わたしがお母様の母親で、お母様がわたしの娘
4/17) 誤字や表現の誤りを含め、一部修正しました
わたしは大浴場へと歩きながら、さっきアリサお母様と交わした会話を反芻していた。
『ヴィオレッタ、ごめんなさい。少しの間アリスとふたりだけにしてくれないかしら?』アリサお母様がヴィオレッタに話しかけた。
『わかりました、母娘水入らずで過ごしてください。あたしは外で待ってま~す』ヴィオレッタはそう言って部屋の外へ出て行った。
『聞き分けのいい子ね』お母様はヴィオレッタを褒めた。
『そうかしら。結構好き勝手に振る舞ってるわ、あの子』わたしは正直な感想を洩らした。
『ねえ、アリス。あなたが身に着けている服だけど、普通の服じゃないみたいね?』
『はい。アクア、いえカリーシャに教えられたんです。召喚した水精を身に纏まとわせて服にする方法を』
『アリス、どっちかの娘に命じてヒト型を取らせてくれる?』
『わかりました、お母様』
わたしは上半身に纏わり付いている娘にヒト型に戻るように命じた。娘は布状だった身体から不定形のスライム状に変化して、わたしの上半身から剥がれ落ちるように流れ落ちて、足元に溜まったのち、不定形の身体が伸び上がり一瞬でヒト型へと変わる。お母様は娘に近づいて一瞥したのち
『この娘、姿は水精だけど、本質はアクアヴァルキリーだわ。アリス、あなたはいったい何者なの?』と困惑の表情を浮かべた。
『……?』そのように言われてもわたしも返事に困ってしまった。だってお母様によって、タクトの身体にアクアヴァルキリーを憑依合体された結果、生まれたのがわたしだもの。
『精霊界においては、精霊騎士を召喚して使役できるのは精霊王しかいないハズなの。なのにあなたは精霊王と同じことが出来るの?』
『そんなこと言われてもわたしには良くわからないわ、お母様』
『アリス、もうひとり、娘を召喚してみてくれる?』
『はい、お母様』わたしは言われた通り、特能を発動させた。
『水精召喚』。ただちに水精が召喚された。まるで空間の隙間から染み出すように絶世の美女の姿をした水精が姿を現した。わたしが召喚した水精を見たお母様は
『やはり、この娘も本質はアクアヴァルキリーだわ……アリス、あなたはやっぱり特異な存在だわ。素が天界人のせいなのかしら。あ、もう元通り服に戻ってもらっていいわよ』わたしは服になっていたほうの娘に命じた。
『われの上半身に纏わり裸身を覆え』。するとヒト型になっていた娘は不定形のスライム状になったあと、わたしの足先から這い上がるようにして上半身を覆ったのち、先ほどのように布状に変化してわたしの服となった。
その時、後から召喚したほうの娘がアリサお母様に近づきいきなり抱きついた。
『何かしら?』アリサお母様が怪訝な表情を浮かべた。次の瞬間、娘はアリサお母様の身体に溶け込むように消えた。
『うっ!? あああ……!!』アリサお母様が悲鳴、いや違う、嬌声を上げつつ身悶える。すると、お母様の背中から6対の純白の翼が生えた。翼が生え揃った、次の瞬間、お母様はわたしに飛び掛かるように抱きつくとこう言った、『アリスお母様、お慕いしています!!』と。
わたしは困惑していた。ど、どういうこと?? なんでアリサお母様に翼が生えたの?? なんでわたしのことをお母様って呼ぶの?? なんで?? なんで?? アリサお母様はわたしに抱きついたまま言った。
『ご、ごめんなさい、アリスお母様。あなたを母として慕いたいという衝動が抑えきれないの。しばらくこのままでいさせて』わたしは困惑してはいたが、アリサお母様の気が済むまでしたいようにさせていた。と言っても1分ほどでようやくアリサお母様はわたしの身体から離れた。
『ごめんなさいね、アリスお母様』
『お母様、わたしに対してお母様はやめてほしいわ』
『ホント、ごめんなさい。でもお母様が召喚した娘が私に憑依合体してしまったの。そのせいで私はセイレーンから飛天魔であるラクシュミールに変身してしまったのよ』
『な、なんですって? でもわたし、娘にそんなことは命じてないわよ?』
『ええ、お母様のせいではないわ。お母様がもうひとりの娘に服になるよう命じた際、私に憑依合体したほうの娘への強制力が弱まったんだと思うわ。お母様が召喚した娘は本質はアクアヴァルキリーだからここに居合わせた私に憑依しようとした。私はセイレーンだからアクアヴァルキリーに対して強制力を働かせて阻止することも出来たのだけど、受け入れたらどうなるのか興味があったので、受け入れてしまったのよ。そのせいで私はお母様の娘になってしまったの』
アリサお母様は事も無げに言うけど、わたしは頭を抱えたくなった。アリサお母様がわたしの母なのに娘で、わたしがアリサお母様の娘だけど母なの?? もう訳がわかんないわ!!
『いったい、何でこんなややこしいことに!?』
『落ち着いて、お母様。私はお母様を母として慕いたい衝動がまだ抑えきれてない。だからお母様が私の身体から、憑依合体しているアクアヴァルキリーを精霊界に帰還させようとしても抵抗してしまうわ。だからしばらくこのままでいさせて! お願い!!』アリサお母様の真剣な眼差しにわたしは気圧され
『……わかったわ。でもお母様にお母様って呼ばれるのってなんだかとっても違和感があるわ』わたしは苦笑いを浮かべた。すると
『そうね、私もよ』アリサお母様も微笑んだ。アリサお母様は完璧にわたしとうりふたつの姿になっていた。知らないひとが見れば一卵性の双生児のように見えるだろう。種族も飛天魔のラクシュミールでLvは45だと言う。特能はわたしと同じ、水精召喚、水精憑依、高速飛行、焦熱地獄が使えるという。
『アリサお母様のステータスを聞いたら、きっとヴィオレッタは羨ましがりそうね』わたしがそう言うと
『そうだわ、アリスお母様。さっきヴィオレッタお姉さまに発現した特能の効果をみるために男の姿に戻ったと言ってたわね?』
『お母様? ヴィオレッタお姉さまって?』
『お姉さまは私の前にお母様の娘になったでしょ? だからヴィオレッタお姉さまのことを、お姉さまと呼びたくてしょうがないの。我慢できないほどの衝動に駆られるのよ』アリサお母様は苦笑いを浮かべた。
『う~ん……わかったわ。それなら仕方がないわね』
『それで、男の姿になった時、お姉さまはお母様に迫ったりしなかった?』アリサお母様の言葉にわたしは息を呑んだ。
『どうしてわかったの? お母様』
『お姉さまは親への愛情に飢えているように見えたから』
『親への愛情ってわたしに対する?』
『ううん、違うわ。ヴィオレッタお姉さまの素であるスミレナさん自身が心の奥底に封印していた、あるいは封印せざるを得なかった感情よ。もしかするとお姉さま自身忘れてるかもしれないけど』
『……』わたしはもちろんだけど、男のわたしもスミレナさんの家族関係とか気にしたことなかったわね。
『ねえお母様、普通の水精を憑依合体させた相手が母に抱くのはどういう感情だと思う?』アリサお母様はわたしに尋ねた。
『親として慕うんじゃないかしら……?』
『ううん、実はそうとは限らないの。大抵の場合は畏怖の念を抱かせるの。この時、相手の敵対心が高ければ高いほど、恐怖心も高まるわ。逃げ出したくなるほどにね』
『恐怖心……?』わたしは耳を疑った。
『それと同時にね、相手への恋愛感情を無理やり高められるの。そうなると、まるで蛇に睨まれた蛙のように逃げ出すことも出来ずに屈服してしまうのよ』
『そうなんだ……』
『じゃあ、敵対心のない相手だったらどうなると思う?』
『畏怖の念は抱かずに恋愛感情のみ高まる……かしら?』
『ううん、そうではないわ。その場合は畏怖ではなく畏敬の念を抱かせるのよ。それと同時に恋愛感情も刺激されるの。そしてね、どちらにせよ恋愛感情より畏怖、畏敬の念のほうが強くなるの』
『つまり敵対心のない相手の場合は魅了されているのと同じような状態に?』
『そうね、そういうこと』アリサお母様は頷いた。
『じゃあ普通は相手を自分の親と思ったりはしないの?』
『そう、普通はね。ただ、お母様やカリーシャ――今はアクアだったわね――の場合、憑依させたのはアクアヴァルキリー、彼女達は召び喚したセイレーンを親と認識するわ。だから、お母様やアクアが私を親として慕ってしまうのはお母様たちに憑依融合している彼女達のせいなのよ』
『するとわたしがお母様に抱くこの感情は……』
『そうね、お母様自身が抱いているわけではなく、お母様と憑依融合しているアクアヴァルキリーが私を親として思慕させてるの』
『……』
『ただね……憑依させる相手との間に一定の信頼関係を築けていない場合、私を親として思慕する感情に違和感を感じてしまい、結果、ストレスによって心神耗弱になったりするわ。そうなると最悪、自我を喪失して単なるあやつり人形になってしまうこともあるわね』お母様……さらっと怖ろしいことを言うわね。
『わたしもアクアも、幸いそうはなってないみたいよ、お母様』
『ええ、そうはならないと思ったからアクアヴァルキリーを憑依させたのよ。ただお母様の場合、性別は変わるかもしれないと思ったけど飛天魔になったのは完全に予想外だったわ』えっ!? わたしが女に変身するのは想定内だったと言うの??
『性別は変わると思った?……どうしてそう言い切れるの?』
『私のセイレーンとしての知識によると、過去に男性にアクアヴァルキリーを憑依させたケースでは8割ぐらいは女性化したという実例があるからよ。対象例が少ないので信用度は低いけど』
『対象例ってどのくらいなの?』
『過去数千年で20例みたいね。うち17例で女性化したそうよ。内訳は王族だと王が1人、王子が4人、あとは勇者が10人、神官が1人、精霊使いが4人だったみたい』
『女性化しなかったのって、精霊使い?』
『それがそうとも言えなかったみたい。女性化しなかったのは王子1人、勇者1人、精霊使い1人ね。その場合でも水精騎士にはなったそうだけど。つまりアクアのように蒼髪、碧瞳、青白い肌色に、ね』
『じゃ、女性化した場合も同じ?』
『それがね、大半は水精騎士化したようだけど、中にはただ単に女性化しただけの場合もあったようね。自意識については男性の自我を保持していたのが半数、心まで女性化したケースが半数みたいね』
『そうなんだ……彼らはその後どうなったの?』
『いろいろね。元通りの人間に戻ったのが半数ぐらいで、アクアヴァルキリーの憑依を解いても身体が女性のままになってしまったケースや身体が男性に戻っても女性の自我のままになってしまったケース、あと、アクアヴァルキリーとの融合解除を拒むケースも結構あったようね』
『拒んだ人たちはどうなったの?』
『そのまま、よ。ただ、その場合は人間の肉体は徐々にアクアヴァルキリーに侵食されていってしまう。肉体を完全に侵食されつくすと、現世に留まることが出来なくなるの。つまり、その時は精霊界に帰還するしかなくなるわね。精霊界には人間の自意識を持ってしまった精霊もわずかに存在してるわ』
『肉体を侵食されるの!? じゃあ、わたしもそうなってしまうのかしら?』
『お母様やアクアは大丈夫よ。私の影響下にある限りね。だから安心していいわ。私の影響下から抜けると……そうね、早ければ10年ほどで肉体が完全に侵食されてしまうでしょうね。ただお母様の場合、飛天魔に変身してるから、どうなるかは私にも予想がつかないわ』
『そうなんだ。じゃあ安心していいのね、お母様』
『ええ』お母様は首肯した後、話しを続けた。
『それでね、パストさんとヴィオレッタお姉さまの場合だけど、お母様が憑依合体させたのは事実上、アクアヴァルキリーだからパストさんがアクアヴァルキリーの姿に変わったのは当然起こりうることだと思うわ』
『じゃあヴィオレッタは?』
『ヴィオレッタお姉さまはね、憑依合体を自ら進んで受け入れたうえ、変身にも抵抗がなかったのよね?』
『その通りよ』
『先ほど説明したけど、アクアヴァルキリーは憑依合体した宿主に、お母様のことを母親と認識させると同時に思慕の念を抱かせるの』
『それはわたしがお母様に抱いているこの感情なのよね?』
『そう。そして私がお母様に抱いているこの感情でもあるわ』アリサお母様が微笑みつつ付け加える。
『それで?』わたしはお母様に続きを促がした。
『ここからは私の推測だけど、スミレナさんはお母様を母親として認識すると同時に思慕の念を植えつけられたときに、心の奥に封じられていた親に愛されたいという欲求が溢れ出してしまったと思うのよ』
『……それで?』
『その欲求に基づき憑依合体したアクアヴァルキリーはお姉さまの願いを叶えようとした』
『ヴィオレッタの願いって?』
『お母様との同化と血の継承だと思うわ』
『それっていったい……?』
『同化は簡単に言うとお母様そっくりの姿になること、そして血の継承はお母様と同じ種族になることよ』
『そうか……そうなのね』わたしは得心した。
『そう、ヴィオレッタお姉さまはお母様そっくりの姿になると同時に、種族も同じ飛天魔になった。それを言えば私も同じだけど』
『姿はわかるけど、種族までそんな簡単に変えることが出来るものかしら?』
『それはね、お母様が召喚したアクアヴァルキリーはお母様と常にリンクしているの。そのためお母様の肉体の情報をDNAレベルで収集して、自らの宿主の肉体に反映させることで同じ種族へ変えることが出来るの』
『……』はっきり言うとわたしはほとんど理解が追いつかない。そんなこともありうるのかと思う程度。アリサお母様は話しを続ける。
『私自身――というより人間だったアリスト――も母の愛情を知らずに育った。私はセイレーンとして生まれ変わった時に、人間だった時に抱え込んでいた様々な感情を捨て去ることが出来たと思っていた……でも、そうではなく心の奥に封印していただけだったのね、きっと。だからそのせいでアリスお母様への思慕の念が膨れ上がってしまった。お母様は今の私に母としての愛情を注いでくれる唯一の存在よ。そんなお母様に愛されたいという衝動が私の中に渦巻いているわ。ただ、さっき説明した通り、お母様と私は常にリンクされている状態で、リンクされている限りお母様に愛されていると言う実感を感じ取れるの』
『あの……誤解を恐れずに言うけど、お母様のことは、わたしやっぱりお母様としか思えない。娘だとしても娘とは思えないの。だからお母様を娘として愛を注ぐのは出来ない……と思うのだけど?』
『お母様自身が気に病むことはないわ。これはリンクされていることで、私に憑依合体しているアクアヴァルキリーが私をコントロールするために抱かせている感情なのだから』
『……』
『それでね……お母様の愛を得るためなら、今の私はなんでもしてしまうわ。たとえ犯罪行為であろうと』
『そこまで……?』
『ええ、そしてそれはおそらくヴィオレッタお姉さまもいっしょのハズよ』
『……』
『お母様、ヴィオレッタお姉さまの素体であるスミレナさんて、芯の強い女性でしょ?』
『そうね、そういう面もあるわね』
『だからきっとお姉さまも、お母様のことを思う狂おしい感情に逆らえなくなってるハズよ。そしてさらに、我慢できないほどの衝動に苛なまれてるわ。私もそうだから』
『そう……』
『そして、ここからが肝心よ。お母様が男の姿に戻るとね、お母様に憑依合体しているアクアヴァルキリーは強制的に眠らされるのだけど、その時はお母様と、私やヴィオレッタお姉さまの間のリンクが遮断されてしまうの』
『あ……! ヴィオレッタが男の私に迫ったのは……』
『そう。愛されているという実感を感じられなくなり、不安に心が押し潰されそうになるわね。だから肉体的に関係を結んででも不安感を解消しようとしたんだと思うの。ヴィオレッタお姉さまはそれでも辛うじて思いとどまったのね』
『……』利一が戻って来なければヴィオレッタは行き着くとこまで行ってたかも知れないわね……。
『私が似たような状況になったら、たぶん我慢出来ずに男に戻ったお母様と強引に肉体関係を結んでしまうかも知れない。だからお母様、私が自制心を取り戻すまでは女のままでいてちょうだいね』
『自制心を取り戻すって、どれくらい待てばいいの?』
『わからないわ! でも……明日の朝までにはなんとかするわ。だからお願い! それまで待ってて!!』
『……わかったわ、アリサお母様』わたしは覚悟を決めた。
『ありがとう、アリスお母様』アリサお母様は瞳を潤ませつつ、そう言ったのだった。
『ねえ、まだ話が終わらないの……って、えっ!?』しびれを切らしたのかヴィオレッタがノックもせずにアリサお母様の私室に入ってきた。
『ア、アリスお母様が二人!? な、なんで??』と言いつつしきりに瞬まばたきを繰り返している。目の錯覚とでも思っているのかしら。そんなヴィオレッタにアリサお母様が抱きついた。
『ヴィオレッタお姉さま、私、お姉さまの妹のアリサです!』
『え、え~と……アリサって、アリスお母様のお母様のアリサさん?』
『ええ、でも私はアリスお母様の娘となったことで、ヴィオレッタお姉さまの妹になったの!』
『???』ヴィオレッタの頭の中、きっと疑問符で埋め尽くされているに違いないわね。そこで、わたしとアリサお母様のふたり掛かりで、こうなった経緯について説明した。
『わかったわ! あたし、アリサと好きなだけスキンシップを楽しんでいいのね!?』
『ええ、お姉さま!』ヴィオレッタとアリサお母様は姉妹となったせいか、完全に意気投合してしまった。その後、5分経っても10分経ってもお互い抱き合ったまま、姉妹の絆を確かめるようにずっと会話を重ねているわ……ね。
ヴィオレッタがわたしのほうに視線を向けて『アリスお母様? ひょっとして私たち姉妹の関係に嫉妬してるの?』
アリサお母様も『アリスお母様、お母様も私たちと抱き合いましょうよ』と言ってきた。わたしは辟易としてこう言った。
『あなたたち、気が済むまでそうしていていいわ。わたし、そろそろお風呂に行きたいのよ。利一やカリィが待ってるから』
『ちょっと待って、アリスお母様。あたしも行くわ! アリサ、お風呂を済ませたらすぐ来るわ。しばらく待っててね』とヴィオレッタはアリサお母様に言う。アリサお母様は
『わかったわ、ヴィオレッタお姉さま。待ってるから必ず来てね!』
ふたりとも……姉妹と言うよりまるで恋人同士だわ。でも、二人とも過去において満たされなかった愛が、これで満たされて救われるかも知れない。そうなればいいな、とわたしは心の底から願ったのだった。