「僕ら」はずっとここに居る
『なんじゃ、ずいぶんと子供に戻ったんじゃの』
「長井先輩みたいなのが大人っていうのなら、なんかそういうの嫌だなって」
多分、長井は普通に大人だ。
だから子供の幾久達に対して、横柄な態度もとるし偉そうに上から物を言う。
他の寮ならそれでもいいかもしれない。
でもここは御門寮だ。
「長井先輩は、なんかこっちが何をするのかって決めつけてかかってるし、そうじゃないって言ってもちっとも信じない。自分の考えたことが、間違ってるってちっとも思わないんス」
『あいつは昔からああじゃ』
「なんか、勿体ないっす。マスターだって、モウリーニョだって、ああいう人でもきっと真面目に話せば、相手くらいしてくれそうなのに」
ああ見えて毛利もマスターも、人と関わることが多い。
学生の頃からあんな雰囲気なら、例え長井のようにつんけんしていても、無視するなんてことは無かっただろう。
『あいつは、相手にされたいわけじゃないからの』
「―――――そうなん、すか?」
幾久にしてみたら、長井は結局相手にされたくてたまらない風に見えるが、やっぱり違うのだろうか。
幾久は疑問を素直に高杉にぶつけた。
「それ、長井先輩も言ってたんす。関わりたい訳じゃないって。じゃあ、どうして関わりたいとしか思えない事をするんスか?」
『そう見えるから、そうとしか思えない、ちゅうのは短絡的じゃの。全く、違う考えであったとしても、結果選ぶ事や行動がかぶる事もあるけえの』
「難しいッス」
『じゃろうの。じゃけ、迷ったら行動で判断せえ』
「行動で?」
『そうじゃ』
高杉は頷く。
『どうあがいても、他人の本音なんぞ、わざわざ説明してくれん事には判りようがない。じゃけ、そういう時は諦めて行動でそう思うしかねえの』
「うーん」
長井は正直に、グラスエッジに入りたい訳ではない、と言った。
そして行動は、そうとしか見えない。
だけど違うなら、その行動は別になにか意味があるのだろうか。
「よく判んないんで、明日、帰ったらゆっくり話してください」
『そうじゃの。ワシも話足りん気がする』
そう高杉が言うと、後ろから久坂の声がした。
『アイツさえいなけりゃ今すぐでも帰るよ!』
「そうして欲しいけど、今夜は我慢するしかないっスね。ただ」
『ただ?』
「―――――チェロはすごく、綺麗な音っス」
そう、ずっと響いている長井のチェロは美しかった。
「なんか、先輩らが寮で投げ飛ばしあってるの思い出すんス。長い間、ちゃんとやってる人のものだなって」
高杉と久坂は武術を習っていて、教えることもできるレベルだというのに、面倒と言う理由で部活には関わらずに居た。
だけど、互いに面白がって本気で戦っている姿を見ると、あの信頼と見事な技は、長年培ってないと手に入らないものだなと思う。
「だから正直、勿体ないなって。すごく上手なチェロなのに」
例え嫌いであったとしても、長井とグラスエッジがコラボしたら、どんな音楽になっただろうか。
そう考えたくなるほど、長井の音は美しかった。
『じゃあ、明日は楽しみじゃの』
高杉の言葉に幾久はちょっと驚き、そして素直に答えた。
「はい」
『じゃったら、あんまり長話もせんで、早く寝んと肝心のコンサートで寝てしまうぞ』
「それもそうかも」
幾久が笑うと、高杉も小さく笑った。
「ハル先輩」
『なんじゃ?』
「オレ、ハル先輩の事、すっげえ好きッス」
幾久の突然の告白に高杉は一瞬言葉を失うが、ぷっと噴き出して幾久に言った。
『そりゃ有難い』
「ホントっすよ。帰ってきたらめちゃくちゃ、説明しますからね、オレ!」
『判った。じゃあ、それを楽しみに帰ろう。今日はもう遅い。児玉と御堀はおるか』
「います」
「ここにいます」
二人が言うと、高杉が言った。
『悪いが、明日まで御門を頼む。御堀は週明けまで居るんじゃったの』
「はい。週末はお世話になります」
『いや、お前がおってくれたら助かる。なにかあったら幾久に伝えてくれ。いつでも対応する』
「はい、判りました」
頷く御堀に幾久は笑った。
「たのもしーい!誉、先輩みたい!」
『本来はお前がそういう役目じゃぞ』
呆れる高杉に幾久は言った。
「あ、オレ向いてないッス」
『全く……まあエエ。じゃあ、明日には学校での』
「はい。オヤスミなさい、ハル先輩、瑞祥先輩も」
久坂のおやすみ、という声が高杉の後ろからして、一年生三人は通話を切った。
翌朝になり、皆学校に向かう時間になっても、長井は起きて来なかった。
その方がありがたいと、いつも通り生徒だけで食事を済ませると、気を使ったのだろう、麗子がいつもより早めに寮に来てくれた。
今日は休日ではあるが、土曜日の振替になっているので午前中は授業がある。
全員、ばたばたとにぎやかに、御門寮を出たのは、いつもより早めの時間だった。
「長井先輩、いつ出てくんだろ」
さっさと帰って欲しい、と言う幾久に御堀が答えた。
「午前中、僕らが授業している間にリハをやって、昼食後からトークショウとコンサートだからね。けっこう長いよ」
「えっ?トークショウって何だよ」
児玉が尋ねると、御堀が言った。
「ローカルの犬養アナウンサーがうちの卒業生なんだけど、その犬養アナウンサー、長井先輩と同級生で、同じ御門寮だったんだって。そのよしみで、コンサート前にしばらく話をするとかで」
幾久が頷いた。
「そっか!確か犬養アナウンサーって三吉先生と同じ年だから」
児玉が感心した。
「じゃあ、そん時って少なくとも、三吉先生と犬養アナウンサーと長井先輩が御門に居たのか。で、上は毛利先生に、マスターに、杉松さん」
「それに宇佐美先輩もいるよ」
御門寮にしょっちゅう顔を出す宇佐美は、亀山市場に勤めている。
「なんかメンバーがすっごい濃いメンツばっかりだな」
児玉が言うと、幾久が噴き出した。
「それ言ったら、御門ってオレ以外、みんな濃いすぎだよ!」
「なに自分だけ排除してんだ。お前だってけっこうだぞ」
児玉が言うが、幾久は笑って首を横に振った。
「ないない、オレはフツーだもん」
「幾は普通に可愛いよ」
御堀が言うと、幾久が乗っかった。
「ほら!誉はオレを普通って!」
それを見ていた栄人と児玉が苦笑して首を横に振り、同時に言った。
「それ、なんか違う」
生徒達の授業が始まった頃、長井は荷物をまとめ、タクシーを呼び、報国院へと向かった。
受付を済ませ、講堂へと向かう。
報国院の講堂は百年以上も前に作られた古い建物で、地元の文化財に指定されている。
あの頃、ただぼろっちいだけだった講堂を、壊す計画があった。校舎もだ。
長井の祖父はそれに関わり、やがて学校ぐるみの不正が発覚して、長井の祖父は失脚した。
あの頃から、家は一層荒れて、長井は長期休暇が嫌でたまらず、音楽へ逃げた。
講堂に入ると、長井は目を見張った。
暗く、どんよりとした場所だったのに、今では改装され、壁も美しく、柱も立派になっている。
(建築当初は、こうだったのか)
確かに、これは美しいホールだった。
外から見ても、同じ形でもかなり手を入れて改装したのは目に見えたが、中身は一層だ。
この場所でチェロを鳴らすと、どんな風に響くだろう。
長井がステージに向かおうとしたその時、講堂に人が入ってきた。
「長井、久しぶりだな」
そういって現れたのは、御門寮で長井と同学年だった犬養だ。
いまは地元でアナウンサーをやっている。
「なんだお前か」
犬養はにこにこと相変わらずなつっこそうな笑顔で近づいてくる。
例え、長井の事を嫌いでもだ。昔からそうで、そう言う所が嫌いだった。
「取材を受けてくれてありがたく思ってるよ」
「仕事だからな。そのうち凱旋公演で回収するだけだ」
犬養が来ることは知っていた。
長井が強引に、報国院で公演をすると決めると報国院はそれに合わせてスケジュールを組み替えてきた。
長井の経験を、トークショウ形式で話せ、というのが報国院の希望だ。
音楽を目指す生徒がいるならそれでよし、そうでなくとも関わりのない世界の事を知るのは良いことだ、と現学院長が希望した。
講演会は苦手なので、と、断ると、では司会進行を用意するのでトークショウ形式で、と言われ、それならばと受けたが、まさか犬養が来るとは思わなかった。
司会進行役は、長州市の地方アナウンサー、犬養長門、の名前を見たとき、正直断りたかった。
だけど、意識していると思われるのが嫌でそのまま受けた。
所詮、何時間も関わるものでもない。
大人同士、うまくやろう。
長井はそう思っていた。
犬養は長井に尋ねた。
「三吉や毛利先輩には挨拶したのか?」
同じ御門寮に所属していた三吉と犬養は、いまや報国院の教師になっていた。
職員室に行けば居るのだろうが、わざわざ行くほどのことはない。
「学院長には会ったが、あいつらは知らねえ。用事があればあっちから勝手に来るだろ」
「お前、もう子供じゃないのに」
犬養が苦笑するが長井は言った。
「だからだろ。子供は嫌な事から逃げられないけど大人は違う。好きにやって何が悪い」
正直な長井の言葉に犬養は面喰ったが、高校生の頃のように、ため息をつくと手を腰に置く。
(ホラ見ろ。大人気取っても、そういうところは変わってねえじゃねえか)
さっきまで大人のお付き合いの顔をしていた犬養は、あの頃のように呆れた顔になった。
長井のよく知っている犬養の顔だ。
犬養は言った。
「お前がこっちを嫌ってるのは知ってるし、それは構わないけれど、もう大人だろ。最低限の礼儀は守るべきじゃないのか?」
「なんで上から目線で俺に命令してんだ?地方アナが気取ってんじゃねえよ」
「地方アナなのは事実だけど、お前、そんなんじゃ二度と先輩達に後輩扱いされなくなるぞ」
長井は犬養を睨んで言った。
「いつ俺が、後輩扱いなんかされたよ」
「いつだってされてたろ。お前の場所を、誰も奪ったりしなかった」