第4話『魔法殺しの銃剣士(テルミナートル)』(2)
不意に、ぬくもりを裂くような強い冷気を感じ、プラーヤの意識は過去から現在へと呼び戻された。
「ご主人様、お目覚めですか」
いつもの能天気な声――ではない。ナツキの声には緊張感が含まれていた。
「ナツキ……どうしたんだ」
「ご主人様。ナツキがこれから申し上げることを、よくお聞きください」
ナツキは膝枕をやめてプラーヤの身体をそっと横たえた。
「一体、何が――」
「怪獣が現れました」
ナツキが言い終わる前に、風鳴りにも似た咆哮が聴こえてきた。
「……怪獣、だって……?」
段々と大きくなる不気味な咆哮に空気がびりびりと震える。それに伴い、周囲の空気が一気に冷え込んだ。寒さだけではない、本能的な危機を察して全身に悪寒が走った。
「隠れてやり過ごそう。今のままじゃ戦えない」
ナツキが小さく首を振った。
「隠れても無駄です。あの音が聴こえますか、ご主人様」
「音……?」
冷たい風に乗って、何かを砕くような音が聴こえてきた。
「この音は……?」
「偵察車の残骸を怪獣が食べています」
「残骸……って、石材と金属をか?」
「怪獣は魔力結晶や魔法器具……いいえ、魔力そのものをエネルギー源とします。あの残骸を食べ終わったら、ご主人様に向かって来るでしょう」
プラーヤは必死に力を振り絞って、音のする方へ顔を向けた。
月明かりを受けて、地平線の上で蠢く影が見えた。
魔法を身に着けた為か、徐々に視界が鮮明になってゆく。
狼のような胴体と手足、トカゲのような頭と尾を持ち、肩までの高さは十メートルを超える。闇に溶け込むような暗い体色の、全長は数十メートルに達する巨大な何か――。
既存の生物に似た部位を持ちながら、その異様な全体像は『化け物』としか言いようがなく、軽量石材と金属でできた車輌の残骸を貪る様はこの世のものとは思えなかった。
肌を刺すような冷気が勢いを増し、凍てつくような風が吹き荒れる。プラーヤは全身を襲う寒さに耐えながら、口を開いた。
「……逃げろ。僕が喰われれば――」
「お断りします」
ナツキがきっぱりと言い切った。
「頼む。このままじゃ二人とも――」
プラーヤの言葉を遮るように、残骸を喰い尽くした怪獣が再び咆哮を上げた。冷気は強風となり、頭が痛くなるほどの耳鳴りがした。
ややあって、月を見上げていた怪獣の顔がこちらを向いた。不規則に角が生えた頭部は爬虫類に似ているが、両眼が前方に並んだ鼻面はイヌ科の肉食獣にも似ていた。
旧時代神話の龍を思わせる恐ろしい相貌を前にプラーヤは息を呑んだ。
怪獣は瞳のない白い目を光らせながら、ゆっくりと前足を動かした。狼のような足が大地を踏みしめるごとに、地面が大きく揺れた。
「ナツキ……頼む。逃げてくれ、このままじゃ二人とも殺される……!」
「お断りします。ご主人様を守るのはメイドの務めだと申し上げたはずです」
ナツキはそう言って傍らのトランクに手を伸ばした。
「バカなこと言うな! 何を考えてるんだ!」
「ご主人様、ご安心ください。ナツキは必ずご主人様をお守りいたします」
「よせ、死ぬのは僕だけでいい!」
地面に這いつくばるプラーヤの前に突然、ナツキが跪いた。
「ご主人様、今のうちに申し上げておきます。ナツキをおそばに置いてくださって、ありがとうございました。おいしいお食事を作ってくださって、ありがとうございました。ナツキの名を呼んでくださって、ありがとうございました」
そして、初めて会った時のように両手を着いて頭を下げた。
「なんだよ、急に……」
「ナツキは優しいご主人様にお仕えしたことを、絶対に忘れません。さようなら」
ナツキはにっこり微笑むと立ち上がってプラーヤに背を向け、怪獣に向かっていった。
「やめろ、ナツキ! ナツキ!」
プラーヤは立ち上がろうとしたが、上半身を起こすのがやっとだった。
「ナツキぃぃ!」
遠ざかる背中にもう一度叫んだが、ナツキは振り返らなかった。
怪獣が口を大きく開けてナツキを威嚇した。鼓膜が張り詰めるような咆哮。
しかし、ナツキは怯まない。
やがて怪獣は再び咆哮を上げると、ナツキに向かって突進した――!
「バカ野郎ぉぉぉ!」
プラーヤの叫びと同時に怪獣の巨大な前足が振り下ろされ、大きな土煙が上がった。轟音に続いて地響きが走り、押し寄せた風塵で視界が閉ざされた。
「ナツキ……どうして……!」
プラーヤがそう呟いた直後に怪獣の唸り声が聞こえた。
その声に違和感を覚えた。これまでの咆哮にはない、困惑のような響きがあった。
やがて、視界が開けた時に見えたものは――。
「ナツキ……?」
二本の足で大地に立ち、怪獣の前足を片手で受け止めるナツキの姿だった。
怪獣が牙を剥いた苦悶の表情でナツキを踏み潰そうとしているものの、ナツキは片手でそれを押し留めていた。
目に映るものが信じられず、プラーヤは何度も瞬きをした。
怪獣が悲鳴のような咆哮を上げ、前足に体重をかけてのしかかるが体勢は変わらない。
プラーヤがその光景に目を見張ると同時に、ナツキの周囲が金色に輝いて見えた。
「はぁぁっ!」
ナツキが掛け声を発した次の瞬間、怪獣の身体が宙に舞い上がった。数百トンはあろうかという巨体が、少女に片手で突き飛ばされたのだ。
ナツキは静かに呼吸を整えると、右手でそっと前髪をかき上げ、隠れていた右目を夜空の下に晒した。強く輝くその瞳は先ほどの光と同じ、眩い黄金の光を放っていた。
ナツキの表情は、これまでとはまるで別人だった。
能天気な笑顔ではなく、ただまっすぐに敵を見据える真剣で精悍な表情。旧時代の英雄像を彷彿とさせる美しさにプラーヤは目を奪われた。
大地を揺るがす地響きがプラーヤを現実に引き戻す。
地面に叩きつけられた怪獣が立ち上がり、唸り声を上げながらナツキを睨みつける。
ナツキは怪獣の視線を受け止めたまま左手に持ったトランクを開けた。
トランクから飛び出した物は全長一メートルを超える細長い小銃だった。
直線的ながらも銃把周りが優美な曲線を描く木製の銃床、青く輝く鋼の機関部と細く長い銃身。銃床には革製のスリングベルトが吊り下げられていた。
プラーヤは未だかつて、こんな美しい銃を見たことはなかった。
引鉄があることから辛うじて銃であることは分かるが、その外観は征討軍をはじめ各軍で使用されるソルカー銃の無機質なそれとは大きく異なっていた。
ナツキは続いて腰の短剣を抜き放ち、流れるような所作で天に掲げた。
右手に小銃、左手に短剣を持ったナツキの姿にプラーヤは戦慄した。
――銃と……剣……!
怪獣は低い唸り声を上げつつ、その場を動こうとしない。
やがてナツキは短剣の切先を怪獣に突きつけながら、徐に口を開いた。
「我は軍神の兵仗を以て、立ち塞がるもの全てを討ち滅ぼさん。走る刃は蒼穹を裂く雷となり、放たれし弾丸は大地を砕く流星とならん!」
美しくも猛々しい、その声は――役立たずのメイドのそれではない。
「白兵戦の真髄を見せてやる! 着けェ、剣ッ!」
叫びと共にナツキは短剣を小銃に装着した。黄金の閃きと共に、凍てついた空気が一瞬にして熱気に変わった。
プラーヤはその短剣が持つ奇妙な形状の意味を理解した。穴の空いた鍔は銃口を通す為、短いグリップは柄頭に前床の金具を組み合わせる為――。
小銃と短剣、それぞれの着剣装置を組み合わせることで、対となる小銃と短剣が一体の武器となるのだ。
「銃剣……銃剣士……!」
プラーヤの口を衝いて出た言葉は、悪魔の武器の名前と、それを操り世界を滅ぼしかけたという伝説の戦士の呼び名だった。
プラーヤの目は、ナツキが手にする武器――銃剣に釘づけとなった。銃身の直下に短剣を装着したそれはナツキの背丈ほどの長さがあり、他のどんな武器とも違う異様な存在感と威圧感を放っていた。
ナツキと対峙していた怪獣が咆哮を上げた。
プラーヤはその声に、これまでとは違うものを感じ取った。恐怖、或いは覚悟――。巨大な怪獣が、自分より遥かに小さい少女を自分と同等以上の敵と認めたのだ。
ナツキは大きく息を吐きながら銃剣を構えた。右足を引いて身体を斜め前に向け、右手で銃把を、左手で前床を握り、切先と銃口を怪獣に向ける。
攻守いずれにも応じられる、一分の隙もない構え。
「さあ……来るがいい!」
ナツキの叫びに応えるように怪獣が足を踏み鳴らし、首をもたげて咆哮を上げた。
鼓膜を切り裂くような咆哮に続いて、怪獣の身体が青く光った。光に照らされた周囲の空間が歪み、揺らいで見えた。その光景に、幼い頃に見たオーロラを思い出した。
不気味な青い光と共に、先ほどとは比較にならないほどの冷気が走る。一瞬で地面に霜が張り、草木が凍りついた。
「これは……魔法……!」
寒さに震えながら、プラーヤは呟いた。
怪獣の生態は謎に包まれている。その恐るべき力の理由も解明されていない。
各地に残る怪獣の爪痕は、巨大なだけの生物には到底不可能な破壊と殺戮を物語る。だが、それも怪獣の正体が強大な魔力を持つ魔法生物だとすれば説明がつく。
不意に胸の魔力結晶が熱を発し、身体に温かさが戻った。寒さから身を守る為の防衛機能が作動したのだと瞬時に理解した。
タロス都市同盟軍の軍学校で受けた基礎魔法学の講義を思い出す。
全ての魔法は地水火風の四大元素に結び付くと考えられている。自身が操る炎の魔法――『火』と反発し合う、この怪獣の魔法は『水』――。
地面が石のように凍りつく冷気は常人が耐えられるものではない。だが、極寒の中にあってナツキは微動だにせず怪獣を睨みつけていた。寒さなど全く感じていないかのように。
しびれを切らしたように、怪獣がナツキを見下ろし大きく口を開けた。その口から吐き出された息が凍てつく暴風となってナツキを襲った。
吹き荒れる暴風に凍った木々や岩が吹き飛ばされる中、黄金の光を纏ったナツキは怯むことなく怪獣に向かって走り出した。
「魔法が……通じてない……?」
プラーヤの脳裏をよぎったもの。それは、全ての魔法が通用しないという『魔法殺し』の噂だった――。