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【海峡の全寮制男子校】城下町ボーイズライフ  作者: かわばた
【2】なぜかいちゃもんつけられる【一陽来復】
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花の宿

 恭王寮を出て、幾久と高杉は御門寮とは正反対のある神社へ向かっていた。

『ちょっと寄っていいか?』と高杉に言われ、頷いて従った。神社は報国院の敷地内にある神社でなく、道一本外れた場所にある神社だった。

 幾久が入試の時に乗り越えた近くにあるが、入試のときは慌てていて全く気付かなかった。

「ここ、」

 神社の名前を見て、幾久が驚く。

「乃木さんの神社じゃ」

 乃木神社、と書いてあり祭神は乃木希典とある。

 手水で手を洗い、神社に参った。きちんと参拝の仕方が書いてあったのでその通りにすると、高杉は慣れた様子でその通りにやっていた。

「ちょっと休んでいかんか」

 言われて頷く。境内の奥には井戸や銅像、そして資料館があった。それと、満開の桜だ。

「すっげ」

 この前花見をした寺の中もすごかったが、この敷地内にあるのも凄い。枝垂れ桜や八重桜なので、花が沢山重なっていて見事だ。

 資料館の入り口は横に長い階段があり、そこに高杉と幾久は腰を降ろした。

「―――――さっきはすまんかったの」

「いえ」

 さっき、とは幾久が中学の時に暴力を振るったという事を高杉が皆にばらした事だ。

 事情を知っていて、それを勝手にばらした高杉には確かに一瞬腹が立ったが、その後のほうが凄くて、そんなものはかすんでしまった。


『人殺し』


 それは幾久が、クラスメイトに揶揄された言葉のひとつだった。

 乃木希典をモデルにした小説のドラマを鵜呑みにしたクラスメイトが、幾久が乃木希典の子孫だと知ってそう揶揄してきた。

 我慢をしたけれど、繰り返し言われて結局そいつを殴って停学になった、と幾久が説明したとき、恭王寮の応接室は一瞬、時間が止まったかのようにシーンとなったあと、怒涛のような言葉の応酬があった。

「まさか、皆があんなに怒るとは思ってなかったっす」

 怒った、というのは幾久に対してではない。そのクラスメイトに対して、だ。

 幼い頃から乃木希典の勲功を聞かされて育った地元民にとってその屈辱は幾久の想像以上だったらしい。

 おまけに幾久は知らなかったが、児玉も弥太郎も、維新志士の子孫だった。

 祖先を誇りに思っているらしく、その後の怒りはすさまじく、桂ですら目が笑っていなかったほどだ。

 結局関係ないのになぜか幾久が殴った奴の名前まで教える羽目になった。


『なにが人殺しだ!その人殺しってやつに任せたくねえなら自分がやればよかったのに!だから馬鹿は嫌いなんだよ!』


 意外な事に、一番怒っていたのが幾久の事を嫌いなはずの児玉だった。

 あまりに怒るので、寮にいた他の連中がなにがあったんだと応接間に覗きにきた。

 弥太郎に関しては、はらはらと涙を流したくらいで、逆に幾久のほうがびっくりした。

『なんでそんなひどいこと言えるんだろうね、ひどいよね、戦争で戦った人への冒涜だよ』

 どうしてそこまで思い入れられるのか、不思議だと幾久は思っていた。

 目の前の神社だって、幾久の先祖だと言われてもいまいちぴんと来ない。

 存在を知りもしなかったくらいなのだから。


「そりゃ怒るだろ。乃木さん馬鹿にされりゃな。ここでは当たり前の事じゃ」

「東京では当たり前じゃなかったっすよ」


 クラスメイトはそんな揶揄をニヤニヤしながら眺めていただけだ。

 ドラマを見て、そう思っていたのかもしれないし、加担しない虐めを傍観者として楽しんでいたのかもしれない。

「なんでもよかったんじゃ、そいつらは。なんでもいいから、違うものを持ってる奴を叩きたかっただけじゃ。たまたま、お前がそれにあたった、それだけの事じゃ」

「そう、思います」

 今となっては、乃木さんの事なんかただのいちゃもんだったんだろうと判る。

「だから、我慢したほうがよかったのかな、とちょっと思ったり」

「なんでじゃ。お前は我慢しちゃいけんじゃろう」

「へ?」

「お前は、乃木さんの子孫じゃろう。お前が怒らんで、誰が怒るんじゃ」

 でも、と幾久は思う。

 自分はついこの前までそんな事を知ってはいても考えもしなかった。

 ドラマで乃木希典がどんなひどい扱いを受けても腹なんかたたなかったし、ふうんでおしまいだった。

 それなのに自分が揶揄されたら怒るとか、自分勝手なような気がする。

「お前はなんで、乃木さんを馬鹿にしたやつを殴ったんじゃ?誰かをすぐ殴るような性格じゃないじゃろう」

「……」

 それは幾久にも判らなかった。もともと暴力なんか振るったことがないのに、あのクラスメイトを殴ってからというもの、自分は手が早くなった気がする。

 御門寮に来てすぐに山縣と喧嘩して手を上げたし、今日だって殴りかかってくる相手に躊躇なく飛びついた。今までの幾久ならただ殴られるだけだったろう。

「わかんないっす。無性にその時は、腹が立って」

 高杉は静かに、幾久に言った。

「お前が、そいつを殴ったのは理由があるんじゃ」

「そうなんですか」

「ああ。凄く判りやすい、当たり前な理由じゃ」

 幾久にはその理由が判らない。高杉を見上げていると、彼は言った。

「お前がそいつを殴ったのは、単純にお前が馬鹿だからじゃ」

 馬鹿と言われて幾久はむっとする。

「なんで、馬鹿なんすか」

「馬鹿だから、自分の感情もわからん。まとめきらん。伝えきらん。だからそのまま、苛々して相手に当たる」

 ぐっと幾久は唇を噛み締める。確かにその通りだからだ。

「お前、クラスメイトを殴ったときの気持ちを説明できるか?できんじゃろう」

「それは、」

「ただむかつくとか、イラついた、なら小学生でも言えるぞ。なにがどうして、どういう理由で、なんで腹が立つか考えたか?」

「そんなん、ただの感情だろ」

 ぼそっと言う幾久に、高杉は首を横に振る。


「どんな感情でも絶対に理由っていうものはあるんじゃ。それをきちんと判らんままにしとくと、同じ様な事で何回も腹を立てるぞ。お前は腹を立てるたびに退学くらって学校変わるんか?」

 高杉のいう事はもっともすぎて反論の余地がない。

「あんたに、関係ないでしょう!」

 そう否定するのがやっとだ。

 だが、高杉は揺るがない。

「関係あろうがなかろうが、考えることくらいええじゃろう。お前は悪くないんじゃろう?」

 確かに自分は悪くない、と言える。でもなぜそういえるのかは判らない。

「そりゃ、誰かを殴る事はよくないし、絶対にしちゃいけんことじゃ。けど、世の中にはどうしようもないやつがおる。話し合いなんか意味のない、ただの馬鹿やクズがおるんじゃ。けど、だからっていきなり殴っていいわけじゃない。そうじゃろう?」

 幾久は頷くしかない。確かに自分は相手を一方的に殴った。それは悪い事だ。だけど後悔はあるか、といえば相手を殴った結果、面倒なことになったという後悔はあっても相手に悪いという気持ちは全くない。

「なあ幾久。なんでお前はそいつを殴った?」

 静かな高杉の口調は、いつもと違ってちゃんと答えないといけない気分にさせる。

 幾久はじっと考える。手を組んで、考えたくないことを考えた。

 むかついた、腹がたった。でも今までそんな事いくらでもあった。

 どうしてあの時自分は手が出たのだろう。


「……人殺し、って言われて、かっとなった。多分」

「ほう」

「本当の事なのに」


 そう言うと、胸がきしんだ。

 そう、事実そうだ。

 乃木希典は軍人だ。

 多かれ少なかれ、人の生死に関わっている。

 多分腹がたったのは本当のことだからだ。

 真実を言われてかっとなった。


「人殺しとは、穏やかじゃねえが、まぁ、しょうがないことじゃの」

「でも」

「言っとくが、そんな連中、うちにはごろごろおるぞ?それに幾久、お前だってその言葉が理不尽だって判っちょろうが」

 幾久は頷く。そう、なのだ。事実であっても釈然としない。実際、幾久自身が人殺しをした訳じゃない。

「お前がなんで、釈然とせんか、教えちゃろうか」

 高杉の言葉に幾久は頷く。この不思議な感情の理由が知りたかった。

「今の立場から、昔を判断するから、おかしなことになるんじゃ」

「?」

 幾久は高杉の言った意味が理解できなかった。判っている、という風に高杉が、ひとつひとつゆっくりと言った。

「乃木さんが生きちょったのは明治時代じゃ。明治の頃の常識と、今の常識も状況も違う。それは判るな?」

 幾久は頷く。いくらなんでも、そのくらいは判る。

「昔の事は昔の人しか判らん。そのころはそうじゃった、としか言えん。戦争も同じじゃ。そん時の状況なんかそん時しか判らん。その判らんものに対して、『考えれば判る』とか『無能だ』とか言うのは馬鹿げちょる。誰だってそんなん、判ったらせん。できたらせん。判らんかったから、できんけえするんじゃ」

「でも、じゃあ何でいちゃもんつけてくるんすか」

 昔の人しか判らないのに。

 そう幾久が言うと、高杉が苦笑した。

「決まっちょる。そんなん、理由なんかどねえでもええからじゃ」

 目に付いたからだ、と高杉は言う。

「ちゃんと聞きたがる奴は、殆ど聞かないでもええくらいに調べてくるし調べちょる。でもちょっと聞きかじったり、いちゃもんをつけてきたい奴は適当な理由を探してくる。想像じゃけど、お前の殴ったクラスメイトは、お前にいちゃもんをつけたかっただけじゃ。乃木さんなんか関係ない。もっと目立つ奴がおったら、お前なんかよりそっちをからかったんじゃないのか」

 高杉に言われて幾久はそうかも、と思う。


 元々幾久が殴ったクラスメイトと付き合いはそんなになかった。

 テレビでドラマがあって、担任がばらしてから急にからむようになった。

「本当に乃木さん云々が原因なら、話し様もある。けど、そいつはお前にからむ理由に乃木さんを使っただけじゃ。だからお前は混乱した。乃木さんが理由だって言う、そいつの言い分を信じたからじゃ」

 高杉の言葉は一々最もで、幾久は頷く。

 確かに、いきなりなぜ乃木希典の事を言ってくるのか判らなかった。

 だけどもし、理由なんかなんでもいい、とにかく叩く相手を探しているのだとしたら。

「相手が何を言っているか、の言葉尻を取るより、相手が何を言おうとしちょるんか、考えんといけん。でないとずっと、こんな揉め事から逃げられん」

「……」

 難しい、と幾久は思った。会話のひとつひとつ、そんな風に考えないといけないのか。

「素直に言葉を受け取るのはええことじゃ。けど、素直に全部鵜呑みにして判断するのは、馬鹿のすることじゃ。言葉の裏を探れ、とは言わんが、本当の意味を考えるのは必要な事じゃぞ」

 特に報国院、御門では、と高杉は言う。

「わしはその時の事を知らんから、想像でしかないけど、とにかくドラマに出た、テレビに扱われた、そんなのが気に入らん奴だったんじゃないのか。お前が興味なければ余計にむかついたじゃろう」

「……バッカみてぇ」

 でも確かに、自己顕示欲は強い奴だったな、と幾久は思い返す。

「でもそのバッカみてぇな奴が多いじゃろう」

 高杉の言葉には含みがある。自分なんかよりよっぽどメジャーな人が祖先なんだから、幾久とは場数が違うのかもしれない。

「お前は多分、無意識にその理不尽に気付いてたから、腹が立ったんじゃろう。けど頭が悪いからそれを相手に説明できなかった。で、殴った」

「すみませんね」

 むっとして言い返すが高杉は気にしない。


「馬鹿はな、何を言っても無駄じゃ。けど、馬鹿かどうかわからん奴には説明がいるんじゃ。それは馬鹿を説得する為に、じゃない。馬鹿じゃない人を納得させる為に必要なんじゃ。けど、それは技術がいる。技術は磨かんとつかん」


「判りにくい」

 高杉の言おうとしていることは判るが、いざ自分の中で咀嚼しようとするとうまく飲み込めない。

「……今日おった連中は馬鹿じゃねえから、ちゃんと説明しときゃ助けてくれる、って言えば判るか?」

 今日、というのは恭王寮に居た桂やトシの事だろう。

「お前はなんも言わんでええ、と思っちょるかもしれんが、毎日心配してくれちょる相手に話くらいしてもええじゃろう」

「でも、そんな話聞きたくないかもしれないし」

「それはお前が判断せんでもええ。聞きたくない話なら聞きながしてくれるんじゃないのか?」

 確かに、と幾久は思う。

 自分だって、誰かのどうでもいい話は多分、聞き流すだろう。


「人ってな、案外、自意識過剰なんじゃ。こんなの言ってどう思われるか、とか考える。でもそんなの誰も気にしちょらん。一世一代の告白でも、聞くほうがどうでもいいと思っちょったら、ただの雑談じゃ」


 ごもっともすぎてぐうの音も出ない。

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