男子高校生、裸エプロンで カレーうどんを食す
にぎやかな夜を過ごし、翌朝になった。
いつもは栄人に起こされる幾久は、毛利に起こされた。
毛利はああ見えてけっこうかいがいしい性格で、幾久の朝食もなにもかも全部支度しておいてくれた。
夕べに食べ過ぎたので朝食は軽く済ませ、毛利と祭りの会場へ移動した。
会場はすでにトラックから道具が下ろされていた。
宇佐美やマスター、玉木、そしてナムも居た。
「よう!いっくん、おはよう!」
マスクマンがにこやかに声をかけてきたが、一体誰だろう、と思ってよく見ると、それは来原だった。
「あ、来原先輩だったんすね。マスクしてたから判らなかった」
「今日の俺は、弟子マンだ!」
「はいはい、判りました」
よしひろの弟子だけあって、ノリが本当に一緒だなあ、と幾久は苦笑する。
「ナムさんも、早いですね。おはようございます」
今日は昨日と違って、マスクの柄は同じだが、顔中を覆うタイプのマスクをしている。
刺青が見えないように、長袖のジャージに長いズボンだ。
ナムは幾久を見て微笑み、こくんとうなづく。
(ナムさん、暑くないのかな)
五月とはいえ暑いのになあ。
ものすごい刺青が入っているから隠さないと駄目なのかもな、と幾久は勝手に思った。
「じゃ、いっくん、説明するからこっち来て」
「あ、はいっす」
幾久はよしひろに呼ばれ、そのそばに行った。
幾久の仕事は、よしひろの主催する『モカ・リブレ』という社会人プロレス団体のお手伝いだ。
今日の試合で使うリングを作り、会場を設営する。
幾久の仕事は、言われたものを運ぶことと、ジュースを買ってきたりすることだった。
設営をしていると、報国院のOBだという社会人プロレスの先輩に『おいで』をされたので近づいてみた。
「ちょっとこれ、ポール抱えてみる?」
「……はい」
多分無理だ、と思いつつちょっと持っただけで、潰されそうになった。
勿論、先輩が抱えてくれていたが。
「なにこれ!めちゃくちゃ重い!倒れる!」
「そうでなきゃ、耐えないよ。牛みたいな連中がぶつかるんだから」
「確かに」
はあ、と感心して頷いていると、なぜかOBにどっと笑われでしまったが。
それから仕事はパイプ椅子を運び、並べることだった。
いくつかすると要領を覚えて、幾久はさくさくと運んで並べてみせた。
いっくん、うめーじゃん、と誉められるとちょっと嬉しい。
バイト代も出るし、と思ってパイプ椅子を両脇に抱えて運んでいると、ふと幾久はナムが目に入った。
その様子に、幾久はパイプ椅子を置くと、急いでコンビニへと向かい、走って行った。
「ナムさん!」
幾久に声をかけられ、ナムは顔を上げた。
「どうぞ使って下さい!」
差し出したのは、濡れたタオルと凍ったペットボトル、そして冷たいスポドリだ。
ナムは一瞬驚くと、笑顔でぺこりと頭を下げる。
「めっちゃ暑いっすから、熱中症、気をつけたほうがいいっす」
幾久が言うとナムはうなづいた。
「サンキュー」
「どういたしまして!あ、買い物なら、オレ、係りなんで、なんでも言ってくださいっす!」
「あ、いっくん、こっちにもスポドリくれぇ!」
「はーい!いま行くっす!」
やっぱり買いに行って正解だった。
指示がなかったのでどうかな、と思ったが、寮の先輩たちと同じように勝手に判断して動いて問題ないようだ。
(そりゃ、ここにいる先輩らってOBだもんな)
同じで当たり前か、と幾久は笑ってしまった。
お祭りのにぎやかさだとか、準備だとか、案外楽しくなってきて、幾久は一生懸命リングの設営を手伝った。設営にめどが付き始めた頃、高杉からの連絡が入った。ちょうど約束した時間のあたりだったので、幾久はプロレスが始まる時間まで、一端抜けることにした。
高杉と待ち合わせたのは、プロレスの会場から歩いて少し遠くにある、市場の近くだった。
市場も祭り仕様になっていて、人通りがかなりあった。
「ハル先輩!」
「ここじゃ。お疲れじゃの」
制服じゃない、シャツにネクタイに、パーカーというファッションで高杉が現れた。
相変わらず、オシャレだなあ、と幾久は感心する。
「エライお洒落っすね、ハル先輩」
「ん?ジャケット脱いでパーカー着ただけじゃぞ?」
短髪にピアス、パーカーにシャツにネクタイに、スニーカーというファッションだが、どれも仕立てがいい上に格好いいのでまるでモデルみたいな風貌だ。
実際、ちょっと目立っている。
だが、高杉は気にしていない雰囲気だ。
こんな高杉だけならともかく、久坂までいたらどれだけ目立つんだろうと心配になったが、久坂の姿は見えない。
「久坂先輩は?」
「あいつは用事があるから先に帰った」
「そうなんすか」
2人が一緒にいないなんてめずらしい、と思ったがどうせ数時間のことなのだろう。
「で、先輩のお友達って、どこっすか?」
高杉は遠くに住んでいる友人と、今日祭りで会う約束をしているのだという。
相手も幾久が居ても気にしないとのことで、幾久も別にそれは気にしなかったので、一緒に食事をすることになった。
「祭りの会場で待ち合わせしとる。そこでふぐ汁も食えるぞ」
「やったー」
それが楽しみで来たので、幾久はうきうきする。
「ほかにもおいしいもの、あるんすよね」
「おう。くじら食ったことあるか?」
「くじら?!ないっす!」
「あうかあわんか、は知らんが、食ってみたらエエ。刺身は美味いんじゃけどの」
「くじら……」
食べたことがないので、どんなものかは知らないが、ちょっと興味はわく。
ここに来て食べ物は外したことはないので、たぶん大丈夫だとは思うが。
「そういやお友達って、どこの人なんすか?」
転校してった人とか?と尋ねるといいや、と高杉が答えた。
「県外の高専におるんじゃが、船に乗っちょっての。ゴールデンウィーク間はここの港に寄港するんで、会う約束をしちょるんじゃ」
「船?」
「船乗りをつくる学校じゃな」
「高校生でも船、乗れるんすね」
「当たり前じゃ」
なにを、と高杉は笑うが、幾久にとっては未知の世界過ぎて、全く判らない。
高校なんてどこでも普通に授業を受けて、大学に行く準備をするものだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
(世界って広いなあ)
世界でもない、日本の中の事なのに幾久は知らないことだらけという自分に驚いた。
おーい、と声をかけられ、高杉が手を挙げた。
「こっちだ、こっち!」
「おう」
高杉の友人らしき人が二人立っていたのだが、幾久は驚く。
上も下も、真っ白な制服。しかも詰襟だ。
「はじめまして、坂本っす!」
「あ、ども、乃木っす」
ぺこりと頭を下げた。背が高いが高杉と同じ二年生なのだろうか。
「こっちは中岡。俺のいとこ」
坂本が紹介した。こっちは幾久よりちょっと背が高いくらいの人だった。
「はじめまして、中岡です」
「あ、ドモ、乃木です」
「ま、挨拶はそんくらいにして、先に飯に行くか」
高杉が言い、四人は連れだって歩き出した。
市場の祭り会場に作られたテントは、とても人が多かった。
やっと四人で座れる場所を確保し、まずは幾久のリクエストのふぐ汁を食べることにした。
「いただきまーす!」
これが楽しみで祭りに参加したようなものだ。幾久はごくりと汁を飲んだ。
「うまーい!」
思わず声に出てしまうほどおいしい。
「相変わらずうまい!」
坂本も言うと、中岡もうなづく。
「やっぱ鯨祭りつったらこれだよね」
「そうじゃのう」
そういって四人とも、汁を啜る。
「そういえば、坂本さんと中岡さんは、二年生なんですか?」
中岡が答えた。
「坂本は二年、僕は一年だからさん付けじゃなくていいよ。呼び捨てでもいいし」
「そんな。呼びづらいし」
「ええじゃろ、本人がそう言っちょるんじゃし」
「そうそう、なかおかーなんて四文字で呼びにくいから、ガクでいーって、ガクで」
坂本が言う。幾久は「ガク?」と首を傾げると中岡が答えた。
「僕の名前、音楽の楽って書いて、『ガク』って言うんだ」
「へー!」
坂本が言った。
「ちなみにこいつ、兄貴がおっての。兄貴は音楽の音で『オン』っていう名前」
「かっこいー!」
兄弟で『音楽』なんて洒落てるなあ、と感心する。
中岡は外見も整っているし、名前が似合ってるな、と幾久は思った。
「しかも兄貴が名前のまま、音楽関係」
「ますますカッコいい」
幾久がほめるので中岡は嬉しそうに言った。
「明日さ、ここでフェスがあるんだけど、兄がそれに出るんだ」
「うわー、かっこよすぎ」
幾久は音楽にはちっとも詳しくないが、そういうのに憧れくらいはある。
坂本が言った。
「俺らはスケジュールの都合で、毎年この時期に長州市に寄港するんだ。で、ハルとあったりするんだけど、今年はちょうどこいつの兄貴のスケジュールとハマったんで、明日二人でフェスに行くんだ」
「乃木君はフェス行かないの?」
中岡に尋ねられ、幾久はうなづいた。
「オレ、そのフェスでバイトするんす」
えっと高杉が驚いた。
「いつの間にそんな話になっちょるんじゃ」
「OBの先輩に誘われたんす。今日はさっきまで、プロレスのリング作りのバイトしてたんすよ」
すると坂本と中岡が「おお!」と食いついてきた。
「今日のだろ?俺らそっちも見に行く予定!」
「えっ、そうなんすか?」
「そーだよ、なんだ、すげー偶然!」
幾久は急に嬉しくなった。
「会場の椅子、並べたのオレなんすよ」
「えー、すげえ!じゃあ、乃木君が並べた椅子のとこに座ろーぜ!」
坂本が盛り上がるが、名前が言いづらそうなので、幾久は「名前、呼び捨てでいっすよ」と笑った。
高杉が、自分は名前を呼び捨てにしているが、寮では『いっくん』と呼ばれていると説明した途端、二人とも言いやすい方に流れた。
それからもおしゃべりをしたのだが、坂本と中岡の話は面白く、幾久にとっては未経験のことばかりだった。
高校生なのにどこかしっかりして見えるのは、進路を決めているからかもしれない。
(制服もカッコいいし、なんか大人っぽい雰囲気だなあ)
まだ報国院に入って一か月しかたっていない幾久は、寮の中でも末っ子扱いで、同じ一年でも中岡とはずいぶんと違うなあ、と思った。
のだが。
「じゃ、今日の本骨頂にいくぜ!」
坂本が言うと、中岡もうなづく。
「幾久も同じのでええか?」
高杉が言うが、よくわからないままに頷く。
多分、おいしいものを食べさせてくれるだろうと信頼して、席の為に待っていると、三人はカレーうどんを四つ持ってきた。
「カレーうどんっすか?」
おいしいものってこれ?と幾久はきょとんとするが、高杉は言った。
「くじらカレーじゃぞ」
「くじら!」
これが噂の鯨の肉なのか、と幾久は驚く。だが見た目は普通にカレーだ。
そしてトッピングになぜかチキンのようなものもある。
「くじらカレーうどん、グリーンピーストッピングの骨なしチキン追加、お待ちィ!」
「……いただきます」
なんかヤバい単語が並んでいるような気がしたが、幾久はあえて突っ込まない。
と、坂本と中岡が突然服を脱ぎ始めた。
「な、なにやってんすか?」
「ん?だって制服白いとカレーうどんの汁が飛ぶと目立つからさ」
「だからって、裸……」
「裸じゃないから大丈夫」
そう坂本は言うのだが、こともあろうに店がくれた紙のエプロンをつけた。
「ちょ……まじっすか」
裸になっただけならともかく、裸の上に紙のエプロンをつけて、まわりの人は当然それを見て、クスクス笑っている。
通りすがりのおじさんが笑いながら声をかけてきた。
「おっ、商船の子か!カレー飛ぶもんなあ!」
「そーなんすよ!」
そして坂本と中岡は幾久にスマホを渡した。
「いっくん、写真とって写真!」
幾久は裸エプロンで笑ってピースして肩を組んでいる二人の写真をげんなりして撮影した。
(大人っぽいって思ったの、勘違いだった)
やっぱり、高杉の友人だけあって変わってるんだな、と思ったのだった。




