ピーちゃんとティーちゃん(1)
長井の講演が終わって突如現れた、『グラスエッジ』。
メンバーの殆どが御門寮出身である彼らは当然のように寮に泊まった。
案の定、夜は食事から風呂からにぎやかで、幾久はにぎやかな面々を置いて先に寝落ちしてしまった。
さて、夜中すぎ。
幾久は覚まし、トイレへ向かった。
(のどかわいたなー)
ついでになにか飲もうとダイニングへ向かうと、明かりがついていた。
ダイニングに居たのは福原だった。
「あれ?起こした?」
福原の言葉に幾久は首を横に振った。
「トイレで。ついでにのど渇いて」
「そっか。なら良かった」
福原は自分のマグにお茶を入れているところだった。
「福原先輩は?寝てないんすか?」
「寝てたけど起きたの。ちょっと出かけようかと思って」
「こんな夜中に?」
おもいきり深夜で、歩いていたらそれだけで職務質問されそうなのに、と幾久は驚くが福原は頷いた。
「ピーちゃんと最近会ってないからさ、散歩に行こうかと思って。妹も起きてるし、いまから」
ピーちゃんは福原家の飼い犬だ。
真っ白のサモエドという種類の大型犬で、毛並みは高級毛布のようにふっかふかで性格も良い。
福原の家は御門寮のすぐ近くで、幾久は偶然福原の妹や犬と顔見知りになり、それ以来、福原家の犬のピーちゃんと散歩に出ることもあった。
「いいなあ」
動物は苦手だが、ピーちゃんは好きな幾久が言うと、福原がたずねた。
「じゃ、一緒に来る?海岸だけど」
「いいんすか?」
「いいよ。そのかわり青木君もいるけど」
「えっ」
「その『えっ』はいやだな、の『えっ』?」
福原の問いに幾久は首を横に振った。
「いえ、アオ先輩って動物嫌いそうなイメージだから」
神経質で線が細く、性格もきついし口も悪い。
その分才能は凄いらしい。のだが、幾久にとってはまとわりついてくる面倒な先輩でしかない。
他人にはどうなのか知らないが、とにかく幾久にくっつきたがるし傍に来たがる。
幾久が青木の尊敬する、久坂の兄の杉松にそっくりなのが原因らしいが。
「青木君ってああ見えてけっこう動物好きだよ。っていうか、動物しか好きじゃないかもね」
さて、と福原は立ち上がった。
「じゃあ出るけど、いっくん、その格好で大丈夫?」
「あ、なんか上に羽織るッス」
さすがに寝ていたままの格好では寒く、ジャージを着ていたので、上になにか着て出ることになった。
二人で玄関に向かい、幾久は尋ねた。
「そういえば、アオ先輩は?」
「とっくに俺ん家行って、ピーちゃん回収してる。そろそろ門の前にいると思うよ」
本当に好きなんだな、と幾久は思い、福原と御門寮の門を出た。
「わりー青木君、お待たせ」
「おせーんだよクソが―――――いっくん?!」
「一緒に行っていいッスか?」
幾久の問いに青木は頷いた。
「もちろんもちろん!いいに決まってるじゃないか!」
青木の足元にはピーちゃんがおすわりして待っていたが、幾久を見つけ、いつものように幾久に飛びついた。
「ピーちゃん、こんばんは、お前、夜遅いのに元気だなあ」
幾久にぶんぶんとしっぽを振っているピーちゃんに福原が笑う。
「ほんっといっくん、ピーちゃんに好かれてんね」
「散歩に行かせて貰ってるんで」
福原の妹の言ったとおり、福原家には誰かがかならず居て、幾久が気まぐれに遊びに行っても、いつも笑顔で「どうぞどうぞ!」とピーちゃんを貸してくれた。
「うちはおかげで助かってるみたい。ピーちゃんまだ若いから元気でさ。妹はともかく、両親じゃちょっと散歩はね」
「確かにそうっすね」
ピーちゃんはおとなしい犬だが、大型の犬なのでやはり力が強い。
いきなり飛び掛ってこられると、転んでしまう。
幾久は最近やっとコツを覚えたが。
「じゃ、行こうか」
リードを持つ青木に頷き、幾久と青木、そして福原とピーちゃんは海岸へ向かった。
夜中の道路は通る人が誰もおらず、車どおりもなく静かだ。
昼間には船がひっきりなしに通りもするが、さすがにこの時間に通る船もない。
いつもの海岸へ到着すると、向かいの港の明かりが小さく見え、海は星をうつしていた。
青木はピーちゃんと遊びに砂浜にかけおりていく。
小さな海岸を行ったりきたりして、楽しそうにしている。
幾久と福原は、階段状になっている護岸に腰を下ろした。
「いっくんってさ、青木君のこと、どう思ってる?」
福原の問いに幾久は答えた。
「変な人ッスかね」
青木に限らず、幾久から見たら、グラスエッジのメンバー全員変な人だ。
中岡は、五月に紹介された学の兄という情報だけだし、かっこいいお兄さんとしか思っていない。
来原はマスターの弟子というだけあって、性格も外見も気のいいマッチョだ。
福原は面倒見のいい、お調子者のお兄さんそのものだし、青木は派手で芸術家らしい雰囲気で、幾久にやたらくっつこうとする。
集は唯一、静かでまともな人なのだが、来原にまけず実はマッチョで、体中に刺青が入っているので怖そうな人に見える。
「いっくん、青木君に引いてるかと思った」
「引いてはいますよ。けど、ああいうのがアオ先輩なんだろうなっていうのがあるし」
バンドだというし、変な人の集まりだから仕方ないのかな、と最初からあきらめのようなものがある。
それに、青木が幾久を気に入っているのは、幾久自身をどうというより、杉松の影響だろう。
「オレ、杉松さんがどういう人だったのかって、オレはちっとも知らないんスけど。でももしオレが、いまの寮の先輩を将来なくしたら、絶対に立ち直れないと思う」
もし高杉が、久坂が、栄人が。例え山縣であったとしても。
将来どんな人間関係を築こうと、幾久にとって今の御門寮の面々は特別だ。
だからもし、自分が誰かを失うなんて、と考えただけで泣きそうになる。
もしその傷も癒えてないうちに、似ている存在でも見てしまったら、やはり可愛いと思ってしまうかもしれない、と幾久も思う。
青木は杉松を相当慕っていたらしい。もともと、人を好きでない人だったら、好きな人をなくしたらつらいなんてものじゃないだろう。
「だったら、アオ先輩のあの変な態度も仕方ないのかなって」
「はは。いっくん正直だな」
福原は静かに言った。
「青木君はさ、確かに杉松先輩の事も好きで好きでたまんなくてさ、いっくんにもいろいろ思うところは
あるかもだけど、普通にいっくんを好きだよ。俺らもだけど」
そこは幾久も疑ってはいない。
杉松の代わりという雰囲気で扱われているようには思えなかったし、違うのは理解していた。
「だったらもうちょっと、おとなしく好きでいて欲しいっす」
はは、と福原は笑った後、ぽつりと告げた。
「あのねえ、いっくん。青木君はね、愛を知らない子だったのな」
福原は続けた。
「青木医院っていう、代々大きな医者の家の子で、青木君のパパの奥さんは俗に言うトロフィーワイフってやつ。だから青木君のお母さんはすっげえ美人」
青木が美形なのはだからか、と幾久は納得した。
「青木君は決して両親に愛されてなかった訳じゃないんだけど、なんていうか評価第一の人でエリートにありがちに歪んでてね。つまり青木君は両親のお飾りみたいな扱いだった。手はかけて貰ったんだろうけど。俺もいろいろ楽器習ってて、そん時から青木君の事を知ってはいたけど、いつ見ても死んだような目をしてたよ。結局、青木君は見事に歪んじゃっててね。俺と知り合った頃にはあの性格って言うか、もっと荒んでた。性格もクソ悪くてさあ。でも音楽の趣味が合致しちゃったんだよね」
仕方ないんだよねーと福原は笑う。
「ほんっと青木君ってクソやろーだし、性格最悪だし、ファンにもぜんぜんよくしないし、でも音楽のセンスだけはすげーの」
「長井先輩も、それ言ってました」
あの性格が子供みたいな長井でさえ、青木は天才だと言っていた。
「そこは認めないと、自分が才能ないの認めることになっちゃうからなあ」
福原はなぜか楽しそうにニヤニヤと笑って言った。
「まあ、その頃っつうか、中房の音楽の頃に趣味あうやつなんか居なくてさ、青木君と知り合ってからは毎日会って、音楽聴いて、そうこうするうちに、家に遊びにもくるようになって。うち、レコードすっげえあるから」
「そうっすね。びっくりするくらい」
たまに福原家でお茶をご馳走になるのだが、家中がレコードだらけ、というよりレコードの中に家があるといっていいくらいにレコードが所狭しと並んでいる。
「祖父母時代からのコレクションだからな。相当あるんで青木君も入り浸ってた訳。で、そんときにも犬が居たの。サモエドのティーちゃん。福原TNT」
「また変な名前っすね」
「そう?ティーちゃんとピーちゃんでなんか似てていいじゃん」
「確かに」
似てはいるが、TNTもボーンスリッピーも変な名前だ。略すと普通に聞こえるけれど。
「青木君はさ、初めて、『無条件に愛情をぶつけてくる』存在を知ったのが犬相手だったのな」
「犬ッスか」
そこは幾久もちょっと驚いてしまう。
「青木君、あの外見じゃん?すっごいモテてモテてモテまくってたんだけどさ、中学生の頃かなあ。お父さんの知り合いの娘さんが青木君にマジぼれしちゃって、無理やり家庭教師してもらったのね。ところがそこのお母さんが青木君に手を出しちゃって」
「うわあ……」
中学生に、大人が手を出すとか、考えただけで幾久は頭痛がしそうになった。
「そんなこんなで大人におもちゃにされまくって、青木君はとっくに病んでてさ、つまり自分に寄ってくる連中は全部青木君の顔だの肩書きだの才能だのが目当てな訳。ところが、犬はそんなもん要らないだろ?」
幾久は頷く。
「うちのティーちゃんはさ、ピーちゃんと同じくすっごいなつっこい犬で、青木君がどんなに嫌がっても、近くに行っては尻尾振ってたの。青木君も徐々にティーちゃんに慣れて、仲良くなってさ」
「いい話じゃないっすか」
「ところがだ」
はーっと福原はため息をつく。
「青木君、犬に愛情習ったもんで、愛情のぶつけ方が犬なんだよなあ」
「……」
幾久はピーちゃんと散歩している時の事を思い出す。
ピーちゃんはなつっこいが、誰に対しても無防備になつくわけではない。
お愛想と愛情をきちんと分けている。
幾久に懐いているのは、福原のジャージを着ていたせいだし、福原本人じゃないと気付いても、福原のジャージを着ていることで、福原の仲間だと認識したからだ。
(確かに、アオ先輩って)
幾久が隠れていると探しにくるし、近くに居たがるし、抱きつきたがる。
幾久はこれまでの青木の行動を思い出し、想像して噴出した。
(犬……犬!確かに!)