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僕が君を失った時、君も僕を失っていた

 幾久は、本当はずっと、サッカー選手になりたかったのだ。

 ずっとコンビを組んできた多留人と一緒に過ごして、ユースでも活躍して、たとえ途中なにかあっても、日本から出て世界へだって。

 多留人とだったら、どこまでも目指せると思っていた。

 だけど、自分だけユースを脱落し、多留人だけ残された。

 その現実に打ちのめされて、立ち上がる前に母親に叩かれ、もう立ち上がるのが嫌になった。

 そうだよな。どうせ選手になんかなれっこないし、なれたとしても下部組織だ。

 才能がない、とはっきり才能がある人たちに言われてはどうにもならない。

 だったらさっさと方向性を変えてしまえよ。

 所詮ここまで。

 そうしたらきっと、面倒じゃなく上手に生きられる。

 そんな、子供じみた大人のふりをした自分が、今更ながら恨めしい。

「ずっと、サッカー選手になりたかったんだ」

 幾久は笑って言おうとした。だけど笑えなかった。

 そんなことはしなくていい、御堀は幾久の頭に自分の頭をくっつけた。

 ぐりぐりと動かすと、幾久がくすぐったがって少し笑った。だけど、少しだけだった。

「今日の試合でさ。オレも、あんな風にサッカーしてたなあ、夢中だったなって思い出して」

「うん」

「藤原君が、うらやましかった」

 華之丞にからみながらも、サッカーに対しては一生懸命で、誰に笑われてもまっすぐゴールを目指していた。

 それが藤原には許されている。

 なぜなら、ずっと彼は頑張ってきたからだ。


 どうして自分はそうしなかった。

 幾久の中の、夢を諦め切れなかった自分が責める。


 どうしてちゃんと考えなかった。

 叶わない夢なら、チャレンジすればよかった。

 三年間、塾にかよい詰めても成績なんかそう上がらなかった。

 当然だ、いつも上の空だったのだから。

 勉強する目的もなく、そっちが将来楽なの、そうしなさい、なんて言われても、その楽さなんか理解できない。


 一体いつのために自分は生きているのだろう。

 なんのために。


 多留人と毎日サッカーしていたのが嘘みたいに、幾久の世界は灰色だった。

 三年間ずっと。

 多留人が気を使って、幾久を誘っていたのは知っていた。

 幾久の母親から多留人の親に、余計な誘いをするなと文句を言っていたことも。

 それでも幾久も多留人も、互いに気づかないふりをして、ひと時の楽しさを選んだ。


 どうして考えなかった。

 幾久が多留人を失ったように、多留人だって幾久を失っていたというのに。


「選手になれなくったって、サッカーをやってたら絶対、後悔なんかしなかった。ううん、したかもしれない。でも、こんな後悔じゃきっとなかった」

「うん」

「やりたかった」

「―――――うん」

「失敗しても、どうしても、やりたいって言えばよかった」

「うん」

「どうせ毎日叱られて、ご機嫌を取らなくちゃいけないなら、好きなことを選べばよかった」

「うん」

 なんて馬鹿な選択をしてしまったのだろう。

 今ならそのことに気づけるのに、三年前の自分は気づくことが出来なかった。

 だって面倒くさいじゃん。普通が一番良いよ。

 きちんと勉強してれば、そこそこの大学くらい行けるだろ。

 じゃあ、と今の幾久は思う。

 中学の三年間、そこそこの大学に普通に行くために、自分はサッカーを諦めたのかと。

 違う。

 考えたくなかったのだ。

 自分の気持ちが、願いが、母親に虐げられているなんて思いたくなかった。

 母親は正しい、幾久の事を考えて将来のためにしている事だから、それを受け入れてやるのが正しいと思っていた。

 そして面倒ではないとも。

 面倒でもなかった。

 普通だった。

 だから毎日がつまらなかった。

 ただ消化試合みたいな、味気ない毎日を過ごして、そのまま一生過ごす事が良い事だと思い込もうとしていた。

 三年間、なにをしていたかなんてろくに思い出せない。

 なぜなら、興味なんかないからだ。

 塾に行って学校に行って、たまにゲームで遊んで。

 なにもかもが暇つぶしだった。

「なんでオレは、ちゃんと考えなかったんだ」

 面倒だとか、普通が良いとか、考えもせずに乗っかった。

 楽ができるのが良い事だと思った。

「ちゃんと考えて、一生懸命やって、もういっかいユース、受ければよかった」

 中学で落ちたのがなんだ、じゃあ三年間やりつくしてもう一回チャレンジしてやる、母親がなんだ、うるせーよ、そう言えばよかった。

 父親に助けを求めればよかった。

 父さん、オレ、本当はもっとサッカーやりたいって。だけど父さんは忙しいから関わっては駄目、そう母親の言いなりになっていた。

 結局幾久は、将来の夢も友人も、三年間の楽しさも全部失ってしまったのだ。

 面倒くさいと笑うことで。

 そんなつまらないことのために。


「―――――悔しいよ、誉」

 ぎゅっと御堀の手を握った。

 きっと痛いに違いないくらいに強く。

 だけど御堀は、頷いて言った。

「判るよ。上手にやろうとして、結局失敗するんだ。判るよ、幾」


 二人ともよく判っていた。

 出来ないのが悔しいのじゃない。

 やらずに逃げてしまったのが悔しい。


「報国院に来て、良かったと思ってる」

「うん」

「サッカー選手になろうって思ってたら、来てなかったと思う」

「うん」

「それでも」

 幾久が言葉をつむぐ。御堀が頷いた。

「悔しいんだよね。判るよ」

 御堀は幾久の目をまっすぐ見据えて言った。

「判るんだ、幾」

 自分も同じだと、御堀はそう言っている。

 幾久は御堀にしがみついた。


「―――――う、ぇ、」


 握られた手は離され、幾久は御堀に強く抱きしめられた。

 後悔と悲しみが襲い掛かってくる。

 どうして最初から、自分の頭で考えなかった。

 誰かの思う、便利な方法に流れてしまったのか。

 やりたいなら、やりたいと、そう言ってしまえばよかった。

 失敗さえしなかったことが、こんなに悔しくなるなんて知らなかった。

 失敗で良い。後悔でも良い。やりたかった。

 どうせ駄目なら、駄目になってしまいたかった。

 中途半端で判っているふうで、こういうものだし才能なんかないから仕方がない。

 そう大人ぶった自分が馬鹿みたいだ。


 涙がずっと止まらなかった。

 子供みたいだと自分でも思った。

 情けなくて悔しくて、どうしようもない。


 御堀は幾久を抱きしめたまま、胸に顔をうずめている幾久の頭を撫でて言った。

「言ったろ。僕だって、和菓子職人になりたかった」

 幾久は悲しくて仕方なかった。

 本当に御堀は、本気で職人になりたかったのだと、いまやっと幾久は理解できた。

 目の前にやりたい仕事があるのに、それを許されず、かわいらしいあこがれにとどめておかないとならない自分の狡猾さが嫌いだ。

「―――――オレは、自分が大嫌いだ」

 幾久が言うと、御堀も頷いた。

「僕も、自分が大嫌いだよ」

 だから逃げだした。あの秋の夜に。

 みんなが求める自分なんか大嫌いで仕方なかった。

 逃げ出した御堀の傍に居てくれたのは幾久だった。

「僕も自分が大嫌いで、仕方なくて、逃げ出した。幾がそばにいてくれたろ」

 あの真夜中の海岸で。

 波の音が響く暗い場所で。

 明るい場所に引きずり出したりせずに、傍に居てくれた。

 泣く幾久に、御堀が言った。

「自分を嫌っていいよ、幾。嫌いだと思ってていいんだ。僕はそんな幾だって好きだよ」

 情けない、みっともない、嫌いだ。そう素直に泣ける部分だって。

「幾は思う存分、自分を嫌ってやればいいよ。僕がその分、好きでいるから」

 幾久のいい部分なんか、御堀はいくらでも知っている。

「嫌いなら嫌ってさ、そして次に生かそうよ。せめて明日は、来週は、来月は、来年はさ。もうちょっとマシになっておきたいだろ」

 幾久は御堀の胸に顔をうずめたまま、頷いた。

「幾がどんなに自分を嫌っても、僕がちゃんと見てる。間違ってたら注意する。僕にはそうしてくれるんだろ?」

 御堀が尋ねると、幾久は頷く。

「我慢なんかするなよ。僕は、ずっと幾の傍にいるから」

 すると、御堀の胸に顔をうずめて泣いていた幾久は、そのまま「ぶふっ」と噴出した。

「なに。僕は真面目に言ってるんだけど」

 不機嫌に御堀が言うと、幾久が泣きながら笑って言った。

「だっていまの、プロポーズみたいじゃん。そりゃ笑うよ」

「……幾さえよければ僕はそれでもいいけどね」

「オレ?オレは全然オッケー!誉相手だったら毎日楽しそうだし」

 幾久はベッドにもぐりこむ。

「こんな時、誉が居てくれて良かったって、思う」

 御堀も、幾久が泣き止んでいるのを見て、自分もベッドにもぐりこんだ。

 枕に頭をおき、腕を伸ばした。

「おいでよ」

 御堀が言うので、幾久は噴出して、「お邪魔します」と御堀の腕に頭を乗せた。

「腕枕って思ったほど気持ちよくない」

「するほうもだよ」

 そう言う御堀と幾久は、互いに顔を見合わせて笑った。

「やだなあ、僕の腕枕、最初にしたのは幾なのか」

「そうだぞ。オレ、誉に彼女できたら、腕枕はオレがもうしたからなって言ってやるから」

「小姑みたい。そのせいで別れたらどー責任とってくれるの幾は」

「そん時は結婚しよ」

 幾久の言葉に御堀は苦笑した。

「そうだね」


 御堀の腕に頭を預けたまま、幾久はろくに気持ちよくもない腕枕をはずすこともせず、二人はずっと喋り続けた。

 サッカーのこと、昔のこと、多留人のことや、先輩のことも。

 そうして話しているうちに、いつのまにか眠っていた。

 互いの体温が気持ちよくて、幾久はずっとこうならいいのに、そう思って夢の中に落ちていった。

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