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犬養君と毛利君と御門寮の仲間たち

 コーヒーを飲んで少しは大人しくなるかと思いきや、そんなことは勿論なかった。

 騒がしい人たちを避けながら、幾久はキッチンで自分用のお菓子を持って居間に戻ろうとした時だった。玄関に誰かが居て、何度も扉を叩いている。

「こんばんは、ちょっと誰か、」

(ベル、なんで鳴らさないんだろう)

 少し不気味に思いつつ、まあ、先輩も先生もレスラーもいるから大丈夫か、と、幾久は玄関の扉をあけた。

「はい、いま開けます」

 幾久が玄関を開けると、そこにはメガネをかけた男性が立っていた。

「いやあ、助かりました。さっきから何度も呼び鈴鳴らしてるのに気づかれなくて」

 はは、と笑う、いかにもおとなしそうなサラリーマンと言った雰囲気の男性に幾久は尋ねた。

「ひょっとして、御門の先輩っすか?」

 男性は頷いて幾久に笑顔で答えた。

「そうです、犬養って言います。君は寮生だね?はじめまして」

 そう言うと、犬養と名乗った男性は名刺を出して幾久に渡した。

 名刺には、地元ローカルのテレビ局が書いてあって、肩書はアナウンサーとあって、幾久は思い出す。

「昨日のプロレスと、今日のフェス!」

「あ、見てくれたんだ?嬉しいなあ」

 幾久はそこで、目の前の男性が誰であったか気づいた。昨日のプロレスでも実況して、今日のフェスでもMCをやっていた犬養アナウンサーだ。

 地元ローカルのアナウンサーをやっていて、誠実そうな雰囲気が地元の奥様方に人気だ。

(この人も御門だったのか)

 へえー、と意外な人に幾久は驚くが、犬養はにこにこと幾久に尋ねた。

「失礼だけど、君の名前を聞いてもいいかな?」

「あ、もちろんっす。一年、乃木幾久です」

「へえ、乃木君か。犬養長門です。よろしくね」

 乃木に反応するでもなく、杉松の事を言うでもなく、丁寧に名刺を渡してにこにこしている男性に、幾久はほっとした。


(やっとまともな人が出てきた。御門にもこういう人もいたんだなあ)


「先輩、居間にどうぞ。オレ、お茶持って行きます」

 キッチンへ行こうとした幾久を、犬養が笑いながら止めた。

「いいよ、自分のお茶くらい自分で運ぶから」

「でもキッチン、いまめちゃくちゃ凄い事になってるんす。騒がしい先輩たちが集まってて」

「それでベルが聞こえなかったのか」

 犬養が苦笑するので幾久は「すみません」と謝った。

「気にしないで。こっちも来れるかどうか判らなかったんだし」

 犬養は穏やかで、しぐさも無駄がない。品がいいというか、育ちの良さが現れている。

(奥様に人気があるの、わかるなあ)

 穏やかで優しく、静かで、幾久を子ども扱いしない。

 幾久は犬養に好意を抱いた。


 居間に戻ると先輩たちがにぎやかにしゃべって遊んでいる最中だった。

「あ、いっくん来た来た。ちょっと、早く戻ってよ、テンポ崩れるじゃん」

 福原がコントローラーを持ってぶつくさ言っている。

 幾久がやっているサッカーのゲームをいま二人で対戦していたからだ。

「それより先輩、先輩が来てるんですけど」

「へ?」

「こんばんは」

 現れた犬養に、一同がざわっとなった。あれ?と幾久は思ったが、全員が顔を見合わせている。

 そしてきょろっとあたりを見渡すと、よしひろが立ち上がって犬養の肩をつかんだ。

「犬養君、昨日と今日はおっつかれぇ!どしたん?仕事早かったんだなあ!」

「先輩こそ、いつもありがとうございます。うちの局でも人気高いですよ、モカ・リブレ」

「うんうん、いつも宣伝あんがとさん!!」

 言いながらよしひろは妙に焦っているように見える。どうしてなんだろう?と思っていると、福原も青木も動きが止まっていた。

 え?と思っていると、トイレから毛利が戻ってきた。

「あーまったく、年とると尿意近くてやーね」

 すると、それまでにこにこ微笑んでいた犬養の額に、血管が浮かび上がった。

「もぉりぃぃいいいいい」

「げ、長門、なんでお前ここにいんの」

 毛利が露骨に嫌そうな顔をして後ずさる。

「なんで?はぁ?なんで?お前こそなんでいるんだよ?!」

 急に怒り始めた犬養に、幾久は引く。

(え?なんでいきなり?)

 ひょっとしなくても、毛利は犬養に恨みを売っているのだろうか。

「だって俺、保護者だし。なあ?乃木?」

「いやオレにふらないでくださいよ」

 ここは正直関わりたくなくて言うと犬養は毛利に言った。

「ほらみろ!お前、保護者じゃねーじゃねーかよ!」

「いやいや、俺先生ですし」

「おめーは報国寮だろーがいますぐ帰れ!」

「いや、報国寮いま閉まってるし、俺行くとこないし」

 あ、それで御門寮に来てるのかと幾久は納得した。

「じゃあ外出ろ」

「えー……ヤダよ」

 詰め寄る犬養に毛利はうんざりした顔で首を横に振っている。

 ぎゃんぎゃんわめく犬養、嫌がって逃げる毛利という構図に幾久は尋ねた。

「福原先輩、犬養先輩って強いんすか?」

「いや、全く?」

「めっちゃ毛利先生に詰め寄ってるし、毛利先生逃げまくってますけど」

 毛利は元ヤンで喧嘩もめちゃくちゃ強くて、レスラーのよしひろとも渡り合えるくらいの実力がある。

 犬養はどう見てもひょろい雰囲気だというのに、そんな毛利をちっとも怖がっていないし、むしろ毛利の方が避けている雰囲気がある。

「犬養先輩は、はっきり言って弱い」

 青木の言葉に幾久は「ですよね」と頷いた。

「いっくん、言うなあ」

 福原はあきれるが幾久はだって、と返す。

「あの体、どう見ても先生には勝てないっすよ」

 毛利もよしひろほどではないが、けっこういい体をしている。

 しかし犬養は本当に細く、弱そうにしか見えない。

 それなのに毛利は犬養を嫌がっている。

「あんまり弱すぎても話になんないだろ?毛利先輩、弱い奴は相手にしないから」

「そうっすけど、じゃあなんであんなに犬養先輩、毛利先生にかみついてるんすか?なんか恨みでも?」

 幾久の問いに青木と福原が「うーん」と首をかしげる。

「まあうらみっちゃ、恨みだけど」

「ぶっちゃけ、いちゃもんなんだよなあ」

 聞いてりゃわかるよ、と言われて幾久はその様子を観察することにした。


 犬養は毛利にかみついていた。

「そもそも何いまだに毛利名乗ってんですかぁ?調子のってんですか?」

「いや、だって俺毛利だし、お婿にまだ行ってないから苗字変わってないし」

「はー?調子のってんですかねぇ?」

「いや人の話聞けよ」

「そもそも、なんで長州藩って毛利なんですかぁ?ちょっと戦後、移動したからってこっちでデカい顔されてもメーワクなんすけど!メーワク!新参者!」

 犬養と毛利の話に幾久は首を傾げ、福原に尋ねた。

「戦後って、毛利家って戦後にこっちに来たんすか?」

 福原は首を横に振る。

「犬養先輩の戦後って、大東亜じゃないから。関ヶ原だから。戦国時代の戦後だから」

「そういう言い方、あるんすか?」

「犬養先輩のルールではね」

 青木もため息をついて言う。

 犬養が叫ぶ。

「そもそも!畏れ多くも!大和朝廷より続くこの犬養、たかがぽっと出の毛利ごときに従順すると思うかぁあ!」

「いや思ってないです犬養さんの方が上ってことでかまわないのでかまわないでください」

「臆したか毛利ぃいいいい!」


 なるほど。


 つまり、犬養はどっか古い家の出で、毛利を目の敵にしていて、それで毛利先生がとばっちりを食らっているという事らしい。

「でもそんなんいちゃもんじゃないっすか?」

 幾久の言葉に福原も「そうなんだけどね」と苦笑する。

「あれはあれで、スキンシップなんじゃない?」

 言いながら青木が幾久の頭をもしゃもしゃ撫でている。

「犬養先輩、負けん気だけは強いんだけど、めっちゃ弱くてねえ。いっつも負けてんのに、絶対に引き下がらないんだよ」

 あれは尊敬する、と福原が言うと青木も頷く。

「下手に負けん気強いから他校の生徒に喧嘩売られて喧嘩しててさ、犬養先輩があんまり負けてるもんだから毛利先輩がさすがに止めに入ったりしたんだけど、やられながらも助けてくれるはずの毛利先輩に邪魔すんなああ!ってかみついてくるもんだから、毛利に喧嘩売るなんてあいつヤベーヤツだって、そのうち誰にも喧嘩も売られなくなったしなあ」

 それはなんか、簡単に想像できそうな気がする。

「でも叫んでる事はけっこう勉強になったりもする」

「そーなんだよねえ、大和朝廷とかなにそれ?って感じだったけど」

 福原、青木いわく、犬養の歴史にまつわる知識は相当なものらしく、毛利に喧嘩を売っているその内容は教科書よりよっぽど勉強になるらしい。

「毛利先輩さえいなけりゃ、本当にいい人なんだよ。穏やかで、勉強できて大人で」

 青木の言葉に、うんうんと福原も頷く。

「そう、頭いいし、親切だし、大人だし。毛利先輩さえいなけりゃ」

 それで毛利がいるこの環境でざわっとしたのか、と幾久は納得する。

 よしひろが廊下の戸を開けた。

「はい、続きはお外でどーぞ」

 すると毛利は犬養をぺしっと外へ投げ捨てた。

 見事なまでに犬養は放り投げられて、幾久は一瞬、「あっぶな!」と声を上げるが、犬養は見事に受け身を取って庭に転がりつつも起き上がった。

「大丈夫だよいっくん。犬養先輩はクソ弱いけど、毎日毎日投げられたおかげで、受け身だけはアホみたいに上手い」

「みたいっすね」

 全く懲りずに毛利にとびかかっていくのだが、外に出た毛利に何度もぽいっと投げ捨てられている。

 弱い人が相撲取りに相撲を挑んでいるみたいだった。

「はいはい、俺が悪いんで、いい加減諦めてくれませんかね」

「関ヶ原で諦めた毛利ごときが、講釈たれてんじゃねえぞぉぉお!」

「いや諦めてないゆえの維新じゃないんですかね」

「しつこいんだよ毛利めぇええええ!」

「いやあのお前それ自己紹介」

「あきらめるかぁあああ!」

「だからそれ自己紹介」

 言いながら何度も毛利に向かって行ってはぽいっと投げられている。

 何度投げられてもあきらめずにつっかかっていくその根性だけはすばらしいのかもしれない。

「あんなに毛利先生につかっかってるのに、ずっと同じ寮だったんすか?」

 報国院は寮を移動することも可能だ。犬養が頭が良かったのなら、他の寮に行けるだろうに。

 福原が言う。

「なんで毛利のせいでこっちが移動しなけりゃならないんだって、犬養先輩意地になっちゃってね」

「ああ……」

「毛利先輩は、他の寮で問題おこしてばっかなんで、御門しか選択肢なかったし」

「それでずっと一緒なんすか」

「ずっとああだよ」

「ずっとああなんだよなあ」

 青木と福原が頷く。

「それに、犬養先輩よりまたよーっぽど、面倒くさい先輩がいてねえ。いやーなヤツ」

 青木が頷いて福原に賛同した。

「そうそう、あんな性格わっるぃヤツ、見たことないわってくらい性格悪い」

「青木君がそう言うんだからもう最悪でしょ?」

「いや、基準がよくわかんないんで」

 幾久が言うと青木が幾久にしがみついた。

「僕をわかってくれるのは、いっくんだけだよぉ!」

「いや全然わかんないんで」

 ぐいぐいと青木を押しのけ、幾久はお菓子の袋を開けた。

「それより福原先輩、続きしません?」

 犬養と毛利の騒ぎも飽きたし、福原はゲームが上手いのでいまのうちに遊んでおきたい幾久が言うと、福原が「よっしゃ!再開しよ!」とコントローラーを手に持つ。

 あぐらをかいて画面に向かう幾久の背後から両腕をまわし、幾久の頭に顎を載せて青木が言う。

「いっくん、頑張れ」

「アオ先輩が邪魔しなければ」

 何度払っても青木がしがみつくのでもう幾久は諦めている。

「青木君、俺がピンチになったらいっくんくすぐっといて」

「お前を殺す」

「こわいよー」

 言いながら福原と幾久はゲームを再開した。

 まだ庭で戦っている毛利と犬養をうるさげに見ていた三吉は、ため息をつくと、立ち上がる。

「三吉先生?あの二人を止めるんすか?」

 幾久が尋ねると三吉は「なんで?」と答える。

「や、立ち上がってたんで」

「玄関の戸締りをしてくるだけだよ」

 にっこりとほほ笑んで三吉はそう答えたが、幾久はそれ以上なにも尋ねず、福原とのゲームを再開した。

「さーて、いっくんに勝ちますかあ!いくぞブルーマンデー!!!」

 福原が自分のチーム名を叫んだ。

「こっちも負けてないんで」

 幾久の頭に顎を載せた青木が応援した。

「がんばれOSAKANAZ!」

「アオ先輩、応援ソング作ってくれません?」

 幾久の要求に青木は「そうだね!」と言って幾久から離れてピアニカを持ち出し、机で一人、一生懸命作曲を始めた。

「……いっくん青木の使い方覚えたね」

「まあ、邪魔なんで」

「ひっで」

 福原が笑う。

 三吉は玄関のカギを締め終わると、廊下のガラス戸を全部閉めて鍵をかけた。


 やがて締め出されたことに気づいた毛利がガラス越しに文句を言っていたが、しつこく犬養にしがみつかれ、やがて毛利と犬養のそろった土下座でやっと三吉がカギを開けたのだった。







 犬養君と毛利君と御門寮の仲間たち・終わり

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