常識と非常識
「―――――ノスケって、頭いいんだな」
幾久は気づいた。この子は鳳だ。
成績がどうとか関係ない。きっと鳳だし、そうじゃなくても鳳クラスに入れる子だ。
華之丞は頷いた。
「さすが幾先輩っすね。俺、めちゃめちゃ頭いーんす」
「自分で言うんだ」
「言うッス」
幾久は笑った。
「ノスケ、うん、確かにお前は鳳向き!っていうか、鳳のメンタルだよそれ。似たような奴、いっぱいいるもん」
すると、華之丞は言った。
「鳳って、そうなんスか?幾先輩、鷹ッスよね?」
「うん、でも地球部の連中、みんな鳳でさ。いま仲いい同じ寮のやつも、前鳳で、また鳳に戻るし、あとずっと鳳のやつもいるし、先輩も鳳ばっかだし」
「面白いッスか?」
華之丞の問いに、幾久は答えた。
「オレはスゲー楽しいし、鳳の連中もいい奴ばっかだよ。上昇志向も半端ないけど、それってユースでも同じだったし」
「……そっか。結局、サッカーじゃなくて勉強のユースって言えばわかるッスね」
なるほど、と華之丞は納得しているらしい。華之丞は続けて言った。
「俺、ずーっとサッカーやってきたから、今更辞めるのもったいないとか言われて。そりゃそこそこ出来るほうだけど、勿体無いって言われたらなんか引っかかるじゃないっすか」
ああ、なるほど、と幾久は気づき笑った。
「ノスケ、それはさ、ノスケが勝手に判断していーんだよ」
「いーんすかね?」
「いーよ」
だって、と幾久は笑う。
「勿体無いもなにも、それってノスケのものじゃん。時間でも技術でも。だったら他人が言うことないよ。ノスケが勿体無いと思うならそうだし、いらないって言えばそうなんだよ。他人のものを勿体無いとかあるとか、関係ない奴が言うのって、図々しいんだよ」
そう、これも幾久が落ちた罠だった。
高杉が優れているなら、御堀を助けてやればいいのに。
そんな風に、高杉の財産を、勝手に誰かに分けろと言った。
(なんかオレ、先輩らに教わってばっかじゃん)
昨年前の自分がどんなに何も知らず、考えず、子供だったか良くわかる。
いや、最近までそうだった。
華之丞は目を輝かせて幾久を見つめ言った。
「幾先輩、スゲー。やっぱ、凄いって思ってたし、思ったとおりの人だった!」
幾久は首を横に振った。
「もしオレが凄いように見えるんだったら、それはきっとオレの先輩のお陰だし、多分ノスケが見てるのは、オレの先輩とか、友達とかの、良いところとか凄い所だと思うよ」
オレの財産じゃない。
幾久が言うと、華之丞はちょっと不満げだったが、頷いた。
「幾先輩がそういうならそれでいっす。今は」
「今は?」
「だって今の俺じゃ証明できないし。でも、証明さえすれば認めてくれるッスよね?」
「―――――うん?」
よくわからないけれど、ここはうんと頷いておこう。
幾久が「そうだね」と頷くと、華之丞は満足げにふふんと得意げに笑って見せた。
華之丞は、サッカーのことを考えていたのだが、相談できる人がおらず、困っていたらしい。
「ユースの人で、仲のいい人はいなかったの?」
「いますけど、でもそいつらはサッカー本気でやってんのに、俺がやめようかって相談するのも」
「そうだなあ、そりゃしづらい」
幾久も頷く。
「幾先輩なら、ルセロだったっていうし、だったらって思って」
成程、そういう理由で幾久を指名したのか、と幾久は納得した。
「オレで役に立ててたらいいけど」
すると華之丞は言った。
「幾先輩しか、駄目なんす」
幾久は、え、と驚いて顔を上げた。
「幾先輩がルセロ居たって聞いて、だったらあのボールさばきも納得できるって思って。幾先輩だったら、聞けば絶対になにか言ってくれるって思ってたんす」
華之丞は真剣なまなざしで幾久を見つめた。
そこには、本気が透けて見えて、幾久はそっか、と笑った。
(オレを頼りにして、来たんだ)
「じゃあ、役に立ててよかった。オレも同じようなこと考えて悩んでたからさ。ノスケの助けになったのなら、嬉しいよ」
ずっと悩んだことや傷ついたことが、自分だけの中で終わったことを、次の世代へ役立てる。
(そっか。これが先輩の役目なのか)
先輩、と呼ばれて嬉しかった。
だけど先輩と呼ばれたいなら、先輩の仕事をしなくちゃ駄目だ。
幾久がなにか考えて、微笑んでいる様子なので、華之丞は幾久に尋ねた。
「幾先輩、なんか笑ってません?」
「うん、おかしくってさ。オレ、なりゆきで報国院入って、なんも考えてなくて、ほんとてんでガキだったんだけど、先輩とかのおかげで、こうしてちょっと手助けくらいはできるようになったんだなって」
報国院すげえな、と幾久は思った。
偶然にしては出来すぎている。
ひょっとして、こんな風に考えるようにシステムを整えてこの学校があるのだとしたら、一体自分はどれほど変わることができるのだろう。
ひょっとしたら来年はもっと。再来年はもっともっと。そしていずれは、雪充のように。
「ノスケのおかげで気づけたかも。ありがとう」
幾久が笑うと、華之丞は照れて顔を赤くして背けた。
肌が白いので、真っ赤になるとそれが目立つ。
やっぱり中学生なんだな、とかわいく思えた。
「ノスケ、かわいいってよく言われない?」
「俺はかっこいいの目指してるんで」
やっぱり言われるんだ、と思ったら笑ってしまって、華之丞は拗ねてパーカーのフードをかぶってしまった。
地球部の部室のある旧校舎を出て、幾久たちは食堂へ向かうことにした。
「旧校舎って古いけど、雰囲気いーっすね。お洒落で」
華之丞が言うと、幾久も「だろ?」と頷いた。
旧校舎は戦災を逃れた、明治時代の建築物で報国院の自慢だ。
石造りで天井も高く、幾久ははじめて見たとき東京の上野にある博物館を思い出した。
壁は灰色の石造り、中は木造とレンガで組み合わせてあり、扉は厚く大きな木造。
「和風ハリーポッターみたいな。ホグワーツかも」
華之丞に幾久も笑った。
「確かにそうかも」
こういう雰囲気を持っていると、さすが歴史のある学校、といった感じがする。
「学食とかは新しくて広いし、あっちもいいんだけどこっちも好きなんだ」
「わかるッス。俺もこういうの好きッス」
配管が見えていたり、鍵が昔のままだったり。
いまだ現役なので、用務員さんは腰からアンティークな鍵を腰から下げて歩いていて、そのたびにじゃらじゃらと音が鳴るのも、旧校舎の名物だ。
すっかり華之丞と打ち解けた幾久は、校内を歩きながらいろんな話をした。
幾久が考えたとおり、華之丞は報国院ではなく、周防市に行こうかと考えていたらしい。
「けど、もうちょい考えるッス。それにここ来たら、幾先輩いるし」
「あはは。だったら昼休みにノスケとサッカーできるからいいなあ。でもサッカー続けるかもなんだっけ?」
華之丞は首を横に振る。
「わかんないっすけど、ギリギリまで考えようかなって。どうせ今受験中だし、時間あるし」
受験中なら時間はなさそうなものだが、華之丞がそう言うので幾久はあえて尋ねなかった。
「桜柳祭の時もそうだったけど、いっつもパーカーだね。好きなんだ?」
幾久が尋ねると、華之丞はぽつり、と言った。
「……俺の髪、目立つから」
「……」
しまった、と幾久は思った。また気遣いを忘れてしまっていたらしい。
「ご、ごめん。綺麗だからいいイメージしかなくて」
幾久の素直な言葉に、華之丞は「いっす」と笑った。
「幾先輩みたいに、素直に褒めてくれるのは嬉しいッス。自分の外見は鏡見ればレベル判るし」
けっこうずけずけ言うが、でも実際にそれに腹が立たないくらいには華之丞は美形だった。
「じゃあ、目も?」
幾久が不思議に思った、初めて見たときは綺麗な紫の目だったが、今は黒は。
「コンタクトっす。裸眼は色あるんすけど、学校から目立つからコンタクト入れろって言われて。髪も本当は黒くしろって言われたけど、絶対にそれだけはヤダって」
「はぁ?何だそれ!」
幾久は驚きのあまり、つい声が大きくなってしまった。
すると、前から歩いてきた人物が足を止めた。
「どうした、騒がしいの」
高杉だった。
食堂の前の廊下で、高杉も校内を案内していたのか、中学生が二人、後ろについてきている。
「ハル先輩」
じっと高杉を見る華之丞に、幾久が言った。
「ハル先輩、この子っす。桜柳祭のとき、オレに声かけて助けてくれた」
「ああ」
話をしていたので、高杉はすぐに判ったらしい。
「ウチの後輩が助けられたの。ありがとう」
ぺこっと軽く頭を下げる高杉に、華之丞はその雰囲気に気おされたのか、あわてて首を横に振った。
「そんなの。元はといえば、俺のせいだし」
「お前のせいじゃねえの。あんなのするほうがおかしい。気にするな」
高杉の言葉に、華之丞は顔を上げて、小さく頷いた。
(そっか、ノスケ、気にしてたのか)
気づかなかったことに幾久はちょっと悔しさを覚えた。
「それより、さっきなんか大声あげちょったが、なんかあったんか?」
そうだ、と幾久は思いついた。
こういうことは高杉に聞いてみたらいい。
「聞いてくださいよハル先輩、ノスケ……この華之丞君、これが地毛で、目もきれいな色なんすけど、髪染めろとかコンタクト入れろとか言われてるって聞いて、オレびっくりして」
「はあ」
「はあじゃないっすよ。いーんすか?学校がんなことして」
幾久の言葉に、中学生が全員驚いた表情になった。
高杉はふっと笑って、幾久の隣に居た華之丞に言った。
「そいつ、東京の私学出身での。田舎の公立事情には詳しくないんじゃ」
「学校がマジでんな事するんすか?プライバシーないんすか?」
驚く幾久に、むしろ中学生が驚いていた。
華之丞が言う。
「頭髪許可とか、いらないんすか?」
「頭髪許可?」