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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者と魔王

作者: 深凪

――決戦前夜


「アリシア王女殿下……いいやアリシア。俺が、魔王を倒さなければならないんだ。他の誰にも、この荷を負わせたりしたくない。たとえ俺の何と引き換えにしてもだ。これは俺の仕事だよ。――行かせてくれ」



 決死の思いの乗った聖なる剣は、愕然とする魔王の心臓を貫き――魔王は苦悶に顔を歪めた。堂々たる城が崩れ落ちるように、がくりと膝を折る。


 神が手ずから研ぎ澄ました刃が魔王の存在を大きく削り取り、ほんの僅か余した怨嗟の名残だけが、彼の紅い瞳の奥で暗く揺らめいていた。


「馬鹿、な……」


 魔王は胸を掻き毟り、信じ難いように喘いだ。近寄るだけで苦しくなるくらいの瘴気に覆われ、圧倒的な存在感を示していた魔人の王は、何故だろうか、今この瞬間だけはひどく儚く見えた。


「……お前には、分からないだろうが……これが……皆の気持ちの、結晶だ、よ……」


 肩で息をして、勇者は魔王に告げる。どんなに無様で情けなくても、魔王を倒そうと。格好よくなくていい。凛々しくなくていい。例え命を失っても、それでもこの殺戮者だけはと。自分の死を良しとしない仲間たちを強引に説き伏せ、そう、誓ったのだ。


 彼を倒せば、きっと平和が来る。自分は帰れないかもしれない。けれど、勇者には仲間がいる。世界一信頼する、自慢の仲間たちが。彼らになら後を託せる。皆は勇者がやり残したことを継いで、歪んだ世界を正してくれるだろう。


 黒の剣が勇者を、白の剣が魔王を互いに貫通した状態で、勇者は魔王の瞳から生命の光が消えるのを、息を呑んでただ待ち続けた。


「……わ……私は…………私は……世界、を……」


 魔王はごぼ、と血を吐き出して歯軋りし、黒い大理石でできた床に爪を立てる。普段なら石を大きく抉り取るだろう強靭な魔王の指は、今は表面を僅かに削るにとどまった。


「お前は……終わりだ、魔王」


 お前の負けだよ、と。


 見開かれた深紅の虹彩を見据え、勇者ははっきり宣言した。


 魔王の傷は、勇者と同じく致命傷だ。加えて、闇の魔力を内包した存在である魔王は、聖剣につけられた傷を治癒できない。魔力の尽きた勇者も、腹にあいた大きな穴を治癒できない。


 自然……相討ち、という形になるだろう。


 魔王の魔力で保っていた漆黒の城が、徐々に崩れていく。


 崩壊し落下する自らの住処の中、最期を悟った魔王は瞼を伏せる。その冷酷な眼を再び開いた時には、憎しみと悪意を綯い交ぜにした、狂気の形相で勇者を睥睨していた。まるで最後の息を使いきるように、勇者に不吉な予言を囁く。


「……これで終わりなどでは、ない。三百年後――私は再び現れる」


 勇者はぞっとした。頭から、冷水を浴びせかけられた気がした。魔王の表情に確信が見えたからだ。それは、既に確定した未来を語っているようだった。


 そしてこの背筋に走る悪寒は――今までに一度たりとも、誤ったことはない。


 三百年後。魔王が現れる。聖剣は崩壊する魔王城に埋もれ。その時、勇者はいない。


 勇者の頭に、最悪が過った。けれど。


 ぞわぞわと背中をかけ上がる恐怖を、勇者は呑み込む。


 呑み込んで、唇を吊り上げ、強気な笑みを作ってみせた。


 あらゆる人間に希望を、未来を信じさせた、煌々と輝く太陽のような、生命力の溢れる笑みを。


 絶望などしない、してたまるものか。この程度で負けるほど、皆の命は軽かったか。背負った想いは軽かったか。貰った愛は軽かったか。否、断じて否。


 この魂にかけてーー否だ。


 だから彼は壮絶に笑う。


「俺が倒すさ」


 何度奈落の底から這い上がろうとも、何度黄泉から蘇ろうとも、勇者たる自分が邪魔をする。輪廻転生だろうが何だろうが、やってみせる。姿形は変わっても、いつだって人間を蹂躙させたりはしない。


 勇者の決意を視界に収めると同時、魔王はゆるゆると目を閉じた。


 胸の動きが、止まった。


 勇者は床に倒れ込んだまま、動かなくなった魔王をじっと見つめていた。正しく人外の凄絶な美貌を。氷刃の眼光は今は消え去って、恐ろしく美しいけれど、あどけない子供のようにすら見える。


 現世のものとは思えないこの美貌の男と、数秒前には殺し合っていたことが不思議に思えた。しかしその姿は、徐々に霧がかかって霞んでいく。霞むのは魔王ではなく自分の視界だと、勇者は気付いた。勇者もまた、終わりは近かった。


 こんな状況にも関わらず、次から次へと家族、仲間、これまで一緒に過ごした全員の思い出が心に浮かび上がる。いつもは思い返すこともない些細な記憶なのに、勇者は満ち足りて、とても幸せだった。


 下らないことで喧嘩したことがあった。


 おいしい食べ物を取り合ったことがあった。


 青々とした草原を転げ回ったことがあった。


 沢山、沢山のことを、皆とした。辛い時、悲しい時、嬉しい時、楽しい時。宝石みたいにきらきらと煌めく思い出たちは、歩みを止めない勇気をくれた。どんなに怖くても、皆を守ると誓う覚悟をくれた。


 ああ、やはり自分は、こんなに皆が大好きだったのだと。


 力を振り絞ってどうにか体を仰向けにした勇者は、苦笑した。皆を置いていくのは心苦しいけれど、もう、立ち上がれそうになかった。


「ありがとう」


 最後に小さく呟いて、勇者は震える蝶の翅よりも微かに息を吸い込んだ。その息が吐き出されることは、二度となかった。


 苦笑は、春の日差しのように柔らかな微笑に変わっていた。


 どこまでも優しく高潔な魂を持った一人の男は、安らかに永遠の夜を迎えた。






 次の瞬間――魔王が普通に起き上がった。






「……そろそろ……死んだ、か? おい勇者、ちゃんと死んでいるか?」


 穏やかな表情で眠りについた勇者の顔の前で、幾度かひらひらと手を振る。勿論、息を引き取った勇者からの返事はない。念のため脈を計るが、魔王にとっては嬉しいことに、完全に天に召されているらしかった。


「よし、これで少なくとも三百年は安泰だな。頑張ろう……世界征服」


 まるで何事もなかったかのように、いかにもな悪の帝王然とした邪悪さと高貴さを感じさせる漆黒ローブの埃を払い、勇者の死体から興味を失った魔王は、心臓に突き立てられた聖剣を引き抜く。


 少量の血と共に、聖剣はあまりにも呆気なく抜けた。癒えることはあり得ないはずの傷が、時間を巻き戻すようにみるみる内に塞がれていく。


 勇者の安楽とは、三百年の準備期間とは一体何だったのか。


 ついには、ローブの破れや汚れ以外はすっかり元の状態に戻ってしまった。


「体調は万全、素晴らしき健康体。健康とはいいものだ」


 傷一つなくなった自分の体を点検してからうんうんと頷いて、魔王自身の血液が刃に付着した聖剣の柄を戯れに握り、掲げる。


 何故、彼が生きているのか――それは、この聖剣に原因がある。正しくは、魔王の性質に。


 七代目魔王であるところのルカ・ゼクレシアスのやり方は、真っ直ぐな聖人勇者の予想以上に悪辣である。とても汚い。武器は圧倒的な力だけでなく、演技もするし罠にもかける。


 要するに――決戦直前にすり替えておいたのだ。聖剣と、極限まで聖剣に似せた、ただの神々しい白剣を。


 製作に大変苦労した分、勇者は見事に騙されたまま死んでいってくれた。演技に違和感も残さなかったはずだ。この時のために、死ぬ程鏡の前で練習に練習を重ねたのだから。


「……犠牲は、大きかった」


 くっ、と魔王は涙ぐむ。彼が丹精込めて魔法で建築した最高傑作である魔王城を、自分の手であっさり崩すことになった上、部下に変な人を見る目で見られたのはご愛嬌である。本当に犠牲は大きかった。


 それでも、勇者は危険だった。小細工を弄さなければ、倒れるのは魔王の方だっただろう。しかも勇者は、下手に殺すと意志の力でとんでもない奇跡を起こしてくる。油断ならない相手だった。


 何しろ、先代魔王も先々代魔王もその前も、初代に遡るまで全員、勇者の奇跡で死んでいるのだ。先代は勝利後の高笑い、先々代は勝利寸前の冥土の土産、初代は戦闘最中の余裕発言、それに魔王という存在自体の死亡フラグ。結果、勇者の奇跡で死に至った。それを知っている。


 だから。


 絶対に、同じ轍は踏まないことにした。


 魔王は聖剣のレプリカをくるりと回して地に強く突き立て、玉座に向けて、世界の破壊に向けて歩みだす。


「――勇者。幸せな天の園で見ているといい」


 お前が愛した世界は、私が壊してやろう。






 頑張れば……できると思う。うん。




――決戦前夜


「私が正義だ。勇者の明日のスープに下剤を混ぜるんだ。勇者には毒は効かんからな。……何? 毒味がある? 仕方ない最後の手段だ、聖剣をすり替えてくる」






※主人公:魔王


【ルカ・ゼクレシアス】

大変悪辣な魔王。古き良き従来の魔王とは違い、ほぼ対等な力を持つ勇者と正々堂々決闘形式で殺し合うことは悪手だと考えている。

勇者の必殺技『奇跡』を恐れる、愉快で慎重(チキン)な男。

黒髪に紅眼の、この世のものとは思えない凄絶な美貌を持つ。残虐非道冷酷無慈悲なドS魔王にしか見えない。本人は、職業に合った顔であることを唯一の慰めとしている。

目標は世界征服。転生者だが、「世界征服、男の夢だよな」と何か勘違いしている。




【ハルト・アッシュベリー】

大変善良な青年。平民出だが聖剣に選ばれた、古き良き従来の勇者。仲間を心の底から信頼し、平和を愛している、優しく正義感の強い純朴な努力家。残虐非道の魔王を恐れていたが、世界と仲間を守るため、苦悩の末に命をかけた戦いを決意した。真のイケメン。

金髪に碧眼の優男。凛々しく甘い顔立ちの、人間内では相当な美丈夫。人類の希望であることもあり、星の数ほどの女にモテるが、王女一筋。

目標は世界の救済。相討ちで魔王を倒したと思ったら、最初から騙されていた。不憫。


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