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【海峡の全寮制男子高校】城下町ボーイズライフ【青春】  作者: かわばた
【6】モテ男は女子から逃げる【夏虫疑氷】
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将来ってなんのため?

 寮に帰ると吉田以外の全員がすでに寮へ帰ってきていた。

 下駄箱はいつも通りの靴が並んでいる。


「ただいまーッス」


 そう言ってあがると、お帰りなさい、と麗子さんの声がした。

「いっくん、今日は遅かったのね。どうしたの?」

「あ、タマとずっと喋っててつい。参考書も見に行ったんすけど、いいのがなくて」

「夏休みに大きな書店で探したらいいわよ」

「そっすね」

 そう言いながら着替えるために部屋へ向かう。

 いつものTシャツに高杉からのお下がりのハーフパンツに着替えるとしっくりとする。

「ただいまっす、先輩達」

「おかえり、いっくん」

「おう、お帰り」

 先輩達はいつも通りで、幾久はなんだかほっとした。

(何も知らないんだもんな、当たり前か)

 冷たい麦茶が注がれたグラスが汗をかいている。

 二人はなにか打ち合わせをしているらしく、大きな紙を広げていろいろ話の最中らしい。

「それ、何すか?」

「柳桜祭の準備じゃ」

「え?それって十一月っすよね?」

 柳桜祭は報国院の文化祭だ。かなり大規模なもので、地元の人々のお祭りもかねているとのことだ。

「夏休みに入るともう部活が忙しくなるからね。今から準備しておかないと」

 高杉と久坂、そしてなぜか幾久も名ばかりの演劇部員だ。一年に一度、柳桜祭での発表さえしておけば活動していると認められるので、面倒が嫌いな久坂と高杉はそこに所属しているとのことだった。

「へえ。なんか大変っすね」

 名ばかりの部員で、しかも自分は全く関わらないかもしれない内容なので、幾久は参加しなくてもいいはずだった。

「それより幾久、お前、補習はどうするんじゃ?」

「補習?ああ、夏休みの、っすよね」

 鳩以上であれば、報国院高校の主催する補習授業が受けることが出来、お盆を過ぎたあたりから集中して行われる事になっている。

「一応、参加希望は出してます。進路、まだわかんないっすし」

「あれ?いっくんまだ悩んでるの?」

 久坂が驚いたように言うが、幾久は頷く。

「正直、ほんっと判らないんす」

 今までずっと母親の言うなりで、そういうものだと思ってきたのに、父親の言うとおりに報国院に来てから幾久の心は大きく揺らいだ。

 母親を疑うように、同じように父親の事も疑って考えてみたけれど、今の幾久には父親のほうが、まだましな大人に思えた。

「父さんからもせかされているわけでもないし、じゃあ、まず現状維持かなあとか」

 本当に東京に戻るとしても、どのレベルの学校なら編入できるのか。

 ただ、上を狙うというのなら、報国院でも問題はない。むしろ、報国院で鳳なら、きっとそれなりの学校を受けることが出来るだろう。

「報国院を辞める理由がないんすよね。かといって、居る理由もなんか……ガキみたいな理由しかなくって」

 友達がいるから。仲良くなったから。先輩が甘やかしてくれるから。いい人が居るから。自由だから。

 風景がとても、綺麗だから。

 真夜中に電車の走る音と海から船の汽笛が聞こえて、それがとても好きだから。

「オレがここに残りたい理由って、将来の事が入ってないんすよね」

 いい学校に進むために。将来の目標の為に。

 そんな正しい理由がひとつもない。

 まるで子供みたいに、毎日の楽しさに流されてしまっている。

「いっくんの言う将来って、いつの将来?」

「……いつって」

 そんなの、大人になって、自分の望む職業について。

 その為に、そこに近づくための、そのための。

「わかんないっす。将来って、見えないくらい遠いから、将来、じゃないんすか?」

「見える程度の将来にしとけば?」

 久坂が言い、高杉が顔を上げた。

「そうじゃの。そのくらいが幾久には丁度ええかもしれんの」

「もー、なんで先輩らまでオレを子供扱いするんすか」

「仕方ねえ。実際子供じゃ」

「そうでもないっすよ」

 ふんっとそう言ってみるが、久坂も高杉も笑うばかりで、幾久は少しむかついた。

「それより夏休み、いっくんいつから帰省するの?」

「え?」

 いきなり帰省と言われて幾久は驚く。

「帰省って、帰らないといけないんすか?」

 試験に忙しくてそんな事全く考えていなかった幾久はええっと驚くが、それに久坂と高杉が驚いた。

「当然じゃろ。夏休みなのにずっと寮におるわけにはいかんじゃろうが」

「え?じゃあハル先輩も帰るんすか?」

「おお」

 そんなぁ、と幾久はがっくりする。夏休みだというのに、あの煩い母親の元にずっと居なければならないのかと考えただけでウンザリする。

「えーっ、嫌だ!オレずっと寮に居る!」

「いっくん子供かよ」

 久坂があきれるが、幾久は驚きのあまりむっとする。

「だって聞いてないっすもん!」

 夏休みまであと一週間程度、それからもう東京に戻るなんて絶対に嫌だ!というか母親が嫌だ!と幾久は思う。

「そんなの手帳に全部書いちゃるじゃろう」

 手帳、とは報国院の生徒が全員貰っている、生徒手帳兼、スケジュール帳兼、日記帳だ。

 それには報国院の試験スケジュールなどが全部書いてある。

 幾久は慌てて自分の手帳を確認する。

「本当だ。退寮日って書いてある」

 信じたくないけれど、終了式の翌々日には必ず退寮することと書いてある。

「うわー、信じられない」

 文句を言う幾久に久坂のほうが信じられない、と言い返した。

「なんで夏休み中も寮に居れると思ってたの、いっくん」

「だって、なんかそんな気がしたんすよ!」

「気がしたからって」

「いやだあー、帰りたくないー!ここがいい!麗子さんのごはん食べたい!」

 そう言ってじたばたしていると、麗子さんがあら、と入ってきた。

「どうしたの?もうごはんにするわよ?」

「麗子さん~!オレ夏休み間も麗子さんのご飯、食べたい~!」

 駄々をこねていると、麗子さんがあらあ、と答えた。

「だったら、夏休みも居たらいいんじゃないかしら?」

「は?」

 それどういう意味だ、と思って久坂と高杉に振り返ると、久坂と高杉の二人が麗子さんに向かって人差し指を自分の口にあて、「しーっ」とやっている。

「先輩ら、またオレを騙してたんすね!」

「騙すって人聞きの悪い」

「そうじゃぞ。実際、大抵の寮は退寮せにゃいけん」

「ここは違うんすよね!」

 ぷりぷり怒りながら尋ねると二人は「まぁね」と答えた。

「あのね、ここは小さいから大丈夫なのよ」

 麗子さんが幾久に笑いながら教えてくれた。

「普通の寮だと、人が多かったり管理が大変とか、あと寮の修理とか点検とか、そういうのするのね。でもこの寮は人数が少ないから、お盆休み以外は居てもいいのよ」

「そうなんだ!じゃオレ帰んなくてもいいんだ!」

 夏休み、学校もなくてこの寮で完全に自由な生活ができるなんて夢のようだ。

「ちゃんと帰っちょけよ」

「え?」

「お盆くらいは、帰っちょけ。でないと、ずっと帰れんようになるぞ」

 正直、家に帰るのは苦痛でしかないけれど、高杉の言葉は妙に重い雰囲気で、幾久は静かに頷く。

「なに、ほんの一週間もねえんじゃ。そんくらい、えかろうが」

「一週間かぁ」

 それでも、ここの快適な暮らしを知ってしまったから、家に帰るのは少し躊躇ってしまう。

「まあ、そんくらいならいいか」

 仕方ない、じゃあ父さんにそう言うか、休みとってくれたらいいんだけどな、と幾久が考えていると、突然「おい」と背後から声をかけられた。

「なんっすかいたんすかガタ先輩」

「いたよ、ここにいなけりゃどこにいるんだ」

 そう言うも、どこか機嫌がよさそうだ。変だなと思ったけれど、面倒なので関わらないでおく。

「さあ、みんな、ご飯にしましょ。きちんと食べないと夏バテしちゃうから、しっかり食べてね」

 麗子さんがそう言うが、毎日おいしいご飯を作ってくれるから、食べないことはありえない。

 幾久は日常の当たり前の食事が毎日、こんなにもおいしくて手が込んでいるなんてここに来て知ったのだ。

 母親は忙しい、大変、と言いながら出来合いのものやインスタントが多かった。

 そういうものだ、とずっと思ってきたけれど、この寮に来てからは毎日が特別な日みたいだ。

 おいしいごはんをおなかいっぱい食べて、誰もヒステリーを起こすこともなくて、きちんとした話し合いがあって、邪魔されることがない。

 将来よりも、そんな毎日の方がずっと幾久には重要に思えた。でもこんな事でここを選んで、将来、後悔しないだろうか。

 やっぱり一度は東京に戻るべきなのかもしれない。

 ここにずっと住んでいるから、どうしてもここがいいと思ってしまうけれど。

 それともやっぱり、一度戻ると、今みたいに東京がいいとそう思うのだろうか。

(わかんないな)

 多分、食事は絶対にこっちのほうが美味しいけれど。



 将来って何なんだろう。

 自分のためって何なんだろう。

 どうするのがいいのかな。

 考えればその答えがいつか出るのかな。

 編入に間に合うくらいなら。


 夏の予定は報国院でも入れている。

 このままだと流されてここに居るような形になってしまう。

 それは良くないことのような気がする。


 考えふけっていると、さっと山縣の箸が幾久の皿からおかずのとんかつを一切れつまみあげた。

「いっくん!おかず、取られてるよ!」

 しかし幾久はため息をつくだけだ。

「ガタ先輩、いいっすねえ。悩みなさそうで」

「悩みならある」

「なんすか。それ上げますから教えてくださいよ」

 とんかつの一切れくらいいいやと思って尋ねると、山縣はよくぞ聞いた!と胸を張った。

「限定のフィギュアをふたつ買うかみっつ買うか」

「もういいです」

 やっぱそっち関係だよな、聞くだけ無駄じゃん、と幾久はため息をつく。

「ガタ先輩、進路とか決めたんすか?三年すよね」

「俺?俺は決まってんじゃん、高杉の行くところ!」

「あー……」

 うきうきと山縣がそう答えるが、山縣は三年で高杉は二年生だ。

「じゃあ、ハル先輩もう進路決めてんすか?」

「そこそこな」

「な?な?高杉はおめーとはワケが違うんだよ!でどこだ?」

 どこだって、今聞くのかと呆れたが、高杉はぼそっと心底嫌そうな声で答えた。

「東大」

「東大?!」

 びっくりして幾久が声を上げると、山縣は「お、おう……」と呟く。流石にそこまではと思っていなかったらしい。

「学部は」

「決めちょらん。けど東大じゃ」

「あー……東大……」

 明らかにトーンダウンした山縣に、幾久は少し胸がすく。

「よかったっすね教えて貰って」

「おう……」

 さっきまでテンションが高かったのに、山縣はがっくりと肩を落とし、もそもそと残った食事を片付けた。

「部屋戻るわ……」

 まるで数日徹夜明けのように山縣はふらふらと立ち上がり、夕食はしっかり片付けて、いつものように自室へと戻ったのだった。




「で、ハル先輩、本当に?」


 食事を終えて、麗子さんも自宅へ帰り、山縣を除く皆でのんびりとコーヒーを飲んでいる時に幾久は高杉に尋ねた。

 高杉の成績ならそりゃ夢ではないだろうけれど、そういった事は聞いたことがない。

「さあのう。進路はまだ決めちょらん」

「え、でもさっき」

「ああ言っちょけば、暫く静かじゃろ」

「確かにそうかもしんないすけど」

 高杉を心酔して、報国院に来て、しかも鳳クラスに入って、おまけに御門寮に入った筋金入りの高杉ファンの山縣の事だ、高杉が東大に行くといえば本気で東大を目指しそうだ。

「どうするんすか、ガタ先輩だったら本気で東大に行きそうなんすけど」

「それはそれでエエじゃないんか?」

「そうかもですけど」

 どうにもこの雰囲気では高杉は東大ではなさそうっぽい。

 まだ決まってないだけかもしれないが。

「ま、どっちにしろガタも進路を決める時期じゃろ。来期からは鳳に戻るじゃろうし、進路を東大と言や、先生らも本気でガタを勉強せさる」

「ひどい話っすね」

 きっと山縣は高杉の言葉を信じて勉強するだろうに。

「なにが酷いか。ガタは勉強する、寮は静かになる、ええことだらけじゃろうが」

 幾久はため息をついた。

「そこが酷いって言ってるんですけど。きっとガタ先輩、本気になりますよ」

 山縣は良くも悪くも正直だ。もし今の成績で東大が余裕ならあんなにがっかりはしない。

 だとしたら、あの山縣の事だ、きっと今からスケジュールを組んで本気で東大を目指す勉強を始めるに違いない。

「そこが唯一と言ってもエエくらいの、あいつのエエとこじゃな」

 ふふんと笑う高杉は楽しそうで、あ、こりゃハル先輩絶対に東大目指してないな、と幾久は気付いた。

 当然、そのことを山縣に教えるなんてことはしないが。

(静かになるならまあいいか)

 知らないうちに先輩達に影響されていることに、幾久は気付いていなかった。

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