先輩はいろいろだ
「じゃろう?そういう場合、理屈で言うより、何が何でもやりとげる、ちゅう説得力で押し切るしか報国寮にはない。その点、トシが代表格なら、まあ責任もってやるじゃろう、とワシは判断するのう」
「……成る程、人間関係で不明瞭な部分をカバーするんですね」
御堀が言うと、久坂が頷く。
「そういうこと。実際、トシはハルのいう事なら守るし、絶対になんとかするだろうっていう信用はあるよね。その信用を寮の件で使うのは悪くない作戦だと思うよ」
「なんか千鳥にしちゃ、考えてるとは思いますね」
児玉が言うと、久坂が頷く。
「それに、報国寮は千鳥って言いながら、伝統建築科があるからね。あの存在はデカイんじゃないの」
「はいはい、伝統建築科ってよくわかりません!」
地球部でも三年の周布が伝統建築科だったのだが、幾久はその科を名前くらいしか知らない。
千鳥のわりに、存在感が独特で、いつもにぎやかそうなのに頭は決して悪くないどころか、かなり機転のきくタイプだった。
今も幾久にサッカーゴールを作ってくれると約束していて、幾久を見つけるたびに声をかけてくる、気さくな三年生だ。
「お前ら、入学してから土塀の壁塗りしたじゃろうが」
報国院の生徒は全員、土塀と呼ばれる土壁を塗るという体験学習がある。
その際、指導にあたるのが伝統建築科の先輩たちだ。
幾久は入試の際、時間が気になってつい土塀を乗り越えて高杉のあごを蹴っ飛ばすという、今から考えたらとんでもないことをやっていたが、後日、入学後に土塀の壁塗り体験をしたことで、その件はチャラにしてもらっていた。
「土塀、難しいっすもんねえ」
土塀はもろく、傘の柄なんかあれば子供でも削れる。
なのでいたずらされることが多いのだが、報国院の生徒はこうして壁塗りを体験させられるので、土塀を傷つけることはない。
それでも維持はどうしても必要なので、伝統建築科の生徒が土塀を修復しているのは報国院ではめずらしくない風景だ。
あとはリフォームを手がけているとも聞く。
「伝統建築科はその名前のとおり、伝統建築を主に学ぶための学課じゃの。クラスは千鳥に分けられちょるが、学力はそれぞれじゃし、学科によっちゃ、鳳と同じレベルの授業を学んじょる」
「まじっすか」
驚く幾久に久坂が言う。
「だって建築って数学が必要だろ?」
「言われてみたら、確かに」
高杉が言った。
「伝統建築科の連中は、殆どがその伝統建築の専門の学校か、もしくは大学の建築科へ進学する。その場合、学力が千鳥じゃ話しにならんじゃろう?」
久坂も言う。
「それに伝統建築を学ぶなら、歴史も必須だからね。神事や仏事のことも知る必要があるから、祭示部にも参加させられるし」
「話聞いただけでなんかスゲー忙しそう」
幾久が言うと栄人が頷く。
「そりゃ忙しい忙しい。地球部のセットだって作ってくれたし、校内とか寮の修理って簡単なものはあいつらがやるし、近所や商店街なら委託をうけて仕事にも出るし」
「もう働いてるみたいなもんじゃないっすか。でもなんかわかるかなあ。周布先輩って雪ちゃん先輩とはちがう感じで大人っぽいっていうか、どっしりしてるっていうか」
「落ち着きがあるよね」
御堀が言うと幾久が頷いた。
「そうそれ。なんか頼りがいあるし。雪ちゃん先輩ももちろんだけど」
「現場に出たり、大人とかかわることが多いし、外での作業が多いけ、地元の人とも顔見知りになるしの。桜柳祭でのトラブルだって、片付けたじゃろうが」
そういえば、と幾久は思い出した。
桜柳祭でのロミオとジュリエットが大喝采をもらい、幾久の提案で抜粋の追加公演を境内で行った時の事だ。
幾久を嫌っていた元鷹の野山と野山の二人は、幾久にボールを投げつけてきた。
幾久がリフティングでごまかしたのは良かったのだが、後日、その二人は地球部顧問の玉木に呼び出され、幾久たちの前で叱られた。
厳密には叱られはしていない。
全く怒られてもいないし、注意もされなかった。
ただ、自分が何をしたのか、説明されただけだった。
(あれ、逆にキツイよなあ)
当事者である幾久は勿論呼ばれたのだが、報国院のポリシーがそうなのか、玉木の性格がそうなのかは知らないが、かなり嫌な体験だった。
まさかあの野山と野山も、あんな風に扱われるなんて思ってもみなかっただろう。
「あれって片付いたんスかねえ」
きちんと叱られたわけでもなく、結局は周布が笑いながら「じゃあ、この二人は俺の預かりってことで」と引き受けた。
受験生なのに面倒なことをよくやるなあ、と思ったが、伝統建築科はつながりが強いので、周布のやりたいことを、きちんと後輩たちがサポートするのだという。
「なんとかするんじゃない?あっちが引き受けたならちゃんとやるよ。あの科は、そういうことは信用あるから」
「ふーん」
この面倒な久坂が信頼するなら、そこは確実なのだろうな、と幾久は思ったのだった。
昼休みに学食で、いつものように集まって食事をしていると寮での話になった。
昨日、寮で幾久が先輩と話した内容を喋ると、他の寮でも似たような話題になっているらしい。
桜柳寮の三吉が言った。
「そりゃうちなんか早めにそれやって失敗したクチでしょ?先輩たちも今回はかなり慎重になってて逆に気を使わなくていいのになって位になってる」
三吉の話に御堀が苦笑する。
「なんだか申し訳ないね」
「いーよぉ、だってみほりんに丸投げしすぎたのこっちだもんね。それにウチは、誰かどうにかするだろうし」
三吉がのんきに構えるのも、桜柳寮は報国院のトップクラスで占められているからだ。
桜柳寮の先輩たちも、首席不在とはいえ、有能な人材が揃っている。
「恭王寮は?ヤッタに話がきてるんだろ?」
幾久と前期、同じ鳩クラスだった弥太郎は来期、鷹に上がることもあり、恭王寮で雪充にいろいろ教えてもらっている最中だ。
「一応ね。来年は入江先輩がいるけど、そのサポートにつくってことになってる」
恭王寮では児玉ともめた二人、合計三人が寮から抜けたが、その代わりに二年の入江、そして一年の服部が移ってきた。
「昴が全く資料室から出てこないから、結局おれが動いてるけど」
弥太郎はそう言って苦笑する。
「なんかそっちは俺のせいだよな、ごめん」
児玉が弥太郎に謝罪するも、弥太郎は「いいって」と笑う。
「タマの事件があるまでさ、恭王寮ってなんか我関せずみたいに微妙な空気だったけど、あれ以来オープンにしようってみんな心がけるようになってさ。風通しかなり良くなったよ」
「へー!良かったじゃん!」
三吉が言うと、弥太郎もうなづく。
「うん。だから今ならタマも帰ってきても全然居心地いいと思うよ」
「いや、俺はもう御門なんで」
児玉が言うと幾久もうなづく。
「そうだぞ、タマはオレが拾ったんだから、もう御門のなんだぞ」
「拾うって、いっくん変なの」
そういって皆で笑っていると、ふと近くを誰かが通り過ぎた。
あ、と皆の会話が一瞬止まったのも無理はない。
というのも、通り過ぎたのは例の元鷹の野山だったからだ。
ちらっと幾久たちを見たので、幾久たちも思わず体を硬くするが、野山はふいっと視線をそらし、別の場所へ歩いていった。
食事のトレイを持っていたので、あいたテーブルを探していただけらしい。
「……なんだ、あいつか」
ほっと三吉が言うと、そこに居た全員が肩を落とした。
「一人って珍しい」
幾久が言うと、弥太郎が答えた。
「割と最近、あいつ一人だよ」
「なんで知ってんの」
もう恭王寮じゃないから、弥太郎が知るはずもないのに、と思い尋ねると弥太郎が言った。
「だってウチの部ってさ、伝統建築科と近いじゃん」
「あ、そっか」
「そうそう」
弥太郎は植物が好きで、園芸部に所属しているのだが、園芸部のそばに伝統建築科の使う倉庫があった。
「園芸部って伝統建築科と割と親しいんだよ。道具とか、けっこう作ってもらうし。温室とか」
報国院の園芸部はけっこう本格的で、ハウス栽培や畑や田んぼもあるので、それにまつわるものは、可能な限り伝統建築科が作ってくれるのだという。
「それに、うちの部が管理してる花壇がしろくま保育園にあって、いまそこを手入れしてるんだけど、あいつら二人とも土塀塗りやってるよ」
桜柳祭でのトラブルを起こした代償として、あの二人は三年の伝統建築科、周布の預かりとなったが、伝統建築科のやっている仕事をやらされているらしい。
「へえ、サボってないんだ」
三吉がかわいい顔に似合わず、相変わらず笑顔で毒を吐く。
が、弥太郎も素直にうなづいた。
「サボれないよ。だって伝統建築科、報国寮で千鳥相手に鍛えられてるから、絶対に逃がさないって」
「ヤッタ詳しいな」
児玉が感心すると、弥太郎が笑った。
「……って、雪ちゃん先輩が言ってた」
「なるほどな」
確かに報国寮の人数は半端ない。
なにせ、報国院に所属するほぼ半分が入っているのだ。
「現場でも寮でも鍛えられてるから、逃げるのは無理だし、そもそもあの先輩たちってこの城下町の修繕してるじゃん?土塀の修復もだし、廃屋の壊れ具合なんかもチェックしてるし、道なんか私道も全部把握してるから、逃げても絶対につかまるんだって」
「逃げるって」
幾久が苦笑すると弥太郎が言った。
「ほら、報国寮って娯楽ないから、たまに脱走兵出るじゃん、それを捕まえに行くのが伝統建築科なんだって」
城下町は入り組んでいる上に、どこに誰の家があり、どの通りは通れるのか、行き止まりか、山になるのか、地元でないと判らない。
それを伝統建築科はすべて把握しているのだという。
「最初はあいつらも逃げてたらしいけど、どこに逃げてもつかまるからあきらめたっぽい」
「へえ、しつこそうなのにな」
児玉が言うと幾久も笑った。
「ほんと。なんか周布先輩すげー」
幾久にとっては、地球部をサポートしてくれて、いろんな事を教えてくれてかわいがってもらった覚えしかない。
「周布先輩って、地球部すげー助けてくれた、いい先輩だよな」
幾久が言うが、御堀は肩をすくめて笑った。
「そうかなあ。あの雪ちゃん先輩が一目置くってことは、やっぱり相当だと思うけどな、僕は」
「うーん、でもガタ先輩の例もあるし」
幾久が言うも、御堀は笑った。
「山縣先輩だって、すごく出来る先輩じゃないか」
「余計なことはね」
容赦ない幾久の言葉に、児玉も御堀も噴出したのだった。