サッカーに例えてくれ
「雪ちゃん先輩が作った、なんて聞いてませんもん」
と、言いながらファイルを開くも、その量と情報量に幾久は顔をひきつらせた。
「うわ。なんだこれ」
「幾が協力してくれるなら、思ったより僕の仕事量は少なそうだなあ」
御堀が言うと、児玉も頷いた。
「そうだな、雪ちゃん先輩が『愛情こめて』、『御門寮のために』作ったファイルだ。俺たちが大事に引き継いでいかないと、雪ちゃん先輩の折角の努力が無駄になる」
児玉にも言われ、幾久は肩を落としてしまう。
「雪ちゃん先輩が有能すぎるばっかりに、恭王寮に引っこ抜かれるし、資料は山積みだし」
すると高杉が面白そうに言った。
「そうじゃぞ、このまま御堀一人に負担をかけて、御堀だけ優秀にしてしまうと、雪みたいに三年になったら別の寮に引っこ抜かれてしまうかもしれんぞ」
「えっ!そんなの嫌っす!誉だって嫌だよね!」
幾久が御堀を見ると、御堀は苦笑した。
「そりゃ僕だって嫌だけど、報国院がそうしろと判断したらそうせざるを得なくなるのは判る」
「そんなの駄目!絶対!オレも協力する。嫌だけど!面倒くさいけど!雪ちゃん先輩の作ったファイルなら読める!」
そういって中身を読むが。
「……読めそう?」
御堀がくすっと笑って幾久に尋ねた。幾久は言った。
「誉、頼む。サッカーで判りやすく説明して」
幾久の言葉に、その場に居た全員がどっと笑ったのだった。
しかし実際、御堀がサッカーに例えた途端、幾久は内容をすらすらと理解してしまい、寮の住人を驚かせた。
驚く面々に、幾久は自慢げに胸を張った。
「だってクラブチームが寮で、学校がスポンサーで、寮生が選手って考えたら、そりゃ判るよ」
あっさり理解してしまうと、ファイルを見ても苦痛ではなくなったらしい。
「これがクラブの運営費で、こっちは維持費だろ?グラウンド整備って確かに大変だし、スタッフも必要だもんなあ」
「幾久、お前って本当にサッカーで考えてんだな」
児玉に幾久は「まあね」と頷く。
「こう見えても一時はプロを目指してた訳だし?鳳にも入っちゃったし?ちょっとオレも賢くなんないとな」
ふふんと自慢げに言うも、いつもなら茶化す高杉が感心した。
「いや、そういうのは確かに鳳の考えじゃぞ。自分なりの考え方が出来るようになりゃ御の字じゃ」
しかし久坂が笑いつつ突っ込んだ。
「確かにそうだけど、御堀君の助けなしでたどり着かないとねえ」
「あー、折角自慢してたのに!」
幾久は悔しがる。が、先輩達は面白そうに尋ねた。
「じゃあ、その中身をざっと見て、御門寮に必要なものはなにか判るか?」
高杉の問いに、幾久はファイルを読み込みつつ、自分なりの考えを言った。
「今のところはないっすね。庭の維持費はかかってますけど、予算で十分まかなえてますし」
「じゃあ、他に用意するものって何かある?」
久坂が質問すると幾久はうーんと考えて答えた。
「ここにはこれまでないんですけど、クラブチームで考えたら育成費用かなあと」
幾久の答えに久坂と高杉は微笑んだ。
「正解じゃ」
「正解だね」
寮の維持費は、人数さえわかっていれば毎年そこまで違うこともない。
もしもの時の保険も用意されているし、寮が壊れた時でも伝統建築部という特殊な科を抱える報国院としては、そこまで心配することもない。
不明なのは未来に対する予算、つまりは幾久のいう所の『育成費』だ。
「だって何人来るかもわからないし、どんな子かも判らないんじゃ、どうしようもないっすよね」
幾久の言葉に先輩達が頷いた。
「一応、これまでの人数と照らし合わせて同じような人数で計算はするがの」
「御門寮は多くても五人くらいで予算を出すしかないよね」
「去年はどうだったんですか?」
御堀の問いに高杉が答えた。
「五人で予算だけは出しちょったぞ。じゃけ、児玉が来ようが、御堀が来ようがワシらは慌てんかったじゃろう?」
「……そこまで考えてたんだ」
幾久は驚く。
成り行きで児玉や御堀が来ただけと思っていたが、確かに寮の予算があるなら、人数が減るよりも増えるほうが問題だ。
「もしいっくんすら御門寮に来なかったとしても、予算は来年度にまわせばいいわけだし」
久坂に栄人も頷く。
「そーそー。お金はあっても腐らないけどね」
「でもお金でいろんなものが腐るんだよねえ」
久坂の微妙な笑えないギャグに栄人が顔をゆがませた。
「またそーいう事を」
「実際そうだろ?長井『大』先輩のおじーちゃんがやらかしたのもそれだったわけでさ」
児玉が挙手した。
「それって、どういう事があったんすか?なんかマスコミとかも来て凄かったってのは俺も聞いてはいるんすけど」
すると高杉が言った。
「丁度エエ、説明しといてやろう。報国院の旧校舎があるじゃろう?」
一年生が全員頷く。
報国院の旧校舎と呼ばれる建物は、明治時代に建てられた立派な石造りの建築物だ。
天井もやけに高く、階段の手すりなんかも木造で彫刻もあったりと、かなり贅沢な作りだ。
幾久は初めて見たとき、東京の上野にある博物館を思い出した。
あんな懐かしい雰囲気が旧校舎にはある。
「その旧校舎じゃが、耐震の問題なんかがあっての。保持するか、建て直すか、ちゅう話が上がった。当然、鳳のOBなんかは大反対するのう」
「そりゃそうですよね」
鳳や鷹クラスにとって、旧校舎は思い入れのある場所のはずだ。
むしろあの建物が報国院のランドマークといっていいほど、報国院のイメージがある。
「これまでは鳳のOBがずっと学院長をやっちょったんじゃ。ところが、ある時期、鷹出身の奴が学院長に上り詰めての」
「なんかきな臭くなってきた」
幾久が言うと高杉が苦笑した。
「実際その通り、学院長になるためにあれこれ手を回しての、それでも三年間の期限付きの学院長代理、のはずじゃったんじゃが」
「辞めなかった、んですよね」
御堀が言うと高杉が頷いた。
「そうじゃ。約束を反故にし、三年の期限も無視、その上ゼネコンと癒着して報国院の旧校舎を壊して、全部新しい校舎に変えようという話まで出た」
「うわ、なんだそれ」
「報国院は学校としての規模は大きいし、予算もある。おまけにOBは官僚、政治家揃いときて、悪いことに手を出したらやりたい放題になるのは当然だろ?」
久坂の言葉に、全員が頷く。
「というわけで、何億どころじゃない桁違いの金を動く理由に報国院を使ったわけ。勿論、当時の学院長はキックバックをたくさん貰う約束でね」
「でも、なんでそこまで好き勝手、できるんすか?」
いくらなんでも地方の私立で、と思うと高杉が言った。
「学校、ちゅう施設になるとの、国からの補助があるじゃろ?」
「あ、そーいう」
幾久が手をうつと、高杉が頷く。
「『そーいう』事じゃ。その頃はサッカー部も学内にあって、エエ成績を納めちょっての。まだケートスと完全に提携しとらん頃じゃ」
「おまけに寮がいくつもあって、じゃあそこも新しく建築したらいいとか、話がどんどん大きくなっていってね。それで報国院がまっぷたつに別れちゃったそうだよ」
久坂の説明に、幾久は驚く。
なんだかんだ、報国院の結束は固いと思っていたので、まっぷたつという感覚が理解できなかった。
「さらに!なんと共学になるかもしれなかったんだよねぇ」
栄人が言うと幾久は驚いた。
「え?だってウィステリアがあるじゃないですか!」
男子は報国院、女子はウィステリア、それで丁度なら、わざわざ報国院を共学にする意味がない上に、ウィステリアの女子を奪う事になるではないか。
「その通り。それでウィステリアがブチ切れて、全面戦争になったんだよね」
久坂が楽しそうに笑う。
「正直、ウィステリアを敵にまわしたのが一番の敗因とも言われちょるぞ」
「……それは絶対、それで間違いないと思う」
「俺も」
「僕も」
一年生三人、全員、その意見には頷いた。
「でも寮の運営って会社と似てますよね。僕、好きかも」
御堀は興味が出たようでファイルを眺めている。
幾久はそれをよこから覗き込みつつ、うなづく。
「うーん、オレもサッカーで考えるならちょっといけるかも」
「俺は向いてない」
児玉が言うと、高杉が笑って言った。
「そういう面倒を避けようと思ったら人数を増やしゃエエ。そうすれば、誰か数字好きの奴がくるかもしれんしの」
「ところが、そうなると人数が増えるから、寮の運営は難しくなるしやっかいな事も増えるんだよね」
久坂が言うと、栄人も頷く。
「うちなんか本来は三年一人しかいない上にその一人がアレじゃ、他の寮に舐められるんだけど、なにせ去年まで雪ちゃんが居てくれたし、恭王寮の提督やりながらこっちも気にかけてくれてるからね。あれでずいぶんやりやすいし予算もゲットできるし」
「予算ってそんなので左右されるんすか?」
幾久が尋ねると栄人が頷く。
「されるされる。だってどこも予算は沢山欲しいじゃん?だから寮同士、結託しようとするわけよ。トシが報国寮の代表みたいにされてるのは、ハルに懐いてるからだし。桜柳会の次期会長な上に御門寮の事実上の総督、おまけに雪ちゃんと幼馴染っていうハルと親しいなら、予算会で削られることもないだろうと」
「考えが甘いが、まあわからんでもない」
高杉が楽しげに言うので幾久は尋ねた。
「でも、ハル先輩ってそういう事してくれなさそうなのに」
「確かに、トシを知っちょるからと言って予算を多めにつけるなんて馬鹿げたことはせん。じゃが、もしこれまでと違う案件を用意してきた場合、前例がないのはどう判断する?」
久坂も言った。
「千鳥だらけの報国寮で、誰が鳳様を説得できるのかって事」
「それ無理ゲーじゃないっすか」
幾久が言うと、栄人が頷いた。
「そゆこと。つまり、報国寮は前年度と同じ予算しかもらえない。建物は老朽化する、新しいものは欲しい、なのに予算は最低限」
「困る」
幾久が顔をしかめると、高杉が笑った。