僕らはずっと、悲しみの海の中
福原は、静かに御堀に告げた。
「俺らにとっちゃクソ長井だけど、やっぱ今回のツアーのテーマから考えたら、こりゃ逃れるのはねーなって思ってさ。特に今回、下手にブッキングあったわけだし」
十一月の、報国院での芸術祭で長井はチェロのコンサートとして参加したが、まさかのグラスエッジの予定を奪っていた事を知らず、結果、長井のコンサート後、グラスエッジは母校の屋上でゲリラライヴを行った。
話すことも、分かり合う事もなかったし、長井がまさか、チェロを含めた編曲を学生の頃からやっているとも知らなかった。
とっくの昔に出来上がって不動だと思っていたことも、こんなきっかけで決壊することもある。
「共感が運よくずっと一緒に続けば、やがて共有になるんだろうと思う。俺らのファンで、ずっと好きでいてくれる連中とは、もう共有になってんだろうなって思うし。だから最初にいっくんに会った時なんか、俺らは勝手に共感してたワケ。昔の俺らがここにあんぞ!みたいな」
けど、と福原は言う。
「懐かしい寮で、なんか先輩に似てるいっくんが居て、俺らの頃みたいな悩みもやっぱ持ってて、昔の自分を助けたり、遊んだり、そんな気分でさ、すげー楽しくって。でもそうやって遊んでいくうちに、いっくんと経験とか時間とかを、先輩と後輩として『共有』できるようになってさ。あー、これいいなあって。昔の思い出を味わってるつもりがさ、リアルに遊ぶようになって、共感とか共有が、どばーって襲いかかってきて。マジ、俺らただのガキだよなって思い出しちゃってさ」
「それで、繰り返すとか、反復って意味のタイトルにしたんですか?」
「そう。別に昔に戻りたいってわけじゃねえけど。ただ、いろいろ考えることもあってさ」
「僕から見たら、好き勝手やってるみたいに見えますけど」
御堀の言葉に福原は、だはは、と笑った。
「実際、その通りなんだけどな!けどまあ、大人って面倒くせーな、って思うこともあってさ。仕事は面白いけどな」
「……いいな、って思います」
御堀は静かにそう言って、続けた。
「僕も幾も、なりたいものになれなかったから」
そんな言葉が出てしまったのは、たぶん、夢をかなえた先輩に対する甘えとか、八つ当たりとか、ひがみもあったのかもしれない。
御堀は胸が苦しくなった。
本当は諦めたくなんかなかった。
和菓子職人にだって、きっと幾久はサッカー選手に、いまだってなりたくてたまらないだろう。
だけど、望むものになれない自分たちは、ずっと苦しいままなのだ。
福原は御堀の言葉に、頷いて肩を抱いた。
「そっか。ずっと辛いな」
そう言って御堀の髪を、くしゃくしゃと撫でた。
(僕は。僕が、この人たちを、こういう音楽を、苦手だって思ってたのは)
まだ若いからがんばれとか、夢はまだ叶う、そんな事を言われると思い込んでいた。
叶わない夢はあるし、なれないものもある。
そんなもの、高校生にもなれば自分の才能なんか判ってしまう。
努力でどうこうなるものじゃないし、才能なんか関係ない、なんて言える人は恵まれている。
だけど、この人たちはそうじゃなかった。
福原は、泣きそうな御堀の表情を見て、苦笑して言った。
「望みが叶うことはなかったとしても、なにかが報われるってことはあるよ。いっくんも居るんだろ。一緒にこらえてけ」
「―――――はい、先輩」
「堪える為の財産を、この二年で作り上げろ。気合入れてな」
ばんっと背中をたたかれ、御堀は泣きそうな気持ちを飲み込んだ。
一生苦しめ。
この人はそう言っているのだ。
逃れることもできない、きっと一生後悔する。
それを判っているのなら、判ったまま諦めて抱き続けろ。
そう、福原は言っているのだ。
ひどい言葉でも、御堀には嬉しかった。
自分で決めて、覚悟も持った。
だけど、だからって、一生それだけでやりすごせるわけなんかない。
(だから、僕たちは泣くしかなかった)
華之丞をサッカーで負かせた日、幾久は、本当はサッカー選手になりたかったのだと泣いた。
諦めた自分を嫌いだと責めていた。
だから御堀も幾久に告白したのだ。
本当は和菓子職人になりたかったのだと。
サッカー選手にもなりたかった、と。
大人の言うことを聞いて、逆らえない、受け入れる自分が嫌いだと。
幾久が自分を自分で嫌うなら、御堀が幾久を好きでいるのだからそれでいい、と何度も御堀は幾久に告げた。
幾久も、自分を嫌う御堀を、それでもいいと笑って好きだと告げてくれた。
だけど結局、互いを慰めることしかできない。
だから、この先、それに耐えるだけのものを、大切なものを作れ。
福原はそう御堀に言っているのだ。
「ストレスたまったら、いつでも言え。俺らはずーっと桜柳祭やってるつもりでいんだからさ。やるほうも楽しいけど、見て遊ぶのも無責任で楽しいぞ」
「はい」
御堀は思った。
もっとちゃんと、素直にこの人たちの曲を聞こう。
たぶん、この先なら、もっといろんなものを、この人たちの歌から拾うことができる。そんな気がする。
「全力でいっくんに甘えて、全力で抱きしめろ。でねーと青木君のごとく、将来いっくんみたいな後輩に、べたべたべたべたする羽目になんぞ」
「今のうちに、幾に全力でべたべたします」
「その意気!」
ぶはっと福原は噴出して笑った。
いい加減、遊んでないで会場に戻るぞ。
宮部の声に、はーいと遊んでいた福原以外のメンバーが返事をする。
青木は幾久にべったりくっついて、幾久は逃げ回っている。
やがて青木は来原に抱えられ、車の中へ押し込まれたが、あんまり幾久を呼んでうるさいので幾久も同じ車へ乗り込んだ。
番組の撮影で来ていたカメラマンやスタッフも次々と車に乗ったり、移動をはじめ、にぎやかだった場所は寒々しい広場へと戻ってゆく。
「さー、みほりん、帰ろっか」
残ったスタッフの車に乗り込もうとする福原に、御堀は言った。
「青木先輩も、ひょっとしてずっと我慢しているんですか?」
あんなにも幾久にまとわりついて、あんなに幾久を抱きしめる理由。
福原は気づいたか、みたいな顔になって、御堀に微笑んで頷いた。
「青木君はね、もう一生苦しいの。紛らわそうにも、抱きしめたい人は二度と触れない。だから似ているいっくんを抱きしめて、ごまかしながら財産作って、それでも足りなくて叫んでんの」
ピアノでね。
福原の言葉はまるで旋律のように、御堀の胸に長く響いた。
昨日と同じように楽屋に呼ばれ、メンバーにやっぱりおもちゃ扱いでもみくちゃにされた幾久は、やや不機嫌だ。
それでも、ライヴは楽しみらしく、時間になれば早々に幾久は南風と共に移動した。
場所は昨日と同じく、機材のたくさんある場所で、今日は撮影も多いとかでカメラマンの人が昨日よりも多かった。
ざわつく会場内にいるとわくわくしてくる。
「楽しみだね」
御堀が幾久に声をかけると、幾久は不機嫌なままだったが、「まあね」と言った。
「ファンなんだろ?もっと喜ばないと」
「オレ、まだファン二日目だもん。よくわかんない」
そう言ってむくれながらも、目はいつ始まるか判らないステージを見つめている。
「あんなにふざけてたのに、ちゃんと仕事できんのかな」
幾久が言うと御堀は「できるよ」と頷いた。
「先輩って、やっぱりなんか凄いなって。福原先輩と話しててそう思った」
「どんな話で?」
「僕、八つ当たりした。なりたいものになってるのってやっぱむかつくじゃん」
御堀の言葉に幾久は目を丸くしたが、にっと笑って頷いた。
「わかる。むかつく」
「だよね。うらやましいよね」
絶対になりたいものになれない自分たちは、きっとこんな風になりたいものになった人たちを羨みながら生きて行く。
諦められたら良かった。
嫌いになれたらもっと良かった。
だけど幾久はどこまでもサッカーが好きで、御堀はどこまでも和菓子が好きで。
(嫌いになんかなれないよ)
だから苦しい。だから悲しい。
御堀は隣の幾久の手をとって握った。
共感したくて、共有したい、そう思ったからだ。
僕たちは、同じように、苦しくてかなしい。
幾久は御堀の手を、笑って、ぎゅっと握り返してきた。
自分たちはきっとずっと苦しいままだろう。
(けど、それがどうした)
夢が叶わないのなら、一緒に苦しんで生きよう。
どうせ埋まらないものなら、落ち込んだら泣いて、一緒にまた抱きしめあって眠ればいい。
だから絶対に、失うものか。失いたくない。
互いに強く、手を握った。
昨日と同じように、ノイズ交じりの音が流れてきた。
ステージを覆う薄い布に海の映像が映る。
これから始まるという興奮が会場を包み込み、歓声が上がる。
「素直にならなきゃ」
御堀は言った。
「もっと、ちゃんとこの人たちの音楽を聴きたいんだ」
結局うがった見方をしていたのは自分だった。
ロックなんて、流行の音楽なんて、そういうものだと思い込んでいた。
集の歌が、やっと言葉になって届いた気がする。
ステージは昨日と同じように、報国の海が画面いっぱいにうつる。
「幾。どうして先輩は、この海にしたんだろうね」
幾久は少し考えて、答えた。
「考えてみてさ、あとから答え合わせしてもらおう」
御堀は、だから自分は幾久を選んだのだ、と確信した。
(僕は、ずっと、もっと、ちゃんと、考えていたかったんだ)
決め付けられた答えじゃなく、悩む時間は無駄ではなく、わかりきった答えを教えられるんじゃなくて、自分で考えて決めたかった。
この海の映像だって、きっと地元だから選んだに違いない。
そう思い込めば一瞬で終わる。それは感性を殺してしまう事だ。
「タマにも相談しようよ。きっと詳しいし」
幾久が言うので、御堀は、うん、と頷き、二人は手を繋いだまま、ステージを見上げて待った。
二人の様子を南風が微笑んで見つめていて、カメラマンを呼んで耳打ちした。
しずかにカメラマンは二人の背後に移動して、シャッターを切る。
それでもステージを見つめる二人は気づかない。
これから始まるステージを期待をこめた目で見つめ、手を繋いでいる少年二人。
(ふっくん、見たいだろうな)
そう南風は思って笑った。
お前らの音楽って、こんなに後輩たちを釘付けにしてるんだぜ。
教えたら、なんで撮っとかないんだってきっと青木は怒るだろう。
カメラマンに教えたから、その写真で許してもらおう。
あのキラキラした目を、この目で見たくて一緒に走ってきたんだ。
自分たちもそうだったから。