マスク・ド・カフェへようこそ!(前)
このお話は[城下町スクールライフ】(3)右往左往 のすぐ後のお話です。
高杉、久坂、吉田の協力なんだか邪魔なんだか、を得て、幾久は新しい眼鏡を手に入れた。
レンズ代、諸費用コミで無事二万円の予算におさまり、請求は眼鏡屋さんが幾久の父に直接するとのことだった。
初めて自分の好みで選んだ眼鏡に、幾久は嬉しくてたまらない。
眼鏡なんかどれでもいい、と思っていたけれどやっぱり気に入った、かっこいい眼鏡となると、はやくそれに変えたくてしょうがなかった。
それに、視力もちょっと違っていた。
眼鏡屋さんがこまかい補正などもしてくれたので、今のよりもっとちゃんと見える眼鏡になる。
作るのに時間がかかり、出来上がるのは一週間か十日後になるらしい。
出来たら寮に連絡をくれるそうなので、それまではこのださいと評判の眼鏡のままだ。
「楽しみだねー、あれよく似合ってたし、絶対にいいよ!」
吉田が言うと、高杉が言う。
「無難じゃ」
「ハルの選ぶのはちょっとアレでしょ、お洒落だけど制服に合わないよ」
「高校生にはどうかと思うけど」
久坂が言うと、高杉はむっとする。
「あっちのほうが絶対にええ」
確かに高杉の好みの眼鏡は格好いいけど、フレームだけで二万円もする。
レンズ代が足りない。
「おれら眼鏡、いらねえもんな」
な、と言う吉田に幾久は驚く。
「え?先輩らって全員裸眼なんですか?」
一人二人はコンタクトかと思っていたのに。
「うん、ガタが目が悪い。いっつもしかめっ面してんの、見えないからだよ」
「……そうだったんすか」
それであんなに、ゲーム機に顔を近づけてゲームをしているのか。
「コンタクト入れてゲームしたら、目が疲れてゲームする時間が減るから嫌なんだって」
「どんだけゲームしたいんすかガタ先輩」
さすがオタクだと幾久は呆れる。
「だから眼鏡すんのも、授業の時だけじゃないかな。あと、たまにコンタクトしてるけど」
そうなのか、知らなかった。
幾久の眼鏡を買い終わり、商店街を歩いていると、高杉が足を止めた。
「おい、コーヒー飲まんか」
「あ、いいねー。いっくんは?」
「え?でもここ、喫茶店じゃないんすか?」
「喫茶店だよ?」
コーヒーなら寮に帰れば飲めるのに、わざわざ?と首をかしげる。
「高いんなら、嫌っすよ」
「高くない、高くない。先輩達のオゴリ」
「そういうわけにはいかないっす」
父にも、いくら同じ寮でもそういうことは良くないから断るように言われている。
「あ、大丈夫。鳳クラスはね、コーヒーチケットあるから」
「は?」
吉田が財布から、チケットを出してみせる。
「じゃーん!」
確かに『無料』と書かれたチケットだ。
店名は『マスク・ド・カフェ』とあり、まるっこい、かわいいキャラクターの絵がついていた。
「この店もウチの卒業生がやってるんだ。で、学校と提携してて、鳳クラスの生徒は勉強とかの為に必要だからって、一定枚数のチケットが貰えるの」
「すごいっすね」
相変わらず、この学校の飛ばしっぷりは半端ない。
鳳は格が違うと何度も聞いたが、本当にそうだ。
「おれらはこのチケット使うし、同じコーヒーは百五十円なんだ。だったらおれら全員で五十円ずつ。五十円なら奢ってもいいじゃん」
「まあ、それくらい、なら」
いいかな、と幾久も思うので頷く。
「よっし!じゃあいっくんをご案内!」
どんな喫茶店なのかな、と幾久は少しわくわくした。
その店は、商店街の通りにあった。
商店街は大抵、城下町のイメージにあわせて和風の雰囲気だったけれど、その店もそうだった。
入り口は田舎の家の玄関のように引き戸で、店の傍にメダカの入った大きな陶器の鉢がある。
引き戸は開けっぱなしで紺色の暖簾が掛かっていて、真ん中にはひらがなの白文字で『ますく・ど・かふぇ』と書いてある。
和風のカフェなのかな、と思って入ると、高杉がおもむろに壁にかけてあった木槌を取り、柱に打ち付けてあるゴングを叩いて鳴らした。
カーン、というプロレスでよく聞く音が鳴り響くと、店内の奥にある四畳半の奥で寝ていた人が「へーい」と返事をした。
「マスター、コーヒー四つ。無料が三つと、本日のがひとつ」
「はいよっと!」
勢いよく起き上がった人を見て、幾久は驚き、びびる。
そこに居たのはマスクをかぶった、どう見てもレスラーの人だったからだ。
「うわ!」
「はは、いっくんビビッてる」
「……びびるでしょ、そりゃ」
喫茶店に入ったら、マスクマン。
体はむっちむちだ。
おまけに凄く、体が分厚い。
身長は久坂より低いけれど、それでも体が厚いので大きく見える。
頭に赤色、顔の部分に黒い模様があって、全体は白い。
額にどっかで見たマークも入っている。
酒屋の人がよくしているような、紺色で、腰に結ぶタイプのエプロンをしていて、そこには暖簾とおそろいのデザインで『ますく・ど。かふぇ』と描いてあった。
「お、鳩の新入生か!よろしく!俺はマスク・ド・マスターだ!マスターって呼んでくれ!」
「よ、よろしく……」
右手でぎゅっと握手される。痛くはないが、手も分厚い。まるでグローブをした人と握手したみたいだ。
(体を鍛えたら、手も厚くなんのかな)
そう考えていると、高杉が言う。
「おいマスター、コーヒー」
高杉が呼ぶと、マスクマンは「勝手に入れろ」と言う。
高杉は舌打ちすると、勝手に中へ入っていく。
「い、いいんすか?」
こんなマッチョに対してなんて態度を取るんだ、と幾久は焦るが、高杉が言う。
「よしひろ!だからコーヒー入れろって!」
「もー、本名言うなよ、つまんねえなあ」
のそっとマスターが動き、カウンターの上にあったコーヒーメーカーのコーヒーを入れ始める。
久坂と高杉は店の左側にある、窓際と壁に沿ってL字に備え付けられたソファーに座り、幾久と吉田は一人でかけられる椅子に座る。
「ほらよ、コーヒー。あ、鳩の君にはマスターからおまけね!」
幾久に向かって、マスターは何かを投げ、幾久はそれを受け取った。
「あ、アリガトウゴザイマス」
紙に包まれたそれには『鶴の子』と書いてある。
銘菓、とあるのでお菓子らしい。
「あ、いいなーいっくん、マスターおれにもちょうだい!」
「うっせ買えよ鳳」
「いっじわるいー」
むくれる吉田に高杉が財布から五百円を出す。
「三つと幾久の」
「高杉様、太っ腹―!マスター、鶴の子三つと、いっくんのコーヒー代ね」
「えーと、コーヒー百五十円と、鶴の子ひとつが百円で……」
「鶴の子百円が三つで三百円!それにコーヒーが百五十円で合計四百五十円!よってお釣り五十円頂戴!」
吉田が言うと、マスターは電卓を叩いて五十円を渡した。
「はい、まいだりー」
「ほいよっと」
吉田が鶴の子というお菓子を三つ、高杉と久坂と自分の前に置く。
マスターはカップに三人分のコーヒーを入れたが、幾久の分はない。
「あれ?いっくんのコーヒーは?」
「マスターの手だてをサービスするぞ!」
にこっと笑顔を見せてマスターがなぜか、マッチョがよくやるポーズをいくつも取っている。
「うわー、ほんっとえこひいき」
吉田が呆れると、マスターが豆をがらがらと挽き始める。
電動のコーヒーミルだが、すごい音がする。
コーヒー豆を挽いている間、マスターは謎のポーズを取り続けているが、三人は完全にスルーしている。
暫くすると、マスターがコーヒーの豆をまとめ、ガラスサーバーの上に陶器のドリッパーをのせ、そこにフィルターを敷く。
アンティークな雰囲気のポットは銅だろうか、金属の色をしている。
ゆっくりとお湯が注がれ、コーヒーが落ちていく。
「ほい、どうぞ」
マスターがコーヒーを運んできてくれた。
「あ、ありがとうございます」
皆のコーヒーは、コーヒーメーカーのものだが、幾久のものはマスターが入れ、おまけにカップの模様も違う。
「マスターほんとえこひいき」
「たりめーだ。てめーらみてえなむかつく鳳じゃねえもん。鳩だもん。後輩だもん」
鳳、鳩、は報国院高校でのクラスの名前だ。
クラスが違うとネクタイの色が違うので、誰がどこのクラスに所属しているのか一目で判るようになっている。
二年の高杉、久坂、吉田は三人とも一番成績ランクが上の『鳳』で、幾久はその次の『鷹』の下にあたる『鳩』だった。その下が更に最低ランクの『千鳥』になる。
マスターが幾久に言う。
「あ、でもそれマスターから鳩のいっくんへの入学祝だからね!次からはお支払い頂くからね!」
いつのまにかマスターにまで『いっくん』呼びされているが、お菓子を貰ったのでそこはスルーした。
「あざっす」
ぺこっと幾久が頭を下げる。
「ホラみた?このかわいさ!素直さ!鳳にはないでしょ!」
どうもマスターは、鳳にこだわりがあるらしい。
吉田が幾久に言う。
「万年鳩だったそうだから、鳩贔屓なんだよ」
成る程、と幾久は納得するが、吉田はマスターに言った。
「でもさあ、マスター、言っとくけどいっくんの実力、多分鳩より上だよ?マスターが仲間と思っても多分前期だけの仲間よ?」
「え、マジで?だったら淹れなかったのに」
「マスターひっで」
思わず黙った幾久に、マスターはばんっと幾久の背中を叩いた。
「冗談だ!上を目指すのはいいことだぞ!」
「……あざっす」
他になんと言えばいいか判らなかったが、痛む背中をさすりながら、幾久はコーヒーを飲む。
ゆっくりと店内を見渡すと、マスターはマスクマンだけど店内は和風のいい雰囲気の店だった。
カウンターは茶色の、木で出来た雰囲気のあるもので、椅子もテーブルもレトロな雰囲気だ。
いつか家族で行った軽井沢に、似たような雰囲気の喫茶がいくつもあったなあ、と幾久は思い出した。
さっきマスクマンが寝て居たのは段差のある四畳半のスペースだった。
座卓と座布団が寄せられているが、お座敷でコーヒーを飲むのだろうか。
「あの」
「何?何?」
幾久はずっと気になっていたことを尋ねた。
「あのマスターって、本物のレスラーですか?」
「ああ、コスプレってこと?」
幾久は頷く。吉田が笑いながら教えてくれた。
「いやいや、よしひろは元々ガチのプロレスラーだよ。で、なんか医療事故で選手生命絶たれちゃったんだって」
「え?」
吉田は軽く言っているが、とんでもないことじゃないだろうか。しまった、またオレ話題の選択間違えちゃったんだろうか。
そう思う幾久に、吉田は気にせずに話を続けた。
「でも今は復帰して社会人でもやってるよ。祭りの時とかイベントがあるんだけどさ、あの同じマスクで」
「同じじゃねーよ、これはプライベート・マスク!試合のときは試合用のマスクしてんじゃねえか!かっこいいヒラヒラした、ベロついてんだろ!」
マスターが首元を指でひらひらさせて言う。
「かっこいい?」
吉田が首を捻る。
「かっこいいだろ!」
マスターが言う。
「つか、よしひろ、なんで話題に入ってくるんだよ。聞いてんじゃねーよ」
高杉の態度は相変わらず酷いが、マスターは気にしていないらしい。
「ハル、いっくんが引いてんじゃん」
態度、態度、と吉田が言うが、高杉はむっとしたままだ。よしひろ、ではなくマスターが笑いながら、カウンター越しに幾久に言った。
「コハルちゃんって、俺に一度も勝てた事がないから俺の事嫌いなんだよ、いっくん」
聞いていた久坂が苦笑する。
「まあ、そうなんだよね」
「勝てた事がない、って?何にっすか?」
「幾久黙れ」
え、聞きたいのに、と思うとマスターが言う。
「ひととおりだよ。柔道、空手、合気道、剣道。まるっと負けてる」
「うるさい黙れ、馬鹿よしひろ」
「あれれ~?いつもみたいに鳩って言わないのはいっくんに気をつかってるの?ひゅうう、先輩かっこいい~」
あ、この人こういう性格なのか、そりゃハル先輩は嫌いだわ、と幾久は思う。
「幾久、お前さっさと鳳に来い。でねえとよしひろにダメージ与えてやれん」
「ダメージ受けるんですか?あの人」
強そうだし、気にしなさそうなのに、と思うが三人は頷く。
「一番効果があるかなあ、それが」
「成る程……」
よく判らないけれど、高杉の機嫌を損ねない為には必要なのかもしれない。
「でもすごいっすね、プロ」
プロレスとか、プロのそういう人を見たことがない幾久は素直に感心すると、高杉が「余計な事を言うな」とぼそっと呟く。
「お、興味ある?だったらね、今度ゴールデンウィークに祭りがあるんだけど、会場で試合するから是非見に来て!」
「幾久は興味ねーってよ」
「俺は鳩のいっくんに聞いてるんですぅー」
高杉の言葉にマスターが返す。
なんだかすごく、大人気ない。
「毛利先生と同じ匂いがしますね、あのマスター」
「よく判ったね、あいつら親友」
吉田の言葉に、なんだかああやっぱり、とすごく納得できた。
あれ?でも、ということは、やはり『杉松』さんとも仲が良かったのだろうか。
ちらっと久坂を見るが、久坂は顔色ひとつ変えていない。
余計な事は尋ねまい、興味はないとはっきりさっき吉田にも伝えたばっかりだし。
「えと、なんかすごい沢山、できるんすね、ハル先輩」
「んあ?何がだよ」
まだ機嫌が悪そうだ、とひきつる幾久だが、負けじと尋ねた。
「だって、空手とか、剣道とか?やってたんすよね?」
高杉ではなく、久坂が答えた。
「うん、この近くの神社に道場があるからね。一通り、僕とハルはやってるよ」
「すごいっす」
そういった習い事をやったことがない幾久は素直に感心する。
そういえば父も、剣道かなにかで賞を取った事があるような事を聞いた事があったような。
「で、その全部で俺に負けちゃったんだよね、コハルちゃん」
「うるせえ黙れ馬鹿よしひろ万年鳩やろー」
「しょうがないよね、実際、本当に勝てた事ないんだし」
「黙れ瑞祥」
「まあまあ、ゆっくりコーヒー飲めないじゃん、落ち着いて飲もうって」
お菓子の包装をめくりながら吉田が言う。
幾久も折角なのでお菓子を食べてみた。
中身はふわふわのやわらかいものだ。
なんだろ、と思い食べてみると、それは餡子の入ったマシュマロだった。
「やわらかっ」
雰囲気は和菓子のようだけど、そこまでじゃない。
餡子も普通の小豆餡ではなく、黄色っぽい色だ。
白餡かな、と幾久が切り口を見つめていると、吉田が言った。
「それね、中身、黄身餡だよ。卵の」
「黄身餡!」
そんなものがあるのか、と幾久は感心する。
「あ、鶴の子って、鶴の卵?」
白い、丸い卵のような外見のマシュマロに、中央に丸く黄色い餡があると、確かに卵に見える。
「へえ、案外コーヒーといけるっすね」
マスターが入れてくれたコーヒーは、さすがちゃんとしているのか、味が濃くて、苦いようで苦くない。
甘いお菓子と一緒だと、余計においしい。
「いっくんは見所ある奴だな!」
そうマスターはにこにこしている。そのマスクのデザインを見て、幾久はお菓子を見る。
マスターのマスクは、頭の部分が赤くて、目の周りは羽根のような模様もある。
そして鼻から口にかけて、鮮やかな黄色の部分で囲まれている。
じっと見つめて、幾久が言う。
「ひょっとして、鶴?」
マスターが親指を立てて、にっこりとうさんくさい程の笑顔を見せた。
「正解だ!やはり見所があるな!」
ああ、なるほど、それでコーヒーカップに鶴のデザインがあって、鶴の子っていうお菓子が出るのか。
「なんで鶴なんすか?」
幾久の問いに、マスターは言う。
「だって俺、報国院の卒業生だもんよ」
どういう意味だろう、と考えていると吉田が言う。
「校章、校章」
「あ、そっか」
報国院男子高校は、ある神社の敷地内にあって、校章もその神社のマークをモチーフにしている。
「そっか。報国院が鶴だから、鶴なんすね」
「そそ。絶対にマスクマンになって、絶対に鶴のデザインにするって、報国の頃からずーっと考えてたからな」
すごいなあ、と幾久は感心する。
本当にここは報国院を好きな人が多いんだな。
「すごいっすね。オレ、将来のそういう事、全然考えたことないや。進路っつうか大学の事ばっかりで」
「おいおい、鳩がそういう世知辛い事言うなよ」
マスターが言うが、高杉が言い返す。
「馬鹿は黙ってろ。幾久は頭いーんだよ」
「そうだろうな。なんか杉松にも似てるし」
マスターの言葉に一瞬、幾久の表情が固まって、それを目ざとく久坂が見つけた。うわ、どうしようと思ったが、久坂は静かに、微笑んだまま言う。
「うん、僕もそう思ってた」
「だろ?DA、RO?」
マスターは変なイントネーションを付けて言う。
そして更に続けて言った。
「でもやっぱさあ、そうやってコーヒー静かに飲んでると瑞祥まんま杉松だな!やっぱ血は争えねーな」
「そう?」
久坂が言うと、マスターはうん、と頷く。
遠くを見るように、手を額の上に当てる。
「こうしてさ、カウンターから見っと、ちょっと姿勢悪いのがわかんだけど、その角度とか、頭の形とか、本を読んでた杉松まんまでさあ。お前らほんっと、頭の形同じなのな!」
なにがおかしいのか、げらげらと笑うマスターに、久坂は黙っている。




