Ⅶ
ミンガムの驚いた目が、イサラの目を捕えた。
「彼はぼくに笑いかけると『ぼくはイサラだ。君の中から生まれた』と言った。ぼくは怖くなって、もう一人のイサラから逃げ出した。けど......ラシアを置いたままで逃げ出すことは出来なかった......ぼくは逃げるのをやめて、もう一人のイサラの所へ引き返した。
ラシアを見ると......ラシアはもう、ぼくの知っている妹のラシアではなかった。ラシアの目はうつろで......何も見てはいなかった。けど......ラシアは、時々ぼくの名前を呼んだ......イサラ......イサラ......と......」
ミンガムはもう黙って聞いていることが出来なかった。
「イサラ!それでラシアはどうなった?もう一人のイサラは、どうやって生まれたんだ?」ミンガムは早口でまくしたてた。
「それは......ぼくにも分からない」
ぼくはもう一人のイサラを観察しながら『お前は何故ここにいる』と訊いた。もう一人のイサラは、ラシアを守る為に、ここにいると答えた。
ラシアが......卵の宿主に選ばれたからだと、もう一人のイサラが言った。卵は......宿主の体内で繰り返し繰り返し、生まれてくると。
卵が宿主の体内でいっぱいになった時『ぼくが歌って卵を外へ放出させる』そうしないと......ラシアが死んでしまうと......それは君には出来ないから......ぼくがここにいると。もう一人のイサラは、ぼくにそう言った......そして──
イサラとラシアはぼくが眠っている間に姿を消した。
「ぼくはあの日からずっと......二人を......ラシアを捜し続けている............」
イサラは辛そうな顔をして、必死に喋り続けた。ミンガムは、そっとイサラの肩に触れた。
「イサラ......ぼく達の宿に行こう。君には食事と睡眠が必要だ」ミンガムが言った。
「うむ同感だな。今日は、我々の泊まっている宿で、ゆっくり休むといい」
いつの間にか、近づいて来たザイラスが言った。サルマンもすぐにやって来て「君はミンガムと一緒に、後ろに乗ってくれ」とイサラに言った。
ミンガム達が宿に着いて、イサラがシャワーと食事を済ませた頃には、偵察に出ていた四人の部下達も帰って来た。部下の一人が、イサラを頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと眺めた後、振り返って隊長を見た。
「隊長、この少年は?」
部下のトマスは、イサラをじっと見つめながら、隊長の言葉を待った。
「彼の名前はイサラだ。彼は今日から私の部下だ。我々がここにいる間だけの話だがな」
「この少年がですか?まだ子供ですよ」
トマスと部下達は、まだ幼さの残るイサラの顔を見つめた。
イサラは顔全体を、茶色い布で覆っていたので、見えたのは切れ長の大きな目と痩せた手足だけだった。
「彼を、部屋まで案内してやってくれ」
「はい隊長」
「今日はゆっくりと休むといい。明日はまた我々と一緒に、泉へ出かけよう」
ザイラスは口元に笑みを浮かべ、イサラを促した。イサラは何も言わなかったが、緑色の目だけがしっかりとザイラスを捕えていた。
「イサラ......我々の為にしっかり働いてくれ......」とザイラスが言った。
XXを絶滅させるには......それは君なしでは達成出来ない。
イサラは......ラシアを救い出す為に、もう一人の自分を追い続けるだろう......
イサラは......ラシアを救い出す為なら命をも投げ出すだろう............イサラ......それが君の運命だと......ザイラスは心の中でイサラに呟いた。
暫くして、ザイラスに呼ばれたミンガムが部屋の前にやって来た。
ミンガムが部屋のドアを叩くと、中から「入りたまえ」と声がした。
ミンガムは、部屋にイサラがいないことを知ると、がっかりした顔をした。
「イサラなら、隣の部屋で休んでいるぞ」
「そうでしたか......」
「ミンガム。イサラは君に心を許しているようだ。イサラのことは、君が面倒を見てやってくれ」
「......はい隊長」ミンガムはぼそりと言った。
「何か、不満かね?」
「いえ......別に」
「用件はそれだけだ......部屋に戻ってゆっくりと休みたまえ」
「はい隊長......」
「それと......」
「はい、何でしょう隊長」
「一つ、言っておきたいことがある」
「はい隊長」
「たとえ、どんなことが起きても決してイサラを殺すな」
「えっ......?」
イサラを殺すなとは、どういう意味だ?
「隊長それは......命令ですか?」
「そうだ。どんな状況であれ、イサラを絶対に殺すな。我々にとって......イサラは絶対だ。イサラ無しで、XXの絶滅はあり得ない......」
二人の間に、数秒の沈黙が訪れた。
「解ったな......ミンガム」
「はい隊長!」
ミンガムは静かにドアを閉め出て行った。
イサラを守れではなくて、どうして殺すななのだろう......。どうして、イサラを守れではなく、殺すななのだろうかと、ミンガムは心の中でその言葉を、幾度も繰り返した。
その日の夜。ミンガムは寝つけずにいた。
あれこれ考えを巡らせている内に、夜は更けていった。このまま朝を迎える様なことがあっては、砂漠の暑さで体力を奪われてしまい、任務をこなすことが出来ない。ミンガムは諦めにも似た気分で部屋の窓辺に立った。
イサラもまた、別な理由から寝つけずにいた。イサラの場合、この部屋で眠る気は始めからなかったので、夜が明ける前にこっそり部屋を抜け出して、泉へ向かうつもりだった。
イサラは洗ってあった自分の服に着替え両眼だけを残して、顔全体に茶色い布を巻き付けた後、服の上から同じ色をした布をはおった。
イサラの小さな体は、茶色い布の中にすっぽりと隠れた。
イサラは音を消しながら建物の外へ出た。
「イサラ......どこへ行くつもりだ」
イサラの背後で声がした。
「ミンガムなのか?」
「そうだ。君が部屋を出て行く姿が見えたので、様子を見に来た」
「......あんな所では眠れない......」
「泉へ向かうなら、ぼくもついて行く」
「砂漠の夜は危険だ......ぼくは逃げ出したりしないから......ミンガムは部屋に戻った方がいい......」
「そうもいかないよ。夜が明けるまではまだ時間があるし、ぼくの部屋でコーヒーでも飲まないか?」
「............」
「それから、二人で泉へ出かけよう」
「............」イサラが頷いた。
「良かった。さぁ部屋に戻ろう」
ミンガムはほっとした顔で言った。
ミンガムがコーヒーを淹れている間、イサラは窓辺に立ち、夜の闇に目をこらしていた。
闇の色が薄くなり始めると、窓辺に立ったイサラが「もうすぐ夜明けだ」と言って振り向いた。
「夜が明けるまでには、コーヒーを飲み終えるさ」ミンガムが笑顔で言った。
イサラがテーブルに着くと、ミンガムは袋の中からクッキーを取り出した。
「イサラ、朝食代わりに食べるといいよ」
「......いらない」
「クッキーが嫌いなの?」
「......」
イサラの鼻先に、ミンガムの淹れたコーヒーの香りが漂ってきて、イサラの頑なな心を優しく包み込んだ。
「もし良かったら、君と妹のラシアのことをぼくに話してくれないか」
「話すことはもう、何もない......」
ミンガムはイサラにコーヒーをすすめた後、自分も一口飲んだ。
「昔の人は、コーヒーのことを秘薬と呼んでいたそうだよ」ミンガムが言った。
イサラは目の前のコーヒーを一口飲むと「おいしい......」と言って、ミンガムに微笑んだ。
「温かいコーヒーは、凍えた人の心を溶かしてくれる〝魔法の飲み物〟なんだ......それは、今も昔も変わらない......」
イサラはもう一度、魔法の飲み物を口にした。
「ねぇ......ミンガム。君には、兄弟がいるの」
イサラは自分の話をする前に、ミンガムのことを訊いた。
「ぼくは、一人っ子だ。......母さんも......ぼくが小さい頃に亡くなった」
「父さんは?」イサラが言った。
ミンガムの脳裏に、一瞬ザイラス隊長の顔が浮かんだ。
「......父もいない」ミンガムは言った。
「ぼくもだ......ぼくもラシアも......父さんのことは何も覚えていないんだ......二人とも小さかったから」
父親の話をした瞬間、イサラの顔が曇った。そしてそのまま、小さなイサラの体は記憶の波に沈みこんでいった。しかしイサラは、すぐに波間から顔を出すと、ミンガムに頑なな笑顔を向けた。
『......イサラ』
ミンガムはイサラの笑顔を受け止めると直ぐに〝砂漠〟の話を始めた。
「何千年か、何億年か前のことだけど、この〝砂漠〟は〝海の底〟だったって話だよ。砂漠が昔は海だったなんて......とても信じがたい話だけど、今も、あちこちから海だった証が見つかってるんだ」
イサラはミンガムの話に目を輝かせて、思わず身を乗り出した。
「こういう話は好き?」
「うん、大好きだよ。ぼくもラシアも......砂漠に埋もれてる化石を見つけて、街へ売りに行ってたんだ。わずかなお金しかもらえなかったけど......ラシアの喜ぶ顔を見るのが嬉しかった......」
「学校へは通ってなかったの?」
「母さんは......ぼくを学校へ行かせたがってた......もっと知識を身につけるべきだって......母さんは街で暮らすことを望んでいたけどでもぼくは......ここが好きなんだ......」
「そうだね、ここは素晴らしい所だ......だけど、君達二人を、街へ行かそうとした母さんの気持ちも分かるよ......ここは君が言う様に素晴らしい所だけど......とても過酷な所でもあるからね......」
「ミンガム......」
ミンガムは椅子から立ち上がると、そろそろ泉へ出かけようと、イサラに言った。
イサラを乗せた車が走りだすと、暫くして一台の車が後を追って来た。
車に乗っていたのは、ザイラスとサルマンの二人だった。
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