眩き恋の交差橋
長い事、出版卸の事務をしてきた。年数はハッキリと覚えていない。この仕事に懸ける想いは社員の中でも強かったと自負できる。けど、疲れた。出版社のように原稿を書くでもなく、校正をするでもなく、すでに書として刷られた姿を毎日のように扱うだけだ。
事務と言っても、黙って机のPC画面と睨んでいるわけじゃ無い。人の少ない零細企業。企業というよりかは、個人の老舗の会社だ。事務だけど、営業もするし作業もする。バイトたちの手も借りながら、大事な書を扱う。
「風野さーん、コレってどこの棚でしたっけ?」
「それ、3階の階段のとこ」
「はーい、了解です」
ウチの会社は老舗ならではとも言うべき作り。周りのビル群に囲まれた中の一角に、昔から佇んでいる5階建てのビルだ。出版社の大元は、まさに目の前にそびえ立っている。そこだけの書を扱っているわけじゃ無いけど、ほとんどを扱っていた。
「風野さん、社長って講宝社辞めて、会社立ち上げたんですよね?」
「そう聞いてるよ。それがどうかしたの?」
「いえ、社長には文句言えませんけど、そこにいた定年退職者まで連れて来るのはどうなのかな、と」
「あー。自慢話のこと? 言わせとけばいいよ。それが楽しみなんだと思うし」
かつては大元の出版社で編集長やら、管理長やらと、長がつく人たちがこぞって移って来た。そこでの仕事は出来なくなっても、参考書などの書物を運んだり縛ったりするだけなら出来るというわけだ。
バイトの子たちには、相当な自慢と高圧な態度で接していると聞いている。本当に偉い人はそんなことをしないものだけど、そこそこ偉かった彼らは、現場で仕事をする場所で偉そうに振る舞いたいのだろう。
上からは愚痴を聞かされ、バイトの子たちからは苦情を言われる毎日。これの繰り返しだった。小さな会社の中にあって、好きな人がいるかと言えばいるわけもなく、それどころじゃない日々を過ごしていた。
刷られたばかりの書物を書店に運ぶかと思えば、大量に返品されてきた在庫の山も管理しなければならない日々。仕事って何だろう。そう思うようになった。
「風野さんって、独身っすか?」
29歳独身の俺。大卒からそのままこの仕事をしてる。恋人もいないし、好きな人もいない。いや、下手をすると、恋をしていないんじゃないのか。
「そうだけど?」
「しないんすか?」
「いればしたいけどね。まぁ、その前に恋をしたいってか、しないと始まらないでしょ」
「ですよねー。頑張ってくださいね!」
何だろうなこの喪失感。学生のバイトの子に慰められてる俺って何? そんなことを思いながら終電近くまで残業していた。強制じゃないけど、残業。そうすると、休みの日以外の帰り道と朝の通勤時の通り道は、時間がほぼ同じになってくる。
だから出会わない。好きも何も、恋ですらも出会わない。これって俺だけじゃないはず。せめてもの抵抗に、違う道を通ってコンビニなんかにも寄り道して、いつもの光景から逃れようという努力はしている。
俺の家と、会社に行くまでの道には色んなルートが存在している。中でも遠回りとなるルートは、交差橋だ。要は、私鉄の地上橋と民鉄の橋が交差してるというだけの場所だ。
普段はここを通らない。何故なら遠くなるから。それに何気に人通りが激しい。それもあってか、何年も歩いて来ているのに、ここは滅多に通ることが無かった。
それが本当にたまたま、気分を変えての翌日に通っただけのことだった。朝の日射しを、ビル群の隙間から浴び続けながら目を細めていた時だった。
とにかく朝の光は残業明けには辛いものでしかなかった。でも、朝の光だけじゃなかった。向こう側から歩いて来た女性もどういうわけか光ってた。あの光は何だったのか。首の下辺りから光ってたから、恐らくはネックレスの類だとは思う。
そして驚いたのは光だけじゃなかった。思わず眩しすぎて、体を大きく仰け反るといったリアクション芸人並の動きを披露してしまった俺に、彼女はクスっと笑っていたのだ。
「うぉっ!?」
今考えると朝から痛い男だ。そんな眩しいわけがないだろう。きっと朝陽と、女性が身に着けていた何かの宝石が重なって輝きを増していたに違いないんだ。
とてもじゃないけど、会社の奴にこんなことを言えやしない。そして、遠いと分かっていても、いつもより早く家を出て、交差橋を通るようになった。そこを通るとは限らないのに、何か期待したかのように。
毎朝のようにそこを通るようになった。その度に、朝陽に重なって薄紅色の光が俺の視界を遮っていた。さすがに見知らぬ通りすがりの彼女に聞くわけには行かない。でも、あの光は俺を魅了し続けているのは確かだ。
「風野さん、最近早いっすね! さすが社員。気合いが違う」
「いや、関係ないだろう。ちょっと聞きたいんだけどさ、誰か薄紅色の光に詳しいバイトさん、いない?」
「はぁ? あー、そうっすね。棚掃除してる女子を呼んできますよ」
その光は何なのかなんて、知った所でどうなるわけでもない。それでも、気になった。
「薄紅色の光ですか? それって、どこから光ってるんです?」
「えと、首の下。だからネックレスか何かだと思う」
「それ、宝石ですね。ローズクォーツってやつです。ピンク色のやつですよ。希少ですけど、着けてる人いるんですね」
「宝石……ついでに聞くけど、この近くに宝石店とかってあったっけ?」
手がかりは得た。でも、それだけではそこにたどり着けない。交差橋ですれ違うだけの関係じゃ、恋にはならないんだ。
「あそこじゃないですか? ほら、交差橋過ぎた辺りにありますよ。目立たないけど」
そういえばそんな小さな店があったような気がした。自分の会社も小さいけど、あの宝石店も決して大きくは無かった。
「そっか、ありがとうね」
「あ、いえ~」
もしかしたらそこにいて、お高い宝石を売っている女性なのかもしれない。宝石なんか買えないし、男が1人で入る様な店じゃないかもしれない。けど、彼女のことが気になった。
単に眩しいだけで気になったわけじゃない。リアクションをした見知らぬ男に、クスっと笑ってくれた。ただそれだけの想いなんだ。
俺は彼女をストーカーするつもりはない。だから、堂々とお店に入って宝石を眺めに行くことにした。そこにいるかどうかも確かめるために。
色んな意味でドキドキしながら宝石店に入った。とてもじゃないけど、ガラスケースの中を見るような男では無いと認めている。俺の動きを怪しく思ったのか、店員らしき人から声がかかった。
「何か、お探しでございますか?」
「あ、あの……こちらに、ローズクォーツは?」
「申し訳ございません。取り扱っておりません。なにぶん、希少な物ですので……ですが、所属のデザイナーが身に着けておりますので、彼女のモノでよろしければ拝見なさいますか?」
「お、お願いします!」
「かしこまりました。奥におりますので、お呼びいたします」
ひー……まさかの大当たり。な、何を話せばいいんだ。いや、勘違いするな。宝石を眺めに来ただけだ。話が出来ると思うな。
「お待たせいたしました。お客様、わたくしはジュエリーデザイナーをしております、氷上珠美と申します。こちらのローズクォーツですが……」
「ひ、氷上様ですね。ま、眩しいですね」
おいおい何言っちゃってんの俺。絶対通報される。
「あっ、もしかして朝の芸人さんですか?」
「え? ち、ちちち……違います! 俺、あ、いえ、私は普通に会社員なんです。すみません、勘違いさせて……」
「そうなんですね。そんなに眩しかったのですか?」
「はい、それはもう。氷上様のおつけしているそのローズクォーツと朝陽が……あっ」
「ふふっ! ありがとうございます」
ああ、この似つかわしくないお店に来た俺なんかのために、目の前の彼女……氷上さんは、無邪気な子供らしい表情を、顔一面に溢れさせてくれている。そんなのを見せられたら、思わず好きになってしまいそうになる。
「あのあの、すみません。俺にはじゃなくて、私には手が出せない代物です。でも、その眩しくも魅力ある宝石に出会えてすごく嬉しいです。お見せいただきまして本当に、ありがとうございます! で、では、失礼致します!」
「いいえ、こちらこそ。あ、お客様のお名前……」
「あ、わたくしこういう者でして……で、では、これで」
カタカタと手を震わせながら、まるでジャンルの違う職種の名刺を渡すとか、俺、大丈夫ですか。でも、せめてもの思い出は出来た。そして出会えた。
きっかけはリアクションだったけど、そしてこんな機会は無いかもしれないけど、俺は久しぶりに恋をした。あの眩しくて魅力ある宝石と彼女の様に、俺ももっと輝きを増していこう。その恋を掴むために。