそうです」
プラーヤは目を丸くしてナツキの顔を見つめた。
「もう、ご主人様ぁ。そんなに見つめられると、ナツキは恥ずかしいですよぉ」
「お前……そんな話を信じてるのか?」
「勿論ですっ。だって、とっても親切そうな方だったんですよ!」
プラーヤは大きくため息をついて肩を落とした。
「親切そうだからって、本当に親切とは限らないだろ。そいつは営業許可書を見せたか?」
「はてな。営業許可書……ですか?」
「それ見ろ。偽の業者に決まってる。この街で旅客輸送業をやるには営業許可書を見せてサインをもらうように決まってるんだぞ……って」
プラーヤはハッとして顔を上げた。
「ひとつ聞くけど……まさか、お金を払ったりしてないよな?」
「お支払いしましたよ? 前払いだとおっしゃるので」
ナツキはきょとんと首を傾げた。
「な……なんだって!」
プラーヤは立ち上がってナツキの肩を掴んだ。
「もう、ご主人様ぁ。いきなり女性の肩を掴むなんていけませんよぉ……って、あれ? なんだか顔色が優れませんね」
「いくら払った?」
「えっ?」
しばしの沈黙の後――。
「いくら払ったか、聞いてるんだよ!」
プラーヤは顔を真っ赤にして叫んだ。
「あ、ご主人様……怒っておいでなのですね」
「いいから質問に答えろ! いくら払った!」
「ちょっとお待ちくださいね。運賃は特別に半額でいいと仰っていたのですが」
ナツキがトランクからバッグを取り出すと、プラーヤは無言でそれを奪い取った。
「きゃっ……ご主人様?」
バッグを開けたプラーヤの動きが止まった。
「あ……あぁぁー……」
やがて弱々しい悲鳴を上げ、その場にへたり込むプラーヤの身体をナツキが受け止めた。
「あーっ、ご主人様。大丈夫ですかぁ?」
プラーヤの手から――空っぽのバッグが地面に落ちた。
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「ご主人様、これからどうしましょう」
「黙ってろ。今はお前の声を聞きたくない。顔も見たくない」
プラーヤはベンチの上で膝を抱えたまま、返事をした。
「申し訳ありませんでした、ご主人様。まさか、騙されていたなんて。被害届を受け取った警備兵の方も呆れておいででしたね。以後、気をつけます」
「……『反省だけなら猿でもできる』っていう旧時代の格言を知ってるか?」
「えぇっ! お猿さんも反省ができるんですか? ナツキは初めて知りました!」
「もういいから黙ってろ!」
ナツキを怒鳴りつけた後、プラーヤは大きなため息をついた。
「ご主人様、ご主人様ぁ」
「黙ってろって言っただろ」
「皆さんが使うベンチに靴を履いたまま上がるのは、よろしくありませんよ」
プラーヤは両足を地面に下ろし、もう一度大きなため息をついた。
「お前の言う通りだ、気をつける」
ナツキはプラーヤの背中に微笑むと、広場に目を移した。商店街の賑わいとは対照的に、市庁舎広場は閑散としていた。
「あのぉ……」
言いかけてナツキがやめると、プラーヤが口を開いた。
「人が少ないよな。バスが運行してる時は、こんなじゃなかったんだ」
「左様でしたか。あっ……申し訳ありません、黙っているように言われたのに」
「もういい。きちんと説明しなかった僕も悪かった。食費がかかるのを嫌がってお前を置いていった僕が迂闊だった」
プラーヤがようやく顔を上げた。
「バスが運休してる理由を詳しく聞いた。パルハンとモンサークの近郊で怪獣の足跡が見つかったんだ。僕達が遭遇したのとは別の個体らしい。付近の野盗集団が活動を停止したって情報もある。怪獣に襲われたんだろう。この街の賑わいも長くは続かないかもな」
「怪獣が……」
ナツキの目つきが鋭いものに変わった。
「野盗や兵隊崩れならともかく、相手が怪獣となれば護衛隊も役に立たないからな。それにしても、この辺りで怪獣が現れたなんて話はなかったのに」
「怪獣はどこに現れても不思議ではありません。特に、今の時代は」
ナツキは驚いて振り向くプラーヤの目を見ながら、静かに頷いた。
「怪獣は旧時代より存在します。この戦乱の時代になって、より脅威を増しただけのことです。『私』の銃剣術も、本来は怪獣を倒す為に授けられたものでした」
「怪獣が、旧時代から存在していた……? ナツキ。怪獣とは一体、何なんだ。ナツキはこれまで、何度も怪獣と戦ってきたんだろう?」
「魔法を操り、魔力を糧とする生物……それが怪獣。私にはそれしか分かりません」
ナツキは形の良い顎に手を添えながら、落ち着いた口調で答えた。
「魔力を糧とする、生物……」
プラーヤは怪獣が偵察車の残骸を貪る光景を思い出し、唾を飲み込んだ。
「特に魔法兵器や魔法戦士は怪獣にとって最高の糧となるようです。征討軍の部隊や基地を狙うかのように怪獣が現れるのを何度も見てきました。そして魔法兵器が大規模に使用された場所で遭遇した怪獣はいずれも、他の地域で遭遇した怪獣より遥かに強大でした」
そう言って、ナツキは傍らのトランクにそっと手を置いた。
「……つまり、征討軍が侵略の手を広げるほど怪獣の脅威も増すってことか」
「征討軍に限った話ではありません。各地の軍閥は征討軍に対抗する為に、強力な魔法兵器の開発と魔法戦士の育成に乗り出しています。それらが実戦投入されれば、或いは」
プラーヤはしばし言葉を失った。
ナツキは目を閉じて大きく息を吸い込むと、ぽんと手を打って微笑んだ。いつもの能天気な笑顔だった。
「ところで、ご主人様っ。これからどうしましょう?」
「そうだな……被害届は出したけれど、犯人はもう街を出てるはずだ。お金は戻って来ないだろうし、滞在するにしても宿代が心許ない。ここで稼ぐしかないな」
「稼ぐ……ですか?」
プラーヤが大きく頷いた。
「ああ、僕は大道芸人だ。ナツキにはアシスタントをやってもらう。いいな」
「アシスタント……」
ナツキはしばし考え込んでいたが、やがて満面の笑みで頷いた。
「はいっ! ナツキにお任せください!」




