第5話『ボーイ・ミーツ・ガール』(1)
「ご主人様、見えてきましたね。あれがチェルフカですか。綺麗な街ですねぇ~」
遠くに見える白い石造りの街並みを指差しながら、ナツキが言った。
「ああ。街に着いたら昼食を摂って一休みしよう。情報収集はそれからだ。問題はオリアンの部隊がどこにいるかだけれど、北か西へ行くことになれば長距離バスを使おう」
「はてな。長距離バス……ですか?」
ナツキがきょとんとした顔でプラーヤの顔を覗き込んだ。
「知らないのか。チェルフカは沿海州交易圏の重要な拠点で交通の要衝なんだ。北の大都市・パルハンと西の大都市・モンサークに走る長距離バスを市が運営してるんだよ」
「市が……? バスを運営しているのですか?」
「そう。護衛隊付きの長距離バスだよ。独立都市でそれができるのは、魔法研究が盛んで経済的にも豊かなチェルフカだからさ」
地面を揺らして横を通り過ぎる、土を満載したトラックの車列にナツキが目を向けた。
「あれは軽量石材の原料になる土だよ。チェルフカ産の石材は良質で、タロス都市同盟の街でも高値で取引されてたっけ」
かつて人々の暮らしに不可欠だった木材や合成樹脂のように、現在では軽量石材が人々の暮らしを支えている。
木材より丈夫で金属より軽く、腐食の恐れも少ない軽量石材は加工に技術を要するが、建材をはじめ様々な用途に用いられている。
「ご主人様、あれは何の工場でしょう? 大きな煙突が何本もありますが」
街並みの奥に見える、煙突の付いた建物をナツキが指差して言った。
「あれは魔力結晶の精錬工場。この近くには大きな採掘場がいくつかあって、さっきの土は魔力結晶を掘った時の副産物なんだ。ここではソルカー銃や魔力砲、ルセノーエンジンに自動車まで生産してる。これほどの工業力がある独立都市はチェルフカくらいだよ」
「ふむふむ……さすが、ご主人様っ。何でもご存じなんですね!」
ナツキが目を輝かせてプラーヤの顔を覗き込む。
「そんな大した話じゃない。この辺りには軍にいた頃、任務で何度か来たことがあるんだ。街は綺麗で食べ物もおいしい、いい街だ」
プラーヤは微かに顔を赤らめて言うと、ナツキの視線から逃れるように街を指差した。
「と……とにかく、早く街に入ろう。久しぶりに本物の肉や魚と新鮮な野菜、それに焼きたてのパンが食べられるぞ」
「本物のお肉とお魚……新鮮な野菜……焼きたてのパン? わぁっ!」
ナツキはプラーヤに背中から抱きつき、顔を近づけた。
「急ぎましょう、ご主人様っ! ナツキはお腹が空いています!」
「わっ! 離せ、暑苦しい!」
「いいえ、離しません! さあ、ご主人様っ。早く早く!」
「分かった! 分かったから離せ!」
プラーヤはナツキに引きずられるようにして、疲れた足を必死に動かした。
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「ようこそ……白亜の街・チェルフカへ。当市はあなた方を歓迎いたします。短期の滞在とのことですが、ごゆっくりお過ごしください」
郊外の監視所で二人を迎えた役人は慇懃無礼な男だった。
「あまり感じのよろしくない方でしたねぇ、ご主人様ぁ」
監視所を振り返ってナツキが言った。言葉とは裏腹に能天気な笑みを浮かべていた。
「仕方ないさ、クナーシュとアルセントが殲滅されて日が浅いんだから。簡単な面談だけで街に入れてくれたことを感謝しなきゃいけないくらいだ」
「そういえば、持ち物検査もありませんでしたね。ナツキのトランクは二重底になっているので、調べられても問題ありませんが」
「チェルフカ市長・ハセルハール女史の方針だよ。旅行者が不愉快な思いをしないように来訪者審査は最低限に留めてるらしい」
「女史……? この街の市長は女性でいらっしゃるのですか?」
「そう。人呼んで『沿海州最強の女』、アルヴリーサ=ハセルハール。ナツキも名前くらいは覚えておいた方がいい」
「ふむふむ、沿海州最強……ですか。すごい方なんですねぇ」
「来訪者審査が緩いのは、何があっても治安を守れる自信があるからさ。市内にはソルカー銃を持った警備兵が常駐してるし、トラブルがあっても自力で対処できるってことだよ。その証拠にお前が腰に提げてる短剣も、お咎めなしだったろ」
ナツキは腰の短剣に目を落とした後、きょとんと目を丸くした。
「短剣……? この銃剣のことですか?」
「え……銃剣っていうのは、銃と剣を組み合わせた武器のことじゃないのか?」
「厳密に言えば違います、ご主人様。本来『銃剣』とは銃に取り付ける剣を指すのです。つまりナツキが腰に提げているこの武器が銃剣で、着剣した銃の呼び名は特にありません」
「ふぅん。ややこしいな」
「失礼いたしました、ご主人様。そんな細かいことは、言い伝えからは分かりませんものね。ナツキはご主人様の呼び方に従います」
「そうだな。正しい呼び名はともかく、人前で『銃剣』って言葉は口にしない方がいい」
ナツキの顔に笑みが戻った。
「さすが、ご主人様! ナツキはそこまで考えが到りませんでした!」
ふと、プラーヤが足を止めて振り返った。
「そういえば、大事なことを忘れてた。ナツキ、お金はどれくらい持ってる?」
「お金ですか。まったく持っていませんよ?」
何故そんなことを聞くのかといわんばかりの態度だった。
「よくこれまで旅を続けてこられたな……」
「うふふふっ。お誉めに与り光栄ですっ!」
「誉めてない! まったく……しょうがないな」
プラーヤはぼやきながらリュックを降ろすと、防火布製のバッグを中から取り出した。
「これを預ける。失くすんじゃないぞ」
「ご主人様、これは?」
「手持ちのお金の半分が入ってる。必要な時はそこから使え」
バッグを受け取ったナツキの顔がぱぁっと輝いた。
「ありがとうございます、ご主人様っ! ナツキはご主人様の信頼にお応えするよう、これからも努めます!」
「と、とにかく……昼食にしよう。これからどうするかは食べた後で考えよう」
「はいっ!」
プラーヤが踵を返して歩き出すと、ナツキは嬉しそうにその後をついて行った。
美しい建物が並ぶ街は多くの人で賑わっていた。どの店も活気に溢れ、ともすれば戦火を忘れてしまいそうな光景だった。
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「おいしーいっ! ご主人様っ、どのお料理もおいしいですねぇ! はむっ……!」
ナツキは満面の笑みを浮かべながら、羊肉の串焼きにかぶりついた。
「だろ? ここは旧時代には民族と文化が合流する場所で、その頃からの食文化が今でも残ってるんだ。他の街のレストランじゃ、これほどのメニューは用意できないもんな」
そう言ってプラーヤはワラビのサラダをフォークで口に運んだ。
二人が訪れたレストラン『イーゴリ』は街の住民が頻繁に利用する老舗だった。店構えも内装も簡素だがその分、価格も良心的だった。
「う~ん! この串焼き……スパイスとハーブの風味が食欲をそそります! お肉も歯ごたえがあって、噛むほどに旨味が口の中に広がりますねぇ。これなら何本でも食べられちゃいます!」
「ナツキは本当に、何でもおいしそうに食べるな」
「うふふっ、何でもじゃありません。ナツキがおいしそうに食べるのは、おいしいものだけですよぉ」
ナツキは鮭と野菜のスープをスプーンで口に運び、幸せそうに息を吐いた。
「おいしいものだけ……」
プラーヤは小さく呟くと、手を上げてウェイトレスを呼んだ。
「串焼きのおかわりをください。それから、ペリメニとプロフに干し豆腐の冷菜も」
「はーい! かしこまりました!」
きょとんとするナツキにプラーヤは向き直ると、咳払いをした。
「えぇと、その……お腹いっぱい食べるといい」
たちまち、ナツキの顔に笑顔の花が咲いた。
「ありがとうございます、ご主人様っ!」
「ん……」
プラーヤは微かに頬を赤らめながら、串焼きにかぶりついた。
向かい合うナツキの笑顔は自分の作った料理を食べる時と同じく、幸せに満ちていた。
笑顔を向けられながらの食事がこんなに楽しいとは、知らなかった。
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「あ、あのー……お客さん?」
ウェイトレスが青ざめた顔で話しかけると、プラーヤもまた青ざめた顔で振り返った。
周囲の視線が自分達のテーブルに集中していることは、既に気づいていた。
「ごめんなさい。もう、食材が……」
「あっ、はい。ナツキ……聞こえたか?」
「はい、ご主人様っ! とってもおいしかったです。ナツキはまだ食べられますが、食材がなくなったのでは仕方ありませんね~」
大量に重ねられた皿を前に、ナツキは口元をナプキンで品良く拭きながら答えた。
「……そりゃ、お腹いっぱい食べるように言ったけどさ……」
ウェイトレスが恐る恐る差し出した伝票を見て、プラーヤの顔が更に青くなった。
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「ご主人様っ。おいしかったですねぇ~」
「あぁ、うん……」
プラーヤは気の抜けた返事をすると、大きくため息をついた。
「ところで、ご主人様。どこへ向かっておいでですか?」
「喫茶店だよ。この先に『カフェ・ハンカ』っていう店があるんだ」
プラーヤの後ろを歩くナツキが、目を輝かせた。
「喫茶店! デザートとお茶ですか!」
「そりゃ、お菓子もお茶もあるけど、それが目的じゃない。情報収集の為だぞ」
「はてな。喫茶店で情報収集……ですか?」
プラーヤはため息交じりに頷いた。
「ここの店主はあちこちに顔が利くんだ。軍にいた頃、何度か情報を売ってもらってた。チェルフカは人が集まるだけに、情報も多く集まる。その中から情報を精査して提供してくれる情報屋は貴重なんだ」
「なるほどぉ……それにしても、あまり浮かない顔ですね、ご主人様」
「僕はあそこの店主が苦手なんだ。まぁ、行けば分かる」
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「やぁやぁ、プラーヤ君! よく来たねぇ、よく来たねぇ~! こんなに綺麗なお嬢さんが一緒だなんて、君も隅に置けないねぇ、隅に置けないねぇ~……!」
路地裏にひっそりと佇む『カフェ・ハンカ』のマスターは黒い髪をオールバックにまとめ、口ひげを生やした中年の男だった。
清潔な白いシャツに蝶ネクタイを締め、黒いヴェストとギャルソンエプロンを身に着けた姿は由緒正しいカフェのマスターのイメージそのものだった。
年季の入った狭い店内にはカウンターに椅子が三脚、四人掛けのテーブルが二卓のみ。他に客はおらず、ひっそりとしていた。
ナツキが片足を半歩引き、ロングスカートの裾を両手で持ち上げて一礼した。
「はじめましてっ。わたくしはメイドのナツキと申します。主がお世話になっております」
「これはご丁寧に……はじめまして。僕は当店のマスター・ファイサル。こんなに素敵なメイドがいて、プラーヤ君は本当に幸せ者だねぇ、幸せ者だねぇ~」
「素敵だなんて……恐れ入りますぅ。うふふふっ」
両手を頬に当てて照れるナツキを一目見て、プラーヤがため息をついた。
「ご主人様っ。笑顔の素敵な紳士ですよぉ? 悪い方には見えませんが」
プラーヤは耳元で囁くナツキを一瞬だけ睨むと、咳払いをしてファイサルに向き直った。
「マスター、情報が欲しい」
「なんだい……プラーヤ君、つれないねぇ。君が来てくれて、僕はこんなに喜んでいるというのに……! 再会の喜びを熱い抱擁で共有しようじゃないか。さぁ! さぁさぁ!」
ファイサルが両手を広げ、上気した顔で迫ったが、プラーヤは素早く退いてかわした。
「とにかく用意を。その前に飲み物とケーキが欲しい」
「これは失礼、すぐにメニューを持って来るからね。好きな席に座って待っていてね……それじゃあ、情報のやり取りは別室で僕と二人きりで、二人きりで……ふふふふ」
「断る。ナツキ、そこに座ろう」
プラーヤはナツキの手を引き、壁際のテーブルに向かった。
「う~ん。つれないねぇ。ところで……プラーヤ君」
ファイサルはカウンターに向かいながら、椅子に腰かけるプラーヤに視線を送った。
「僕は君のサファイアのような瞳が好きだったんだけれど……今の瞳も黒曜石のようで素敵だよ」
プラーヤは舐め回すようなファイサルの視線を黒い瞳で跳ね返すと、無言で背を向けた。
「看板を下ろしてくるよ。今日はもう店じまいだ」