どいつもこいつも同じことばかり
長井の部屋は、誰も入らない。
御門寮で居場所をなくしてしまっている長井にたいして、そんな不文律が出来ていた。
だから、よっぽど杉松が怒った時でないと、部屋をこじ開けるぞ、なんて言わなかったのだ。
長井は杉松の言葉を思い出し、むかついた事も思い出した。
「先輩面していつだってうるせえ小言ばっかりだったじゃねえか」
「あれは小言じゃない。注意だ。お前が人の悪口ばっかり言ってるからだろ」
犬養も杉松には懐いていた。
だから同じ事を言う。
どいつもこいつもうるせえな。
「俺が悪口を言ってるとしても、言われる方が悪い。自己責任だろ。言われて嫌なら、そうならないように努力しろよ」
「お前の不満に対処できるように努力しろって、それってお前の甘えじゃないか。他人はお前の思い通りにならないし、する義務もないんだよ」
こいつもやっぱり杉松のような事を言う。
なぜ誰も、杉松の言葉を疑う事がないのだろうか。
犬養は言った。
「長井、いいかげん自分が甘えたままの子供だって気づけ。学生の頃は大目に見て貰えても、大人になったらそうはいかない。折角学校に来たのに。最後のチャンスだぞ」
「なにが最後だ。そうやって俺を脅しやがって。杉松と一緒だな」
「脅してるんじゃない。誰だって、誰かと関わるのを諦める時が来るって忠告をしてるんだ」
「じゃあとっとと諦めろよ。馬鹿馬鹿しい。今更気取って先輩後輩面晒して何が仲良くだ。だったら学生の頃やってんだろ。誰だって俺の話なんか聞いてなかったじゃねえかよ」
「聞いていたら、お前の希望は我儘が過ぎると注意されたんじゃないか」
犬養が言うと長井が鼻で笑った。
「相変わらず犬養君は言葉遣いがお上手ですこと!大人になって益々磨きがかかったな。さすがアナウンサー」
「茶化すな。そんな事をしたって俺にはなにも届かないぞ」
「茶化してなんかいねーっての。お前が勝手に勘違いしてるんだろ」
フンと鼻を鳴らす長井に、犬養は思った。
(こいつ、本当に昔からちっとも変わらない)
「お前、今回のコンサート、報国院サイドに断られたのに自腹切ってまで来たのは、先輩達に会いに来たんじゃないのか?」
長井は鼻で笑った。
「なにバカなこと言ってんだよ。そんな訳あってたまるか」
「だったらなんで強引に予定をねじ込んだ?」
「来年から拠点をこっちにも広げるんだよ。だからそのための営業って訳だ。母校でのコンサートなんて、みんな喜んで飛びつくネタだからな」
そう言う長井に犬養はやっぱりそんなものかと肩を落とす。
「それが本音であろうがなかろうが、言ってしまったら結局本音としての責任がかかってくるぞ」
「本音に決まってんだろ。まさか今更俺がお前らと仲良くするために頭下げに来たと思ったのか?お花畑だな」
「仲良くする必要はないけど、だからって」
犬養の言葉を長井が途中で止めた。
「うるせえな。お前には関係ない話だろうが。そもそもお前、ここに何しに来たんだよ。打ち合わせがあるならとっとと言え。お説教なら間に合ってるし、その時間があるならリハがやりてえんだよ」
長井の言葉に、犬養は何か言いかけたが言葉を止め、そして言った。
「お前、乃木君に会ったろ」
長井の表情と動きが、ぴたっと止まった。
「びっくりしただろ。どこがどうって訳でもないのに、杉松先輩に似てる」
「それがどうかしたのかよ」
やっぱり、と犬養は思った。
幾久を見て、長井が動揺しなかった訳がない。
顔が似ているわけでもないのに、どことなく雰囲気が杉松そっくりで、まるで時々、杉松と話しているような気持ちになるくらいには、幾久は杉松を彷彿とさせたからだ。
犬養は訴えた。
「なあ、気づけ長井。お前だって学生の頃の言い分が通るなんて今更思ってないだろ。今なら間に合う。その気がなくても一度は先輩にきちんと挨拶しろ。気が向かなくても、一度は謝れ。そうしたら、お前が将来、失敗した事に気づいても、最低限、繋がりは保っててくれる」
長井は呆れた顔で犬養を一瞥し、言った。
「将来、俺が失敗?バカか。いまがその将来だ。お前達よりよっぽど俺は成功してんだよ。失敗してんのはお前らの方だ。大人になってまでだらだら報国院にこだわりやがって」
確かにそうかもしれない。犬養は思う。
地元で仕事を始めた自分たちにとって、報国院はまだ高校時代を懐かしく思い出す場所、というよりも、そのまま部活が続いているような感覚だった。
寮で過ごした感覚のまま、疑似家族のように過ごして、今では離れて暮らす兄弟のように思っている。
近すぎるのかもしれない。
だけど、どうせいずれ生活は変わる。
それまでは楽しく過ごそう、そう確かに思っている。
ただ、犬養にとって長井は、言っていることは大人として正しいのに、どうしても子供のような我儘さを交えている気がしてならない。
犬養は言う。
「長井、お前の言い分が正しいとしても、それは相手にとっても正しいとは限らないだろ。大抵、正しい事を合わせて行動するんじゃない。お互いの正しさを尊重して、変えられることは変えていく。合わせるってそういうことだろ」
「なんで合わせる必要があるんだよ。お前らばっかり優先しろってか」
「そんなことは言ってないだろ。ちょっとだけすり合わせをしたらどうだ、と言ってるだけだ」
またこいつもか。長井はうんざりとした。
「お前らと俺の考えは違う。それだけだろ。お前らこそ大人になれよ。俺の考えをそろそろ認めてくれてもいいだろ」
「お前はいつだって認められてたろ。御門を追い出されもしなかったし、誰も追い出そうとしなかった。暴言さえ止めれば、誰だって話を聞いた。それなのに」
「もううんざりだ」
長井は言った。
「俺は思い出を話しにここに来たんじゃねえんだ。営業だっつってんだろ。でなけりゃ金なんか払わねえし、お前の取材も断ってる。とっとと仕事に入ってくれよ、犬養『アナウンサー』」
そう長井が言うと、犬養はため息をつき、諦めた表情で、もう一度ため息をついた。
チェロを用意しながら長井は思う。
(どいつもこいつも、わかりきった事ばっかり言いやがって!)
今更面倒な事を掘り起こしてどうしろっていうんだ。
自分は完全にただの被害者でしかない。
全く意図していない事を勝手にやられて、ノートを回収しに来ただけなのに面倒な事ばかり言われて。
(こっちの努力なんかおかまいなしに)
だけどその途端、児玉の言葉が長井に響いた。
『自分は他人を笑う癖に、他人から笑われるのは嫌なんだな』
それは自分が祖父に、父親に、家に対して思っていた事だった。
そうなるわけがない。
あんな連中、大嫌いでもう俺は自由なんだ。
それなのに、知らぬ間に、同じことをしていたのか。
(そんなわけないだろ)
そんなわけがない。
あいつらはいちゃもんをつけているだけだ。
自分勝手で我儘で、コネばかり使って肩書を自慢する最低の連中だ。
(俺は努力してる)
だけど、幾久の言葉が響く。
『自分の為の努力なんて、自分だけにしかいい結果を産まないんだから、判って貰えるはずなんかない』
うるせえ。
俺は被害者だ。
長井はいつの間にか、自分が大嫌いな連中と同じ事を言っている事に気づく。
俺は正しい。
でも、長井の嫌いな連中もそう言っていた。
お前が間違っている。お前が悪い。
そう言って指をさして長井を責めたてた。
(あいつだって。杉松だって)
だけど長井はふと思い出す。杉松がいつも言っていた言葉を。
『お前がそうでも、僕はそうじゃ無いんだ』
お前にとってはただの小言でも、僕にはそうじゃない。
何度も何度も飽きずに繰り返していた。
杉松は一度だって、長井を間違っているとは言わなかった。
今の御門寮の連中もだ。
(じゃあなんで誰も賛同しないんだよ)
間違っていないのなら、なぜ長井の言うとおりにしてくれないのか。
『嫌いな人なんか誰だっていますよ』
長井が皆に嫌われているように、長井も御門寮の連中が嫌いだった。
お互いそれならそれでいいはずだ。
『でも、同じ寮に居るなら最低限、お互いに関わらずに、でも必要な時だけ協力するのってなんで駄目なんすか』
「嫌いな奴と、協力できるかよ」
ぼそりと長井は言う。
嫌いな奴と協力なんかできない。
長井がそうであるように、あいつらもきっとそうに違いないからだ。
そうではない、と何度もしつこく杉松は言っていたけれど、だったらなぜ、長井を受け入れなかったのか。
ただの悪口、それだけで。
授業は午前中で終わり、昼食と昼休み、そしてホームルームを終えてから生徒たちが講堂に入ってくるのだと言う。
講堂の裏にある控室は、長井の記憶とは全く違っていて、こちらもきれいになっていた。
昼食を校舎で取れ、と言われたら面倒くさいなと思っていたが、報国院のほうから出前を用意するとの事だ。
(随分と羽振りのいいことで)
それとも自分が払ってまでここに来たから、気を使っているのかもしれない。
食事を済ませ、時間を潰しているとドアがノックされた。
「はい」
「失礼してよろしいですか」
毛利の声だ。やや緊張しつつも長井は「どうぞ」と答えた。
「よう、久しぶりだな長井」
「どうも」
毛利は、なんら変わった雰囲気はなかった。
ひげが生え、年はくっていたが、あの頃と変わっていない。
(こんな柄の悪い雰囲気で、よく教師なんかできるな)
そうは思ってもあえて自分から言うことも無い。
「犬養はどうした?来たんだろ?」
「挨拶はしましたよ」
「そっか。じゃあうまいことやれるな」
「あっちはそれが仕事でしょうからね」
長井が言うと、毛利は眉を顰めた。
「お前、やっぱり相変わらずそれなのな」
「毛利さんもおかわりないようで」
面倒そうに言うと、毛利はため息をついた。
「なんだ、ちょっとは大人になったと思ったのに、全然変わってねえのな」
「そっちもですね」
「俺はちゃんと大人になってますけど。一応先生よ?」
「どうせコネで入ったクセに」
「そりゃそうだけどよお」
毛利はぼりぼりと後頭部をかいた。
「お前さ、もう大人なんだし杉松の言ってたこと、理解できるようになれないのか?」
まただ。長井は舌打ちした。
どいつもこいつも杉松杉松。
とっくにいなくなった奴の事をまるで神様のように崇めてる。