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乗り越えなきゃならん時がある

 この世には、不思議なことがたくさんある。例えば、同じ両親から産まれたはずの私の兄は非常に社交的で結婚間近である、とか。パソコンの家庭普及に伴って価値のある情報を手に入れやすくなったと思いきや、莫大な情報が氾濫し、供給過多になるがゆえに価値があるはずの情報が埋もれ、結局入手は難しい、とか。とにかく、不思議な事はたくさんある。

 そんな中でも古今東西、老若男女問わず幅広く認識される不思議なことは怪奇現象ではなかろうか。しかし、大概のそれには理由があり、そして大概の理由は脱力してしまうようなつまらないものである。一例をあげてみよう。

 誰もいないはずなのに、何かが近くの部屋から聞こえる。そういう噂があるアパートで流れた。その音というのもただの音ではない。コンコンと陶器と陶器が軽くぶつかるようななんとも不気味な音だ。

 では、その部屋とは誰の部屋か。お気づきのように変態ロリコン酒田の部屋である。

 酒田の部屋には七つの壺がある。狭い一室に風変わりな壺が鎮座しているというのもそれだけでホラーではある。ではこの壺が何であるかというと、例の酒田の苦い高校時代、その象徴である。やはり購入費がそれなりであったからか、酒田は捨てるに捨てられずにアパートまで連れてきてしまったのだ。

 壺はちょうど七つであったから酒田はそれぞれを『曜日の壺』と呼び、必需品をそこに入れた。つまり、例えば『月曜の壺』には月曜の授業に必要な教材などを無理矢理突っ込まれていたりしていた。壺であるから中には入り口が極端に狭いものもあったが。

 何はともあれ酒田はその壺達をありがたく利用していた。

 しかし、ある時石川が麻雀で大敗した際に盛大に足を投げ出し、『火曜の壺』に直撃し『火曜の壺』は無残な姿に成り果ててしまった。

 当初は怒りを抑えられずにいた酒田であったが、彼はここで新たな発明をした。大した男である。

 酒田は『曜日の壺』という呼称を廃し、それぞれの壺の中身を抜いた。そして、壺の真上の天井から紐を壺の入り口まで垂らし、その先に壺の破片を取り付けた。こうして『壺風鈴』が生まれた。 それぞれ特有な形をした壺は風やアパートの揺れに従ってそれぞれ固有の音色を出す。しかし、その音はコンコンと全く風情というものが感じられない。

 真相を知った住民らは安堵と共に壺風鈴というシュールな発想に衝撃を受け、酒田の部屋を『壺の鳴る部屋』と呼ぶようになった。

 そして、我々は壺の鳴る部屋の前にいる。

 「酒田よ、部屋は片付いているか」

私が小声で尋ねると

 「ありのままの俺を見せるつもりだ」

酒田は男らしく応えた。

 酒田は鍵を差し込むとなかなか回らないのか、ガチャガチャとしかし焦った様子もなく鍵を動かすとがチャリと鍵が開いた音がした。

それから一度深く鍵を押し込みゆっくりと回し引き抜いた。随分とコツが必要みたいだ。

 「いらっしゃい。」

酒田がぎーっとドアを開けると、部屋の奥からコンコンと奇妙な音が聞こえる。

 「な…なにこの音?」

流石の彼女も困惑と恐怖をみせた。この壺達の必要性を本格的に問いたくなる衝動に駆られた。誰が為に壺は鳴る。

 「大丈夫。大丈夫。」

酒田はずんずんと一人で部屋に入っていく。彼女は仕方なくゆっくりと入っていき、私はその後ろに続いた。

 「………壺?」

彼女は驚愕していたが、酒田の部屋はいつもの酒田の部屋であった。狭い部屋にドンとコタツが構えており、真正面に見える窓の下には6つの壺、通称『六色の壺』が奇妙な存在感を放ち、壁は何やらよく分からないシミなどがつき汚れている。地面には昨日着ていたと思われる服が転がっていた。

 「壺……。」

彼女は呟いた。ドアを閉めたはずなのに冷たい風が抜け、壺風鈴がコンコンと鳴った。隙間風である。

 「変な宗教とか…やってる?」

 「違うんだ!やってない!俺は違う!」

 「でも…異様過ぎるよ、コレ」

 「こ、これはな…」

酒田よ。何を言ってももう無駄なのでは。

 「も、元カノの私物なんだ…。なかなか捨てられなくてな」

元カノではないが。

 「そうなんだ…。」

彼女は何故か納得したようだ。将来が不安になるような素直さである。大体、彼氏の家に何個も壺を持ってくるような人間はそういない。

 「しみったれた話は置いといてさ。コタツにでも入っててよ。うちは寒いからさ。」

 「おおー!コタツ!大好き!なんかいいよね。体っていうより心があったまるよね!」

 「ああ…良いこと言うなあ」

素晴らしい適応力である。ニット帽を取りコタツに入ると彼女は幸せそうに笑った。髪は静電気のおかげで少し乱れていた。なんとなくコタツに入ってはいけないのではと思い、どこに座ることもなく私はつっ立って言った。

 「ところで酒田よ。まだ時間は早いぞ。その間何をするのだ」

時刻はまだ5時過ぎ。夕飯時には早い。

 「まあまあ。とりあえず入るといいぞ」

彼女はポンポンとコタツを叩いた。仕方ない。これは断れない。私は彼女の上家に、つまり彼女の座っている場所を6時としたら9時の場所に座った。コタツはまだ冷えていた。

 「確かにはえーけど…俺は腹が減ったよ。それに鍋ってな、食べ始めると長いんだ。だらだらグダグダ食べるからな。それがいいんだけど。」

がさがさと酒田は買い物袋をあさりながら言った。

 「どう?お腹減ってない?」

 「ていうかね、あんまり遅くまで居られないから……早く始めちゃお!」

 「そうだよな!始めようぜ!」

 酒田は意気揚々と鍋を取り出した。

 戦いは斯くして始まった。





 「飲み過ぎだ。お前は酒に弱いのだからそこまでにしておけ」

 「うるせえええ。俺はな、今な…最高にハイ!ってやつなんだあ」

 「あはははは」

戦いが始まったと思いきや早くも収束しそうである。

 手際よく準備をし何ら失態もなく準備をしていた酒田だが、彼は致命的なファクターを一つ忘れていた。つまりは、豆板醤である。我々三人に平等に均等に持たされた一人一瓶の豆板醤。リンカーンも夢に見た平等で自由な精神がまさかこんな風に可視できるとは。

 私はどうしてもこのパンドラの箱を開けられなかった。希望が入っているとは到底思えないからだ。

 しかし、酒田は意を決してそれを開けた。もちろん中から出たのは絶望や希望ではなくただの豆板醤。だが、それ一つでキムチ鍋という概念が破壊されうる。酒田は無言で鍋から肉をさらい、豆板醤につけ、そして食べた。しばらく味わい、呟いた。

 「キムチ…関係ねぇ……」

それからあまりに強烈な味に圧された酒田はビールにきっと合うなどとぬかし、豆板醤を流すために大量のビールを消費して今に至る、というわけだ。

 「無理し過ぎだ。酒田」

 「男にはな、ツラくても痛くても乗り越えなきゃならん時があるんだ」

 「もっと飲め〜」

 「おーう。任せ…無理かも」

 「なにー!あたしが入れた酒は呑めないのかー!」

 「違っ!それにキャラなんか違う!」

 「なんか古いしな」

 「ああ〜〜たのしー!おいしー!」

酔いつぶれかけている酒田とは対照的に彼女は楽しそうに豆板醤をつけて美味しそうに食べている。最初は豆板醤を使っていなかったが、酒田がギブアップした後、酒田の豆板醤を取り上げてそれを使うようになった。お腹がすいたと言うわりには心なしか彼女の食べている量は少ない気がした。ダイエットだろうか。……自分のデリカシーの無さに驚きだ。

 「がーー……すーすー」

 「あらら。寝ちゃった」

とうとう酒田は寝てしまった。一体全体コイツは何がしたかったのだろう。好き勝手に私を巻き込み肝心のお前が退場するのか。 馬鹿のように寝ている酒田を見ていると、不思議なことだが、自分が凄い惨めなのではないかなどと思った。隙間風が吹いた気がする。

 「ん〜。もう七時か〜。じゃああたしは帰ろうかな。あ!余った豆板醤はもらうよ」

彼女は立ち上がり一回伸びをした。

 「おにーさん。あたし帰り方わかんないから送ってね。れでぃが一人で夜道を歩くのは危険だし」

 「自分をレディと言うやつは大概レディではないのだ」

そうは言うものの私は立ち上がった。確かに危険だし、色々と聞きたいことがある。

 「では、酒田よ。私は彼女を駅まで送りにいくからな」

 「じゃあね!今日は楽しかったよー」

酒田はんーっと生返事をして寝返りをうった。

 

 「寒い!凄い寒い!」

我々がドアを開けると冬らしい冷たい風が吹いた。彼女はニット帽を深くかぶりなおした。外はすっかりと暗くなっていたが、澄んだ空気の中ハッキリと月が我々を照らしていた。

 しかし、私の心には雲がかかっていた。自由にやりたいようにやる酒田。純情紳士同盟を結成し、誰よりも恋を忌み嫌っていたかと思えばあっさりと恋に落ち、私を巻き込み、最終的には勝手に自滅した酒田。そして……。

 「馬鹿らしい」

そう呟いてドアを閉めようとした時強い風が吹いた。風にゆられて壺風鈴はコンコンと嘲笑し、その声は月夜に溶けた。

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