少し笑った
我々が現在いる街は決して大きくはない。街の北側にJR線の駅があり、その南東に約一キロの直線をひくとそこに私鉄の駅がある。
街とは言ってはみたが新宿や渋谷のようなコンクリートジャングルや、ターザンが青ざめるような日差しをこれでもかと反射するビル群を想像されては困る。栄えているのは駅の半径数百メートル内のみでありきたりなチェーン店が構えている、そんな街だ。私達が現在出たばかりのスーパーもJRの駅の百メートル程南に位置する。スーパーからさらに一キロ程南に、古風と言えば聞こえは良いがありたいていに言えば倒壊寸前のアパートがあり、かのロリコン野郎はそこに住んでいる。
「河上さんが働いてる花屋さんと俺んち、結構近いんだな」
「まさか四百メートル南に酒田君の家がね…。なんだか小さな世界ね」
河上さんは物憂げに溜め息をついた。
スーパーを出て、彼女と河上さんと酒田と私の四人は、まだ5時過ぎだというのに人通りが少ない路地をぶらぶらと歩き、それぞれの目的地へ向かっていた。
我々は他愛もない会話をしていたが私の中では、ぐるぐると一つの言葉が回っていた。
よかったですね。
彼女は確かに言った。私に向かって。何がよかったのだ。何故私に。私だけに。
彼女のイメージ。これにそぐわない。出会ってまだ数時間なのに、こう言うのもなんだが。
悶々と私の中を巡る疑問、不信をよそに彼女はニコニコと歩いていた。
「あそこよ。花屋。」
「へー。何で今まで気づかなかったんだろう」
河上さんが働いてる花屋は、河上さんが働くべくして働いているような店でおしゃれで上品であった。私は酒田が住んでいるアパートを思い出した。やはり人間の心はそのまま家の美しさに反映されるのだと勝手に一人で納得した。しかし、私自身の家については棚上げさせてもらう。そして下げる気は一切ない。
「じゃあ、私はここで。お鍋楽しんでね。あと、もし何かあったら……分かってるわよね?」
河上さんはにこやかに告げる。私と酒田は青ざめながら犬のように首を上下に揺らした。
「よろしい。たまにお花買ってね。」
河上さんは小さく手をふった。視線が…刺さる。斜めうしろから私を見上げる視線。
「か、河上さん!」
私は引き止めた。何故。何を言うつもりだ。
私の性格を考慮すればきっと私は二度と会わなくなる。会えなくなる。これは正真正銘最後の…。
私は馬鹿者だ。
私は少し笑った。そして、一歩下がって頭を下げた。
「我々のような馬鹿者達にお付き合いしていただき本日はありがとうございました。」
河上さんは少し戸惑って、どういたしまして、と頭を下げた。
「本日はありがとうございました。……くっははくっ。これは笑える。」
河上さんと別れてから、酒田は笑いっぱなしだった。
「うるさいぞ。酒田。何が面白い。」
「だってよ〜。いきなり引き止めてさ〜何言うんだろうなーって期待してたんだよ。例えばさ〜『私は長いことあなたを…』」
「言うか!馬鹿者!私を誰だと思っている。誇り高き団長だ。恋やなんやは毒だ。毒の極みだ。」
そうだ。忘れては、いけない。
「団長って…何の団長なの?」
彼女がそう疑問に思うのも仕方がない。しかし、説明するのは少しいたたまれない。
「……ひ、秘密組織の」
我ながら私の危機回避能力にはあっぱれだ。
「秘密組織!いいね!何やってるの?大学の裏を牛耳るような?教授の弱みを見つけるとか?」
うっ…。食い付きが良すぎる。酒田!お前もなにかフォローを頼む…
そんな私の思いを知ってか知らぬか、酒田は助け舟を出した。
「色々やってんだよ。色々。俺はその秘密組織ってやつに入ってないからよくわかんないけど。何やってるのかはよく知らないけど、この馬鹿はそれに相当入れ込んじゃってね。そのせいで『どーもくん』は女の子の免疫ゼロなんだ。だからあんまりまくし立ててあわてさせないよーに。」
助け舟を出しているかに見せて『自分は関係ない』ことを白々しく、意識しているかはともかく、強調しているあたりが酒田の強かさを、同時に彼女に対していかに本気かを物語っていた。
「ふん。何が免疫ゼロだ。人様のこと言えるのか。」
「うおーい!お前よりはましだろ!一対一じゃ何もできねーだろ!」
我々は罵り合いながら酒田宅へ向かった。