第五戦:ヘタレな俺を罵って
見事なまでに磨き込まれた大理石の床が、天井から下がるシャンデリアの光を受け煌きを放つ。その光一点のみを見続けながら、俺は滔々と語る麗しき騎士の声音を、跪き、聞き流していた。
「……以上がこの者たちから聞く限りの情報です。私も様々な会話をしてみたのですが、彼らに怪しいところなどひとつもありませんでした。ですのでクロエ・エルリヴェールならびに鳴宮恋斗に刑罰を与える必要はないと判断します」
場に静寂が戻り、早鐘のように鳴る鼓動だけが俺の耳に飛び込んでくる。これだけの緊張の中、よくも噛まずにすらすらと言葉が出てくるものだ、と感心する。
事の終わりが来るのをひたすら待ち続けているのだが、予想以上に話が長く、この部屋に入ってからもう10分ほど経過していた。――とは言うものの、時計を身に着けているわけではないので正確には何分経過したかなど知る由もない。したがって体内時計での計測である。
断続的に続いていた静寂を打ち破るかのように、新たな声が室内に響いた。
「……ご苦労だったなリーヴ兵士長。君の言わんとしていることは充分伝わったよ……。あとの処遇は私に任せたまえ。任務後だというのに呼びつけたりして悪かったな、君はもう下がってくれて構わん」
おぉ。王様のくせに寛大な心をお持ちではないですか。
「いえ、これが私の使命ですので。……それでは失礼いたします、陛下」
そう言ってリーヴは音もなく立ち上がると、俺に耳打ちしてきた。
「出来る限りお前達のことは無害だと伝えておいた。……私が出来るのはここまでだ、後は上手く話をまとめて、無事に帰って来れることを祈っているよ。次に会うときは、もっとゆっくり色々な話をしよう。……ではな」
マントの裾を翻し足早に去っていく音がどんどん遠ざかっていく。やがて扉が開閉する音が聞こえきて、リーヴは外に出ていったようだった。
静けさだけがこの部屋に残された。
と、思ったのだがすぐに渋い声が聞こえてくる。
「クロエ殿と恋斗殿、だったかな?」
名前を呼ばれ、俺は身を強ばらせた。
――恋斗"殿"だと!?客人ならまだしも、誰ともわからない、もしかしたら罪人かもしれない奴らに敬意を払っておられるのか!?
王様が示す反応に俺は少々戸惑うが、返事すらしないのは失礼だろうと思い、
「は、はい。俺が――私が鳴宮恋斗です。こちらがクロエ・エルリヴェール。旅の者にございます」
左手でクロエの肩を触れながら、簡単にだが自己紹介をした。相変わらずクロエの方は、ずっーーーーと下を向きっぱなしだ。まあ俺も頭を下げたままだけど。
「どうりで聞きなれない名前をしているのか。なるほど、旅をしている、か……」
懐かしむような響きを持った相槌を打つ陛下。だがすぐに思い出したように言葉を繋いだ。
「あぁすまない、ずっとその体勢だと疲れるだろう。楽な姿勢にしてもらって構わんよ」
予想だにもしていなかった言葉をかけられ、たじろぐ。俺の中にあった厳つい傲慢な王様像が一変、人想いの優しい王様に移り変わった瞬間だった。「私の前だから、なんて考えなくてもいいんだ。無礼講だよ、気にすることはない」
いやいくらなんでも……と思ったのだが、断ることも憚られる気がしたので「……失礼します」と言い、俺は立ち上がる。
特に楽な姿勢というのを思い付かなかったため、無難なところで起立を選んだ。丁度首も痛くなってきたところだし、タイミングとしてはありがたい。空気を読んだのか、クロエも俺と同じ姿勢を選ぶ。
そして初めて目の当たりにした。この国を治める最高権力者の姿を。
俺たちから約30mほど離れた位置で、少し段差があり玉座が存在している。そこに向け一直線に伸びる真紅のカーペット。
玉座に腰を預けるは、金の長髪を一つに結った聡明そうな男性だった。少し遠いのではっきりとはわからないが、なかなかのイケメン。しかも服の上からでもわかるほど肉体が隆起し、ほどよく引き締まっている。
――ヘイムダル・リグ=ヴァナヘイム。想像していた人物とはまったくの別物だ。こんなこと言ったら失礼だけど、もっとゴツくて強欲そうで、いかにも王様って感じの人かと思っていた。大剣とかぶんぶん振り回してて、暴君って言葉が似合うような…(以下略)。
あまりにも予想を反した容姿に、思わずまじまじと見つめてしまい、ヘイムダル陛下は苦笑混じりに言ってきた。
「そんなに見つめないでくれ……。恥ずかしいじゃあないか」
「あぁ!すいません、ちょっと考え事してて……」
慌てて視線を床に外す。どうしよう、ちょっと気まずくなっちゃったじゃん。
どうやって話題を切り替えようか刹那の間に思考を巡らせていると、
「左の方はたしかクロエと申したな?」
ヘイムダル陛下の方から話を振ってきてくれた。話題は金髪碧眼少女へと転じる。
今まで一切口を開かなかった彼女がここでようやくひとつ呟く。「……そうです」と。
「ははは。物静かな女性なのだな、君は……。――クロエ、懐かしい響きだ……」彼の瞳が、すうっと細められる。「隣国にもそのような名前の英雄がいたよ」
物憂げに、口惜しそうに語る王の表情は、徐々に翳りはじめる。
「たしかリーヴもそんなこと言っていましたけど……その、クロエって人は、何をした人なんですか?英雄って言われるほどすごい人何ですよね?」
「そうだな……抽象的に言えば、私の魔の手から『レギンレイブ』を救った、というところだ」
「魔の手から、首都を救った……」
ヘイムダル王が成し遂げた偉業のことについては、城内に入った際、あらかじめリーヴの方から一通りは聞いていた。
災厄と戦火の蔓延った混沌の世を変革するために、軍勢を率いて闘ったこと。市民からの圧倒的な支持があったこと。霊槍グングニルを掲げて戦場を駆ける姿から『軍神オーディン』の二つ名で呼ばれていたこと。
そして――たった一人で彼を破った者がいた、ということを。
ヘイムダル王はおもむろに立ち上がり、語気を強めてたからかに言い放つ。
「クロエ・アーデルハイト。君の名は決して忘れることはないよ」
背筋に悪寒が走った。穏やかだったはずの王の顔はクシャりと潰れ、憎悪だけを映す。
「否、こちらで呼んだ方がいいのかな?魔奏士クロエ殿、と」
一秒、いやもっと短い間の出来事だった。見開いた瞳を潤そうと瞬きをしたほんの刹那、そこにいたはずの王が――消えた。
違う。あの人はクロエの名を口にした途端に顔を歪ませた。だとしたら次に取る行動は――
漆黒のローブを突き抜けて、白い刃が姿を見せている。長い柄を握った、ヘイムダルの顔に赤い飛沫が点々と付着していた。顔だけではない。金の髪にも、羽織ったマントにも、大理石の床にも、真紅の染みが出来上がっていた。
「あ……あぁ……!!」
俺の口は呻く様な声しか出せない。クロエに走り寄ることも、剣を構えヘイムダルに立ち向かうことも。足が竦んで一歩踏み出す事さえも叶わない。
「はははは……はっ、はっはっはっ!!」
豪快に声をあげて笑う王を見て、改めて思う。
ヘイムダル・リグ=ヴァナヘイム。あなたはやはり、恐ろしい。
立ち竦む俺と、笑い続ける王。この構図はある程度の時間続いた。
「――いつまで笑ってんだよ三下ぁぁぁ!!!!」
なんて言葉が聞こえてくるまでは。
To be continued