現役高校生もえげつない
福岡に存在するローカル音楽番組『ミュージック・スワロウ』は地域で音楽を好きなら知らない人はないというくらいの老舗番組だ。
特に福岡、その近辺出身のバンドを応援しており、売れる前から宣伝してくれるということもあって、今では大御所になったバンドの面々が、その番組だけ贔屓してくれることも多い。
インタビューは基本うけないが、ミュージックスワロウだけは別、というミュージシャンも居たりするので、番組の価値は高い。
グラスエッジもインディーズの頃から応援してくれていて、オリオンテンノットとも競演することがよくあった。
その中でもバラエティよろしく、バンドでふざけた企画をすることもあって、今回はそれに青木を組み込むことになった。
幾久が来ていると知った青木はメンバーと共にすぐ移動して、港に到着した。
文句を言う前に宮部はとっとと青木に着替えのジャージを渡し、着替えさせた。
「こう見たらさ、宮部さんって有能だよね」
幾久が感心したのは、メンバーの行動パターンを完全に把握して先手先手を片っ端から打ってそれを実行する能力だ。
御堀も感心して頷く。
「凄いよ。さっき話し聞いたけど、すでに港はとっくの昔に許可取ってたんだって」
「じゃあ、オレが勝負断ったらどうするつもりだったんだろ」
幾久と青木の勝負話が出たのはつい昨日の話なのに。
「その場合は撮影にでも使えばいいと思ってたんだって」
「なんか凄い」
グラスエッジの面々が一筋縄でいかない人たちなのは幾久もよく知っているが、飄々と仕事をこなしていく宮部には見事だなと思う。
にこやかにしているから判りづらいが、宮部には鳳クラスの人に近い感覚があった。
「なんかオレ、思ってたんだけどさ。宮部さんって」
「僕も思ってた」
幾久と御堀は同時に顔を見合わせて「せーの」で言った。
「お金先輩に似てる」
同時に言ったことはやっぱり同時に同じ言葉で、二人はやっぱりな、と苦笑したのだった。
さて、着替えをすませた青木が黒いワゴンの中から現れた。
長い髪を後ろでひとつにまとめ、スニーカーをはいて出てきたが、ジャージは幾久が着ているものと全く同じデザインだ。
「あれ、かっこいい」
幾久が言うと、青木が文句を言った。
「あれってなんだよ、あれって!」
「だってアオ先輩、ジャージとか似合わなさそうだし」
「この!ジャージを!デザイン!したのは!僕!」
ばんばんと胸を叩きながら青木がアピールするが、幾久は素直に感心した。
「えっ、アオ先輩すごいんすね」
「だから!僕は凄いんだって言ってるだろ!」
まあでも、と青木は幾久をほくほくと眺めた。
「やっぱり僕のデザインは最高だね。いっくんによく似合ってんじゃん」
「これマジでかっこいいっす。あとでアオ先輩のジャージもください」
「いっくん僕が欲しいの?」
「ジャージだけください。中身はいらないです。ジャージは友達にあげます」
「中身入りのほうがお得だろ!ジャージも!いっくんが!着ろよ!」
「え、いやっす。サイズあわないっすし」
青木と幾久のやりとりに、やっぱり集が爆笑していて、来原は柔軟体操を始めている。
「はいはーい、じゃあアオといっくんで五本勝負、二百メートルのライン引いてるから、そこ走って」
いつの間にしっかりラインも引いてあって、準備は万端だった。
カメラマンとスタッフらしい人が居るので少々やりづらいが、顔が見えないのなら山縣の動画と同じか、と思うと緊張もさほどない。
青木はやたらかっこよく左腕を右へと伸ばし、右腕を折り曲げて上半身を伸ばしている。
「アオ先輩、それ上半身のストレッチっすよ」
「判ってるよ!クロスアームストレッチだよ!こう見えてもジムには定期的に通ってんだからね、いっくんには負けないよ!」
「へー、」
確かに福原も青木はジムに通ってはいると聞いていたが。
上半身を左右にひねったり、腕を背中に回したりしているが、どれも全て上半身のストレッチだ。
なぜか手首、足首をゆらしながら青木は言った。
「言っとくけど、今回は僕は負けないからね。いっくんに!なんでも!言うこと!聞いてもらうから!クリスマスプレゼント貰うから!」
「ハイハイ、負けないんで無駄っすよ」
完全に幾久は青木をなめているが、それを見て福原も中岡も爆笑している。
「青木君、がんばれー!負けそうだから応援したげるー!」
「うっさいんだよウンコ!黙って僕といっくんが結婚するの見てろ!」
「しないっすよ。馬鹿じゃないんすか」
「僕は!グラスエッジの心臓部だぞ!」
青木が幾久に言うと、幾久がぽつりと言った。
「……脳じゃないから?」
集が笑いすぎてとうとうお腹をかかえて転がってしまった。
「はい、先輩後輩漫才はそこまでにして、そろそろ撮影に入るから、アオもいっくんもスタートラインについてー」
宮部の声に、幾久と青木が「はーい」と素直にスタートラインについた。
カメラの前では福原が幾久の顔を隠しつつ、勝負のルールと内容をふざけながら説明した。
「いっくん、僕は本気で負けないからね」
青木の言葉に幾久も頷く。
「オレも絶対に負けないんで」
福原に頼まれたとはいえ、すでに幾久が青木に売った勝負なのだから、絶対に負けるわけにはいかない。
カメラがこちらを向き、ひとつはゴールの地点へと移動して行った。
「じゃあ、審判は公平に中岡リーダーがやるから。リーダーはゴールへ行って、俺がホイッスル吹くんで、それがスタートね」
「うす」
「判った」
誰が青木に負けるか。こっちはずっと走ってたんだぞ。
幾久はそう思って、スタートラインについた。
「いちについてぇ、よーい」
福原が号令を出し、思いっきりホイッスルを吹いた。
ピー!という音と同時に、幾久と青木が走り出した。
負けるわけがないと甘く見ていた幾久だったが。
(―――――は?!)
正直、本気では走っていなかった。
どうせ勝つと舐めてかかっていたからだ。
だが幾久は忘れていた。
たった二百メートルたらず、もし二キロ勝負なら幾久の圧勝かもしれないが、これだけの距離ならそこそこ運動していれば、本気を出した方が強い。
青木の走り方は福原の言うとおり、たしかにダサい。
まるで『卍』マークで走っているように見えるのだが、遅くはない。むしろ早い。
(なんなんだあれは!)
幾久があっけに取られている間に、青木はびゅーっと走り抜けてしまい、幾久は負けてしまった。
「はーっはっはっはっは!みたかいっくん!これが僕の実力だあ!」
「いや、全然舐めてましたスンマセン」
そこは正直に反省した。
完全に舐めきった態度で失敗だった。
「さ!僕の言うことを聞いてもらおうかな!」
青木が張り切るも、後ろから追いかけてきた福原が「ピピー!」とホイッスルを鳴らした。
「青木君、五本勝負だから。三回連続で勝ったら、そっちが勝ちになるからまだ判んないよ?」
「ルール変えろ。いくら払えばいい?」
「堂々と賄賂を行わないでくださいよ」
幾久が文句を言うと青木はちえっとわざとらしく舌打ちした。
「でも油断してたのは事実なんで、次は勝ちます」
「何回やっても僕が勝つよ!」
得意げに青木が胸を張るので、幾久はむっとして言った。
「ぜってぇ負かしますんで」
「勝たすかよ」
そう言いながら、青木と幾久は喋りながら並んでスタート地点まで並んで歩いて帰って行く。
さりげなく、そのシーンをカメラマンが撮っていたのを、勿論二人は気づくはずもなかったが。
「さー、気を取り直して勝負いくぞ!よーい!」
ピー!とホイッスルが鳴ったが、幾久は今度こそ、本気で真剣に、絶対に負けるもんかと全速力で駆け抜けた。
二百メートルではちょっとした勝負が必要になる。
幾久は初速で遅れをとってしまったので、今度は青木に抜かれないように最初から本気を出してダッシュ、そのあと青木が必死に追いついてきた瞬間、ややスピードを落とし、安心した瞬間を抜き去った。
二回目は幾久の勝利だった。
「やったー!勝った!オレの勝ち!本気出せばこんなもんっす!」
喜ぶ幾久にやっぱり追いかけてきた福原がハイタッチした。
「イエーいっくん最高!」
「はいっす!」
ばちんと大きな音を立てるも、青木は恨みがましい目で福原をにらんで言った。
「いくら!払ったら!いいんだよ福原ウンコ!」
「いや、駄目だって。勝負だもん」
「そーそー、アオ先輩、見苦しいっすよ」
本気で走ったのだろう、青木はぜえぜえと肩で息をしている。
(はーん)
幾久はその様子を見て、作戦を思いついた。
「じゃあ、次の勝負に戻りましょうか、アオ先輩」
「いーよ、次こそ僕が勝つから」
「スタート地点に先にアオ先輩が着いたら言うこと聞いてあげますよ、よーいスタート!」
「えっ、あっ、ちょ、ちょっと待って、いっく―――――ん!!!!!」
案の定、青木は必死に幾久を追いかけるも、スタート地点には幾久のほうが早く到着して、青木がやっとスタート地点に到着すると、福原が「いちについてよーい」と自分もそこに戻ってないくせにすぐさまホイッスルを吹いたものだから、青木は体勢を整える間もなくスタートする羽目になって、当然幾久には負けてしまっていた。
「わーい!オレの勝ちだー!」
「ひ、ひ、ひきょうじゃないの、いっく……」
幾久にいいようにあしらわれて、走っている最中もペースを狂わされまくった青木は肩で息をしているが、幾久は再び走り出した。
「つぎは先にスタート地点に立った方が勝ちっすよ!よーい!」
「ま、ま、ま、」
「スタート!」
「まてぇええええええ」
へなちょこな足取りで青木が必死に走るも、普段サッカーをやっている福原と現役高校生にかなう筈もない。
しかも元の場所に戻るので、結局往復することになり、一回の勝負で四百メートル走るわけだ。
結局、最初の一回は青木が勝ったが、次は三回連続で幾久が勝利し、青木は負けてしまったのだった。