試してみる
さて、この世界に来た日を一日目とすると、今日は三日目になるのだけど、今日は何をしようか。
お昼ご飯を食べてしまったら、今日はすっかりすることが無くなってしまった。
昨日は午前中に買い物をして、午後はこの世界の話をして濃い一日を過ごしたけど、今日は何かすることがあるだろうか。
ない、よなぁ・・・。
普段は仕事をしたり、休みの日には家の片付けや買い物をしたりしてたけど、こうやって三日間家で休むなんて、学生時代以来だよ・・・。何をして良いのか分からない。
「あの、今日って何か予定はあるのでしょうか。」
三人に聞いてみると、代表して向井さんが答えてくれた。
「今急いで何かしなければならないことはないですね・・・。」
「スマートフォンの使い方も、通販の仕方も、クレジットカードの使い方も、えりは大丈夫だもんね~・・・。あとは・・・何か伝えないといけないこと、って何かあったかな・・・。」
「まあ、異世界から来た女性は記憶が無い場合が多いから、本当に一から教える必要があるけど、えりは記憶がないわけじゃねぇからな。この世界の常識と、えりの世界の常識の違いを俺たちが知らない以上、何をえりに説明したら良いかわからねぇし。だからって、えりに記憶が無いとして一から何もかも教えられるのも、えりを疲れさせるだけだしなあ。」
うーん・・・。
疲れさせないように気を遣ってくれて、ありがたい。
でも、考え方を変えてみると、どこかでまた常識の違いや誤解を生まないために、一から何もかも教えてもらう方が、トラブルが起きなくて良いかもしれないな・・・。
「あの、一度、私に記憶がない前提で、いろいろ教えてもらうことは可能でしょうか。」
「「えっ・・・!」」
向井さんと武田さんが声をあげた。
え、何。何か変なこと言った?
「えりが望むなら、一から教えても良いが・・・。」
ちょっとだけ石川さんが戸惑ったように言葉を切って、しかし向井さんと武田さんをちらりと見てから、二人に確認を取るように、小さく頷いた。
「やめて欲しくなったら、いつでも言ってくれ。」
「は、はい。わかりました・・・。」
何、ちょっと興味本位で言ってみただけなんだけど、三人の様子が少し心配そうだよ。やっぱり変な要求だった?
少し後悔していると、「それじゃあ」と石川さんが立ち上がった。
え、何だ?さっそく何か教えてくれるのだろうか。
ちょっと不安になりながら、石川さんの動向を見守っていると、彼はなぜか私の前まで来てから、片膝をついた。
「えっ」
「えり、おやつの時間だ。」
石川さんは、私の戸惑った声を無視して、私を見上げてくる。整った顔にじっと近い距離で見つめられると、さすがにどきっとしてしまった。
私が視線をちょっとだけ外すと、彼はそのままの姿勢でクッキーを一枚取る。
「良いか、えり。これは、クッキーというお菓子なんだ。さくさくとしていて、甘い、だいたいは小腹が空いた時や、ご飯の後に食べるものだ。」
私の目の前にそれを持ってきて、つらつらと説明する。
私が何かを言う前に、彼はそのままそのクッキーを私の口元に持ってきた。
「口をあけて、えり。」
ひええええええええ・・・・!!?
こ、これって・・・あの、あーん、とかいうものではないの!?
元彼ともしたことないんだけど・・・!?
驚きのあまり思考が停止してしまった。
ただ、身体だけは幽かに逃げ道を探すように、目を武田さんと向井さんへ視線を向ける。
視界に映る二人は、両手で目を隠していた。
って、ちょっとだけ指の間が開いてるんだけど!そこから目がばっちり見えてますから!!
助かった、あの二人を視界に入れて心の中でツッコミを入れたおかげで、ちょっとだけ理性が戻った。
このまま口を開けて、石川さんに「NO」と言うんだ。
右手も動かして、彼の手を止めるんだ。
出来るだけ、笑顔で対応するんだぞ、「やっぱり一からの説明はやめておきます。ごめんなさい。ありがとうございました。」うん。これだ!
人は土壇場で本来の能力以上の力を発揮すると言うけど、その通りだと思う。
頭の中で一瞬でシュミレーションをして、視線を石川さんに戻して、いざ・・・!
「いしっぐ・・・ッ」
私の土壇場の回避能力より、石川さんの右手の動きの方が早かった。
「か」と発音する際の、口が開いた瞬間、彼の指が私の口内にクッキーを入れてしまった。
ついでに、彼の指の腹が、私の唇をぷにっと触れました。
「どうだ?おいしいか?」
口に物が入ったまま、返事をすることができない。特に今は目の前に整った顔があり、私の方から視線を外さないのだ。口の中を至近距離で見られるとか、口の中の元クッキーの咀嚼物を彼のご尊顔に飛ばすわけにはいかない。
そして左右の手も、緊張のあまり動かない。
口をさっさと動かして、早々に飲み下した。
「あの、これ・・・」
「これ?」
私が何を言おうとしているのか、想像できたのだろう。
石川さんは少しだけ困った顔で笑っている。
うん。
貴方が戸惑っていた理由が分かりました・・・。
「やっぱりさっきの話は無しの方向でお願いします・・・。」
結果、ニュースを見ていた時より、疲れました。
「石川が羨ましいです・・・。わ、私だって、えりのお世話を・・・。」
と言いますが、貴方さっき見ているだけでかなり恥ずかしそうだったじゃん。よくそれで「私も」とか言えるな・・・。悪いけど、私はもう体験したくないので、ご遠慮願います。
「俺だって、えりの世話したい・・・!」
やはり君もか。
石川さんはともかく、武田さんと向井さんって結構初心だと思ってたんだけど、こういうふれあいをしたがったり、よく分からない。
まさか・・・お世話をしたいっていう、その一点のために言ってるの?
そんなバカな。
さすがにそんな、わけが分からない理由じゃないだろう。
「えり、次の機会があれば、是非私に・・・!」
「い、いえ。今回のことで十分に理解出来たので、次を頼むことはもうないと思います・・・。」
こんな羞恥プレイ、勘弁してください。
「そ、そんな・・・。」
向井さんだけじゃなく、武田さんまでそう言って、しょんぼりした。
・・・うん。しょんぼりしているように見えるけど、違うってことにしておこう。
そんな態度を取られても、どうして良いか分からん。
「まぁ、さすがに俺も恥ずかしかったけどな。もう一回同じ事をするってなると、ちょっと照れるわ。」
「ええ?結構余裕がありそうでしたけど・・・。それに、記憶がない女性にはこういうことするんでしょ?」
「それはそうだが・・・。」
そこで一端言葉を切って、軽く頭を搔く。
「記憶がない女性と結婚したことがないからな。知識はみっちりたたき込まれて実習も十分したけど、実践するのは初めてだったし。」
あれで初心者だって!?
「とても慣れているように見えましたけど・・・。」
もし本当に、石川さんが初心者であのレベルの「あーん」をしたのなら、産まれてくる世界を間違ったとしか思えないわ。可能なら、今すぐにでも私のいた世界に行くべきである。
「仮にも記憶がない女性に対してする行いだからな。照れていたら、教えられることにも限度がある。ま、実際記憶がない女性を目の前にして一から教えていったら、羞恥心よりも、義務感の方が強くなるらしいけど。」
義務感・・・。
記憶がないわけだから、正しい知識を教えないと、って思いが強くなるってことかな。
確かに、実際目の前に記憶が無いパートナーがいたら、「なんとかしないと」って思っちゃうかもしれない。
「でも、二人みたいに恥じらいが強いと、なかなか難しいかもな。」
石川さんがちらり、と向井さんと武田さんに視線を向けると、二人は少しだけしょんぼりしていた。
うん。確かに、この二人はやっぱり初心だもんなぁ・・・。




