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御門寮の朝

 

 御門寮に朝が来た。


 一番早く目を覚ますのは二年生の吉田だ。

 目覚ましの必要もなく、時間になるときっちり目を覚ますのは、彼には仕事があるからだった。

 仕事と言ってもアルバイトなどではなく、御門寮の雑事、つまり洗濯をしたり干したり窓を開けたり、要するに「おさんどん」だ。

 強制されているわけでもなく、バイト料が出るわけでもないのだが、彼曰く、『一番効率がいいし、べつにおれ、嫌じゃないし』という理由でやってくれている。

 この御門寮の寮母である麗子さんは、夕食しか作らないので、朝食は生徒自身の手で用意しなければならない。

 御門寮での家事殆どを取り仕切る吉田は、目が覚めるとすぐ洗濯に入る。

 高校生が五人も居れば、洗濯物は大量、といいたい所だが、この寮の住人に体育会系の部活に入っているものはおらず、普通によくある程度の洗濯で済んでいる。

それでも人数が五人も居ればそこそこの数にはなる。


 洗濯機が回り始めるくらいの時間になると、次に目を覚ますのは一年生の乃木幾久だ。

 目覚ましをとめると、ふわぁ、とあくびして眼鏡を探す。


「ねみぃ……」


 ふらふらと起き上がり、部屋を出て、洗面所で顔を洗う。歯磨きをして、髪に櫛を通す。

 そのくらいでやっとはっきりと目が覚める。


 着替えるために、服を置いてある部屋へ向かう。

 御門寮はやたら広く、改築を繰り返したために妙な部屋があるのだが、衣裳部屋と呼んでいる場所もそのひとつだ。

 全員の制服や着替えなんかを、その部屋にまとめて置いてあるので、朝は全員そこで着替えを済ませてから、朝食になる。


 衣裳部屋の引き戸を空け、明かりをつける。

(自動にしてくんねーかなあ)

 朝のかったるい時間では、スイッチ一つ押すのも面倒くさい。

 幾久は自分の着替えが置いてある棚から、インナーを引っ張りだし、パジャマがわりのTシャツとリラコを脱ぎ捨て、足元の籠に投げ込む。

「あ、いけね」

 Tシャツは洗うんだった、と籠から取り出し、幾久は足元においておく。

 シャツを着て袖を通す。毎日きちんとアイロンがかけてあるので、着ると気分がしゃきっとする。

(いいシャツだよなー)

 そう幾久が思うのも無理はない。

 報国院の制服は、基本すべてがオーダーになっていて、着る人のサイズにぴったりなのだ。

 普段はわからなくても、別のシャツを着るとすぐに気付く。これが報国院のいう所の、『本物に触れる』教育の結果なのだろうかと思う。

 襟付きのベストを着て、ネクタイをポケットに突っ込む。いまから朝食なので汚したくないし、シャツのボタンを首の根元まで絞めるのも嫌だ。

 着替えを済ませて衣裳部屋を出ようとすると、丁度高杉と久坂が起きたところだった。

 といっても久坂はまだ夢の中らしく、いつもどおり高杉の肩に顔を埋めてよたよたと歩いている。

「おはようございます、ハル先輩、久坂先輩」

「おう、おはよう」

「……」

 久坂は全く返事がないが、これもいつも通りの事だ。

 二人はそのまま洗面所へ向かう。

 山縣の部屋のドアががたんと開いた。

 まるで墓場から復活したゾンビみたいに、うつ伏せでにょろりと部屋から山縣が出てきた。

 部屋からは『おにいちゃんおきてにょ、おにいちゃんおきてにょ』と山縣の目覚ましの音がしている。

 山縣はいつもハマッている萌えアニメの声を目覚ましにしている。

『もー、おにいちゃんってば、おきないと噴火しちゃうぞ、どっかー……』

 幾久は山縣を部屋へ再び押し込むと、部屋のドアを閉めた。山縣の部屋はなぜか防音仕様なので、ドアさえ閉めれば音は響かない。


「さて、メシなに食おう」

 すっかり目が覚めた幾久は、Tシャツを洗濯場へ投げ込むと、食堂へ向かった。


「おっはよーいっくん!いい朝だねー」

「おはようございます」

 吉田はいつも朝から元気だ。天気がよかろうが悪かろうが、毎日いい朝と言っている。

「何食べる?」

「あるものでいっす」

 テーブルの上にはパンが籠に盛ってある。幾久は自分のマグカップにコーヒーメーカーからコーヒーを入れ、牛乳を冷蔵庫から出してなみなみと注ぐ。

 テーブルの真ん中にある大きなお皿の上にはフルーツが盛ってある。幾久はいつものように、切ったりんごとオレンジを自分の皿へと乗せる。

 軽く焼いたクロワッサンをオーブンから取り出してそれも皿に乗せた。

「いただきます」

「ハイ、どーぞ」

 この寮のいいところは、いろいろ自由が多いところだ。入学前は、一番大きくて設備も整っている報国寮がいいなあ、と思っていたのだけど、設備が整っているのは寮から出さない為で、学校から寮に帰ると出かけることさえも出来ないし、学年によるヒエラルキーも大きいと友人の伊藤に聞いてからは、御門寮でよかったなと思っている。

 夕食は寮母さんが用意してくれているけれど、朝は自由だし好きなものを食べていいし、おやつだってある。

 幾久はあまりこだわりがないので、用意されたものを食べるだけだが、それでもわりと好きなクロワッサン系のパンが用意されているとテンションが上がる。

「いっくん、ヨーグルトは?」

「食います」

 出すの忘れてた、という幾久に吉田が冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。

「あざす」

「どういたしまして」

 吉田は動き回りながらひと息つくと、自分の朝食を用意して席につく。

「さーて、おれも食べよっと」

 いただきまーす、と手を合わせる吉田に、どうぞ、と幾久が返事をする。

 以前、台所仕事をしている吉田より後から起きた幾久が、食事を先にしていいものか、と疑問に思って手伝いもしていたのだが、「もうおれ、自分のリズムできちゃったんだよねー」と気にする様子もなかったので、手を出さないことにしている。

 その代わり、食事が終わったときの皿洗いは率先してするようにしている。

「そういやさー、いっくんもう報国院に居るって決めた?」

 吉田はさりげない会話の中に、ちょくちょくこうやって深刻なことを突っ込んでくる。幾久はまたか、と思いつつため息をついた。

「だから、わかんないっすって。まだ」

 なりゆきでこの学校に入って、やっと一ヶ月ちょっと過ぎたところで、父と約束した三ヶ月目まで、あと二ヶ月ある。

「あと二ヶ月しかないんだよ?」

 吉田の言葉に幾久が返す。

「あと二ヶ月もあります」

 売り言葉に買い言葉、もいつものことだが、幾久にとって実際はあと二ヶ月「も」という事ではなかった。こんなにも自分の頭で自分の事について考えるのは初めてで、どうすればいいのかが全く判らない。

 今まで幾久の進路は母が決めるものだったし、それに対して不満もなかった。なにをどうしたいという気持ちもないので正直困っている。

 入学してからのこの一ヶ月はけっこう内容の濃い一ヶ月で、しかもなかなかに楽しかった。

 楽しいばっかりでいいのかな、と思いもしたけれど先輩達から勉強の内容をチェックされたりもするので、遊んでばっかりというわけでもない。

 塾にも通っていないし、他に比べる対象もないから、自分の今の成績が全国的にはどのあたりなのか気にはなるが、それより幾久が考えなければならないのは、この学校に残るかどうかと言うことだ。

 正直言うなら、このままでもいいかな、と思ってはいる。ただ、この学校に居るなら居るで、ちゃんとした理由が欲しいなとは思う。

「どうせ報国院がいいって思うって。とっとと決めちゃえ、な?」

 吉田は報国院推しなので、事あるごとに薦めてくる。

 居たらいいじゃん、と言われるのは嬉しいけれど、そうやって決めるのも流されてしまったようで考えてしまう。

「期限までには決めます」

「もー、融通きかねえなあ、いっくんは」

 あーあ、と言いながら吉田はパンを掴んで食べる。

 二人が食事を終えそうな頃にようやく、久坂と高杉の二人が着替えて食堂へやってきた。

 久坂はやっと目をしょぼしょぼさせているくらいに目を覚ます。

 幾久は立ち上がり、二人のお茶を入れた。

「すまんな」

 久坂と高杉の二人にほうじ茶を出すのは、いつのまにか幾久の仕事になっている。

「いいえ」

 お茶はポットに入っているのを出すだけなので、そう手間ということもない。

「今日はパンか」

 高杉に吉田が答えた。

「そう。昨日ヤギ先輩に呼び止められてさ。試作品大量にあるからって貰った」

 ヤギ先輩、というのはパン屋の主人だ。

 報国院のOBで、カフェのマスターでもあるよしひろのと社会人プロレスをやっているので、体はムキムキのマッチョマンだ。吉田は商店街でバイトをしているので、そういった店の人と知り合いが多く、こうして食べ物を貰ってくる事も多い。

「焼く?」

「軽くな」

 吉田の問いに高杉が答え、待っている間に久坂と高杉はお茶をすすっている。

「あー……眠い」

 やっと久坂の目が覚めたらしいが、最初の言葉がそれだ。

「いっくん最中頂戴」

「あ、ハイ」

 朝食であろうがなかろうが、食べたいものを気分で食べるのが久坂だ。最中を出すとそれを食べる。

「起き抜けに最中か」

 高杉が呆れるが「別にいいだろ」と久坂はお茶と最中を堪能している。

 パンが焼け、高杉はそれを食べているが、最中を食べていたせいでパンが必要なくなった久坂は「いらない」と焼けたパンを皿ごと別の席へ移動させた。

 と、「やべーやべー!」と言いながらばたばたと食堂にかけこんできたのは三年の山縣だ。

「ガタ先輩はコーヒーっすか」

「おーよ、いつものカフェオレな!」

 山縣は甘い飲み物が好きなので、幾久はいつも通り、コーヒーに牛乳を入れ、砂糖二杯を入れたカフェオレを作って山縣の前に出す。

 久坂が食べなかったパンを自分に用意されていたものと勘違いし、「気がきいてんじゃんよ、後輩」と食べ始めたので、幾久は「あ、ハイ」と適当に返した。

 大の苦手の久坂の食べ残し(全く手をつけてはいないが)だと判ると嫌がるだろうから、そこは勿論黙っておく。

「あ、忘れてた、おはよう高杉!」

「……おう」

 山縣は基本、高杉しか目に入っていないので、朝の挨拶も高杉にしかしない。

 返事をしないと山縣がうるさいので高杉も軽くは返すが、基本は無視だが、山縣は気にしない。いつものことだからだ。

 幾久は自分の食べた後の皿や、先輩達の食べ終わったお皿を下げ、吉田がそれらを洗っている間に拭いて食器棚に片付けたり、余ったフルーツにラップをして冷蔵庫にしまったり、出来ることをやっていく。

 そうこうするうちに全員が食事を終え、学校に向かう時間になる。


「そろそろ行かんと」

 高杉の声に幾久と吉田が「はーい」と返事をする。


 慌てて片づけを済ませ、吉田に「べつに帰ってするからいいよ」とお皿を拭くのは完璧でなくていいと言われる。

「はいッス」

 幾久と吉田は手を拭き、玄関へ向かう。

 先に久坂と高杉が靴を穿いていて、幾久は自分のスニーカーを穿く。久坂は革靴なので、靴べらを使い、靴箱の横へかけておく。

 幾久は靴紐を結び、通学カバンのリュックを背負う。

「さて、行って来ます」

 と立ち上がると、高杉が首元を指で示した。

「幾久、ネクタイ」

「あ」

 汚すと嫌なので、ギリギリまでネクタイを外したままでいるのでつい出かける前にするのを忘れそうになる。

 ポケットからネクタイを取り出すと、幾久は首へ回した。

「着替えた時につけとけばエエのに」

 高杉は言うが幾久は首を横に振る。

「いやっすよ。オレ、絶対に汚す自信ありますもん」

 最初は先輩達と同じように、ネクタイを締めて朝食をとっていたが、コーヒーをついこぼしたり、ヨーグルトが落ちたり、皿洗いの時に濡らしたりと知らない間に汚れている事が多いので、いまは寮を出るぎりぎりまでネクタイはつけていない。吉田も同じだ。

 しかし、久坂と高杉の二人はといえば、食事作法がいいのか、躾がいいのか、ネクタイを締めていても決して汚すことがない。

「食事の時にネクタイをせんのは無礼じゃぞ」

 高杉がふざけて言うが、幾久は「オレ、庶民っすからそれでいいです」と返す。

「いっくんはネクタイじゃなくて汚れてもいいようにナプキンを首に巻いたら?それか幼稚園児みたいにスモックでも着る?」

 目が覚めた久坂が早速朝の毒を吐いた。

「オレがスモック着るなら、先輩等も全員着てくださいね」

 不公平だから、という幾久に久坂も高杉も吉田も「それは嫌だ」と同時に返す。

「嫌ならオレにも言わないで下さい」

 幾久が言うと「案外似合うかもじゃぞ?」と高杉が言い、「僕もそう思うな」と久坂が言う。

「先輩等が着たら、一緒に着るッスよ」という幾久に「ないな」と先輩達は全員首を横に振った。



「さ、じゃあ行こうか」

 と全員が立ち上がる。

「うす」

 幾久がネクタイを結び終わると、高杉が「こっち向け」と言い、結び目をきちんと整えてくれた。

 高杉は久坂のネクタイを毎朝結んでいるので、相手のネクタイを調えたり、結ぶのが上手い。

「これでエエ」

「あざす」

 四人は全員で立ち上がり、玄関を開けて誰ともなく「行って来ます」と言い、玄関に鍵をかけ、門を出た。



「ちょ、なんで俺がいんのに玄関に鍵かけんだよ、いっつも!クソが!」

 トイレに行っている間にさっさと出て学校に行ってしまった四人に取り残された山縣は、文句を言いながらネクタイを結び、靴を履く。

 と、玄関の鍵が開けられ、扉が開いた。

「おはようございまーす……ってあら矜ちゃん、まだいたの?大丈夫?」


 寮にやってきたのは敷地内の家に住んでいる、寮母の麗子さんだ。これから寮の掃除やなんかに入る。

「麗子さんおはよ!鍵お願いシャス!」

「いいわよー、行ってらっしゃい」


 麗子さんと入れ替わりならわざわざ山縣が鍵をかけることもない。時間は走らないと間に合わないレベルだ。

「加速してやんよ!」

 山縣はそう言うと、玄関を出て走り出した。




 御門寮の朝・終わり

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