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御無礼します

 春休みに入ったばかりと言うのに学校からの呼び出しを食らい、面倒だなと高杉は思っていた。

 とにかくいいから来い、私服でいいから、と既知の間柄である報国院の先生に言われ、まあ暇だし、と学校へ向かった。

 約束した時間よりかなり早く到着したので、大回りをして学校の近所にある神社にお参りし、散歩がてら学校の外壁をぐるりと回りながら歩いているとの時、高杉はとんでもないものを目にした。


 どこのどいつか知らないが、学校の土塀によじ登っている。

 土塀は名前の通り、壁の部分が土で塗られていて、それはとても脆いものだ。

 今では職人が殆どおらず、削れば修繕費はとんでもないものになる。おまけに報国院の土塀は、生徒に実習で塗らせているからそれはもう、皆大事にしているのだ。この近辺のものならそれを知っているので、まず土塀に乱暴なことはしないはずなのだが。

 思わず高杉は土塀によじ登っている奴の足を掴み怒鳴った。

「お前、なにしちょんじゃあ!」

 確か今日は報国院の追加募集の試験の日だったはず。

 まさか遅刻寸前で塀を乗り越えるとかそんな理由じゃないだろうな、そう思った高杉に、塀の上から声が聞こえた。

「離せ!」

 声に顔を上げると、そこには、塀なんか登りそうもない、大人しそうな、綺麗な服をきたさもお坊ちゃんっぽい奴が居た。

 そんな事しそうにない奴で、理由があるのかもしれなかったが、それとこれとは話が別だ。

 大事な土塀を削られるなんて地元愛に溢れた高杉が許すはずがない。しかし相手の方が利が良かった。

「誰が離すかぁ!てめ、土塀削りやがって!」

 だが坊ちゃんっぽい奴は高杉の足を離す為に強引によじ登り、壁を蹴る。

 一層土塀が削られた。

「おまええええええ!」

 ぐいっとさらに強引に足を引っ張ったが、相手は大人しく降りる気はないらしい。

「ごめんってば!」

「謝るなら降りろ!」

「後から!後から!」

「なにが後からじゃあ!」

「ごめん!後からいくらでも謝るから!今は急いでるから!

 言いながら思い切り逃げる為に足を蹴った、その足が思い切り高杉の顎を蹴った。

「痛!ってぇえ、んの野郎!」

 追いかけたいが、相手はすでに塀の向こうだ。

 まさか高杉も土塀を登るわけにはいかない。

 塀の向こうから、ほんとうにごめんと聞こえたが、それならどうして塀なんか越えるんだばかやろうふざけんな、と高杉はぶつぶつと文句を言いながら、蹴られて痛む顎を押さえて自分は学校の門と兼用の、神社の鳥居前まで向かった。



 保健室で手当てを受けると丁度約束の時間になったので、高杉は職員室へと向かった。

「ご無礼しまーす」

 報国院の伝統で、職員室に入る場合は「失礼します」ではなく「ご無礼します」と言う。

「お、来たか」

 高杉を呼び出した教師がそこに居た。

 ネクタイにスーツにベスト、ジャケットは椅子にかけたままだ。髪はオールバックにして額を出し、フレームのない眼鏡をしている。

「殿!」

 高杉が言うと教師が苦笑いをする。

「殿じゃねーだろ。学校では先生って呼べ」

「誰もいねーじゃん」

「それでもだ」

 べしんと高杉の頭に書類をぶつける。

「書類ってこれ?」

「ああ。それよりお前、顎どーした。ころんだのか」

 高杉の顎には、ガーゼが張ってある。さっき蹴っ飛ばされたので保健室でやってもらったのだ。

「ちげえよ。なんか知らん奴に……」

 説明しながら書類をめくり、そして思わず「ああっ!」と声を上げた。

「こいつ!わしの顎蹴っ飛ばしたん、こいつじゃ!」

 書類をばしばしと叩きながら高杉が言う。そこにあったのは、さっきまさしく高杉を蹴っ飛ばして土塀を乗り越えた奴の写真と履歴だったからだ。

「乃木幾久……」

 のぎ、いくひさ、と名前の横に振ってある。苗字だけならこの辺りではなじみのある名前だ。

「お前を蹴っ飛ばすとか、そいつ強いんだな」

 辞めたとはいえ高杉はいろんな武術を習っていてかなり強い。よくその高杉を蹴っ飛ばせたと教師が感心して言うと、高杉は「喧嘩じゃない」と言い返す。

「土塀登ってたん、引っ張ったら足でがつーんとやられた」

「そういやそいつ、遅刻ギリだったもんなあ」

 今日は報国院男子高等学校の、最終入学試験日だ。

 本来の入試はすでに終わっており、落ちた数や入学を取りやめた人数によって追加の試験を行う。

 今日はその試験日だったのだが、それを受けに来ていたのか、と高杉は納得した。

「試験ならもっと早く来りゃええのに」

「あー、でもそいつ今日東京から来たらしいからな。少々遅れても見逃してやれとは言われてたけど、ギリ間に合ってたぞ」

「東京?」

 驚いて資料を見る。

 確かに現住所は東京で、履歴にある学校も全部東京の私立学校ばかりだ。

「なんでわざわざ東京から?あっちならいい私立なんぼでもあるじゃろ」

「わざわざ東京から来た理由があるってこったよ。お前が呼ばれたのもそのせい」

 そこで高杉はちょっとだけピンとくる。

 報国院は全寮制の高校で、いくつも寮が存在するが、高杉はその中の一番小さい寮、『御門寮』の総督だ。

 総督、つまりは寮長で、寮の責任者にあたる。

「そいつ、乃木さんの子孫なんだと。ホラ、ドラマあったろ、あの年寄り連中が怒ってた奴」

「ああ……」

 昨年、ある時代小説家の作品をドラマ化したものが、昨年全国放送で放映されたのだが、その内容は乃木希典が主人公ではあったが、内容はさんざんなものだった。

 乃木希典のやり方は間違っていた、無能な将軍だった、そんな風に描かれていた。

 長州の描かれたドラマなんかそんなものだけど、高杉も苦々しく思っていた。

 このあたりでは乃木希典は尊敬されていて、乃木さんという愛称で呼ばれている。

 当然、愛着も人一倍で、そんなドラマに老人連中は随分ご立腹だった。


「そのドラマが原因で、学校で喧嘩になったらしいな。それで退学」

「退学?!喧嘩程度でか?」

 驚く高杉に教師が説明する。

「名目上は停学。実際はほぼ自主退学みたいなもんだと。エスカレーターの私立だから、高等部に進めるよう考慮はしてくれたらしいが、乃木側が断ったらしい」

「へぇー。喧嘩ってどの程度」

「二発乃木が殴った」

「二発?!たったの?打ち所が悪かったとか?」

 武術の教室だったり、もともとは喧嘩っ早い高杉からしたら、いじめならともかく喧嘩でなんで、とも思う。乃木が高杉のように武術でもやっていれば話は別だろうが、この写真やさっきの様子からは、そんな雰囲気は全く見えない。

「相手の頬がちょっと腫れた程度だと」

「はぁー……東京もんの考えることは判らんの」

「ここみたいに地が強くねえとそんなもんだろ」

 この報国院がある長州市は、一応市の名目は立っているし私立ではあるが、地元からの進学が殆どだ。

 つまり大抵がそれなりに面識があり、なくとも友人の友人とかそういった風に繋がりがある。

 友人同士でなくとも、親やその親まで繋がるので、問題が起こっても大抵はそこまで酷くならない。

 生徒が問題を起こしても親が出る、親が問題でも祖父母がいる、それが問題でも親戚が、とどこかで繋がっている。

 それが面倒なこともあれば、いい事もある。

「それで逃げて来たんじゃろうか」

「さあ。ドラマの事で苛められたみたいだけどな」

「苛めって。苛められて殴り返すだけの器量がありゃ、ならんような気がするんじゃけど」

「詳しい事は判らんけどそういう事。で、どうする?」

 教師の言葉に高杉は口ごもる。

「どうするって……」

「だから、どうする?そいつ」

 報国院の入試試験は、実は名前を書けば受かるといわれている程誰でも受けられる。

 だが、それで受かるのは千鳥と呼ばれる一番ランクの低いクラスだ。

 つまり、さっき高杉が見た乃木幾久は、試験の答案に名前さえ書き忘れなければ、すでに報国院には合格したという事だ。

 クラスがどこかは判らないが。

「このレベルなら、最低でも鷹はいけるじゃろ」

 高杉は書類にある、乃木の所属していた私立の名前を見て言う。

 鷹、は報国院では上から二番目のクラスになる。

 乃木が通っていたのは東京の有名な私立大学の付属中学で、そのまま所属していればエスカレーターでかなりいいレベルの大学には余裕で入れただろう。

「上としてはな、千鳥にぶっこんだらどうかと」

「千鳥!そりゃいけんじゃろ」

 呆れて高杉が言う。千鳥がどんなものか知っていればなんとかできるだろうが、全く知らずに突っ込むのは少々どうかと思う。

 が、教師は言う。

「寮に余裕があるのが報国寮しかないんだよな。あそこ一番でかいだろ?それに中学で問題をおこしたなら、千鳥に突っ込むのがいんじゃないか、と。成績がいいならさっさと上に上がればいいだけの話しだし」

「千鳥に一回落ちたら、這い上がるのはまず無理じゃ」

 千鳥には専門の部と普通科があるのだが、普通科はまず一年かけて中学のおさらいをやる、そのレベルだ。しょっぱなからそんな事をしていては到底這い上がれない。

「だよな、絶対にこいつ報国院辞めるよな。で、高杉、どうする?」

「だからなんでそこでわしが尋ねられるん」

「だからさ。空いてるのが御門しかねーのよ」

 そこでやっと高杉は教師が言わんとする本題に気付いた。

「もしお前が御門で引き受けるなら、上にかけあって千鳥以外のクラスにぶっこんでやろうかと思ってんのよ。鳳はもう人数決まったから無理だけど、鳩ならなんとかなるかもだろ?」

 報国院はとにかく成績至上主義だ。

 成績さえよければそれでいい、という風潮がある。

 この乃木のレベルなら、多分少々問題をおこしていても多分入学は出来る。

「鳩、なら、まぁ……」

 高杉が言う。この学校のクラスはそれぞれが成績でランク分けされているが、クラスによって性質が面白いくらいに違う。

 (おおとり)は、高杉が所属する一番ランクの高いクラスの生徒は皆きちんと勉強し、かなり変わり者も多い。

 (たか)は、鳳の下になるが鳳を目指すあまりにガリ勉になるタイプと、努力しなくてもけっこう出来るタイプに二分される。

 (はと)、はそこそこ真面目で普通な、のんびりとした生徒が多い。千鳥に落ちなければいいや、というタイプと鷹に進みたいとひそかに思うタイプがいる。


 千鳥(ちどり)はいくつか科があるが、その中でも普通科はどうしようもない、どこにも入れない連中が集められている。すでに絶滅したヤンキーのような連中が居たりもする。

 ただ、そういった連中は先生に締められて大人しくするしかない。

 その千鳥の担当が、高杉の目の前に居る教師だった。


「いまの所、空いてる寮が報国と御門しかない。でも御門はちょっとなあ」

「……まぁ、そうじゃけど」


 御門寮は、報国院の中でも学校から一番遠く、人数も少なく、自由な寮だ。

 それだけ生徒の自己管理が必要になるので問題をおこしそうにない、一番頭のいい鳳クラスの生徒を入れる。


 というのは表向き。


 鳳は授業料も寮費も必要経費も全く不要、おまけに経費を生徒に支給さえするので、いろいろ事情がある生徒がけっこう居る。

 金銭的な理由でここしか選べない、とか、親に逆らって逃げる為に鳳を選んだり、ほかにも色々だ。

 人数が少ないから関わりもやたら濃くなって、トラブルも多い。

 そのために『問題児がつっこまれる』と揶揄されることも多く、極力学校側も余裕がある場合は、御門に入れないようにしている。

 おまけに今現在、御門に所属しているのは報国院でもかなり濃い性格の連中ばかりが集まっている。

 うまく行っているのが不思議なくらいだが、なんということはない、去年まではまとめるのがすさまじく上手い桂雪充が居たし、高杉、久坂、吉田の三人は幼馴染だ。

 そして最もトラブルメイカーな山縣は高杉に心酔しきっていて、高杉のいう事ならなんでも聞く。

 凸凹が綺麗に埋まっている状態だ。

「今は桂もいないだろ?そこに地元でもない、東京出身の一年生を放り込んでどうにかなるのかっていう心配がな」

 教師がふうとため息をつく。

「吉田はともかく、久坂がなぁ……」

 この教師も、教師になる前から高杉や久坂と関わりがある、といより幼い頃からこの教師に高杉が懐いている。だから久坂の事も勿論知っている。

「あいつ、絶対に追い出すだろ」

 昔から知っているだけあって、久坂の性格もよく知っている。

 久坂は表向きは大人しく穏やかではあるものの、その内面はけっこう頑固で我侭だ。

 表向き、高杉が我侭で久坂はそれを許している風に見えるが実際は逆で、久坂の我侭を高杉が先に察知して、久坂が問題にならないように手を打っている。

 そんな事を理解しているのは多分、極一部だろう。

 久坂の情の強さを知っているのでそう言うと、高杉は「大丈夫じゃろ」と言う。

「多分、上手くやれるんじゃないかの」

「へぇ珍しい。やっぱり親友の勘か?」

「まぁ、そんな所。一人だけならなんとかなるじゃろ。栄人にまかせりゃ暫くは誤魔化せる」

 吉田栄人は高杉と久坂の同級生で同じ鳳クラスだ。

 幼馴染なので性格もよく判っている。

 人あたりは悪くないので、暫く任せれば、うまく慣れてくれるだろう。

「お前がそう言うなら大丈夫か。じゃ、鷹は無理でも鳩につっこめるようになんとかするわ」

 よし、と教師が膝を打つ。

「じゃあ決定だ。乃木幾久は、鳩で御門な。イレギュラーな奴だけどクッソ真面目みたいだからお前らには丁度いいかもな」

「クソ真面目?」

 まだ書類しか見てないのに、どうして性格なんか判るのだろう。高杉は書類を見落としたかな、とめくってみるが教師が笑う。

「違え違え、あいつ時間守るし、きちんと手ェ上げて質問するし、今なんか試験官いねーのにクッソ真面目にカンニングもせずにテストやってるぜ。ひょっとしたら俺がいねーの、気付いてないかもな」

 教師の言葉に高杉が驚く。

「え?殿、てめー、まさか今日の試験の試験官とか言わねーよな?」

「敬語崩れてんぞコハル。まさかの試験官だけどいいだろ別に。あいつカンニングなんかしねーし、したとしてもどうせ鳩だし」

「教室に戻れよ……」

 呆れて高杉が言うと、「戻るって」と言いながらジャケットを羽織った。と、同時に職員室の扉が開く。

「毛利先生!試験会場ほったらかしでなにやってるんですか!」

 怒鳴りながら入ってきたのは、別の教師の三吉だった。毛利と三吉は学生時代からの先輩後輩、兼、犬猿の仲だ。

「高杉に話があったんだようっせーな。いま戻る所だっつの」

 ちっと舌打ちし、高杉の頭を撫でて立つ。

「じゃー後は任せたぞボーズ。上手く立ち回れ」

「承知いたしました、殿」

「先生って言え」

 言いながらもう一度高杉の頭を撫でた。



 その後、高杉は怒鳴り込んできた三吉にとっつかまり、なぜか毛利がするはずの仕事を押し付けられた。

 わし、生徒なんじゃけど、と文句を言う高杉に、三吉はだから使われるんだろと言う。

「いいじゃないか、お前毛利より優秀だし。大学行って帰ってきてここで教師やれよ。向いてるぞ」

「面倒くさい」

 なりたいものは特にないし、教師でも別に構わないが、父と同じ職業だけは絶対に嫌だと高杉は思う。

 幼い反抗心だと判っていても、嫌なものは嫌だった。

「でも次はお前、二年だろ?進路とか考えてないのか?」

「ぼちぼち考えます」

 そういえば確かにもうすぐ二年だ。

 この数年、杉松や久坂の祖父の事で振り回されてばかりだった。

 昨年は報国院の生活があまりにも忙しかったし、そろそろ自分の『先』を考えなければいけないのか、と高杉は他人事のように思う。

(そうか。もう、二年、か)

 昨年の一年は、憧れた報国院に入れたのが嬉しくて仕方なくて、毎日が忙しくて楽しかった。

 先輩も見知った馴染みが多かったので、朝から晩まで子供の頃のように一緒に過ごせた。

(あんま、考えちょらんかったのぅ)

 御門に入る一年はいないと早くから聞かされていたので、じゃあこのままのんびり過ごせると思っていたがそうはいかないらしい。

 おまけに気になるのは、『東京から』『進学に失敗して来た』『眼鏡君』という組み合わせだ。


(絶対に、殿、判ってやってんだろ)


 東京から来た、進学に失敗した眼鏡君、は久坂の兄、久坂杉松すぎまつと全く同じだ。

 いまはもういない彼を高杉は、実の兄のように慕っていた。その事を毛利は知っている。何せ、毛利もその杉松の親友だったのだから。

 多分、これは毛利の陰謀なのだろう。


 今、御門は四人でうまく回っている。

 そのまま一年過ごせれば、互いに何もなく、うまくやっていけるはずなのに、なぜかいきなり石を投げ込んだ。

 高杉の役目は、毛利が投げた乃木という石でおこるであろう波を、どうやって立てずに、もしくは静かにやりすごすか、だ。

 あれだけ人をまとめるのが上手い桂雪充でさえ、御門の今の面々を他とまとめるのは苦労していた。

 自分には桂程の才覚はない。

 多分、高杉が断れば、乃木幾久はきっと試験に落ちてしまうか、入学を断られるのだろう。

(寮がないとか、嘘ばっか)

 縦も横も繋がっている幼馴染が皆この学校に居る高杉にとって、互いの寮の情報はとっくに入っている。

 報国で寮が足りないことは絶対にない。

 万が一、足りない場合は地元のアパートやマンションを借り上げてまで寮にするくらいなのだから。

 それに桂が移った恭王寮だって一部屋あいてると言っていた。


「なに考えてんだか」

 ぼそっと呟かれた言葉に高杉はびっくりした。

 自分が言ったかと思ったからだ。呟いていたのは一緒にいる三吉のほうで、ため息をつきながら高杉に言う。

「ほんと、先生らしくないよなあの人。先生なんだからもうちょっと真面目にやるべきなのに」

 毛利とは違い、真面目を絵に描いたような三吉には、あの態度は目に触るのだろう。

 昔からこの二人はそうだ。

 と、教師になる前からの二人をよく知っている高杉は笑って言った。

「殿はあれでエエと思う。報国院が全員真面目な先生だったら多分、困る」

 飄々としていい加減で、おまけに乱暴者で大雑把だけど、高杉は昔から毛利が好きだった。

「ああ見えて、大事な事外した事ないし」

「お前は毛利に懐いてるからなー」

 ちょっと呆れたようにだが教師が言う。

「ただ大事な事の幅がなー、もうちょっと先生らしく広げてくれりゃあなあ」

 この仕事だって毛利の仕事なのに、結局あいつがほったるから、クソ、とぶつぶつ文句を言っている。

「だからわしがやっとるやないですか」

「高杉、やっぱお前教師やれって。で、ここに戻れよ。そしたら毛利のフォロー任せられるし」

「考えちょく」

 それもいいかもしれない、と高杉は思う。

 自分にとってこの報国院は人生で一番幸せな時間と場所だ。

 そこに生徒として居られるのは三年しかないが、教師ならずっと居れる。

 ああそうか、と唐突に気付いた。


 ―――――だから杉松も、教師を目指したのか


 てっきり、自分や弟の瑞祥ずいしょうの面倒を見ていたのでそのせいかと思っていたが、そうじゃない。きっと杉松は、ずっとここに居たかったのだ。

 東京から逃げてきて、自分を見失って、無気力になっていた杉松はきっとここで救われたのだろう。

 さっき見た書類の事を高杉は思い出していた。

(乃木、か)

 東京の眼鏡君、と最初は呼ばれていた杉松を思う。

 杉松はもういない。

 助けることなんか出来ないし、そんな事に意味はない。

 だけど杉松じゃない、乃木幾久を、高杉はできれば何とか助けてやりたいと思っていた。

 ひょっとしたら、杉松のように逃げてきたわけではないのかもしれない。

 すぐに東京に戻るのかもしれない。こんな田舎嫌だと文句を言うかもしれない。


 でも、ひょっとしたら。


 杉松のように何か抱えてこの場所に来るのなら、なにかしてやりたいと高杉は思っていた。

 それは単純に、乃木の為でなく、自分のエゴに過ぎないのは判っていたけれど。

 子供でなにもできなかったはがゆい気持ちは、何年経っても変わる事がない。

 たぶん大人になってもきっと、なぜあの時に力がなかったと悔しい思いをするだけだろう。

 乃木幾久は、久坂杉松じゃない。


 だけどいくつか重なる符合が、高杉の心の早鐘を鳴らす。


 ひょっとしたら、あの、土塀を蹴り上げた最悪の奴が、自分たちの中に細波を起こすのかもしれない。


 離れ小島と呼ばれている、一番遠い寮の御門。

 変わり者や問題児が多い、と言われる。

 実際にその通りだ。

 だけどきっと、なじめばそこが一番幸せな場所になる。

 杉松達がそうだったように。

 今の自分たちがそうなように。



 手伝いを終えるとすでにお昼は過ぎていた。

 戻って来た毛利が、出前を取ってくれたので、職員室でそれを食べた。

 乃木幾久の試験内容を見て、三吉が頭を抱えていた。

「これで鳩はちょっと……鷹でもかなり良い方だぞ?」

 毛利は言う。

「二次で鷹とか今更人数の融通利かんだろ。鷹に入った奴落すわけにもいかんし」

「わしの前で、んな話してええんか」

 教師二人が生徒の前でしてはいけない話を始めたので、高杉が呆れて言うが、二人は全く気にしない。

 これ以上居るとまた面倒があるな、と高杉は早々に職員室から出る事にした。

「ご無礼しまーす」

 言って出ると、おう、と毛利が手を上げた。



 校舎を出て、敷地内を歩き、高杉は神社の境内へと向かった。

 報国院は大きな神社の敷地内にあり、境内も通学路みたいなものだ。


 境内でふと高杉は足を止めた。

 昔からの思い出の境内は、高杉にとって一層大切な場所になった。


 瑞祥とのあの誓いから、もう一年が過ぎるのか。

 高杉は左耳のピアスに触れる。


 寮まで帰ろうと足を向けたその時、境内で鳩にまみれている人影があった。

 手には食べかけのサンドイッチを持っている。この境内の鳩は人馴れしすぎていて、うっかり食べ物を持っていると突然襲われる。

 ったく、馬鹿だな、どこの観光客だと思って見ると、それはさっき高杉の顎を蹴り飛ばし、土塀を削り、教師の話題になっていた、まさに渦中の人物だった。


(乃木幾久、だ)


 鳩を追い払い、ぶつぶつと文句を言っている。



 さて、なんと声をかけようか。


 合格おめでとう?

 先輩って呼べよ?

 あっちはまだこっちの事なんか、何も知りはしないのに?

 もうすっかり乃木に関わる気が満々になっている自分におかしくなって、とりあえずは一番むかついている事から責める事にした。


 こいつは本当に報国院に来るのだろうか。

 杉松のように救われるのだろうか。


 わくわくする気持ちと、はやる気持ちに追い立てられて、高杉は早足で乃木幾久に近づいた。


 あ、と乃木が気付き慌てた表情になった。

 高杉は思い切り、腹から声を出して、大きく怒鳴った。


 声も顔もきっと怒っていたけれど、心の中は期待で一杯だった。隠していたからきっと、乃木は気付いてないだろうけど。




 幾久が御門に来るのは、丁度この日から二週間後の事だった。




[ご無礼します]終わり


このお話は[城下町スクールライフ】(1)合縁奇縁 の【春疾風】幾久が受験中の高杉サイドのお話になります。

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