転生者アリサ
アリサの独白は続いた……
―私は精霊だけどアリストの望みに縛られた存在。でも、あのふたりとの暮らしはそのことを一時、忘れさせてくれた。兄はレイ、出会った時は5歳、妹はリン、出会った時は4歳だった。ハ・コネが暴れ出すより前、流行り病で二人の両親は相次いでなくなったそうよ。
レイはスリの元締めに飼われていたそうよ。そして、人間に擬態したばかりの私のふところをレイが掏り取ろうとしたの。でも、そこには金目の物などあるはずはない。当然よ、私が魔力で作り出したものだもの。私は彼を取り押さえた。アリストは騎士隊長で、私はその記憶を受け継いでいる。だからアリストに出来ることは私にも出来た。暴れるレイをなだめて、事情を聞き出した。あの子、最初は渋っていたけど、ポツポツと話し始めた。その境遇はさっき言った通り。
私はアリストの望みを叶えるための存在。だけど、レイを見捨てることが出来なかった。アリストの望んだこと、民心を安寧に導くこと、そのことと彼を見捨てられないことにはきっと関係があるに違いないとそう考えた。スリの元締めのところに出向いてレイを引き取りたいと申し出た。元締めは法外な条件を提示してきたわ、足元を見たのかしら? 私は怒りが抑えきれず、つい力を行使してしまった。元締めを『娘』にしてしまったの。召喚したウンディーネを元締めの身体と同化させてしまった。言うなれば生身の肉体を持つウンディーネにしてしまった。もちろんそれ1回だけよ、そんな真似をしたのは。『娘』になった元締めはとても従順になったわ。私は彼に命じて孤児院を開設させた。今ではこの町の主要な施設のひとつになっていると聞いてるわ。
元締めのその後? 人間の姿のままだし、自分がウンディーネと同化していることも本人は知らないわ。でも、私の言うことには素直に従うわ、本人にはなぜ自分がそうしてしまうのか理解できないみたいだけど。
話を戻すわね。レイとリンを引き取ったけど、二人は私に心を開こうとしなかったわ。私もどうしていいかわからなかったわ。子育ての経験があるわけではないしね。そんな時カリーシャが私の元を訪れたわね―そう言ってアリサはカリィのほうを見た。
「私はその後が気になってな。隊長を探しに出向いたのだ。私には特能があったからな、もしも隊長が人間の女性に擬態していてもそれが作られたものであることはすぐわかる。そうして見たのは幼いこども二人を連れた女性だった。一目見てその女性が隊長だと私は確信した。そこで声を掛けたのだ。隊長はもとより、なぜか子どもたちにも懐かれた」
「……こども達は良くわからないなりに違和感を感じていたのかも知れないわ。私が人間に擬態したセイレーンであることに」
「隊長に泣きつかれたのだ、子育てについてな。もちろん私だって経験はないぞ? だが、懸命な隊長の姿に心を打たれてな。自分なりにアドバイスしたり、手助けもしたのだ」
「ホント、カリーシャには感謝しても、し切れないわね。あなたの助けがあったから、きっとここまで来れた」
「いや、隊長も相当頑張ったと思う。タクト、さっき隊長が言った言葉を覚えているか? 食事も睡眠も不要な身体と言ったのを」
「ああ」俺はそう答えた。
「食事をする必要がないのだ。ゆえに」
「……私は味を感じることが出来ないのです。でも……子どもたちのために温かい料理を作ってあげたくなった。そのためにアリストの記憶を元に甘味や酸味、辛味や苦味を感じる物質を選び出して、いろいろ舌に乗せてみたの。もちろん味を知覚は出来ないけど、アリストの記憶を元に甘さを感じる術式を組んで舌に施した。同様に酸味や苦味、渋味、それに旨味もね。そうしたら……食材や料理の味を感じることができるようになった。料理についてはカリーシャの助けも借りて、一通りはこなせるようになったわ」
「今では、一流シェフ顔負けの料理も作れるぞ! それこそレストランを出店できるほどだと思うぞ」カリィが太鼓判を押す。
「カリーシャ、それは褒めすぎだと思うわ」そう言いながら満更でもなさそうなアリサさん。
「子供たちのために温かい料理を作ることが出来るようになった。でも、子どもたちといっしょに食卓も囲みたくなった。なので、本来、食事は不要なのだけど、子供たちと過ごしているあいだは食事をともにするようになったの。そうしたら子供たち、『アリサママって呼んでいい?』って言ってくれて」アリサさんは喜びに満ち溢れた笑顔を浮かべた。
「でも、ここ最近考えるの。私はアリストの望みを叶えるために生み出された存在なのに……子供たちと親子ごっこをしていていいのかって。あの子たちはかわいいわ。でも、それはアリストの望んでいることとは違う気もするの」アリサさんは物憂げな表情を浮かべた。
「自問自答を繰り返しても答えが出ないの……私はどうすべきなのかしらね……」
アリサの長い告白を聞き終わって……俺は思った。彼女は消滅したアリストの言葉に縛られている。まるで「呪い」のように。……だが、それはホントにアリストの望んだことなのか? アリストはそんな傲慢な人間だったのか? そうは思えない。だから俺は
「……アリサさん。俺は思うんだ。あなたも、俺やリーチと同じだ。言うなら転生者だ」
「……そうでしょうか?」彼女は不思議そうな顔をして言った。
「俺もリーチも死ぬ前の記憶や心を持ったまま、この世界に転生してきた。あなたも、アリストさんの記憶と心を持ったまま、セイレーンに転生した。そのように考えてもいいんじゃないか?」
「……」アリサさんは押し黙ったままだ。
「消滅する前のアリストさんがどんなひとだったのか、俺は知らない。ただカリーシャやあなたの話を聞く限り、素晴らしい人格の持ち主に思えた。……まあアーガスのおっさんに愛情を抱いていた部分だけは理解できねえし、共感もできねえけど」
「……」アリサさんは黙ったまま、俺の言葉を聞いている。
「そんな人間が、あなたを縛るために、まるで呪詛のような望みを押し付けたなんて俺には信じられない。俺やリーチもそうだけど、転生前にもいろいろ夢とかあったけど、転生後に転生前の自分に縛られたりしていない。仮にそうだとしても、それは今ここにいる自分がそうしたいから、そうしているんだ。過去の自分は関係ない、今の自分が全てなんだよ」
「……」アリサさんはまだ黙ったままだったが、いくぶん表情が和らいでいた。
「だから、あなたも過去の自分、アリストさんの望みに縛られる必要はないんだ。と言うよりか、自分がやりたいと思うことをやればいい。過去の自分に対して責任を果たす必要なんて全くないんだ。あなたは自由なんだ」
「……わ、私……自由に? ホントに?」アリサさんはまだ信じられないようだ。俺はカリィに目配せした。カリィが俺の言葉を引き継ぐ。
「アリサ、私もそう思う。あなたはもうアリスト隊長ではないんだ。転生して……セイレーンの身体になった。リーチ姫も元は人間の少年だったと聞く。だが転生してサキュバスの身体になった。必ずしも人間が人間に転生するとは限らないのだから、人間以外の存在になったことに特別な意味を抱く必要はない……そう私も思う」
「……そう……そうなのね」アリサは目を瞑り、そして言った「さよなら……アリスト」そして感極まったのか両の目から涙を流した。とても美しい涙に見えた。
「ありがとう、タクトさん。カリーシャも」アリサはとても晴れ晴れとした表情をしていた。吹っ切れたのだろうな、きっと。
「アリサ、あなたは……精霊界へ帰ってしまうのか?」カリーシャが尋ねると
「なぜ?」アリサが不思議そうに尋ねる。
「いや、アリスト隊長の呪縛から解放されたのだろう? それなら」
「いつかは帰るかも知れない。でもやり残してることがいろいろあるし、やりたいこともたくさんあるの。でも、まずはレイとリンの成長を見守りたい、ふたりが大人になるまで、いえふたりが私を必要としなくなるまではふたりのそばにいる、いたいの! わがままかしらね?」
「いや、そんなことはないぜ。わがままで結構。あんたの人格はあんたのものだ。この際、養子縁組してふたりのホントの母親になっちまえばいい!」
「でも、私はセイレーンよ? この身体は人間に擬態してるだけ。当然、戸籍なんてないわよ?」
「ホールラインに来ればいいさ。あそこなら人外の存在でも戸籍が作れる。なんたって、国の象徴たる姫がサキュバスなんだぜ?」
「そっか……そうね。その時は相談させてください」
「アリサ、その時は私も力になろう。頼ってほしい」
「わかったわ、ありがとう、カリ-シャ。ふたりとも、今後ともよろしくお願いします」アリサさんは優雅に一礼した。それは最初に出会ったときの、あのエレベーターのハコの中での一礼―どこか演技のように見えた―と違い、とても人間らしく感じた。