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【海峡の全寮制男子校】城下町ボーイズライフ  作者: かわばた
【2】なぜかいちゃもんつけられる【一陽来復】
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初めての恭王寮

 恭王寮は城下町の中でも奥のほうの、武家屋敷が残っている界隈にあった。

「なにこれ。かっけえ」

 伊藤の言葉に幾久も頷く。御門のように大きくはないが、それでも普通の家にはちょっと立派な和風の門があり、脇の大きな表札に『恭王寮』と書いてある。

 向かいは城下町を通る歴史ある川があり、観光用に整備されていて、錦鯉が泳いでいたり鴨がいたり。

 門を開けて中を入ると、庭があってそこは綺麗に整備されている。

「武家屋敷じゃん」

「そそ。元々はそうだよ。建物は違うけどね」

「本当だ」

 庭と門は純和風だが、中の建物はむしろ和洋折衷、というかモダンな建物で、以前神戸で見た、外国人居留地の家みたいだ、と幾久は思った。

 レンガ造りの重厚な雰囲気があり、このままお洒落なレストランと言われても納得できる。

 両開きの大きな木の扉を開けて出てきたのは三年の桂雪充だ。

「お帰りタマ、弥太郎。お客さんもどうぞ」

 児玉と弥太郎は着替えるからと一旦自室に戻り、伊藤と幾久はすでに私服の桂に案内されて応接室へと入った。



 恭王寮の応接室は玄関を入ってすぐの隣にあり、庭がよく見えるようになっている。

 六角形で腰から天井にかけて高い窓があって、窓に添ってつくりつけのソファーがついている。

 壁は一面本やなにかの資料があり、中には外国の資料もある。

 飾られたパネルや写真は飛行機が多く、その飛行機もかなり昔のものだ。

「紅の豚……」

 伊藤が言うと、桂が笑って説明する。

「うまい事言うなあ。確かにそうだけど」

「この写真なんすか?卒業生の、とか?」

「卒業生もあるけど、この寮のいわれって言うか。昔、ある皇族で飛行機好きな方がいてね。長州市にも飛行機で来たことがあるんだって」

「へぇー!」

 そんなの知らなかった、と伊藤が驚く。

「その頃に、その人が住む為に作られたのがこの家、それを報国院に寄付されたんで、そのまま寮として使っているって訳」

「歴史、あるんすねぇ」

 感心する幾久に、桂が笑って言う。

「御門だって相当だよ?聞いたことないの?」

 幾久は首を横に振る。

「きいたことないっす。旅館かなんかかと思ってました」

「旅館……確かにそう見えるかもね」

 なるほどね、と桂が納得する。

「雪ちゃん先輩、コーヒー持ってきました」

「ああ、悪いね、ありがとう」

 着替えた児玉と弥太郎が、トレイにコーヒーをのせて入ってきた。

「ネクタイはこれね、あと折角だからお茶に付き合ってよ」

 にこにこと微笑む桂に、はい、と頷いて幾久はコーヒーを貰う。いい香りがするが、どうもこの香りには覚えがある。

「あれ?これ、うちの寮と同じコーヒーだ」

「え?おまえんとこ、こんなちゃんとしたコーヒーなんか出るの?うちインスタント自腹しかねーのに」

 伊藤の言葉に桂が言う。

「報国は人数多いからやってないんだろうけど、他の寮は安くコーヒー仕入れてるんだよ。うちの卒業生でそういう仕事の人がいるから」

「へー」


「若い頃から本物に触れるのはいいことだっていう考えだからね、報国院は」

「なのに報国はスルーっていう悲しい現実」

 あはは、と桂が笑う。

「人数がいるとどうしてもね。まあトシは鳩なんだし、希望出せば他の寮に行けるんじゃない?」

「えー、だって御門は無理じゃないっすかー。鳳じゃないし」

「うーん」

 それを言われると困る、という風に桂が苦笑する。

「素行悪くて御門にぶちこまれんなら、今日にでもそうするのにー」

「駄目駄目、いくら報国でも退学になるよ」

 伊藤と桂の会話を聞きつつ、幾久はある重要な事をすっかり忘れていたことに気付いた。思わずがたっと立ち上がると、全員が幾久を見る。

「どしたの?いっくん」

 弥太郎が不思議そうに幾久に聞くが、幾久は真っ青になって言う。

「オレ、喧嘩なんかしちゃったけど、これって退学、なんかにならない、っすよ、ね?」

 中学のときは二発殴って即停学の扱いだった。

 しかし今は高校で、素行不良にはうるさいらしい報国院だ。

 どうしよう、折角入ったのにまた問題起こして転校なんて、他に受け入れてくれる学校なんかあるのだろうか。

 不安になっている幾久に、全員が顔を見合わせて、あの児玉ですら堪えきれずに噴出していた。

「あはははっ!ないない!だって喧嘩売ってきたの、あっちのほうじゃん!」

「報国院で鳩でしょ?ないない、千鳥ならともかく、鳩ならありえないから」

 げらげら笑う皆に幾久は逆に心配になる。

「いや、でも」

「心配ないって、まず問題にもならないよ。学校外の事は、学校は基本無視なんだ」

「え?」

 桂の説明に、幾久は驚く。

「校内で問題起こしたらそりゃね、駄目だけど登下校中とかそれ以外とか、学校はほんとスルーだよ、スルー。それこそ制服で万引きしてとっつかまっても警察も学校に連絡しないから」

「そうなんですか?」

「うん。即退学だし、そういうの」

 警察で言われるらしいよ、と弥太郎が言う。

「犯罪者はうちの名前に傷がつくからいりませんっつってその場で退学。学校の名簿からも抹消。ブラックリストには載るから、子供の代に報国院に入ろうとしてもまず落されるっていう」

「厳し……」

「厳しいよ、そういうのは。今回はいっくんは完全に被害者なんでしょ?」

 内容を知っているらしい桂に驚くと、児玉が言う。

「説明しといた。ネクタイ借りるのに、知らんぷりはねーだろ」

「う、うん」

 桂が言う。

「この程度のいざこざなら時々あるから。特に春はね、よくあるよ」

「なんで春に?」

 幾久が尋ねると児玉が答えた。

「決まってるだろ。報国落ちた奴がやつあたりしてくんだよ。今日の奴も言ってたじゃん」

 確かに、あの殴ってきた奴は受けたけど鳩に入れなかったと言っていた。

「いちばん八つ当たられんのが鳩だよ。成績順で割り振りされるから、鳩と千鳥のラインが実は一番競争率高いんだよな。千鳥なら入れないっていう親は多いし。鳳、鷹なんかもう別世界扱いだから、からんでくるのは少ないんだけど」

「鳳なんか目立つから、そういうのされそうなのに」

 幾久が言うと、児玉が説明した。

「このあたりじゃ報国院の鳳なんてトップだからな。うかつにんな事やったら笑いものだよ。嫉妬だろ、ってな。ちょっと頑張れば、いけそうなのが鳩だから。そういう意味でも受験生は多いし、いざ落ちたらとばっちりも食らうって言う」

「ちょっと頑張れば、って、俺めちゃめちゃ頑張ったってのにー」

 伊藤が言うと、桂が苦笑する。

「そりゃ、トシは三年間さぼりまくりだったでしょ。逆にあの時間でよくぞ鳩まで間に合ったっていうか」

「ハル先輩のおかげっす!」

 胸を張る伊藤に、背後から声がかかる。

「その調子でもうちょっとがんばれよ」

 え、と顔を上げるとそこに居たのは、高杉だった。


 どすんと腰を降ろし、「コーヒー」とまるで喫茶の注文のように言うと、桂が「はいはい」と頷いて立ち上がる。

 私服姿ということは、寮に帰っていたのにわざわざここまで来たのだろうか。

 じっと高杉を見ていると、高杉は一言「迎えに来た」と言う。

「面倒に巻き込まれたんじゃろ?詳しい話は寮に戻ったら聞くから説明しろよ」

「はいハル、コーヒー」

「サンキュ」

 コーヒーを受け取り、それを飲む。高校生らしくない、堂々とした雰囲気に幾久も一瞬のまれそうになる。

 そうだ、この人、どこか憮然としているというか、雰囲気が時々大人っぽいんだ、と気付く。どこに行っても動じていないというか、人見知りの対極にあるというか。

「怪我は」

 高杉の問いに、幾久は答える。

「してないっす。ちょっとぶつけたくらいだし、すぐ児玉君が助けてくれたし」

「へぇ?」

 じろっと高杉が児玉を見つめると、児玉はあわてて目をそらす。

「うちの一年が世話になったの。ありがとう」

「いえ、そんな」

 完全に高杉の雰囲気に萎縮している。そりゃそうだ、と幾久も思う。

 高杉は時々妙な迫力があって、その雰囲気ははっきり言って怖い。

 児玉もけっこう怖いほうだが、高杉にはまだ届かないくらいだ。

 が、その空気を一気に壊したのが弥太郎だ。

「いっくん真面目なんですよー、ちょっと殴ったくらいで退学になったらどうしよう!とか、超びびってて!」

「そりゃびびるじゃろう。幾久が東京からここに来る羽目になったんは、中学の時に人殴って停学になったからじゃからの」

 部屋の空気が一気に凍った。


 どうしてそんな事を高杉が知っているのか、幾久は判らずに呆然としていると、その妙な雰囲気に気付いた弥太郎が、へえ、と大げさに驚いてみせた。

「なに、けっこういっくんって武闘派?そんな風にみえなかったのに」

「……なんで知ってるんすか?」

 幾久が尋ねると高杉が答えた。

「わしは御門寮の総督じゃからの」

「答えになってないっす」

「責任者にはそういう情報が回されるって事じゃ」

「なんでそんなの、わざわざ言うんすか」

 中等部で人を殴ったのは幾久の失態だ。そのせいでこの学校に来る事になったのも事実だ。だけどわざわざ、こんな場でばらすこともないだろうに。

「気にすることはないじゃろ。お前は前も悪くなかったんじゃから」

「そうじゃねえよ!なんで勝手に言うのかって」

「隠すほどの事じゃなかろう。今日のことと、なにが違う?」

 高杉に言われて幾久は頭が混乱する。

 他人のプライベートをどうして、しかも知っているものを誰かいる時にばらすなんて。

「ハル、やりたい事は判るけどちょっと乱暴だよ」

 桂がたしなめ、幾久に言う。

「いっくんも怒らないでやって。ハル、いっくんがなにかずっと気にしてるの、どうにかしてやりたいんだよ。お節介なんだけどね」

「雪!」

「後輩の前なんだから、せめて雪ちゃん先輩って呼んでよ」

 全員が黙りこくっている。空気がすごく重い。幾久が口を開いた。

「オレ、通ってた中等部で卒業間際にクラスの奴殴って、停学くらったんで、そのまま退学したんです。名目上は、卒業だけど」

 幾久は続けた。

「クラスの連中も引いてたし、高校も三年そいつらと一緒が嫌で、ひょっとしたら大学も一緒かもと思ったら嫌でしょうがなくって、入れるのここしかなかったから、逃げてきたんす。オレなんか、別にどこでもよかったんすよ。どうせ三ヶ月しかいないし。御門だって、児玉君が入れるなら、オレなんかよりよっぽど良かった」

 一気に喋る幾久に、弥太郎がぼそっと「三ヶ月ってなんのこと?」と尋ねる。伊藤が代わりに答えた。

「幾久、前期終わったら東京の別の高校に編入予定なんだと。だから三ヶ月」

「なにそれ。じゃ、いっくん転校するってこと?」

 弥太郎が言うと、児玉が答えた。

「東京の大学目指すならそっちのほうがいいだろ。元々東京なんだし、高校浪人よりは転校のほうが聞こえが良いしな」

「じゃあいっくん、報国院を踏み台にしたってこと?」

「してる最中だろ」

 児玉の言葉に、弥太郎が複雑な表情になる。それはそうだろう、ここに居る誰もが報国院に入りたくて入ったのだ。東京から逃げて、嫌々通っている幾久とは違う。

「こらタマ。言葉を選べよ。どういう理由で入ってもいいじゃない」

「けど、雪ちゃん先輩」

「タマが思いいれあるのも判るけど、だからっていっくんにそれ押し付けちゃ駄目だろ。どんな考えでも、人それぞれなんだし」

「けど、むかつくじゃないっすか」

 素直な児玉の言葉に、幾久はそうだろうな、と思う。

 自分のように流されて嫌々通っているにすぎない奴が、児玉の入りたい御門に入れないなんて、逆の立場でも腹が立つ。

「―――――ごめん」

 思わずそう言葉に出た。児玉が怒鳴る。

「謝ってほしいわけじゃねえよ」

「こら、タマ」

「判ってます」

 むっとしながらも桂に従う。

「いっくんだってさ、一応黙っているわけじゃない。三ヶ月で辞めるからって、それを振りかざして好き勝手やってるわけじゃないし。辞めるって決めたわけでもないんでしょ?」

「え?そうなの?」

 弥太郎が嬉しそうに顔を上げる。

「はぁ、まぁ、一応、父と三ヶ月は、っていう約束なんで。転校するって決めたわけでもないし」

「ね、ほら。まだなんも決まってないわけじゃん、いっくんの中でもさ。それを周りがぎゃあぎゃあ言うのおかしいし、変だよ」

 桂の言葉に、周りがごもっとも、という風に黙る。

「まだ授業も始まってないのに、レベルがどうこうなんて判るわけもないし、その判断はいっくんとその親御さんがするものだしさ。報国院に入って嬉しいタマとかヤッタはテンション上がるのも無理ないけど、千鳥だって滑り止めで入った奴、いるだろ?な、トシ」

「まあ、いますね。テンションひっくーいの」

「そういうのから見たら、逆に浮かれてるタマやヤッタのほうがむかつくっていうのもあるし、自分だけの感情でどうこういうのはみっともないよ」

 桂の切々とした言葉に、児玉も弥太郎も押し黙る。

「あの、ヤッタとか児玉君は悪くないっす。オレが」

 桂は首を横に振る。

「悪いとか悪くないとかじゃなくさ、タマのやってるのはマナー違反だって言ってるの。ハルもそうでしょ。だからいっくん怒ったんでしょ?」

 さっき高杉に怒った事を言ってる、と気づき頷く。

「ただ、ハルはね、わざとやってる所もあるから、それは後からゆっくり説明してもらって。でもタマのはそうじゃないから、お説教」

 児玉がしゅんとなっている。

 桂になついているというのは本当なんだな、と思う。

「でも、さっきオレを助けてくれたの児玉君なんす。だから、その、ちょっと加減してください」

「タマが?」

 さすがに驚いた、という風に桂が児玉を見る。

「へんなのに絡まれて、三対一だったのに児玉君がそいつら追い払ってくれたんです。だから」

「へぇー、そうなの!そうか、よくやったねタマ!」

 タマって言いながら誉めると、まるでペットみたいな風に聞こえる。児玉もそう思ったのだろう、やめてください、とぼそぼそと言っている。

 児玉の頭を撫でながら桂が言う。

「まあ、それはともかくさ、他人の事情にあんまり踏み込みすぎはよくないってこと。いっくんだって東京から逃げるだけの理由があったんだろうし。ただ、もし良かったらその理由、その、殴った理由は聞いていい?ただの好奇心なんだけど。花見の時にさ、いっくん、嫌な思いしたって言ってたじゃない?それ?」

 桂の問いに、幾久は頷いた。

「なんて言われたか、聞いていい?」

 幾久は頷いて、ぼそり、と答えた。



「人殺しの子孫のくせに」



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