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七夕のビスコちゃん

 前期の期末試験が終わり、やっと一息ついた土曜日、七月七日、七夕の日の事だった。

 そろそろ蝉も鳴きはじめ、試験に気を取られていて全く気にならなかった騒々しさが一気に訪れたような気になる。

 これまではずっと勉強、勉強だったが試験も終わり、幾久は寮の廊下でごろごろ転がっていたのだが、買いおきの銘菓『しろくま』を食べつくしてしまい、仕方なくコンビニへ行くことにした。

 御門寮からコンビニはやや遠く、歩いて二十分近くかかる。

 走ればそれほどでもないが、夏の炎天下でそんな事をするわけもなく、幾久は保冷バッグを手に、出かけようとすると久坂にお使いを頼まれた。

「アイスっすか」

「そう。よろしく」

 先輩に使われるのは仕方がない、と幾久もついでなので仕方なく頷く。

 そうしてコンビニで無事アイスを買い、保冷バッグに入れて寮へ戻った時だった。

 門の前に一人、誰か立っている。

(何だろう?)

 時折、観光客が何らかの施設と勘違いしているのはあったので、それかな、とも思ったが、近づくと立っているのは小学生くらいの女の子だった。

 まだ十歳にはなっていないだろう。

 きりっとした眉に、ストレートの黒髪。

 りりしい表情だが、顔は整っていて、夏らしい、浴衣生地のような紺色の品の良いワンピースを着ているので、どことなくお嬢様な雰囲気もある。

 幾久を見つけると、少女は堂々と尋ねた。

「みかどりょうの、かたですか?」

 きちんとしっかりした言い方に、幾久は笑顔で頷いた。

「そうだよ。君は?」

 尋ねると、少女は言った。

「あなたこそ、誰?」

 いぶかしむ表情に幾久は、そっか、と頷いた。

「ごめん、名前言ってなかった。御門寮に住んでる、一年、乃木幾久です」

 そう言うと少女は頷いた。

「あなたが幾久ね」

(呼び捨てかよ)

 そう思ったが、少女は幾久の事は知っているらしい。

 ということは、この寮の身内だろう。

 確か妹がいたのは、と思って考えていると御門寮の通用門から久坂が出てきた。

「いっくん、アイス買ってきてくれた……?ああ、ビスコちゃん」

 久坂を見た瞬間、少女は鞄につけていた防犯ブザーの紐を引き抜こうとしたが、久坂がいち早くそれを止めた。

「やめなよ。ハルに迷惑がかかるよ」

 そう言うと、少女は「ちっ」と舌打ちする。

(え?舌打ち?)

 驚くが少女は久坂を睨みつけると言った。

「お兄ちゃんは?」

「いないよ」

(ってことは、やっぱりハル先輩の妹さんか!)

 幾久は納得した。

 御門寮で一人っ子なのは自分と山縣の二人で、吉田は弟がおり、久坂は兄が居たが鬼籍に入り、高杉には年の離れた妹がいる、とは聞いていたが。

(確かに、良く見たらそっくり)

 きりっとした眉も、涼しげだけど神経質そうな目も、賢そうな雰囲気も、言われたら納得する。

 少女はふんと顎を軽くあげて言った。

「嘘つくな。さっさと出し」

(言い方も態度も、ほんとハル先輩そっくり)

 幾久が感心していると久坂が言った。

「本当だってば」

 久坂が困ったな、という風に苦笑するも、少女は言った。

「嘘くせえ」

「本当だってば。今出かけててね。ハルが帰って来るまで待ってる?ビスコちゃん」

「びすこ?」

 変な名前だな、と幾久が思うと、少女から久坂に蹴りが入った。

 そんなところも高杉そっくりだ。

「コウメよ!」

 そう怒鳴って、幾久はなるほど、久坂が高杉の妹をからかったのかと判った。

 少女はじろっと久坂を睨み、次に幾久に尋ねた。

「幾久は居るの?」

「へ?オレ?」

 居るのもなにも、帰って来たばかりだ。

「まあ、居るっちゃ、居る」

「だったら行く」

 そういって幾久の傍にちょこんとついた。

(なんか可愛いなあ)

 言葉は強いが、行動は小さな女の子そのもので、幾久は思わず笑った。



 御門寮は日本家屋なので、夏といっても家の中は随分と涼しい。

 それでもエアコンは入れたほうがいいかな、と幾久は思いつつ少女を気にすると、丁度靴を脱ぐところだった。

 子供らしく、脱ぎ捨てるような事を想像したが、少女はきちんと靴を脱ぐ。

 そのしぐさが一々丁寧で、きちんと靴をそろえて上がる。

 態度と口調は偉そうだが、やはり高杉の妹、お嬢様なのだろう。

「あの、洗面所はある?」

「洗面所?あるよ。案内する」

 手を洗いたいらしくそう言うので、幾久は洗面所に案内した。

 届かないので幾久が抱えてあげたが、きちんと手を洗い、自分のハンカチでぬぐうあたりちゃんとしている。

「きちんとしてるね」

 幾久が誉めると少女が言った。

「お兄ちゃんが風邪ひいたら大変だから。お体が弱いの」

 そういえばそんな話もあったな、と幾久は思い出す。

 幾久もならって手を洗うと、少女は尋ねた。

「お兄ちゃんは、ご病気にかかってない?」

「ハル先輩?オレが知る限りは全然ないよ。春からしかいないけどね」

「そう、だったらいいの」

 おしゃまな子だな、と幾久は思わず頬を緩めた。

 久坂に対する態度は、いまにも噛みつきそうだが幾久にはそうでもない。



 手を洗い終って、さあどうしよう、と幾久は考えた。

(ハル先輩のことだから、すぐに帰ってくると思うけど)

 久坂が寮にいるということは、そこまで遠い場所に出かけているとも考えにくい。

 せいぜい、遠くても学校程度だ。

 だったら、用事が長引かない限り、一時間もしないうちに帰って来るだろう。

「えーと……コウメちゃん?ハル先輩が帰ってくるまで、お茶でも飲む?」

 飲むのなら、ダイニングか、もしくは居間で待ってもらえばいいだろう。

 山縣はほぼ出てこないだろうし、吉田はバイト中のはず、久坂は寮に居るし、と考えていると少女は幾久の手を引いた。

「それより、寮の中が見たい!見せて!」

「寮の中?いいと思うけど、一応、久坂先輩に聞かないと」

「だったらいい」

 ふんっとそっぽを向く少女に、幾久は尋ねた。

「久坂先輩の事、苦手なんだ?」

「あいつ嫌い」

「なんで?お兄さんの親友でしょ?」

「だからよ。あいつ、いつもお兄ちゃんの隣にべったりだし、お兄ちゃんはいつもあいつを気にかけてるし。しかもあいつ、あんなデカい癖に泣き虫なのよ」

「泣き虫?!」

 久坂が泣き虫とは、新鮮な情報だ。

「へー、久坂先輩って泣き虫なんだ」

 意外だ、と幾久は驚いた。

「なんか血も涙もない人に見えるけど」

「幾久、そこは間違ってないわよ。あいつはレイケツなのよ」

「冷徹って言ってほしいな」

 そう突っ込んできたのは久坂だ。

 少女が露骨に嫌な顔をした。

 が、幾久は久坂に尋ねた。

「久坂先輩、コウメちゃん寮の中を見たいんですって。見せてあげていいですか?」

 尋ねると久坂はにこにこ微笑んで頷いて言った。

「勿論ダメに決まってるじゃないか」

「え?なんでですか?」

「ビスコちゃんが僕を蹴ったから」

「うるさい!あんたなんかお兄ちゃんをひとりじめしてるくせに!」

 少女が言うと久坂はにこにこしながら返した。

「悔しい?僕は君が生まれる前からハルと付き合いがあるから仕方ないよね」

「しかたなくなんかない!お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなの!私だけのなの!」

「僕のだよ」

「コウメのなの!」

「ちょっと久坂先輩、みっともないことやめて下さいよ」

 もう、と幾久が少女の前に立った。

「どういう関係なのかは知りませんけど、こんな小さい子にそういう言い方酷いじゃないですか。しかも女の子なのに」

 久坂はにこにこしたまま幾久に言った。

「だってハルは僕のだし」

 すると閉まっていたはずの開かずの扉、もとい、山縣の部屋の扉がすぱーん!とあいた。

「高杉は俺の嫁つってんだろ!」

「うわ、まためんどくさいのが」

 幾久がげんなりすると、山縣が部屋から出てきた。

「これはコウメ師匠ではございませんか」

 面識があるらしく、そして少女に変な肩書で呼んでいる。

「ガタ、あいつ、どねえかせえ」

 少女が久坂を指さすも、山縣はぐぬ、と立ち止まった。

「どうにかしたいのは山々なのですが、惜しむらくはわが軍は圧倒的不利な状況にあり……」

「役立たず!」

「面目ない!」

「うわー、面白い」

 山縣と高杉の妹の、まるでコントみたいなやりとりに幾久はあきれて手を叩いた。


 久坂、山縣、高杉の妹というわけのわからない三すくみ状態で、面倒くさいなあ、と幾久が思っていると、廊下を高杉が歩いてきた。

「お前ら廊下でなにしちょ……コウメ!」

「お兄ちゃん!」

 高杉を見つけた少女は、高杉にしがみついた。



 山縣は再び部屋に籠り、幾久と久坂、高杉と妹は全員居間へと移動した。

 出かけていた高杉は、幾久の想像通り本をうけとりに書店へ出かけただけだった。

「そりゃ手間とって悪かったのう」

 妹を膝に乗せて、高杉は機嫌よくにこにこと笑っている。

 暑くないのだろうかと思うが、全く気にする様子がない。

(溺愛してるって、ホントなんだ)

「お兄ちゃん、全然おうちに帰ってこないから、こっちから来たの。たなばただし!」

「じゃあ、入れ違いじゃ。ワシもそう思って、さっき家に寄ったんじゃが留守と聞いての。寮に帰ったんじゃ」

「おそろい!」

「おそろいじゃの」

 そういってにこにこ微笑む高杉とその妹は、なるほど、そっくりだった。

「二人とも、スゲー似てますね。ほんとそっくり」

「名前もそっくりなの!」

 すっかり機嫌を良くした少女が言うと、高杉も頷いた。

「コウメの字は、呼ぶ、梅、と書くんじゃ。ワシと同じ字じゃの」

「確かに」

 てっきり響きから「小梅」かと思ったが、「呼梅」らしい。

「かっこいいですね」

 幾久が誉めると、高杉と呼梅の二人は破顔した。

「ビスコちゃん、お茶いる?」

 久坂の呼びかけに呼梅はそっぽを向く。

「おい瑞祥、その呼び方やめちゃれ」

「だってビスコ大好きでしょ?ビスコちゃん」

「好きだけど、お前はきらい!」

「久坂先輩、もういい加減にしてくださいよ。ハル先輩もなんか言ってください。さっきからずっとこうで」

 高杉は首を横に振る。

「何回ゆうてもやめんのじゃ」

「だってハルは僕のだからね」

 にこにこ微笑んで言う久坂に呼梅が返した。

「呼梅の!」

「ぼくの」

「呼梅の!」

「ビスコちゃん」

「違うもん!」

「あー、おまえらええかげんにせえ」

 高杉が抱えている呼梅の口を手でふさぎ、久坂の額を指でばちんとはじいた。

「痛いな、ハル」

「ふざけてばっかりおるからじゃ」

 高杉の手から逃れた呼梅が久坂に言った。

「なきむしずいしょうのくせに!」

 すると高杉がぶっと吹き出した。

 幾久が高杉に尋ねた。

「久坂先輩、血も涙もなさそうなのに、泣き虫なんスか?」

「いっくん、なかなか言うようになったね」

 ふふーんと久坂は笑っているが、幾久は首を横に振った。

「一般的な正しい見解ッス」

 すると高杉がふっと笑った。

「幾久はちゃんと育っちょるみたいじゃの」

 と、呼梅も頷く。

「幾久は、見どころのあるやつ!」

「どうも」

 もう今更呼び捨てはいいか、と思い、幾久は高杉に尋ねた。

「それより、なんでビスコが出てくるんです?」

 高杉が言った。

「ああ、こいつが昔から好きでの。持ち歩いちょったんじゃ」

 そこで幾久は、はっと思い出した。

 報国院の入試の日。

 もうすぐ春になろうかという頃、試験を受けた帰り、鳩に昼食を奪われた幾久に、初めて会った高杉はビスコをくれた。

「じゃあ、最初に会った日に、ハル先輩がくれたビスコって」

「ああ、あんときか。丁度持っちょったけえの」

 高杉はぷっと噴き出した。

「あんときの幾久、鳩に豆鉄砲くらったような顔じゃったのう」

「だからいっくんは鳩だったわけ?鳩にやられて?」

 久坂が尋ねると幾久がむっと返した。

「別にやられたわけじゃないっす。あんな鳩だって知らなかっただけで」

 報国院高校は神社の敷地内にあるが、その敷地内に住んでいる鳩はやたらなつっこく、すぐに人に近づいて餌を貰おうとするどころか、なにか食べていると奪おうとすらする。

 全く知らなかった幾久は、昼食のサンドイッチを鳩に奪われてしまったのだ。

「まさか自分からサンドイッチに頭突っ込むとか思わないじゃないっすか」

「うちの鳩はねえ」

「そうじゃのう」

 そういって久坂と高杉がニヤニヤと笑う。

「何ッスか?」

「いや、何にでもよく首を突っ込む鳩じゃのう、と思っての」

「来期は鷹にグレード上がるんだよね?」

 さすがにそこまで言われたら幾久だって自分の事だと判る。

「久坂先輩のアイス、あとから外に出しておきますね」

「やめてよ、勿体ないだろ」

「やっちゃれ、幾久」

 そう言ったのは呼梅だ。

 本当に喋り方まで高杉そっくりだった。

「そうだな。じゃ、そのうち仕返ししないと」

「その前にお礼してよ!僕らのお陰で鷹に上がれるようなもんじゃん」

 久坂が言うと高杉も頷いた。

「そうじゃぞ。ワシらの努力も認めい」

「もー、じゃあアイス奢りますよ、アイス。和菓子屋の奴。それでいっすよね」

 幾久が言うと久坂と高杉が喜んだ。

「やったー、いっくんのおごりだー!」

「後輩からのお礼とは、エエもんじゃの」

「強奪じゃないすか」

 そう言っても、確かに先輩たちのおかげでかなりテストの結果は良かった。

「でもまだわかんないっすよ?結果出てないんスし」

 自分も気になるが、児玉の結果も気になる。

 だが二人はのんきに言った。

「大丈夫だって。採点したらまず間違いないって」

「そうじゃの。あの点数なら、まず間違いなく鷹には行けるはずじゃ。どの位置の鷹かは、知らんがの」

「そうだったらいいんスけどね」

 あれだけ勉強した上に、啖呵まで切ったのだから上がってないとカッコ悪い。

 それに、上がったとしても来期はまだこの学校に残るのかどうかも決めていない。

「じゃあ、幾久、短冊にお願いしたら良い!」

 呼梅の言葉に、高杉も「そうじゃのう」と頷く。

「お願いって。短冊もなにもないのに」

 確かに今日は七夕だが、なにも支度をしていない。

「そんなの、上に登ればいくらでも竹も笹もあるじゃん」

 久坂が言うと、高杉も頷く。

「そうじゃの。栄人に言や、取ってくるじゃろ」

「へ?」

「っていうか、多分庭に転がってるんじゃない?今日が七夕なら、仕入してる可能性が高いよ」

「そうじゃったの。じゃあ庭を見てくるか」

 呼梅と高杉は手を繋ぎ、一緒に庭に出て、手ごろな笹を抱えすぐ戻ってきた。

「立派な笹が置いてあった。これを使おう」

「やったー!」

 呼梅は大喜びするが、幾久は「え?」と驚くばかりだ。

「いや、なんで笹が転がってるんスか」

 久坂が言った。

「庭の中の林があるから、そこで切って花屋かどっかに仕入たんじゃない?」

「売りに出たんすか?」

 試験中なのに!と驚く幾久に高杉が笑った。

「驚くことじゃなかろう。早起きして、笹伐って、花屋に売りに行くくらい、あいつならするし、多分じゃが、商店街で予約も取ったりしたんじゃないか?」

「しょ……商魂たくましいッスね……」

 稼ぎの鬼だと知ってはいたが、試験中にもするとは、さすがにそれは驚く。

「おかげでこっちはおこぼれに預かれる、ちゅうわけじゃ」

 高杉は玄関にある陶器の傘立てに笹を挿した。

「さ、笹も手に入れたし、あとは飾りを作るか」

「飾り?」

 それこそ、そんなものどうやって、と思うが高杉は気にせず呼梅の手を引いて御門寮の居間に戻った。

「飾りって、どうするんスか?」

 尋ねる幾久に高杉が言った。

「作る。折り紙ならあるしの」

 あるんだ、と幾久は驚いた。

「なに驚いちょる。お前の歓迎会で、飾りを作ったのはワシらじゃぞ」

「え、マジで」

 それは今更だが、わざわざご苦労な事だ。

「じゃ、久しぶりに工作するかな」

「えっ?久坂先輩もするんスか?」

「当たり前だろ。僕ら、けっこう得意だよ」

「へー……意外」

「お兄ちゃん、お願い事、呼梅も書く!」

 手を挙げて言う呼梅に、高杉は「そうじゃの」と優しく笑って頭を撫でる。

(なんかああいうところ、お兄さんって感じだなあ)

 寮に来た当初、山縣と喧嘩して泣く幾久を優しく撫でたのは高杉だったと思い出す。

「呼梅の願い事は何じゃ?」

「ウィステリアに入るの!報国院は女の子は入れないから!お兄ちゃんみたいにトップで入るの!」

「お前は賢いから出来るじゃろう」

「もちろん!」

 そう言ってふんぞりかえる呼梅を、幾久も微笑ましく見た。

「幾久、お前は願い事、なんて書く?」

 高杉の問いに、幾久はしばらく考えて。

「早く進路を決められますように、ッスかね」


 幾久が言うと、久坂と高杉が顔を見合わせて「今更!」と同時に噴き出した。



 ビスコの箱を飾りに使おうとして久坂が呼梅に蹴っ飛ばされたり、『一生ビスコに困りませんように 高杉ビスコ』と書いた短冊を呼梅に破られたり、『くさかがこまりますように こうめ』と短冊で戦ったりと、七夕の日も、御門寮はにぎやかに過ぎていったのだった。


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