不思議な学校と先輩
「ま、そんなとこ。高校浪人は嫌だって思ってたけど、こんなギリで試験受けさせてくれるところもなかったし。でもこの学校は大丈夫だって聞いて試験を受けにきたけど」
そこそこの進学校だから、その気になれば大学は東京に戻ることも可能だ、なんなら高校でどこか編入してもいい、と父に聞いたのでこの学校を受けたのに。
「まさか馬鹿田高校とか」
「はぁ?」
がしっと幾久の脛にローキックが入る。
「うわっ!」
痛む膝を抱えて思わず片足で飛び跳ねる。
「な、にすんだよ!」
「お前こそなに言っちょんじゃあ。蹴るぞ」
「蹴る前に言えよ!」
思わず怒鳴るが、男は静かにもう一度言った。
「蹴るぞ」
もう一回、という意味だろうか。
冗談じゃない、さっきのキックだって相当痛かった。というより現在進行形で痛い。
慌てて幾久は謝った。
「うそ、やめろよって!ごめんってば!オレが言い過ぎました!」
「わかりゃええ」
ふん、と男がジャージのポケットに両手を突っ込む。
「えーと……言い過ぎました。スミマセン」
「おー、」
男はまだむっとしている。
そうだよ、レベル低いなら乱暴者が多いに決まってんじゃんか。気をつけないと。
「あ、で、でも」
話題を変えようと幾久は必死になって言った。
「名前書くだけで合格とか……」
男はまた不機嫌な顔になった。
あれ。
ひょっとして話題の選択間違ったか。
地雷踏んだ?やば、と思ったが、男は不機嫌そうなまま、幾久に言う。
「言ったろ。この学校はクラスで全然レベルが違う。名前を書くだけで合格するのは千鳥だけじゃ」
「千鳥?」
なにそれ。
必殺技?と幾久が首をかしげていると男が言った。
「クラスの名前。上から鳳、鷹、鳩、千鳥。成績順でクラスも授業内容も違う。まあ、鳩と鷹は似たようなもんか。お前、試験はまじめに回答したんじゃろ?」
幾久は頷いた。
用意された試験の内容はかなりレベルが高かった。だからそこそこいい学校なのかな、と思ったのに、名前を書いただけで合格と聞いて驚いたのだ。
「クラスの名前、変わってんだ」
「この学校の伝統じゃからの」
普通は特進とか、そういうのがつきそうなものなのに。
「東京でもいいトコにおったんなら、上手く行きゃ鷹、まあ最低でも鳩くらいには入れるじゃろ。悲観するほどレベルは低くないはずじゃけどの」
「そう願うよ」
ふう、と幾久はため息をつく。
そして違和感を覚える。
あれ?オレ東京から来たって、こいつに言ったっけ?
「よそは知らんが、うちはええ学校じゃと思うけどの。犯罪とか、マナー違反とかしなけりゃ基本自由じゃ」
「へー……」
こんな田舎で自由を許されたってなあ、と幾久は思う。
のどかと言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけ何もない田舎にしか見えない。
学校と言っても、神社の敷地内にあるとか。変わっているといえばそうだけど。
「タクシー来るんじゃないのか。時間、大丈夫か」
「えと、あー、ぼちぼちかな。校門前に来るって」
「こっちじゃ。案内しちゃる。迷ったら目もあてられん」
ありがとう、と礼を言うべきだろうけどかちんときたので言うのはやめた。
案内されたのは境内の真正面。つまり神社の、鳥居の真下だ。
「……ここ、神社の前じゃないの」
男が鳥居の傍にある石柱を指すと、そこは文字が刻んであった。
【報国院男子高等学校】
「は?」
幾久はまるっきり見逃していた。
(っていうかこれ校門って無理があるだろ!どう見てもただの神社の鳥居の横!)
「だまされた!」
思わず幾久が怒鳴ると男が呆れた顔で告げた。
「なにがじゃ。ちゃんと書いちゃあろうが」
「見落とすだろこんなん普通!うわあ……じゃ、こっから入りゃよかったのかよーマジでか」
あんなにぐるぐる回って入り口を探したのに、ここから入ればよかったとか。信じられない。
「めちゃくちゃ探したっつーの」
「注意力が足りないだけじゃな」
ふふんと男が笑い、幾久はむっとして言った。
「こんなん見つけろってほうが無理だろ。フツーじゃねえじゃん」
「ああ、そう、それじゃ」
「へ?」
「『フツーじゃねえ』じゃ。この学校にフツーを期待せんほうがええ」
「……なんかさい先怪しいんだけど」
そう幾久が言うと、男が言った。
「名前書けば受かるクラスと、市内全域でトップクラスじゃないと受からんクラスが同時にある学校じゃから、『普通』は期待せんほうがええ。多分、全部足して割ったら普通になるかもしれん」
「それでもオレには、ここしかねーもん」
どんなに嫌でも、一旦はここに来ると決めたんだし、そうしないで高校浪人は絶対に嫌だ。
「じゃ、諦めえ」
男が言う。
「郷に入りては、って言うじゃろ。それになんだって慣れるもんじゃ」
「そうかなあ」
どうもこの学校にはピンとこないというか、自分がこの学校に入るというイメージが湧かない。
多分、つい先月までは今までの学校に通うと信じていたせいかもしれない。本来なら、中学からの持ち上がりでそのまま高校に進学できるはずだったのに。
(面倒くさい)
本当に一回だけの失敗がここまで引きずるなんて考えもしていなかった。
だけど今更もとの学校に戻るのも嫌だし、戻るつもりも無い。
ひょっとしたら大学で以前のクラスメイトにがち会うかもしれないけれど、そこまで考えていたら何も出来なくなってしまう。
たった三年。
中学の頃みたいに普通に過ごしてさえいればいいんだし、大学までの我慢だし、三年なんかなにもなければあっと言う間だ。
「ま、なんでも経験じゃけ、来てみるとええ。歓迎するぞ。なんだって慣れりゃ普通になるじゃろ」
そういうものなのかな。
そう考えていると二人の前にタクシーが停止した。
丁度約束の時間になったらしい。
ドアが開き、運転手が尋ねた。
「空港まで行く人?」
「そうです」
頷くとドアが開いた。
幾久がタクシーの後部座席に乗り込むと、ドアが閉まる。
ドライバーは知り合いと思ったのだろう、気を利かせて幾久の傍の窓を開けた。
「またな乃木」
(え?だから、オレ、名前言ったっけ?)
首をかしげた幾久に男がなにか放り投げた。
思わず受け取ったそれはお菓子の箱だった。
おいしくて強くなる、子供の頃に食べたあれだ。
(ビスコ……なんで?)
「腹の足しにせえ」
じゃあな、と男が手を振る。
態度は問題だらけの先輩だったが、いろいろ助けてもらったのは間違いない。
お礼を言わなくちゃ、と幾久は身を乗り出した。
「あの、いろいろありがとう!あと、名前教えてください!」
男は笑って幾久に言った。
「高杉」
じゃあな、と男が軽く手を上げ、振る。
窓が閉まり、タクシーが発進した。