終幕は清んだ風と共に
「うーーっす…。……お前、どうした?……ああ。なるほど」
荷物を取りに行くため、私は酒田の家に戻ってきた。酒田が怪訝に思ったのは私が冬であるのに汗まみれであることにだろう。そして勝手に納得した。
「疲れた。兎も角家に入れてくれ」
「まあ……いいけど。お前、ちゃんとあのコを送り届けたか?」
「ああ。あと、酔いつぶれて爆睡していたお前が偉そうに言うな」
「くっくくく。わりぃわりぃ」
酒田は反省の様子を微塵も見せずに笑った。
「それにしても」
酒田は私の手を見て、邪悪に笑う。
「全く似合わねーな、それ。」
それとは私の手にある一本の紫の花のことである。
「なんだ?俺にくれるのか?」
酒田はニヤニヤしながら尋ねる。
「誰が渡すか。私はこれを河上さんから私のものとして買ったのだ。渡してたまるか。」
「ほぉー。詳しく聞かせろよ」
「やかましいぞ。……ていうか、早く家に入れてくれ」
「分かった。分かった。取り敢えず入れ。で、くつろいどけ。」
と、酒田は言い部屋へドタドタと戻っていった。
はあ、と私はため息をひとつして部屋へ入った。
「私は花というのがよく分からないのだが、こういう短い間でもやはり水があった方がいいのか?」
「俺が知ってると思うのか?……まあ、いいや。そこにある壺、どれでもいいけどよ、それにてきとーに水張って突っ込んどけ。適材適所ってやつだろ」
「適材適所?壺は花を入れるのを目的としないのではないか」
「こまけーな。なら、『ものは使いよう』でどうだ?」
「いいんじゃないか。というか適材適所も使い方悪くないような気がしてきた」
「どうでもいい話だぜ」
コタツに入ることなく壁に寄りかかるようにして座っていた私の元に、バリバリと頭を掻きながら酒田はビールを持ってやってきた。
「お前、まだ飲むのか?」
さっきまで爆睡し、完全につぶれかけていた酒田を思い出す。
「ばーか。酒っていうのはこーいう時に飲むもんなんだよ。」
ゴンとコタツにロング缶を二本、日本酒を一升置いた。
「そういうものかもしれない。いただくぞ」
そして我々はつまみもなくビールを飲み始めた。
「で、お前、河上さんになんて話しかけたの?『河上さん、好きだ!!』……てか?」
ビールを一口飲むと酒田は間髪入れず聞いてきた。全く。こうも率直に尋ねるか。
「馬鹿者。我々はお互いのことを知らなすぎる。中学生ではあるまいし、出会い頭に告白などしてたまるか」
「なんだ。進展なしじゃん」
酒田は口をへの字に曲げた。
「そんなことはない。」
私は河上さんの花屋に着いた時、自分でも驚く程息が切れていた。これから本番であるのに勢いあまってすでに最終ラウンドである。
河上さんは私の顔を見ると
「来てね、とは言ったけど…。こんなに焦って、しかも汗まみれで……あら?ギャグじゃないわよ。焦って来なくても良かったのよ」
別段気にもしていないギャグをかばいつつ、笑った。
そんな余裕ある河上さんとは裏腹に私は緊張、限界、混乱といった混沌とした状態だった。
そもそも私は特別何か作戦を練ってここまで来ていなかった。それはそうだ。私は一歩踏み出すことで精一杯だったのだ。
ど、どうする?つ、伝えるべきか?私のはち切れんばかり、というかはち切れて息を切らしてしまう程の思いを。いや、待て。それはいささか急だ。いきなりそれはないだろ。
私はぐるぐるとコンマ数秒間でいつものごとく思考を回した。
そして、私が放った言葉は
「わ、私はクイーンではボヘミアン・ラプソディが好きです」
「それがお前の第一声?なんだそりゃ」
酒田は呆れたように言った。
第三者から見れば、私のこの言葉は意味不明かもしれない。というか河上さんも困惑していたに違いない。
しかし、この一言は私には三年分の重みがある。
「それで河上さんは何て言ってたよ」
「………少し面食らった顔をしてから笑顔で『そうなの?あたしはアナザーワン・バイツァ・ダストが好きよ』と」
「……なーんかお前、脈無さげだな」
「ふん。戦いはこれからだ。また来るとしっかり言っておいたしな」
私の言葉に対して酒田は、そうか、と一言頷いた。
「ところでよ、あの花なんていうやつなんだ?」
「うむ。河上さんが色々説明していた気がするが、いまいち覚えていない。どうやらだいぶ動転していたようだ」
「なさけね〜」
酒田はガックシとうなだれた。
花?花といえば…
「そうだ!石川を見たぞ!」
「石川?どこで?」
「花屋の通りから離れるように一人で歩いているのを見た。ちょうど私が花屋に着いた時だった。声をかけようかと思ったが距離もそれなりにあったし、私に余裕なんぞなかったから、かけられずじまいだった」
久々に見た石川の後ろ姿は以前と印象が微妙に異なり、上は相変わらずチェックなのだが、下はいつものジャージではなくジーパンであったし、寝癖ではねあがっていた髪はぺっちゃんこになっていた。
「もしかしたら河上さんが言っていた『毎週一本だけ花を買う人』は石川なのではないか」
私が呟くと酒田は眉をひそめた。
「なんだ、そりゃ?」
「そうか。酒田はあの場にいなかったのか。河上さん言うには毎週決まって一本だけ花を買う客がいるらしい。よくよく思い出せば、あいつは両手でなにかを持っていた気がする。……しかし、あいつが、もしそうならば何のために買っているんだ…」
私が深い思考の世界に埋没しようとしていると、酒田はニヤリと口角を上げ、底意地の悪い邪悪な笑みを見せた。
「くっくっく。なるほどな。お前は鈍いな〜」
あろうことか聡明極まる私を虚仮にした。そして、酒田は続けた。
「おまえ、家庭栽培とかフラワーアレンジメントとか考えてるだろ?」
「ああ。」
「駄目だな。普通、家で花育てる時ってな、球根や種から育てるもんだし、フラワーアレンジメントなら一本じゃないだろ。」
「つまり、目的は花ではない」
「ていうか、河上さん狙いだな。一週間に一回っていうのもアイツのぎこちなさを感じるな」
私は唖然とした。そういえば石川は三次元の女性も悪くないなどとぬかして、脱退したのだった。
そうか。あのジーパンも、ぺっちゃんこにつぶれた髪も、あいつの努力の成果なのかもしれない。
「はあ……。狭い世界だな」
ため息がでる。
「まあ、全部石川がその『毎週一本だけ花を買う客』だっていう前提の話だけどな。くっくっく。なかなかカオスだな。ほれ。石川に負けるな、がんばれ。がんばれ」
くっそ。完全に遊んでやがるな。
「しかし、ここまで世界が小さいと山田もどこかで関わってくるのではないか?」
「馬鹿言っちゃいけねえ。アイツは今、奥様に熱を上げているんだろ?俺らとそういうので関わる可能性なんて皆無だろ」
「お前はロリコンだからな」
「ばーか。あのコにはなそういうのを抜きにした圧倒的な魅力があるんだよ」
思いだし笑いをしてニヤニヤしながら酒田はビールを口にふくんだ。
「全くもって恐ろしいヤツだ。彼女には妹がいるらしいからな。姉妹には何とかして酒田には気を付けるように言っておかなければ」
「お前、俺の話きいてたか。俺はな、あのコが高校生だから狙ってるわけではないんだぜ。だいたいあのコの妹は中三だ。俺だってさすがに、さすがに」
やれやれと酒田は肩をすくめた。そもそも彼女は高校生に見えない。ヤツのロリコンは疑いようがない。
「中三………?」
どこかで聞いた。
「あ?」
酒田は訝しげに私を見た。
「中三…。山田が教えているコは中学生だ。」
「おいおい。中学生の女の子なんて、そこらへんにいるぜ」
「アイツは『受験が終わったら数学を存分にやれ』と教え子に言った。ということはそのコは受験が控えている。つまり、中三だ」
「おいおいおいおい。中三の女の子はどこにでもいるだろ」
「あと彼女は自分の家庭をシングルマザーと言っていた。山田が教えている家庭も母子家庭だ」
「どこにでもある」
「どこにでもあるし、違う可能性の方が高い。だが、ないわけではない」
私がニヤリと笑うと、酒田はポリポリと額を掻いた。
「まあな。ゼロじゃない。ってことはなんだ?全て仮説通りで、万事上手く進んだとき俺はアイツを何て呼べばいいんだ」
「それは、山田は彼女の義理の父になるってことだから、お前は『おとうさん』と呼べばいいんじゃないか?」
「くは!アイツを『おとうさん』と?こっちの方がよっぽどカオスだぜ」
くっくっく。と酒田は笑い、ビールの残りをグイッと飲みほし、勢いよく空き缶を机に置いた。
「なんだ。びっくりするではないか」
私が抗議すると
「よし。ならば確かめるぞ」
「何をだ?」
「山田と石川を呼ぶんだよ。そんで直接聞いて確かめりゃいい」
なんと身勝手なやつか。今からいきなり呼びつけようとは。
「二人にも用事があるかもしれない。あまり強制するのはよくないぞ」
私が諭すと、
「大丈夫だ」
酒田は言い切り、
「アイツらはお前を待っている。だから、大丈夫だ」
私の目を突き刺すように真っ直ぐな瞳で言い放った。
根拠などどこにもない。だが。
「よし。わかった。まずは山田に電話だ」
私はポケットからスマホを取り出し、電話をかけた。
「もしもし。山田ですが…。団長、どうしました?」
山田にはすぐに繋がった。電話から山田の声以外にガヤガヤとした音や声が聞こえる。
「実は酒田の家で今飲んでいて、お前も誘おうと思ったのだが……。忙しそうだな」
「いえ。全く忙しくないです。酒田先輩の家ですね。行きます」
予想外の答えであった。
「お前、今どこにいるんだ」
「駅前のファストフード店です。僕は少しうるさいぐらいの所の方が集中できるんです。今、フェルマーの小定理の新たな証明法を模索していたのですが、なかなか思い付かな」
「わ、わかった!ありがとう。来てくれるのだな」
山田に数学の話をさせると長くなってしまう。ここらで切らなければ通話料がかさんで仕方がない。
「ところで団長」
向こう側のガヤガヤが消えた。どうやら店を出たようだ。
「何かいいことありましたか?」
「ああ。麻雀でもやるか。今ならお前にも勝てるかも分からんぞ」
「ご冗談を。団長と僕では年季が違います。それでは」
そう言って山田は電話を切った。
大した自信であるが、今の私ならば……ふっふっふ。
と、一人で笑っていると酒田は気味悪げにこちらを見て
「ど……どうだった?」
珍しく控えめに聞いてきた。
そんなに気持ちの悪い顔をしていたのかと、驚きを越えて感動した。
「すぐに来ると言っていた」
「だろ?」
酒田はどんなもんだと言わんばかりの顔をした。忙しいやつだ。
「ではこのまま石川に電話しよう」
「待て。次は俺がかける」
そういうと酒田はスマホを取り出した。
電話をかけると、恐ろしい早さで繋がった。
「な、な、なんっすか酒田さん!?いかなる用事で拙者に連絡を!?」
大層な慌てようである。部屋が静かである以上に石川の声は大きいため、私にまで声が届く。
「あ゛ーあ゛ー。こちら純情紳士同盟。こちら純情紳士同盟。現在酒田宅にて宴会中。大至急駆けつけるように」
「そんな!横暴っすよ!拙者にも予定があ」
端的に告げ、酒田は電話を切った。
「め、めちゃくちゃだなお前」
「くっくく。確かにひでー連絡の仕方だが、アイツは来る」
その通りだ。石川という男はぶつぶつ、ぶうぶう文句を垂れながらも結局我々についてくる。
結局酒田が持ってきた一升瓶は私が全て飲み干すことになり、私は少しずつ口にふくめていた。普段は料理と共に酒を楽しむのが私の信条なのだが、今日は構わない。
清々しい気分であった。またアイツらとこの場所で集まれることが嬉しかった。私は、私が関わってきた全員をここに呼びたい気持ちになった。河上さんや、彼女や、彼女の妹、母親、普段学校で話さない連中、高校の担任、昔の私。みんな、この狭い部屋に集めたかった。
酒を飲んで気分が高まっているのか、私は自分の奥の方からふつふつと熱が沸き上がっているのを認識した。
立ち上がり
「暑いから窓開けていいか?」
と聞くと
「ん」
と酒田はこたえる。酒田も酒田で暑かったようである。
窓を開けると冷たい空気が部屋に入り込み、ほてった体を冷却する。だが、心地よかった。私が凍えることは決してない。
私は一度伸びをした。そして
「こちら純情紳士同盟。こちら純情紳士同盟。」
と一人で繰り返す。
「ん?なんか問題あったか?」
「いや、面白いと思ってな。私達は今や誰一人として鉄の掟である第一条を守っていない。しかし山田は私を『団長』と呼び、お前は未だにためらいもなく『純情紳士同盟』と言う。それが不思議で面白い」
「ふーん」
酒田は興味なさげに答えた。
私は窓枠から身をのりだし外を見た。あたりはすっかり真っ暗で、しかしツルツルに磨かれた満月ははっきりと地を照らす。私は少しばかりその輝きに目を奪われた。
くっくっく、と笑い声が響いた。
「なんだ酒田」
「お前こそなんだそりゃ。かぐや姫かよ。ああ、私はもう行かなくては……ってよ」
「ええ。そうです。おじいさん。私はこんなみすぼらしい住まいは嫌なのです。おじいさんの私を見る目はいやらしいですし。正直おじいさんと暮らすのは耐えられません。」
「ストレートなかぐや姫だな、おい!」
そういうと私たちは一斉に笑った。大して面白くもない事なのに愉快で愉快でたまらなかった。
すると突然強い風が吹いた。風に揺られて壺風鈴はコロコロと笑う。そして我々の笑いの渦と混ざりあい、その声は月夜に溶けた。




