Ⅱ
未知なる生命体が、アイダホの上空を黄色く染めた日から数日後のこと。
ザイラスとサルマンの二人は、調査の為アイダホにいた。
サルマンが電話のあった農夫の家のドアをたたいた。
「メアリ・バークマンさんのお宅ですか」メアリはドアを開けると嬉しそうな顔で、二人を出迎えた。
「わざわざ来て下さるなんて、あなたは優しい方なのね」
「ご主人の様子は?」ザイラスが尋ねた。
「マイアミから帰って来たら......あの人は別人になっていたの......それに、納屋でキャットが死んでいたの......私が留守の間に、きっと何か起きたのよ!」
「他に変わったことは?」サルマンが言った。
「電話で、もう何度もお話しした通りです」
「ご主人がどう変わったのか、我々にもう一度教えてもらえませんか」
サルマンはメアリ・バークマンの顔をひたと見つめた。
メアリは、二人に椅子に座る様にすすめると、お茶を入れる為キッチンへむかった。
「どう思いますか?わざわざ調査をするまでもないと思いますが」サルマンが言った。
「急ぐことはないよサルマン。せっかくだからお茶をいただこう」
「......」
サルマンは不満気な顔でザイラスを見た。
「この街の住人は......うつろな目をしていると思わないか?」ザイラスが言った。
サルマンは隣家の夫婦が見せたうつろな表情を思い浮かべて「はっ」と息をのんだ。
「この街の住人には、共通点がありますね」
「皆一様にして、うつろな目つきをしている......まるで魂を奪われた人間の様だ」
サルマンは黙って頷いた。
メアリが二人分のお茶をトレーに乗せてリビングに戻って来た。ザイラスは、すすめられたお茶を一口飲むと、メアリに微笑みかけた。
メアリは、ザイラスに顔を向けると、夫がどれ程変わったかを、詳しく話し始めた。
メアリの話を聞きながら、ザイラスが興味を持ったことが一つだけあった。
それは、メアリが目を輝かせながら生き生きした顔で話をしていることだった。それには、サルマンも気付いたらしく、ザルマンの顔をちらっと見てきた。
ザイラスは、農夫の妻と隣家の妻との違いは何かと考えを巡らせた。
「あなたは、あの日この家にはいなかった?」
「ええ。何度も話した様に、マイアミに住む妹の所へ行っていたのよ」
「帰って来たら、ご主人の様子がおかしいことに気付いた」サルマンが言った。
「ええ。おかしくなったのは、夫だけじゃないの。隣近所に住む人達全員が──子供達を除く大人全員が──おかしくなってしまったのよ」
驚いたザイラスとサルマンは、思わず顔を見合わせた。
「でも、隣の夫婦は──うつろな目つき以外普通だったし何も変わったことは無いと言ってましたよ」
サルマンが言った。
メアリは、呆れた顔で肩をすくめた。
「みんなそう言うのよね......何も変わったことはないって。でも......子供達は違うの。子供達は両親が変わってしまったことに気付いてる。でも......恐くて口に出せないのよ」
「恐い?自分の両親がですか?」
サルマンが首を傾げた。
「だが、子供達はあなたを恐がってはいない」ザイラスが言った。
「ええ。どうしてそれを?」
「あなたの目が、生き生きしているからですよ。だから、あなたのことは恐くない。あなたは何も変わっていないから。子供達は......両親のうつろな目に怯えている。そうですね?」
「ええ、ええそうです。分かっていただけたんですね」
メアリがすがる様な目で、ザイラスを見つめた。ザイラスは、椅子から立ち上がるとメアリに優しく微笑みかけた。
「もう一度、マイアミに住む妹さんを訪ねる予定はありますかな?」ザイラスが訊いた。
「えっ......?」
「なるべく早いうちに、明日中にも訪ねた方がよろしいかと」ザイラスは再び微笑みかけた。
「ここにいては危険なのですか?」
「あなたも、そう考えてるんじゃありませんか?」
「............」メアリは押し黙った。
大丈夫ですよ奥さん。我々に任せて下さいと言って、サルマンは番号を書いたメモをメアリに渡した。
「もしまた何か、気になることがあればここへ連絡してください」とサルマンは言った。
事の重大さに気付かされたメアリは、渡されたメモを手にして、顔を強張らせた。
最後に一つ、訊きたいことがと言って、ザイラスは玄関の前で立ち止まった。
「ところで、納屋で死んでいた猫の他に、ペットが亡くなったという話を聞かれたことは?」
メアリは、一瞬「びくっ」とした顔でザイラスを見たが、すぐに首を振った。
「そうですか......私なら、今すぐにもこの場所を離れる所ですが、あなたはそうもいかないのでしょうな......」
ザイラスは玄関のドアを開けながら帽子を手に取り、メアリに向かって「では奥さん......失礼します」と挨拶した。
ザイラスの後ろでドアが閉まり、またすぐに家のドアが開いて、家の中からメアリが二人を呼びとめた。
「待ってちょうだい......私だけが逃げ出すわけにはいかないの。子供達は......子供達はどうなるの......!?」
必死で訴えかけるメアリの目が、ザイラスを捕えた。
「子供達の身の安全は保証しますよ。私を信じて、早くここから離れて下さい」
メアリは「ほっ」とした顔になると「犬を埋める所を見たわ......」と一言言った。
「ありがとう奥さん」サルマンが言った。
ザイラスとサルマンの二人は、アイダホからニューヨークへ戻ると、ビルの三階にあるオフィスに入って行った。ドアを開けて最初に目につく場所に、ザイラスのデスクがあった。デスクの上には、パソコンが二台。デスクの後ろは一面ガラス張りの広い窓で、そこから見える景色は、空へと向かって伸びるビルばかりだった。
ザイラスはデスクの一番下の引き出しにしまっておいた箱の中から、葉巻を一本取り出した。葉巻に火を点けたザイラスは、ゆっくりした足取りで窓際に立っていたサルマンの横に並んだ。
サルマンはザイラスの手に握られた葉巻にちらっと目をやった。
「......葉巻を......また吸う様になったのですか」
「私は、葉巻を吸うのをやめた覚えは無いがね」とザルマンが答えた。
「......」
「きみはこんな話を聞いたことがあるかね?ある州で一夜にして起きた牛の大量死だ」
「ええ知っていますよ」サルマンが言った。
「死んだ牛の体内には、一滴の血も残されていなかった......まさにミステリーだ」
「それについては、色々な仮説が唱えられています」
「アイダホで起きた事件は、牛の大量死事件と同じだと思わないか」
ザイラスが葉巻をくゆらせながら言った。
「言ってる意味が......よく分かりません」
「未知なる生命体の存在を知ることと、謎の細菌に侵されるのとでは、どちらが市民を脅かすと思うかね、君は?」
「どちらも同じなのでは?」
「私もそう思うよ」
「UFOや宇宙人の存在は今さらですし......謎の細菌なら地区を限定すれば、市民の混乱は最小限抑えられるのではないでしょうか」
アイダホの空を黄色く染めた謎の光の正体が、未知なる生命体だと知られたら地球上の人間が混乱を引き起こすことになる。
そうならない為に(それを防ぐ為に)ザイラスとサルマンの二人は、この未知なる生命体の正体を隠すことにした。