水の女王アリサ
タクト視点です
リーチもそろそろ風呂に行きたいだろうと思い、客室に戻ろうとカリィと連れ立って歩いていると
「あら? カリーシャとタクトさん」アリサさんに声をかけられた。
「ラウンジのほうから来るなんて……ふたりともやはりおつきあいなさってたのね」おだやかに微笑みながら言われた。素晴らしい洞察力だ! 前半だけだが。先ほどの制服姿と違い、今はメイド衣装を身に着けていた。
「ち、違います、隊長。タクトが一杯つきあえと言うので、仕方なくつきあってやったのです」
「何を言いやがる? 逆だろうが!」
「ホント、仲がいいのね。私もアーガスとそんな仲になりたかったわ」微笑を浮かべながらそう話すアリサさん。だが、俺は知ってしまった、彼女が「男」であったことを。
「……ねえ、カリーシャ? タクトさんに私のこと……話したのかしら……」アリサさんは微笑みつつおだやかに話しているのだが、身に纏う雰囲気があきらかに変わった。剣呑なものに。周囲の気温が急降下するのを肌で感じる。コイツはやべぇ!
「隊長!! いえ、アリサ! タクトは信頼に足る人物です! 私が保証しますので信じてください!!」カリィが慌てて言葉を紡ぐ。
カリィの言葉に剣呑な雰囲気は一瞬で消え去った。
「驚いたわ。カリーシャ、あなたがそこまで信頼を寄せる男性が現れるなんて」そして俺のほうへ向き直り
「あらためまして、セイレーン、いえ水の女王のアリサですわ」と妖艶に微笑んだ。
俺は民話の「雪女」をなぜか思い出していた。
「アリサ、どこか3人で内密に話せる場所はないですか?」カリィが問うと「私の私室に行きましょ。すぐだから」アリサは俺たちを先導して歩き出した。
アリサの私室はおよそ殺風景で、家具すらろくになかった。ベッドはあったが、使われた様子が全くなかった。
「何もないでしょ? 私は食事も睡眠も不要なの。この身体は生きてさえいないから」アリサはどこか悲しげにそう言いながら、俺たちふたりに椅子代わりにベッドに腰掛けるように勧めたので、俺たちはそこへ座った。
「タクト、おまえのことを話すぞ! いいな?」
「いいぜ」
アリサは驚愕の表情を浮かべていた。「転生者……? しかも天界人?? 信じられないわ」
「アリサ、あなたの存在も普通は考えられないのではないか?」カリィは敬語を使うのをやめていた。もともとアリサとふたりっきりの時は敬語を使わずに話していたそうだ。
「そうね……私自身イレギュラーな存在だわね。わかった、私も信じるわ。あなたが天界人だと言うことを」
「それだけじゃない、実はリーチも転生者なんです。しかも、転生前は男でした」俺がそう言うと
「あらま」彼女はそう言ってポカーンとした表情を浮かべたまま数秒固まってしまった……まあ、普通はそうなるな。
「こんなに驚かされたのは生まれて初めてよ。精霊として存在して数千年、でも心を持ってからだとわずか2年よね……」
「アリサさんとアリストさんはどういう関係になるんですか?」俺は訊いてみた。
「私は、アリストの……記憶も……知識も……心も……感情も受け継いでいるけど、アリスト自身ではないわ。そうね……アリストが自分の望みを叶えるために生み出した存在、だから、アリストの分身のようなものかしら」
「アリスト隊長の望みとは?」カリィが尋ねた。
「そうね、カリーシャにも話してなかったわね。途方もない望みよ?」そう言って彼女は微笑んだ。
―あの日、ハ・コネを鎮めるには力が足りなかった。アリストのレベルではセイレーンを呼び出すことは出来なかったの。そうこうしているうちに騎士長が重傷を負った。
『アリスト! 私を置いて逃げろ! このままでは共倒れになる!』騎士長は気丈にも、そう振る舞ったけど、私には愛する彼を見捨てて逃げると言う選択肢はなかった。
彼を助けるためには、ハ・コネを何としてでも鎮めなければならなかった。例え、わが身を犠牲にしても。水の精霊使いとしてそれなりにキャリアを重ねていた私は知っていたの。わが身を生贄に捧げることでセイレーンを呼び出すと言う禁忌の術の存在を。ただ……生贄としてわが身を差し出すと言うことは、存在の全て、魂までも消滅し、転生すら出来なくなると言うこと。
決意が鈍らぬよう……騎士長に告げたわ『道ならぬ恋であることは承知しています。ですが、あなたをずっとお慕いしていました』『アリスト……おまえは』『同性と知りつつもあなたと添い遂げたいとの気持ちをずっと抱えていました。騎士長、あなたを愛しておりました!』騎士長の返答を待つことなく、私はウンディーネを呼び出して、わが身を生贄として差し出した。
そして、アリストは消滅し……代わりに私、アリストの分身であるセイレーンが生まれた。アリストの望みは私の望み。私はハ・コネと対峙して……暴走状態を解除させた。ハ・コネは精霊界に帰って行ったわ。
『アリスト……アリストは……どうしたのだ?』アーガスが声を振り絞ってそう言った。アリストが望んでいたのは、アーガスに生き抜いて天寿を全うしてもらうこと。アリストの望みは私の望み……。私はアーガスに言ったわ。『アリストはもういない。私がアリストの全てを奪った』と。
アーガスは鬼のような形相を浮かべて『魔物め……ゆ、許さんぞ……アリストの……かたきだ。いつか……必ず……かたきを討つ」そう言ってアーガスは気を失った。これで……少なくともアーガスは生きる気力を失わないでくれる。私はそう安堵しつつ……それでも心は張り裂けそうだったわ。私は……精霊でありながら人間の心を持ってしまった。愛するひとに真実を告げられず、さらには憎むべき仇敵として現世に存在し続けねばならないの。
そのあと……駆けつけてきたカリーシャにアーガスを任せて……私はその場を離れた。アリストの望みを叶えるために。アリストのもうひとつの望みはね、ハ・コネにより荒廃したこの地を復興させて民心を安寧に導くこと。途方もない望みよね。それでも……アリストの望みは私の望みだった。
でも、もちろんそんな簡単な話ではないわ。精霊である私は現世に実体がないの。なので、現世に存在する「水」に力を与えることで実体を持つことが出来るのだけど、これはとても効率が悪いの。実際、私はすぐに人間の姿を保てなくなった。アリストから奪った知識により、精霊を人間に擬態させる魔法が存在することはわかったわ。でもその魔法自体はアリストの知識にも記憶にもなかった。
魔物化したはぐれセイレーンであれば、高位の魔法使いとかを襲って、片っ端から記憶や知識を奪うことで魔法を身につけるらしいけど、私にはそんな真似は出来なかった。なぜなら民心の安寧が私の望みだからよ。そこで思い出したのはこの地にある図書館の存在。禁書庫に入り込むことが出来れば、その魔法が見つかるかも知れない。そう考えた私は図書館内に設置された水槽の水に力を与えて……液体のまま禁書庫に入り込んだ。液体であればどんな隙間にでも入り込めるわ。そうしてそこに在った魔導書を片っ端から『水』の中に取り込み、そのまま分解して消化吸収したの。その中にもちろん目当ての魔法はあった。
その魔法を使えるようになったことで、ようやく私は実体を得ることができた。そうして人間の姿に擬態したの。擬態すると言っても、最初はやはり大変だったわ。人間の肌の質感を再現しなければならないし、瞳や歯、爪、それに髪も精巧に再現する必要があったから。それに生体に擬態するとなると、呼吸や心臓の鼓動、体温もないと怪しまれるわ。そうして術式を練り上げた。術式さえ作ってしまえば、次からはそれを唱えるだけで、人間になれるようになったわ。……正確に言えば生きた人間を模した実体だけどね。さらにそれを応用することで服も自由に生み出すことが可能になった。今、着ているコレもそうよ、魔力で『水』に力を与えて作り出したもの。質感は服そのもので、衣擦れや皺も再現している。
そうね、私は精霊だから、本来は魔力を使うことは出来ないの。ただ取り込んだ魔導書の影響かしらね、魔力も持つことが可能になった。特に人間に擬態している時は、強力な魔法も使えるようになったわ。
人間の姿を得た私だけど、アリストの望みは途方もない望み。精霊王たる私に出来るのは水精を召喚して使役することぐらい。魔法も使えるとは言ってもね、望みを叶えるためにははっきり言って役に立たないわ。私は途方にくれていた。
そんな時にあの子たちに出会ったの、両親を失った幼い兄妹に。最初はね、同情心とでも言うのかしら、あの子たちが最低限暮らしていける環境を整えてあげることだけを考えていたの。
だけどね……―彼女はそう言って一旦言葉を切った。
長くなりそうなので一旦切ります