桂 雪充の憂鬱(4)
「逆に、中期に希望のクラスに入れなくてもまだ頑張るっていうタイプは、後期には必ず希望のクラスにいけるよ。それだけ気が緩まないってことだから」
後期に希望のクラスに入るまで頑張る、ということは折角受かったのに入学からずっと冬まで、つまりほぼ一年間受験のような勉強をし続ける、ということだ。
「確かにそこまで行くと執念かも」
俺、頑張れるかなあと弥太郎がはじめて弱音を吐く。
「別に弥太郎はどうしても鷹って思っているわけじゃないんなら、頑張る必要はないじゃない」
「や、でもいっくんに言いたいんすよ!俺も鷹行く、って」
「言うだけならいくらでも言えんだろ」
児玉が乱暴に言うが、弥太郎は、えぇー、と唇をすぼめて蛸のような顔を作った。
「言うだけって嘘ってことじゃん。やだよそんなん」
「でも勉強するの面倒じゃん」
「あれ、タマってそう思ってるんだ」
意外そうに雪充が言う。
「思ってますよ」
児玉が答えた。
「正直、俺そんな頭よくないし、勉強も得意じゃないっす。鳳が目標だから、大学だっていい所に行きたい!っていう野望もねーし。あ、ないし」
先輩の前なので言葉を言い換えたけれど、雪充はそんなのを気にしない。こんな事を気にしていたら、高杉達となんか一緒に居られないからだ。
「鳳きっついなって、正直ちょっとウンザリしてるところっす」
児玉の正直な言葉に、弥太郎は肩をすくめ、雪充は苦笑した。児玉が必死に頑張っているのを知っているから、応援はしている。
だけど、鳳以外の目標がないまま、勉強をし続けるのは正直難しいのではないかと思う。
「大学とか、いまのうちに目指すところ探したらいいのかもしれないんすけど、ずっと鳳の事しか考えてなかったんで、今は鳳についていくので精一杯っていうか」
児玉にとって、目標は鳳クラスだった。だから受験の時はいくらでも頑張ることが出来た。
絶対に報国院に受かって、鳳クラスに行くんだ、あのネクタイを締めるんだ。
そんな児玉の願いは、叶いはしたけれど。
「今のクラスに居るための努力って、けっこうテンションあがらないっすね」
クラスメイトで弥太郎と幾久のように、すごく仲がいいやつがいる訳でもない。
それなりに話をする人もいないこともないけれど、授業についていくので精一杯の児玉は、時間さえあれば教科書や教材とにらめっこだ。
それでも、鳳の下のほうなのだから、上にいるやつとは頭の出来がそもそも違うんじゃないのかと思ってしまう。
「勉強ってやり方があるし、特に鳳になると自分で考えることが重要になるからね」
鳳の授業は教科書も使うが、教師が独自の授業を作って行っているので、いかに基礎が出来て理解しているかが重要になる。
だから、高杉のようにじっくりと基礎を理解していて、自分の頭で考える癖が昔からあるタイプは、鳳の授業についていける。
鳳から脱落するのは、詰め込み式の勉強で乗り切ってきたタイプの人間だ。
試験はそれでなんとかなっても、授業についていくのが難しくて、児玉のようにうんうん悩む羽目になる。
児玉は真面目だ。
基礎をやり直して、きちんと理解しようともしている。
だけど圧倒的に、自力で思考するという能力がまだ実っていない。
鳳クラスに入って最初に躓くところに、見事躓いてしまっているというわけだ。
「鳳の授業に関してはさ、タマがついていけないっていうのはレベルの話じゃないから。あくまでタマの考え方がまだ固まってないせいだからね」
とにかく授業の内容もハイペースではあるが、自分の考え方に当てはめていけば早くてもどうにかなるものだ。
だから、報国院に入学する前から『自分なりの考え方』というものをしっかり持っている連中の、理解力は半端ない。ちょっとやっただけでさっと理解できてしまう。
その最たるものが、高杉や久坂、吉田だが。
(いっちばん判りやすいのが、山縣だよなあ)
同級生の変わり者、山縣を思い出して雪充はため息をつく。
オタクな山縣は高杉を心酔して高杉に嫌がられているのだが、タチが悪い事に、山縣の能力値は高い。
言っている事は山縣なりの理屈はあるし、理解力もその気になればすさまじく高い。
勉強も成績もどうでもいいけど、鳳じゃないと高杉と一緒の寮に居られないから鳳に居る!という、理解できない考えを持っている。
そんな馬鹿げた考えで、鳳なんかに入れるわけがないと山縣を嫌う同級生は言っていたが、そこでさくっと鳳に居るのが山縣だった。
そのくせ遊びたい事があるとそっちを優先して、鷹に落ちてはまた鳳に戻る。
戻るときは『戻るかー』みたいな感じで軽く戻るのがまた努力タイプには気に入らないらしく、喧嘩になってしまうことが何度もあった。
また山縣も、そういったタイプに対して遠慮するとか気遣うことは一切しないので『能力低いやつがからんでんじゃねーよ、うぜー』とかインターネットの感覚を現実に持ってきてはまたトラブル、という事をよくおこした。
だから児玉には、そうなって欲しくはなかった。
「ねえタマ。いやな事を言うようだけど」
児玉が顔を上げた。
「もしも、タマが中期に鳳じゃなかったとしても、それはタマの能力が低いせいじゃないからね」
「……?そう、ですかね」
「そうだよ。だって鳳に入学できたことだけでもけっこうたいしたことだよ。僕が言うと、自画自賛みたいに聞こえる?」
鳳クラスの雪充が言ったら確かにそう聞こえてしまいそうだが、嫌味なところがない雪充の雰囲気に、児玉は首を横に振った。
「鳳の授業についていけずに脱落するのを、僕だって何人も見てきたけど、能力が低いから落ちるわけじゃないっていうのはわかるんだ。努力しなけりゃ、そりゃ落ちるのは当然だけど」
「……」
「鳳に所属している連中って、鳳にずっと居ることが多いじゃない?」
「ああ、ハイ」
鳳クラスに入っている人は、落ちたり、あがったり、という人も居れば不動の人も居る。雪充も高杉も久坂も吉田も、その不動の位置に居る人たちだった。だからそれなりに校内で知名度があるのだ。
「それは頭がいいからって言うよりも、自分の考え方を把握して、それを勉強に応用できているからだよ」
「よく判らないっす」
「つまり、どんな勉強であっても、自分が中心にいて考え方を持っていないと、とてもじゃないとついていけないって事だよ」
児玉がつらいのはそのせいだ。
授業にあわせて勉強すれば、あのスピードについていくのは難しい。
でも、自分が何を理解して、なにを理解していないのかを把握して、自分なりの考え方に照らし合わせていけば出来ないこともない。
「鳳クラスって、どんな授業も数学の証明問題みたいなものだから。まず、理解しないと理屈が全く合わなくなってしまうんだよ」
「なんとなくだけど、判ります」
「でもさ、証明をするには基礎を理解してないとできないよね。その基礎が、鳳では『自分の考え方』ってやつになる。タマは、それだけがまだ整ってないから辛いんだよ」
「はい、」
児玉は返事をくれたが、理解できていないような声のトーンだ。
「……わかんないよね?ゴメン。僕も上手く説明できなくて」
「いや、俺が、わかってないっていうのは判ります。証明問題っていうのも判りやすいし。でも、きっとまだ判ってないんだろうなっていうのも、判ります」
基礎の勉強はきちんとやっている。
能力だって低いわけじゃない。それなのにどうして、鳳にいけないのか。
なぜアイツなんかより、俺の方が下なんだ。
そう言う連中を、雪充は何度も見てきた。
「うまく説明できる誰かが居たら、いいんだけど」
そう悩んで、雪充ははっと気づく。
(―――――え?)
いや、一人居る。
たった一人、その考え方という理屈に対して凄くわかりやすい存在が。
(あいつが確かにそうだけども)
説明に困る。
ここで児玉になにか説明しても、あれが見本じゃきっと混乱を呼ぶだけだろう。
「雪ちゃん先輩?どうしたんっすか?」
「―――――いや、なんでもないよ。うまく説明できなくてゴメンねタマ。勉強に戻ろっか」
「あ、ハイ」
これ以上悩みを増やすよりも、勉強に戻ったほうがいい。
児玉にはもうちょっと、上に行って欲しいけれどだからといってあいつを例に出すのはやりすぎだ。
あれはいつの事だったろうか。
試験前に必死で勉強するある同級生が、あまりのふざけた態度の『あいつ』に我慢できなくなり、かなり手ひどい文句を言ったのだが。
あいつときたら文句を言われて凹みもしなければショックも受けない、言い返しもせず爆笑して、さんざん馬鹿にした挙句にその同級生を鳳からひきずりおろしてしまったのだ。
その時の試験は難しかった。
完全に内容を理解していないと絶対に解けない問題ばかりだった。
正直、雪充にとっても難しいその問題を、あいつは全く平気な顔で理解して見せて、さすがに雪充もその時は驚いて尋ねてしまったのだった。
『一体、どういう考え方をすれば、あれを間違いなく理解できて、かつ、答えを間違えずに済むのか』と。
その試験については、圧倒的にあいつの一人勝ちだったからだ。
あいつはこう、言ったのだった。
『は?あんなんカードバトルに比べたら、めっちゃ設定楽ちんちんじゃねーかよ。こっちのポテンシャルと相手のポテンシャル、環境、パターン、性格、ゲームルールで考えたら簡単すぎて単なるクソゲーだわwwwwあんな設定程度もクリアできねーなんて終わってんなおめーらwwwチュートリアルも終わらねーんじゃねえのwww』
それだけ言うといつも通り部屋にこもってしまった。
雪充はやっと理解した。
山縣の考え方が、自分には絶対に理解できないということを。
ゲーム脳もあそこまで極めれば、確かに勉強に応用できるのかもしれないが、果たしてゲーム脳がそうなのか、山縣が一人だけそうなのか。
それは雪充には判らない。
必死に勉強している一年生を尻目に、山縣のようにはなってほしくはないけれど、自分なりの考え方を持って、希望のクラスに所属できたらいいんだけど、さてどうやってそれを教えたらいいのかなと雪充は頭を悩ませる。
この一生懸命さを歪ませずに、希望の場所へ昇るために、自分に何が出来るのだろうか。
とっくに歪みきった後輩しか知らないから、歪ませないのが正しいのか、歪んでも伝えるのが正しいのか。
雪充には全く判らず、勉強は中々身に入らなかった。
(いつか、わかるようになるのかなあ)
困ったときに尋ねればなんでも答えてくれたあの老人のように、自分もいつかああなれるのだろうか。
美しい松葉緑の羽織を羽織った、いまはもういない翁を思い出しながら、雪充は再びノートへ目を向けたのだった。
桂 雪充の憂鬱・終わり




